第27話 術の完成


 その後、アルベリックの病原体に関する講義を受けて、ヒュームとクロエの二人は病原体を殺すための術式の作成に取りかかった。


 おおむね順調に進んでいた作業だが、夕飯の完成を告げるヘレナの声に中断される。


 あとで食べる、と言いかけたアルベリックの声は有無を言わさぬヘレナの笑顔に圧殺され、村の外に停めた馬車の側に敷かれた大きな布の上に連行された。

 野外用のテーブルは使用中であるため、やむを得ない緊急の措置というものだった。


 シートの上には人数分の木の盆が置かれ、その上に湯気と芳香を放つ料理を盛り付けた皿が載せられている。


「アンジェ様はテーブルで――と言いたいところですが、一人だけテーブルで食べるのはお嫌でしょう? なので、今回は特例ということでご一緒に」

「……ありがたい。ここで一人だけ別、というのは仲間はずれみたいで寂しいからな」

「そうおっしゃると思いまして。その寂しがり屋の癖のおかげで、何度となくお食事をご一緒することになりましたからね」


 ヘレナは苦笑を浮かべて言って、アルベリックに布の上に座るようにうながす。

 素直にアルベリックが用意された席に腰を下ろすと、他の面々も布に置かれた盆の側にそれぞれ靴を履いたまま座り込んだ。


 布には充分な大きさがあるため、大柄な男性を含む七人が座ってもまだ余裕がある。

 クリスティアーナは例によって一人だけ別に敷かれた布の上だったが、さほど離れていないため特に疎外そがい感はないようだった。


「村長さんには、大鍋に別の料理を用意して持っていってもらいました。他の発症していない村の方と一緒に食べられるように……さすがに全員分とはいきませんが。村のほうでも炊き出しに近い形で食事を用意しているみたいなので、それに足してもらった感じです」


 食材にもあまり余裕がないようなので提供させていただきました、とヘレナが事後承諾になってしまったことをびる。


 アルベリックはいや、と頭を振ってみせる。村人への対応は完全に彼女に丸投げで、術の作成に没頭していた自分たちに責める資格はなかった。

 むしろ、よくやってくれたと誉めてもバチは当たらない――どころか、必要な判断を自分に代わって下してくれたことに感謝していいくらいだ。


「本当に助かった。食事の準備も……腹が減っては戦はできぬ、と言うからな。空きっ腹を抱えて判断力が落ちた状態で、なにをやっても上手くいくわけがない」

「そうおっしゃるご当人は、『あとで食べる』などと戯言を口にしかけたわけですが?」

「……それこそ判断力が落ちていた証拠だろうな。じゃなかったら、食事に呼びにきたヘレナに楯突くなんて無謀な行動に出るわけがない――久々に肝が冷えたぞ」


 ヘレナの笑っていない笑顔を思い出して、アルベリックはぶるりと背筋を震わせる。

 同じ思いがクロエとヒュームの顔にも浮かんでいるのを見て取り、ひそかに連帯感めいたものを感じながらアルベリックは全員を見回して言った。


「ともあれ、ヘレナとグラハムのせっかくの心づくしだ。ありがたく感謝していただくことにしよう。さすがに今日は、いつもの腕をふるう余裕はなかったようだが」

「……いやぁ、村長たちの分まで用意するとなると、さすがにそこまで凝った料理を作るのは無理っすよ」


 村に入る前に着ていたものとは別の服に着替えたグラハムが、力なく笑って答える。


「とにかく質より量! って感じで、ひたすら野菜と肉を切って鍋にぶち込んで、小麦粉を練った団子をちぎって入れて――特大の鍋を持ってきてて、本当によかったと思ったっす。あれを普通の鍋でやろうと思ったら、いくつ鍋が必要だったことか……」

「……三十人前は軽く作れる大きさじゃありませんでしたか? 一番大きい鍋って……」


 やや呆れたようなヒュームの声に、グラハムは目線だけでうなずく。

 疲れのにじむその顔を労りの目で見やり、アルベリックはせっかくの料理が冷めないうちにと、短い祈りの言葉を口にした。


「では、ヘレナとグラハムの料理の腕に感謝して――いただきます」


 最後の言葉に数人が唱和して、いっせいに料理の皿にスプーンが入れられる。

 今日の夕食は、とにかく作るのも食べるのも――ついでに後片づけも簡単なもの、ということで塩漬け肉と野菜のごった煮に、練った小麦粉の団子を入れたものだ。要は村人たちに用意したのと同じ料理で、ただ下拵えや味付けに多少の手間がかかっているだけだった。その多少の手間が、料理においては出来上がりに大きな影響を与えるが――


 しっかり灰汁をとった雑味のないスープをアルベリックは口に運ぶ。塩漬け肉は脂身の多い肉を使って作られたもので、塩味とともに溶け出した油が絶妙な味わいを与える。


 知らず黙々と、アルベリックはスプーンを動かす。他の者も似たような状況で、ほとんど会話もないまま食事が進められる。


「――ところで、病気を治すための術の進捗しんちょくはどのようなものですか? 私が呼びに行った時は、なにやら熱心に話し合っているようでしたが……」


 半分ほど料理を食べて、少しばかり落ち着きを取り戻したのか、ヘレナがスプーンを動かす手を止めて言葉を放った。


「ああ。それなりに順調に進んではいる……前提となる知識を伝えるのに多少時間はかかったが、そのおかげで病原体を殺すイメージは掴めたみたいだし」

「……正直、頭が未知の知識でパンクするのではないかと思いましたけどね」


 げんなりした表情がヒュームの顔に浮かぶ。一つ疑問を口にすれば、十以上の懇切丁寧な説明が返ってくるのはありがたいとも言えるが――脳の許容量をはるかに超える場合には、ある種の拷問にも近いものがあった。


