第24話 原因探索


 猟師のイスラの家で毛皮を確保してきたグラハムが戻ると、入れ替わる形でヒュームとクリスティアーナが村長を引っ張って村の中へと向かった。


 もちろん、二人とも馬車に積んであった予備の手拭いで口元をしっかり覆っている。

 目まぐるしく連れ回される形となった村長は、わけがわからないといった表情だったが農作業で鍛えられているのか、特に疲れた様子は見せなかった。


 そんな三人の背中を見送ることもせず、グラハムは布に包まれた毛皮を差し出す。


「これっす――村長にも見てもらって、確認を取ったから間違いないっすよ」


 開かれた布の中には、つややかな黒に銀の斑点が星空のように散った毛皮があった。

 それは見る者を魅了する一種の美しさを備えていたが、アルベリックには不吉な影が漂っているように思えてならなかった。


「……で、どうするんすか? これに病気のもとになる生き物がついているかどうか――確かめるんすよね?」

「ああ……うまくいくかどうかは、わからないが……」


 アルベリックは言って、グラハムの手から毛皮を受け取ろうとする。

 すかさず手を伸ばして横から毛皮を取り上げたのはヘレナで、アルベリックと目が合うと笑みを浮かべて言い放った。


「私にも果たすべき役目というものがございます、アンジェ様。きちんと胸を張ってお給料をいただけるように、お仕事をさせてくださいませんか?」

「……そのまま持っていてくれ」


 妙に圧の強いヘレナの笑みに押し切られるように、腰の引けた様子で答えてアルベリックは毛皮へと手をかざす。


 決して直接触れないよう、ヘレナの目が光っているのを意識しながら言葉を口にする。


「〈探知〉――対象、生命活動の停止前より付着している微生物。人間の体内に入ることで有害な影響を与える恐れのあるもの。症状は高熱、手足の痛み、皮膚の炎症及び硬質化、頭痛に目眩めまい……重篤じゅうとくな場合は意識障害」


 自分自身に言い聞かせるように言葉を重ねて、アルベリックは〈探知〉の魔術を使う。


 空中に浮かび上がった魔法陣は、普通に使われる〈探知〉のそれよりも大きく、はるかに複雑なものだった。クロエがわずかに目を見張ってから、研究者の目つきになって細部まで記憶しようとするようにそれを見つめる。


「検出――ゼロ。条件変更、死滅した微生物の残骸。活動時には人間の体内に入ることで悪影響を及ぼすもの。症状は高熱、手足の痛み、皮膚の炎症及び硬質化――ヒット」


 なにも映さずに空中へと向けられていたアルベリックの瞳が焦点を取り戻す。同時に、宙に浮かんでいた魔法陣がはじけるように消え、細かな光の粒子が舞い散る中アルベリックはクロエへと目を向けて言った。


「病原体の残骸を検出した。発症した村人の体内にも、おそらく同じものがあるはずだ――免疫が機能不全を起こしていなければ、な」


 たぶん大丈夫だろうが……と独り言めいた言葉をアルベリックは洩らす。

 その顔を黙って見返し、なにか言いたげに口元を動かしてから唇を一度引き結んで、愛想のない声をクロエは放った。


「勝手に納得してないで、こっちにもわかるように説明してもらえないか? なにをやって、これからなにをやろうとしてるんだ?」

「あ、ああ……悪い、クロエ」


 何度かまばたきをして、アルベリックは思案するような表情を一瞬見せる。


「今、この毛皮に残っていた病の原因――病原体の残骸を探知の魔術で見つけ出した。これと同じものが病気にかかった村人の体内にもあるはずだから、それを探知して消去することで彼らの病を治すことができる……はずだ」


 最後に心もとなげに付け加えられた言葉に、クロエはわずかに眉尻を上げてみせる。


「……はず、っていうのは?」

「検出したのは生きた病原体ではなく、死滅したあとの残骸だから……発症した村人の体内にいる生きた病原体を、同じものとして認識できるかどうかが不明なんだ。これが病の原因だと特定することはできるだろうが……」


 言葉を重ねるごとに、クロエの眉間に刻まれた皺が深くなっていく。苦虫を噛んだような表情でしばらく黙り込んだあと、クロエはアルベリックに問いの言葉を投げた。


「つまり、これが病気の原因かどうか特定はできるけど、治療できるかどうかは自信がない、ってことで合ってる?」

「……合ってる」


 悄然しょうぜんと答えるアルベリックに、クロエはつけつけとした口調でさらに問いかけた。


「だったら、その生きた――病原体? それを見つけることができれば、確実に病気を治すことができるってこと?」

「ああ……だが、そのためには病原体を持つこの動物を見つける必要がある」


 クロエの表情が伝染したかのように、眉を寄せた難しい顔つきでアルベリックは言う。


「さっきはああ言ったが、これと同じ動物が近くの森の中にいるという保証はない。村長も言っていたが、専業の猟師でも見たことがない動物だという話だったろう? どこか他所の土地から入り込んできた可能性が高い、だとすると……」


