第22話 呪いの正体


 馬車を村の外に停めたまま、グラハムとヒュームはアルベリックの指示に従って村の中へと駆け込んでいった。


 クリスティアーナもそれに続きかけたが、アルベリックとヘレナが同時に制止する。


「ティアーナはここで待機していてくれ! 村の状況がわかってから動いたほうが、助けを必要としている者を見落とさないで済む!」

「治癒術の使い手がヒューム一人で足りるとは限りません! より緊急性の高い人のところへすぐ行けるように今はここで待っていてください!」


 その間に、クロエは薄く目を閉じて空中に手を差し伸べ、人の身長くらいの大きさのある巨大な魔法陣を浮かび上がらせる。


 うっすらと輝く魔法陣は、複雑な紋様と交差する線で埋め尽くされたものだった。


 閉じていた目を開けるのと同時に、繊細なレース細工にも似た魔法陣はまとっていた光をあたりへと撒き散らす。それは目を刺すような閃光ではなく、夜空の星の光を集めたようなはかなささえ感じさせる一瞬のまたたきだった。


 散っていった光が弱まって消えると、クロエは空中に向けた目をアルベリックに移す。


「村の中で動いている反応は七十三、じっとしていて動かないのが九十八――生命反応は弱いが、今すぐ死にそうなほど弱っている者はいない。動かない反応の約半数が村の中心に集まっている。たぶん一つの建物に集められているんじゃないか?」


 看護のためか、隔離のためかはわからないが、とクロエは自分にしか聞こえない声で呟く。


 だが、アルベリックには唇の動きで伝わったらしく、軽く握られた拳にぎゅっと力が込められるのがわかった。忸怩じくじたる思いで目をらし、クロエは最大限に精度を高めた感知魔術によって得た情報の残りを口にする。


「動いている反応もほとんどが家の中だ。動かない反応もだけど――反応が集中している村の中心部に、いくつか明確な動きを見せている反応もある。ひとまず、そこへ行って話を聞くのがいいんじゃないか? 少なくとも話ができる程度には元気みたいだし、動かない人たちの事情もある程度理解しているはずだろう?」


「……そうだな」


 言って歩き出そうとしたアルベリックを、クロエは手のひらを向けて制止する。


「今の状況わかってる? 村でなにが起きているか――原因も状況もはっきりしてはいないけど、確かに一つだけ言えることがある。それは、ここでなにが起きていようと絶対にアンジェだけは、その被害者になっちゃいけないってことだ」


 確信を込めた口調で告げるクロエに、アルベリックは沈黙することしかできなかった。


「村内の安全が確かめられるまではここにいること。呪いの伝染力がどの程度のものかわかるまでは、村に一歩たりとも足を踏み入れることは許されない。それがわかっているからこそグラハムとヒュームに先行させたんだろう? だったら、最後まで徹底するべきだ――ヘレナ、デュシェス、そこの暴走馬車の見張りを頼む」


「……まだ暴走はしていないと思うが」


 馬を下りたデュシェスがぼそりと声を返す。クロエはわずかに肩をすくめて、


「目を離したらいつ暴走するかわからないだろ? 今のところアンジェの身に危険が及ぶ可能性があるのは、外部要因じゃなくて内的要因、本人の暴走による被害だよ。おかしな素振りを見せたら羽交い締めにしてでも制止してくれ」


「下手に扱うと、壊しそうで怖いんだが……」

「この際、骨の一本や二本折ってもかまわないよ。ヒュームに治させるし、いっさいの責任は僕が取るから……それで大人しくなってくれるかどうかが一番の問題だけどね!」


 容赦のないことを本気そのものの口調で言って、クロエはふり返ることもせずに村の中へと向かって駆け出していく。


 黙然とたたずむデュシェスに、アルベリックはなにか言おうとして結局口をつぐむ。

 言いたいことは山のようにあったが、過去の所行を考えるとクロエの発言のほうに説得力があるのは確かだった。


 そこに、馬車から降りてきたエレンが戸惑ったような表情で、両者の顔を見比べた。


 問うような視線に答える者は誰もなく、クリスティアーナもアルベリックと同様の焦りをにじませた様子で村の中をうがかいやっている。ヘレナもエレンが降りてきたことには気づいていたが、アルベリックの動きに注意を払うほうを優先せざるを得なかった。