 同じ話を平然とした様子で聞き、時にはさらに詳しい説明を求めて質問をしていたクロエが肩をすくめて言う。


「まぁ、細胞がどうとか浸透圧がどうとか、いきなりそんな話をされても頭がついていかないのはわかるけど――要は、生き物を形作る構造のことだろ? なんとなくわかっていれば、それで術は使えるんだから問題はないんじゃないか?」

「確かに、なんとなくでもイメージを掴む役には立ちましたが……本当にあなたがたの頭の構造はどうなんってるんですか? 魔術は理屈で使うものとはよく聞きますが、感覚的に使う神聖術とはまるで違うとつくづく思い知らされましたよ」


 やれやれと言いたげにヒュームは溜め息を吐く。そんな彼を苦笑を含んだ目つきで見やり、アルベリックはヘレナに視線を戻すと淡い笑みを浮かべた。


「けど、ヒュームが頭から湯気をきそうになりながら頑張ってくれた甲斐あって、動物を対象とした実験までは上手くいった。あとは、人間に――病気に感染して、発症してる人間に対して使うことができるかどうか、確認するだけだが……」

「だから、あの術式で充分安全は確保できていると思うんだよ。病原体以外に影響を与えないように、対象が二重三重に指定されてるんだから」


 口元からスプーンを離してクロエが割り込む。呆れのにじんだ口調は、アルベリックの過剰ともいえる安全意識に対して向けられたものだった。

 対するアルベリックの表情は、納得がいかないと言いたげに曇ったままだった。


「使用する相手は、かなり体力を消耗している状態の病人だぞ。万が一のことがないよう、念には念を入れておくべきだと……」

「それで術の難度が上がってたら意味ないだろ? 今の術の構造で、やっとヒュームが理解できるくらいなんだぞ。これ以上余計な術式を付け足したら、まともに発動させられる人間のいない欠陥魔術になるだけだ」

「……それは、そうだが」


 言い合っている二人を忙しなく見比べていたクリスティアーナが、おずおずとした様子で言葉を差し挟む。


「あの……実際に使える段階まで来ているのでしたら、試しに使ってみてもいいのではありませんか? 本当の病人ならともかく、私なら多少身体に害があったとしてもただちに命に関わったりはしないでしょうし、よほど重篤な症状でもない限り自分で治すこともできます」

「……ティアーナ」


 アルベリックは顔をしかめたが、返す言葉はなくその名を口にするしかなかった。

 反論しようと視線をさまよわせるアルベリックに、クリスティアーナは唇をぎこちなく歪ませて――おそらくは笑みを浮かべて言葉を続ける。


「私を危険な目に遭わせたくないという、アンジェさんの気持ちは嬉しく思います。ですが、今は一刻も早く、この病気にかかった村の人を治す方法を見つけないと……」


 熱を帯びたクリスティアーナの言葉に、アルベリックはただ黙って唇を噛み締めることしかできなかった。


 頭では彼女の言うことが正しいとわかっている。だが、そうやって自分の身の安全を平然と二の次にする彼女だからこそ、少しでも危険から遠ざけたいと思う気持ちもあった。


 いっそのこと、自分が感染して実験台になれば――という考えが頭をよぎる。実行する前にまず確実に止められるだろうが、そのほうがはるかに気が楽だった。


「……アンジェさん」


 難しい顔で黙り込んだきりのアルベリックに、クリスティアーナが呼びかける。


「大丈夫です。アンジェさんが人を助けるために考えた術が、人を傷つけるなんてことは絶対あり得ません。そのために、何重にも安全対策を講じているのでしょう?」

「だが……」


「人間のやることに絶対はあり得ない――それは私にもわかっています。どんなに用心を重ねようとも、事故は起きる時には起きてしまう。でも、だからこそ、その結果を一人だけで受け止めようとはしないでください。私も、私以外の皆さんも――アンジェさんを助ける役に立ちたいと思っているんです。どうか、私たちを信じて、頼ってはくださいませんか?」


 鈴を振るような涼やかな声音が、ゆっくりと心に染み込む言葉を紡ぎ出す。

 アルベリックは目を伏せたまま動かなかった。言葉を切ったクリスティアーナと、他の者たちが無言で見守る中、たっぷり数十秒が過ぎてからアルベリックは口を開く。


「……せめて、最後にもう一回だけ動物を使った実験をさせてくれ。村の家畜を――豚かなにかを一頭買い取って、体内に入れた病原体を殺せるかどうか試してみる」


 人間とは勝手が違うだろうが、とアルベリックは苦慮の表情をのぞかせて続ける。


「この術が生物の身体に致命的な影響を与えないか、確認するくらいのことはできるはずだ。そのあとで――特に問題がないようだったら、ティアーナに術を使ってみる」


 しっかりと目を合わせて告げるアルベリックに、ティアーナは信頼を込めた眼差しを向けて力強くうなずいてみせた。


「ええ――大丈夫、きっと上手くいくはずです。アンジェさんがここまで積み上げてきた努力は、決して無駄にはならないはずです。もし仮に、目標に届かなかったとしても――その時はあともう少しだけ、足りない分の努力を積み重ねればいいだけです」


 笑みを含んで投げられるクリスティアーナの声には、確信めいた響きも宿っていた。


「だけど、なんだか失敗する気はまったくしません――こういう時の私の予感って、けっこうよく当たるんですよ?」


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