「ああもう、まどろっこしい! 要するに、これと同じ動物がいるかどうかまず確かめればいいんだろう!? それぐらい軽いもんだよ! この村を中心にありったけの魔力で感知できる範囲を調べればいいだけだろ!!」


 れたように言って、クロエは目を丸くしているアルベリックの前で、空中に向かって手を差し伸べる。


「〈探知〉――対象、黒に銀の斑点を散らした毛皮を持つ小動物。全長約4,8メルク。地表部か樹上を生活領域にしている可能性高し」


 集中するために目をつむって、言葉を口にするのと同時にぶわりと高まった魔力がアルベリックへと叩きつけられる。


 空気に色がついたかと錯覚するくらいの、圧迫感をともなった濃密な魔力だった。


 全身に鳥肌を立てるアルベリックの前で、宙に差し伸べられたクロエの指先を中心に巨大な魔法陣が浮かび上がる。先程アルベリックが魔術を使った際に現れたものとよく似ていたが、大きさも複雑さも比べ物にもならなかった。


「範囲拡大――最大領域。生命反応、精度低下――検知最優先。対象外の反応除去――」


 ごく小さく呟きを放つクロエの額に汗がにじむ。空中に描かれた魔法陣が複雑さを増していくのを、アルベリックは言葉を呑み込んで見守った。

 半分布に包まれた毛皮を持つヘレナも、アルベリックの背後に立つデュシェスも同様だ。


 少し離れた場所で立つエレンが、奔流ほんりゅうのごとき勢いで叩きつけられる魔力に耐えられなくなったように、わずかに体勢を崩す。

 馬車につかまって身体を支えるのと、クロエの指先の魔法陣が光を放つのが同時だった。


 目を突き刺すような光に、アルベリックは反射的に目を閉じて顔を伏せる。


「検出――反応あり」


 クロエの言葉に、思わずアルベリックは顔を跳ね上げた。大きく見開かれた目がクロエへと向けられる。


「位置確認――追跡魔術準備、可視化完了――目印設置、完了」


 宙に差し伸べた手をクロエが動かすたびに、新たな魔法陣が次々と浮かんでは消える。その一つが消える直前に形を変え、光で編まれたような輪郭りんかくだけの小さな鳥に変化した。


 羽ばたきもせずに空中に浮かんでいる鳥は、実体がないものと一目でわかる。


 額にうっすらと汗をにじませたまま、淡い金色の瞳をアルベリック――正確にはその背後のデュシェスへ向けて、クロエはぶっきらぼうに言い放った。


「それらしき動物を見つけたから、誰か行ってとっ捕まえてきてくれない? 僕の仕事はここまでだから――肉体作業は他の人にお任せするよ。ああ、その追跡魔術にはあんまり魔力を込められてないから、急がないと案内の途中で消えるかも」

「………」


 なんともいえない表情でクロエを見つめたあと、デュシェスはアルベリックを見やる。


「――頼んでもいいか、デュシェス? 少し遠いかもしれないが……あと、できれば生かしたまま捕まえてきて欲しい」



 少し申し訳なさそうな表情でアルベリックは注文を増やす。観念したような瞳をヘレナに向けると、任せてください、と力強い笑みと言葉が返された。



「アンジェ様の手綱は私がしっかりと握っておきます。護衛の必要は――当面はないでしょうからね。でも、できるだけ早く戻ってきてください。今は大丈夫でも、いつ状況が変わるかはわかりませんから――特に、こんなに不確定要素の多い局面では」

「……わかった」


 その一言だけ投げ置いて、デュシェスは踵を返す。

 同時に空中に浮かんだ鳥が滑るように動き出す。羽ばたきもせずに重力に逆らって上昇する鳥を目で追いながら、デュシェスは勢いよく走り出した。


 さらに速度を上げた鳥の姿が、身の危険を感じたように見えたのは気のせいだろう。


 あっという間に視界から消えたデュシェスから、クロエに視線を戻してアルベリックはごく淡い笑みを浮かべた。


「……ありがとう、クロエ」

「別に、礼を言われるようなことじゃないよ。僕にとってはこれくらい朝飯前だし――それより、デュシェスが戻ってくるまで時間を無駄にすることもないだろう? さっきの病原体とやらを探知するのに使った術式を教えてくれない?」


 肩をそびやかせてクロエは言葉を投げる。その顔に、大幅に魔力を消費した疲れなどはのぞいていなかったが、気合いを入れるように握り締めた拳がかすかに震えているのをアルベリックは見逃さなかった。