 誰一人口を開く者のないまま、じりじりとした沈黙に満たされた時間ばかりが流れる。


 すぐ目の前に、路上に倒れた子供に治癒術をかけるヒュームがいるのも、もどかしい思いに駆られる原因の一つだった。

 馬車から持ち出した野営用の毛布で子供を包み、ヒュームはくり返し治癒術を使う。


 淡い光が子供にかざした手のひらから放たれ、それが五回に達した時、身じろぎ一つしなかった子供の身体が初めてぴくりと動いた。


「ヒューム! その子の容態ようだいは!?」


 門の外から声をかけるアルベリックに、ヒュームは少しだけ表情を緩めて言う。


「大丈夫、命に別状はないですよ。高熱と手足の痛みで、動けなくなっていたみたいですね。今、家の中に運び込んで寝かせてきますので――」


 毛布に包んだ子供を抱えて、立ち上がろうとしたヒュームがその動きを止める。

 クリスティアーナと同じように顔の一部が醜く変色した子供の口が開き、かすかな声がそこかられたためだった。


「……す、けて」


 弱々しい言葉の意味を理解し、ヒュームは子供に向かって笑いかける。


「大丈夫ですよ。君の病気はきっとよくなります。だから今は大人しく……」


「お――かぁさ、んを、たすけ、て……」


 うわごとのようにくり返される言葉に、ヒュームの――無意識に感覚を強化して聞いていたアルベリックたちの顔からも表情が消える。


 子供はまだ幼く、五歳を超えるかどうかといったところだ。みすぼらしい身なりと変色した肌のため性別もはっきりしないが、短く切られた金褐色の髪からして男児だろうか。


 そんな子供が苦痛をこらえて、家の外に出てきた理由がその言葉によって判明する。


 アルベリックは握り締めた拳にさらにきつく力を込め、クリスティアーナは厚ぼったく腫れ上がった目尻に涙を溜めて、胸の前で両手を固く組み合わせる。


 ヒュームは表情を消していた顔に再び笑みを浮かべ、抱き上げた子供に話しかける。


「……君のお母さんも、きっと助けます。だから君は安心して休みなさい。お母さんも君のことをとても心配しているはずですから」


 神官のかがみと言うべき慈愛に満ちた声と表情で告げ、ヒュームは子供を抱いて扉が開かれたままになった近くの家へと入っていく。


「……ヘレナ」


 まばたきもせずにその姿を見送りながら、アルベリックは硬く平坦な声を発した。


「客観的な意見として聞かせてくれ――あの子供が、呪いの被害者に直接接触した可能性はあると思うか?」

「なんらかの形で、母親が呪いにかかっていたとしたなら……いいえ」


 口に出しかけた自らの言葉を、ヘレナはきっぱりと断ち切るように否定した。

 同じ子を持つ母親としての顔でアルベリックを見返し、確信を込めた口調でヘレナははっきりと言い切る。


「あり得ません。今の村の状況からして、被害者への接触が呪いにかかる条件だとわかっていないはずがない。だとしたら、自分が呪いにかかっている可能性がある時点で、絶対に子供は自分から遠ざけます。絶対に、なにがあっても、子供だけは呪いにかからないように」


「……だと、したら」


 半ば考えに沈むような顔つきで、アルベリックはゆっくりと言葉を続ける。


「あの子供が被害者と接触することによって、呪いを受けたとは考えにくい。だったらなぜ呪いにかかったのか――いや、そもそもあの症状は、本当に呪いによるものなのか?」


 次第に低くなっていた声がほとんど呟きと化した時、村の様子を見に行っていた二名がほとんど同時に戻ってくるのが見えた。


「現状を説明できる人を連れてきたっすよー! あと、無事な人はまったく症状が出てないみたいなんで、村に入ったら即呪いにかかるって可能性も薄いっす!」


「倒れている人間の様子も見てきた。症状は皆同じだ――クリスティアーナと同じ皮膚の炎症及び硬質化、高熱と手足の関節の痛み、頭痛や目眩、重篤じゅうとく化した場合は意識障害……ただ、吐き気とか咳といった症状が出ている者はいない。食欲不振も症状の一つだが、高熱や意識障害によって食べられない者が大半だ」


