第23話 対策


「……呪いじゃ、ない……?」


 最初に声を発したのは、伸び放題の髪の下にのぞいた淡朱たんしゅ色の瞳を大きく見開いた、シュルーク村長だった。


 信じられないと言いたげな彼の言葉にかぶせるように、クリスティアーナが声を放つ。


「でも、平癒の術にはまったく効き目がなかったんです! これが病気だというなら、なんらかの効果はあったはず……!」

「確かに、平癒の術はどんな病気にも効力を発揮する――けど、一つだけ平癒の術にも弱点があるはずだ」


 苦々しげに言って、アルベリックはクリスティアーナからヒュームへと視線を移す。


「術者が見たことも聞いたこともない、未知の病気に対しては平癒の術も効力を発揮しない。一度でも患者を治したことがあるか、その症状や原因を詳しく知っているか……だからこそ、治癒術の使い手は多くの患者を診たり、病気についての知識を深めるために勉強をすることが求められる。少しでも多くの病気や症例についての知識や経験を得られるように……」


「そうか……術者が見たこともない、症例が報告されてもいないような未知の病に対しては、治癒術もまったく無力だから……」


 明らかに衝撃を受けた様子で端整な顔を青ざめさせ、噛み締めるように呟いたあとでヒュームはアルベリックに鋭い目を向ける。


「ですが、だとしたらどうやって、この村の住人を治せばいいのですか? 未知の病気だから治せないというのであれば、私たちにはもう打つ手がない。実際に目の前に患者がいるのに、ただ手をこまねいて見ていることしかできないのですか……?」


 あえて感情を排してはいるが、その声には苦しむ人間を見捨てることはできないという、神官としての強い思いが込められていた。

 同じ思いをれ上がったまぶたの隙間にかろうじて見える瞳にのぞかせ、クリスティアーナも力強くうなずいてみせる。


 二人の神官の決意の宿る眼差しを前に、アルベリックはしばし迷ってから口を開いた。


「見捨てる、などという選択肢は私も取るつもりはない。ただ、どうやったら未知の病気に対して平癒の術が効力を発揮できるようになるのか――私自身にもわからないんだ。治癒術の使い手である二人に聞きたい。今まで治したことのない病気を治せるようになるのは、どんな条件がそろった時なんだ?」


「それは……」


 助けをうようなアルベリックの声に、二人は思わずといった様子で顔を見合わせる。


 記憶をたどるように視線をさまよわせたあと、最初に口を開いたのはやや余裕のある態度を取り戻したヒュームだった。


「治癒術の使い手の修業は、まず他の使い手が実際に患者を治すところを見学させてもらうところから始まります。最初は小さな傷や風邪などの軽い症状から……大きな怪我や、難しい病の場合はどういった状態なのか、どこに原因があるかなどの説明を受けてから、悪い部分を消し去るような感覚を持って術を使うように言われますね」


 一度で成功することはきわめてまれですが、と続けるヒュームにクリスティアーナが深く同意するようにうなずく。


「最初に手本を見せる使い手も、おそらく他の使い手の手本を見て術を覚えたのだろうな……そうやって様々な病を治す術を送り伝えてきたのだろうが、今回ばかりはその手は使えない。とすると病の原因を特定して、それを明確に消し去る意思を持って術を使うしかない」


 ぶつぶつと呟くようにアルベリックは言って、眉を寄せたままぽかんとした顔つきで立っている村長へと目をやった。


「シュルーク村長、最初に呪いにかかった――と思われている村人が、発掘の際になにか変わったものを見つけた、触れたなどといった話を聞いた覚えはないか? たとえば見たことのない動物に触れた、もしくは噛みつかれたとか……」


「………あ、あああああっ!!」


 なにか考えるそぶりを見せた直後、シュルーク村長の目が再び限界まで見開かれ、彼はあたりに響き渡るような大声を張り上げた。


「あった、ありましだ! 猟師のイスラが見たことのないイタチを捕まえたぁ言って、村のもんに見せびらかしてましだ! 黒に銀の星を散らしたみだいな、珍しい模様のイタチで、上手く毛皮をなめせば高く売れるんじゃないかっで……!」