 しかし、それをあえて指摘することはせず、アルベリックは少し不満そうに言った。


「教えてもいいが、病原体の検出くらい私にもできるぞ? 直接接触しないように気をつけてさえいれば、感染の恐れはほとんどないのだから……」

「なにをどう言おうと、未知の病気にかかった病人が何十人もいるところに、アンジェを行かせるわけにはいかない――常識で考えてみて? 今すぐ馬車に放り込んでこの場から退去させていないだけ、充分譲歩してるうちに入ると思わない?」


 精神的に余裕がないためか、逆にこの上もなく晴れやかな笑みを浮かべてクロエは告げる。その笑みには、これ以上四の五の言うなら力ずくでも排除するぞ、という固い意志が込められており、アルベリックは黙ってクロエの要請に従った。


「……ふうん、なるほど。体内にいる砂粒より小さな生き物をイメージするわけか。目に見えないっていうくらいだから、実際は砂粒どころじゃない小ささだろうけど。で、その特性を条件として付け加えて……この毛皮にはもう、生きたそれはくっついてないから、死滅したあとの残骸を対象として指定する――」



 アルベリックの説明を聞いて、クロエはぶつぶつと復唱するようにその内容を呟きながら、ヘレナが手に持った毛皮に向かって魔術を発動させる。


「〈探知〉――条件、生前より付着している微生物の残骸。条件追加、人体に入ることで害をなす可能性の高いもの。症状は高熱、手足の関節の痛み、皮膚の炎症及び硬質化――」


 彼のかざした手の先に浮かんだ魔法陣は、アルベリックが使ったものに比べ一回り以上小さく、紋様や構造もかなり簡略化されたものだった。

 だが、魔術の効果にはなんら影響はないらしく、うっすらと光を放って魔法陣が消えるのと同時に、クロエはなるほど、と小さく声を洩らした。


「ある、とわかって使えば目に見えない生き物――の残骸でも、この術式で検出できるようになるわけか。まぁ、普通の失せ物探しなんかでも、目に見えない場所にあるものが探知できるわけだから、それ自体はまったく不思議ではないけど……」


 言いながら、クロエは何度も試すように同じ魔術を使う。その度に、魔法陣の構造が簡素でありながら無駄のないものになっていくのを見て、アルベリックは露骨に面白くなさそうな表情を顔にのぞかせた。


「……予想はしていたが、それなりに真面目に描いた絵を本職の画家に手直しされている気分だ。しかも、もとの面影がなくなるくらい徹底的に」

「なにぶつくさ言ってんの? とりあえず、これで村人の体内に同じ病原体の残骸があるか、調べたらいいんだろ? あと他になにか注意する点は?」


 さっさと村に足を向けようとするクロエを見て、アルベリックは脳内の病気に関する知識を総ざらいする。


「発症した村人に直接触れないようにするのは当然として――触れた時、その手で顔や口元を触らないように布で口元を覆うこと、村人と接触したあと必ず清潔な水で手を洗うこと、着ている服も戻る前に着替えて――いや、一枚上にマントかなにかを被ったほうが早いのか」


 眉を寄せて言ったあとで、アルベリックははっとしたように大きく目を見開く。


「そうだ! アルコール――酒精を高めた酒で病原菌を殺すことができる! ヘレナ、馬車にまだエールが積んであったな!?」

「え、ええ……でも、エールはそんなに酒精の強いお酒ではありませんよ?」


「酒に含まれている不純物を取り除く要領で、純度の高いアルコールを造り出すことができるはずだ。ありったけの酒を用意して――あと、感染した村人と接触する際に身につけるものも用意しないと! 予備のシーツを縫い合わせた簡単なポンチョでいい!」


 語気を強めて言い切ってから、少しばかり申し訳なさそうな表情をアルベリックはその顔にのぞかせた。


「……その、私には縫えないので……ヘレナ、作ってもらえるとありがたい。私がやると完成する前に、布と糸と針が全滅してしまう……」

「あと、アンジェ様の手も大変なことになりますね……いいですよ、お任せください」


 くすりと微笑してヘレナが言う。目を丸くして二人のやりとりを見守っていたエレンも、笑みを浮かべて声を発した。


「わたしも手伝うよ。一応、一人暮らしに不自由しない程度には裁縫の心得はあるからね……アンジェがそこまで不器用だってのは意外だけど」

「……私は、針や糸や調理道具とはきっと生まれる前から、不倶戴天ふぐたいてんの敵なんだ……」


 この上なく深刻な顔で答えるアルベリックに、こらえきれないように笑い声を洩らしてエレンはヘレナへと目をやる。


「多少なりとも手伝えることがあって良かったよ……そこまで耐久性は考えなくてもいいんだろ。だったら、ちゃちゃっと縫っちまうから――ヘレナ、道具を貸してもらえるかい?」

「はい、こちらこそお願いします。布は予備として用意していたものがありますので……」


 ヘレナが先導して馬車へ向かい、エレンは若干疲れが見えるもののしっかりとした足取りでそのあとに続く。

 二人を見送るアルベリックの顔には、信頼と同時にどこか納得のいかないような表情が見え隠れしていた。


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