第25話 糸口
ヘレナとエレンが感染対策用の簡単なマントを縫っている間に、アルベリックは馬車に積まれていたありったけのエールを、純粋なアルコールに変化させていた。
「〈抽出〉――対象、アルコール。不純物除去、対象を移動――密閉した瓶の中へ」
アルベリックが魔術を使うのと同時に、空中に浮かんだ魔法陣がやわらかく光を放って、地面に置かれたエールの瓶の中でこぽりと気泡が発生する。
それと連動するように、少し離れて置かれた
コルク栓をした瓶の中に、湧き出るように液体が溜まっていく光景は実に不思議なもので、まさしく魔法としか言いようがなかった。
三十本近いエールの瓶から、アルベリックは一滴残さずアルコールを集める。
最終的に抽出できたアルコールの量は、空き瓶二本半といったところだった。思ったよりも集まらなかったことを内心残念に思いながら、アルベリックは大事そうに両手で抱えた瓶をクロエへと手渡す。
「これを――村人に接触したあと、乾いた布に含ませて手を拭くようにしてくれ。ヒュームとクリスティアーナにも、同じようにするよう伝えて――できれば、発症した村人の面倒を見ている人間にも、行き渡るようにしたいのだが……」
「さすがに、この量じゃそれは無理だろ。物事には優先順位ってものがあるんだし」
突き放したように言いながらも、クロエは慎重にアルベリックから瓶を受け取る。
「もし村の人間にも行き渡らせたいっていうなら、村長に相談して村に備蓄してある酒を買い取るしかないんじゃない? 小さい村だけど、多少の備蓄くらいならあるだろ」
「……その手があったか」
はたと気づいた顔になって、今すぐにも駆け出していきそうになるアルベリックをクロエが制止する。
「はいはい、勝手な行動取らない――びっくりして瓶を落としたらどうすんの? 村長に話を通すなら、行ったついでに僕が話してくるから……アンジェはここで大人しくしてること。わかった? デュシェスが戻ってきたら、生きた病原体を見つけないといけないだろ?」
「……わかった」
子供に言い聞かせるようなクロエの物言いに、いささか複雑そうな表情を見せながらもアルベリックは素直にうなずく。
ちょうどそこに、縫い上がったマントを持ってヘレナがやって来る。差し出されたマントを受け取って羽織ると、クロエはヘレナに念を押すような視線を向けた。
目線だけでうなずきが返されるのを確認し、クロエは村の中に向かって歩き出す。
その姿が見えなくなったあとも、アルベリックは身動き一つすることなく村の中を見つめ続けていた。
デュシェスが戻ってきたのは、それから三十分もたたないうちのことだった。
村の周囲に広がる森の広さを考えると、信じられないくらいの早さだ。どれほどの強行軍だったかを物語るように、衣服の端々がほつれて木や草の葉があちこちに付いている。
身体強化を駆使したとしても、かなりの無茶をしたことは想像に
「……戻った」
息も切らさず言うデュシェスの手には、もぞもぞと動くマントが握られている。
問題の小動物を捕らえるのに、適当な道具を持っていかなかったことに到着してから気がついたのだろう。むしろ、収納リングの中のマントを利用することに思い至っただけ、上出来と言ってもよさそうだった。
「これで合っている……と思うが」
確認を
マントの上から首根っこを掴まれたまま、姿を現したのはイタチに似た小動物だ。
美しい毛並みとつぶらな目が愛らしさを感じさせるが、牙を剥き出しにしてまわりの人間を
黒い毛皮のところどころに散る銀の斑点を確認し、アルベリックはやや心配そうにデュシェスに目をやった。
「捕まえる時に、噛まれたり引っ掻かれたりしなかったか? これが病気の原因だったとしたら、かすり傷一つでも
「大丈夫だ」
短く答えてから、デュシェスは説明不足を補うように両腕を軽く広げてみせる。
その衣服にはあちこち
「クロエの追跡魔術で遠くから姿を確認して、あとは気配を殺してぎりぎりまで接近してマントを
言葉とは裏腹にまったく平静な表情でデュシェスが告げる。表情筋が仕事を放棄したようなその顔をアルベリックは見つめ、わずかに口元を緩ませた。
「ともあれ、無事で良かった――あと、こいつを捕まえてきてくれてありがとう。おかげで、この動物が本当に病原体の持ち主か確かめることができる」
アルベリックは言って、デュシェスが確保したままの動物に向かって魔術を使う。
「〈探知〉――対象、人体に入ることで有害な影響を及ぼす恐れのある微生物。症状は高熱、手や足の関節の痛み、皮膚の炎症及び硬質化――」
最初に使った時よりも、ひとまわり小さくなって形も簡素化した魔法陣がアルベリックの手元に浮かぶ。
集中した意識に、明確な反応が返ってくるのを感じてアルベリックは小さく微笑んだ。
「ヒット――間違いない、この動物が今この村で猛威をふるっている病の原因だ」
正確には原因というより運び手だが、とアルベリックは自身の発言を修正する。