 グラハムとクロエが口々に言いながら、村の中心に伸びる通りを戻ってくる。その姿を見てアルベリックは小さく安堵の息をつき、ついで二人の後ろにあたふたした様子でついてくる人物の姿に気づいた。


 ぎの当たった衣服を身につけた男性だ。もじゃもじゃと伸びた濃茶の髪とひげが顔の大半を覆い隠しているため、年齢もはっきりしないが姿勢や動作を見た限りではまだ若い。おそらくは二十代――どんなにいっても、三十代以上ということはないだろう。


 グラハムとクロエに続いて、アルベリックの前で足を止めた男性を二人が紹介する。


「アンジェ様、こちら、この村の村長のシュルークさんっす。見かけはこんなだけど、呪いが村に蔓延まんえんした際、無事な人を迅速じんそくに隔離して際限なく呪いが広がるのを防いだ、なかなかの判断能力と実行力をお持ちの方っすよ!」


「ついでに、解呪の術が通用しないと見るやクリスティアーナをエレンのもとに行かせて、呪いを解く手がかりを見つけようとする即断即決型でもある――こんな田舎にも優秀な人材ってのはいるんだな」


 二人の手放しの絶賛に、村長――にしてはずいぶん若すぎるが――のシュルークは慌てたように両手を大きく振ってみせた。


「い、いや、違いますだ! おらぁそんなつもりじゃ――ただ、みんなの意見さ聞いて、今できることをできる限り急いでやった結果ぁ言うか……」


 なまりのひどい口調で言ってから、シュルークはクリスティアーナの存在に気づき、声に喜色をにじませてぺこぺこと何度も頭を下げた。


「ああ、神官様! 助けを呼んできてくださったんだぁな、本当にありがとうごぜぇます――神官様がいてくれなかったら、こんなに早く助けが来ることはなかったに違ぇねえ!」

「あ、いえ……村長さんもお変わりなく。本当なら、もっと早く戻ってきたかったのですが、そうできない事情がありまして……」


 クリスティアーナも恐縮したように頭を下げ、二人が際限なく頭を下げ合うことになるのを見かねてグラハムが制止する。


「まぁ、二人とも、今はそんな場合じゃないので……それより、ティアーナさんが村を出たあとのことを詳しく聞かせてもらえませんっすか? いったいなにが起きて、村がこんな状態になってしまってるのか……?」


 グラハムの言葉にシュルーク村長はうなずき、記憶をたどりながら説明を始める。


 彼の説明によれば、ティアーナがエレンの住む町に向かって出発した三日後、初めて呪いの箱に直接触れていない村人に同じ症状が出たのだという。


 ただ、その新しく症状が出た者は最初の被害者の身内で、身のまわりの世話をしていたためクリスティアーナと同じように被害者との接触が原因と思われた。


 そのため、重症化して動けなくなるまでは新たな発症者が、最初の被害者の世話をする形で接触する人間を減らしていたのだが――その二日後、新たに呪いによるものと思われる症状が出たのは、いっさい被害者たちと接触していない村人だった。


「そのあとぁ、次から次に……けど、直接触った奴がぁ一番、呪いにかかる人間が多かったから、とにかく呪いにかかった人間と、かかってない人間を別々のところで生活するように区分けして、呪いで動けなくなった連中の面倒はかかるのを覚悟した身内が見て……」


 シュルーク村長の声が沈んだのは、一部の村人に犠牲をいるようなやり方を選ばざるを得なかった事実を、あらためて思い出したからのようだった。


「けど、それでも呪いにかかる人間が出るのは止められながった……呪いにかかった連中の面倒を見ていた者以外からも……その頃には、村人の中にも呪いが伝染るのを恐れて、家の外に出ようとしなくなった者も多くて。そういった者の中からさえ、呪いにかかる人間が出るようになったら、もうどこにも安全な場所なんてないってなっちまってなぁ……」


 声を震わせる村長をアルベリックは痛ましげに見る。この若さで村長の座に着いたのには、なんらかの事情あってのことだろうが、平常時ならともかくこんな緊急事態が発生してどれだけ精神的負担がかかったかと考えると、さすがに同情せざるを得なかった。