「最初に症状の出た村人は、全員がその場に居合わせていたのか?」

「ああ、遺跡の発掘の帰りに捕まえたって言っで、他の連中も捕まえるのを手伝ったって……高く売れたら分け前をよこせって、冗談半分で言い合ってたんだから間違いねえ!」


「……当然、この村で食事の前に手を洗うなんて習慣はないよな? 狩りや畑仕事から帰ってきたあと、手を洗ったりする習慣も……」


 端切れ悪くアルベリックが投げた言葉に、シュルーク村長は逆になぜそんなことを聞かれるのかと言いたげな表情を見せた。


「……手ぇ? 獲物の解体やなんかで、ひどく汚れた時ぐらいは洗うけども……?」


 村長以外の者も同様の顔つきでアルベリックを見ており、唯一の例外は眉を寄せて難しい表情となっていたクロエだけだった。


「そういえば、アル――アンジェはよく衛生がどうとか言って、施療院で働く連中に手洗いをするよう勧めていたな。そのために高い石鹸まで寄付して……」


 集まる視線の中、クロエはそれを意に介する様子もなくアルベリックを見て言う。


「施療院だけじゃなく、孤児院にも石鹸を寄付して外から帰ってきた際と、食事の前には手を洗うよう勧めていた。その結果かどうかはわからないけど、施療院や孤児院で流行病にかかる者の数が激減したんだ」

「……ああ、そういえばあったっすね。そんなこと」


 グラハムの声に、同意するような色がヒュームやヘレナの目にも浮かぶ。デュシェスだけは困惑したように首をかしげたままだったが、アルベリックに向ける青水晶色の瞳には疑いの色は微塵ものぞいていなかった。


「その結果なんだ、間違いなく……詳しい説明ははぶくが、この地上のあらゆる場所には目には見えないくらいに小さな生き物がいて、その中には人間の身体の中に入ることで病を引き起こすものもいる。それが身体に入る一番の早道が、手や指について口から入り込む方法だ」


 今一つ理解できていない様子ながら、シュルーク村長は確かめるように問いかけた。


「ええど、つまり……病の原因はその動物で、そいつに触った手を洗わねぇでメシを食ったがら、イスラたちは病気になったど……?」

「……だいたい、その理解で合ってる。きちんと調べてみないことには、本当にその動物が原因がどうかはわからないが」


 正確に伝えることは諦めて、アルベリックは村長の言葉を肯定したあと、再び問いの言葉を口にする。


「その動物の――もう毛皮になってるか、毛皮はどこにあるかわかるか? 発病した時期から考えて、まだ商人に売ってはいないはずだろう?」

「ああ……行商人が村に来たのは、あの連中が呪い――じゃなくて病にやられて寝付いたあとだったがら、おそらぐイスラの家にまだあるはずだ。イスラはまだ嫁さんももらってねぇし、親兄弟もいねえがら勝手に売られるってこともねぇはずだ……」


 首をひねりながらも確信を込めた口調で告げる村長から、アルベリックは目配せを送るようにグラハムに視線を移す。


 小さくうなずいたグラハムが動き出す直前、アルベリックは厳しい口調で注意した。


「空気感染はない――はずだ。あったら水場の共有とかそんなものは関係なく、村の人間すべてが感染していてもおかしくない。ただ、接触感染の危険は高い。手袋をするか廃棄可能な布をかぶせた上で触るように――イスラという村人の触れた可能性のある場所すべてに、だ」

「……了解っす」


 注文の厳しさに引きつった笑みを浮かべ、グラハムが駆け出していこうとした時アルベリックが思い出したように言った。


「ああ、そうだ! グラハム、口元を布かなにかで覆っていくといい――そうすれば病原体が手に付いたとしても、体内に入り込む可能性は下げられるはずだ!」


 そう言って、アルベリックは服のポケットから取り出した刺繍の入った手拭きを、グラハムへと押しつけようとする。

 寸前でヘレナが止める前に、グラハムは慌ててポケットから手拭きを取り出した。


「いや、大丈夫っすよ! ちゃんと自分のがあるから――そういう心配があるなら、そっちはアンジェ様が使ってくださいっす!」


「しかし、イスラの家のものに触れるにも布が必要だろう? 気にせずに使え! 私は馬車にある予備を取ってくればいい!」

「それこそ馬車の予備から使うっす! ヘレナさん、お願いっすからそこの暴走お――じゃなくて暴走娘抑えといてください!」


 助けを求めるように言って、グラハムはヘレナがアルベリックの肩を押さえるのを見届けもせずに、馬車へと向かって駆け出す。

 駆け込んだ馬車から数秒もせずに飛び出し、グラハムは今度こそ村の中へと向かう。


 その際、両者のやりとりに口を挟むこともできずに突っ立っている、シュルーク村長の腕を引っ掴んでいくことは忘れなかった。


「……え? ええっ!?」

「道案内頼むっす! ほら村長、村長もこの布で口元覆って!」


 目を白黒させる村長を引っ張ってグラハムが走り去る。その姿を見送ってから、アルベリックは迷いのない声をクロエへと投げやった。


「クロエ、残った毛皮から病原体が検出できなかった時に備えて、同じ動物を森の中から探知する準備をしておいてくれ。一匹だけどこかから紛れ込んできた場合はどうしようもないが、そうでなければ同種の動物が森の中にいるはずだ。同じ種類の動物なら、同じ病原体を持っている可能性が高い」