デュシェスは手の中の動物を無表情で見下ろし、側に控えるように立っていたヘレナもなんとも複雑な表情で動物を見つめる。
「こんな動物が、病気の原因になるなんて……本当によくわからないですね。他にも未知の病気を持つ動物がいたりするんでしょうか……?」
「いても不思議はないが、人間の生活域に近いところには生息してないんじゃないか?」
迷いもなく答えたアルベリックに、疑問を帯びた二対の視線が向けられる。
「人間の近くに暮らしている動物が持っている病なら、とっくに人間にかかって免疫を獲得してるんじゃないかと思うぞ――よほどの変異が起きでもすれば話は別だろうが」
「……言ってることはよくわかりませんが、言いたいことはだいたい理解しました」
デュシェスと目を見交わしたあと、苦笑めいた笑みを浮かべてヘレナがアルベリックへと言葉を投げやった。
「つまり、人の近くにいる動物が持つ病なら、もうとっくに人間にかかっていると――それで治癒術で治すことのできる病気の一つになっている、ということですよね?」
「うん、まぁ……そういうことだ」
微妙に違う気もしたが、あえて訂正することもせずアルベリックは声を返す。
その目に馬車の中で作業していたエレンが、完成したマントを手に降りてくる姿が映った。
「ああ、そっちの兄さんも戻ってきてたのかい? とりあえず、最低限今必要な人数分のマントが縫い終わったから――あと、口を覆う布もだね」
睡眠不足のところに持ってきて針仕事を行ったせいか、目をしばしばさせながら告げるエレンにアルベリックは笑顔を向ける。
「ありがとう、助かる! まだヒュームたちも本格的な治療には取りかかっていないはずだから、すぐにこれを届けて――」
「でしたら、私が行ってまいりますね」
にっこりと笑って、ヘレナがエレンの手からマント類を受け取る。
中途半端に手を出しかけた姿勢のアルベリックと目が合うと、彼女は見た目だけは慈母のごとき笑顔で口を開いた。
「アンジェ様は、どうかここで待っていてください。病原体? というものの特定もできたみたいですし、もう病気にかかっても心配はないんですよね?」
「いや、だったら私が……」
「アンジェ様のお手をわずらわせるほどのことじゃありません。ちょっとしたお使いみたいなものでしょう? アンジェ様は、村の人たちの病を完治させる手立てをお考えになっていてください。まだ、実際に一人の村人を治したわけでもないのですから」
まったく圧を感じさせないにもかかわらず、なぜか逆らう気になれない不思議な笑顔と声で告げて、ヘレナはデュシェスに目礼して村の中へと入っていく。
デュシェスはアルベリックと目を合わせると、無表情のまま首を横に振ってみせた。
その手の中で、依然として暴れ続ける小動物に彼は視線を移す。つられるようにアルベリックも小動物へと目をやり、どちらからともなく口を開いて言った。
「……こいつを入れておける、
「探せばあるんじゃないか? 空いている箱がいくつかあったはずだから……なければ空き袋でもなんでもいい。ひとまず、逃げないように入れておけば……」
ぼそぼそと言葉を交わす二人に、エレンがくすりと笑って声を投げる。
「だったら、わたしも探すのを手伝うよ。兄さんはそいつが逃げないよう、しっかり捕まえていてくれ――万が一逃がしたら、大変なことになりそうだからね」
三人は連れだって馬車に向かい、作り付けになっている収納庫――収納リングの前身となる魔道具である――の中から、手頃な
もとは食材が入っていたと思しき木箱にマントごと小動物を押し込むと、簡単に蓋が開かないようにデュシェスは縄で箱を縛り上げた。
「これで、逃がす心配はまずないだろう……開ける時は注意する必要があるだろうが」
「その時は、この動物が逃げられない程度の隙間だけ開けて、
馬車の外に箱を置いて、そんな会話を交わしていると、村の方向から歩いてくる複数の影が目に入った。
そのうちの一つは見間違えようのない侍女服だ。さらに、神官服の上から雨合羽のような簡素なマントを身につけた大小二つの影と、同じマントを魔導師のローブの上からまとった影。やや遅れて、ぼさぼさの頭一つ分背の高い影が猫背気味になりながら続く。
神官服を身につけた大きいほうの影――ヒュームが、アルベリックと目が合うとひらひらと手を振ってみせる。
応えるように手を振って、アルベリックはかたわらのデュシェスへ視線を戻した。
解決への手がかりは
なにより、頼りになる仲間が自分の側には何人もいる――アルベリックは胸の中で呟いて、底の見えない青水晶色の瞳ににっと笑みを返す。
不敵とさえいってよい笑みは、その可憐な容姿には明らかに不似合いなものだった。
しかし、アルベリックの本来の容姿を知っているデュシェスにとっては、どこか懐かしさを感じさせる表情だった。ほんの一瞬だけ戸惑ったように目をまたたかせたあと、デュシェスは少しだけ口元を緩めたのだった。
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