 シュルーク村長はずびっと鼻を啜ると、クリスティアーナを見やって髭と髪に覆われた顔にかろうじてわかる笑みを浮かべた。


「だがら、神官様が助けを呼んできてくれて、本当に助かった……あと少しでも遅かったら、それこそ死者が出るのを止められながったぁ。もう、倒れた連中の面倒を見るのも、無事な連中が村を出て行くのを止めるのも限界だったんでなぁ……」


 心の底からの安堵を込めて投げられた声に、クリスティアーナが慌てた様子を見せる。


 決定的な解決手段となる、解呪の術を用意できていない――そのために必要な解析が上手くいかなかったという、残酷な事実を口に出すかどうか彼女は迷ったようだった。


 いまだ顔色の悪いエレンをちらりと見て、クリスティアーナは拳を握り締める。

 それを見たエレンが自ら口を開こうとした時、アルベリックが両者の声をかき消そうとするかのような強い口調で言葉を発した。


「村長、一つ聞きたいことがある――最初の呪いの被害者と、あとから出た呪いの被害者は本当に直接の接触はなかったんだな?」


 いかにも貴族の令嬢然とした外見に不似合いなアルベリックの言葉遣いに、一瞬戸惑った様子を見せてから村長はうなずき返す。


「それと、あとから出た被害者たちは共通の井戸――あるいは水場、共用のかわやなどを使っていなかったか? もしくは、一緒に調理した食事をっていた……とか」


 その問いに、少しの間考え込むようにうつむいてから、村長は勢いよく顔を上げてああ、と腹の底から出たような大声を発した。


「そうだ! 村の井戸は一つしかないがら、あの地域の連中は川の洗い場の水をそのまま使ってるんだ! 厠も、あそこは十数軒が一緒に使っでる! ――みんな、呪いにかかった人間が出でいる家だ!」


 なにか衝撃を受けたような村長とは対照的に、アルベリックの仲間たちの反応はどこか戸惑いをにじませたものだった。わずかに顔を見合わせてから、代表するようにヘレナがアルベリックへと問いかけの声を投げた。


「それが……どうしたのですか? 水場や厠を共同で使うのは、こういった村では特に珍しいことではないと思いますが……」


 他の者たちの表情も、ヘレナと同じ意見であることをありありと物語っていた。

 アルベリックとシュルーク村長は期せずして、ほとんど同じタイミングで同じ言葉を彼らに向かって投げつけていた。


「「珍しくないか(が)らこそ問題なんだ! 直接触れることで伝染する呪いが、間接的に触れて伝染らない保証なんてどこ(ご)にもない!」」


 言ってから、思わずアルベリックと村長は顔を見合わせる。しかし、そのことについて深く語り合っている暇はないと判断し、アルベリックはこほりと小さく空咳をして話を変えるようにエレンへと声をかける。


「エレン。ここに来る途中に言っていた――あの呪いの箱に、ティアーナやこの村の人たちがかかっているような呪いの術式は見当たらないという話だが」

「あ、ああ……?」

「あれは、見つけられないのではなく、最初からそんなものはなかったと――そう考えるのはおかしいか? エレンが最初に言っていた『しゃっくりが止まらなくなる呪い』以外のものは最初からかかっていなかったのだ、と」


 真剣この上ない顔でアルベリックが投げた問いに、エレンも表情をあらためてしばらく沈黙してから声を返す。


「……そう考えるのが、一番自然だよ。だけど、現実に呪いの被害者が出てる以上……」


「違うんだ」


 悔しげに続けようとしたエレンの言葉を、アルベリックは短い一言で断ち切る。

 エレンのみならず、この場に居合わせたすべての面々から困惑じみた視線が向けられる中、揺るぎのない口調でアルベリックは言い放った。


「そもそもの前提が間違っていた――ティアーナの最初の見立てこそが正しかったんだ。この村に広がっているのは呪いなんかじゃなくて、病だ」


 その言葉を耳にした者たち全員の頭に、言葉の持つ意味が浸透するまでにはゆっくり十を数える以上の時間が必要だった。


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