「……了解」


 なにか言いたげにしながらも、その一言だけをクロエは投げ返す。

 アルベリックはさらにヒュームと、その隣に立っているクリスティアーナへ視線を移して言葉を続けた。


「二人には、今症状が出ている村人の看病を頼む。根本的な治療ができなくても、痛みや熱などの症状をやわらげることはできるはずだ。病原体の特定ができるまで、村人たちの身体が受けるダメージを少しでも少なくしておきたい」


 そうすれば治癒術をかけたあとの回復も早いだろうし、後遺症が残ることも避けられるはずだ、とアルベリックは少し心もとなげな口調で言う。


「断言はできないが――そんなことに、危険を冒すのを承知で二人を巻き込むのは気が引けるが、それでも力を貸してくれると言うのなら……」

「ずいぶんと、水くさいことをおっしゃいますね。アンジェと私の仲じゃありませんか」


 不安定に揺れるアルベリックの声を、これ以上ないほど上機嫌そうな笑みを浮かべてヒュームが半ばで断ち切った。


「アンジェの役に立てるのならば、それが私の喜び――人を救う助けになれるというのであれば、なおさらのことです。私の手でも、頭でも、命でも――どうか存分にお役立てになってください。私はあなたの手足となって、あなたの望むすべてを叶えましょう」


 女性であればなにか勘違いしそうなヒュームの熱のこもった言葉に、アルベリックが返したのはきわめて現実的な提案だった。


「だったら、まず症状の出ている村人の名前と年齢を帳簿に書いてくれ。村長が戻ってきてからでいいから――ひと通り村人たちの症状を見て、重症と思われる者から治癒術をかけていってくれると助かる」


 笑顔のままヒュームは動きを停止する。どこか予定調和めいた反応を返す彼から目を離し、アルベリックはクリスティアーナに視線と声とを投げやった。


「ティアーナはヒュームの補佐を頼む。それ以上症状が悪化することはないと思うが……無理だけはしないでくれ。ティアーナが仮に戦力から抜けたとしても、挽回する手段の一つや二つ用意してあるし、仮になくても考え出してみせる」


 アルベリックの表情と声もまた、性別が違えば女性が勘違いを起こしてもおかしくない熱を感じさせるものだった。

 炎を透かした宝石のような、力強い輝きをたたえたみどり色の瞳をクリスティアーナは声もなく見つめる。


「女の子に無理をさせて誰かを救ったところで、私もその誰かもきっと嬉しくない。ティアーナはそれで満足だとしても、そんなふうに身をけずって得る満足なんてクソくらえだ」


 言い放つアルベリックに、ヘレナがちらりと物言いたげな表情を見せたが、口に出してはなにも言わなかった。


「私がするのは、無理をしない範囲でできる限り村人の苦痛を取り除いてほしいという、きわめて身勝手なお願いだ。虫のいい話を、と思うかもしれない――だけど、ほんの少しでも私に力を貸してもいいと思うのだったら、どうか協力してほしい。際限なく身を削る前提じゃなくて、辛くなる前に私たちを頼る前提で……私を信じて、私にも信じさせてほしい」


「……アンジェさん」


 クリスティアーナの声にのぞく当惑めいた響きが、次の瞬間包み込むような笑みを帯びたものに変わった。


「今更です、そんなの――私はとっくに、アンジェさんのことを信じています」


 目を見開くアルベリックに、クリスティアーナは心からの信頼を込めた声で告げる。


「私の力も、どうかアンジェさんの役に立たせてください。それがきっと、多くの人を救う助けになると思うから……無理はしないと言い切ることはできないけれど、限界だと思ったら素直に言うように、ええと……できるだけ心がけます」


 クリスティアーナの正直すぎる最後の台詞に、アルベリックは知らず苦笑とも失笑ともつかない表情を浮かべる。


「心がける、か……それでも充分だ。力を貸してもらえるか、ティアーナ?」


 アルベリックが発した言葉に、クリスティアーナは変わり果てた異相の上からでも満面の笑みを浮かべているとわかる気配を漂わせ、強くうなずいてみせたのだった。


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