第21話 クレナ村到着


 靴音の響きも高く、薄汚れた床を踏みつけて進んでいた男は、その歩みをいささかも緩めることなく目的の部屋の扉を開けた。


 部屋の中には、見るからに荒事向きの目つきも人相も悪い男たちが居並んでいる。


 軽く二十人を越える数の男たちを見回し、部屋に入ってきた男――ありふれた焦げ茶の髪と瞳の年齢不詳の人物は、ゆっくりと口を開いて抑揚のない声を投げた。


「仕事だ。依頼主の要望は、例の呪いの箱を奪い返してくること――依頼主に渡す前に、箱を盗み出された不手際はそれで不問にするとのことだ」


 盗み出した相手の見当はついている、と男は書類でも読み上げるような口調で続ける。


「あの箱のもとの持ち主、呪いの研究者のエレンという女だ。冒険者でも雇ったのか、六人ほどの男女と一緒に馬車でこの領都を出ていくのが目撃された。貴族が乗るような馬車だから、足取りをたどるのは難しくはあるまい――それに行き先もおおよそ知れている」


 男は油じみた壁に歩み寄って、そこに貼られているすっかり変色したこの一体の地図に向かって手を伸ばす。


 節の立った指が触れたのは、ごく小さく『クレナ』と書かれた場所だった。


「箱を持っていたエスカペードという男のところの使用人から、あの女がモレニクを訪れた目的が例の箱にあるということは聞き出してある。その理由が、クレナ村で蔓延している呪いを解く手がかりを掴むためだということも」


「……なあ、お頭よぉ」


 居並んだ男たちの中の一人、無精髭ぶしょうひげを生やした黒髪の男が口を開いた。


 左の眉尻から頬にかけて傷のある、三十代半ばの男だ。見るからに腕っ節の強そうな鍛え上げられた身体付きをしており、比較的整ってはいるものの強面こわもてといっていい容貌は、顔の傷も相まって子供が見たら泣き出しそうな迫力だった。


 酷薄こくはくそうな薄鼠うすねずみ色の瞳に抜け目ない光を浮かべ、薄笑いを顔に貼り付けて男は言う。


「依頼人からはお目こぼしいただいたようだが、あんたの秘密金庫からまんまと箱を盗み出されたことについてなにか一言ないのかよ? それさえなきゃ、とっくに引き渡しも済んでるし俺たちもよけいな仕事をしなくてよかったんじゃないのか? なあ?」


 粘っこく絡み付くような男の物言いに、焦げ茶の髪の男――犯罪組織の頭目であるバーナビーは感情の見えない表情で答える。


「箱を手に入れてすぐに納品すると伝えたのを、都合が悪いと言って断ってきたのは依頼人のほうだ。本来なら、ここの金庫で保管する予定はなかった――取り戻される可能性がどうこういう以前に、手癖てくせの悪い人間ばかりがそろっているからな」

「そりゃ、どういう意味だ……?」


「言葉通りの意味だ。それより、フレイカの街の下部組織からエレンという女が襲われたと情報が入ってきたが、なにか言うべきことはあるか、クランド? 襲撃した連中は残らず見覚えのある顔だったそうだが……」


 バーナビーの言葉にクランドは顔色一つ変えず、知らねえなぁ、と笑いながら返す。


 その声はどことなく挑発的な響きを帯びていたが、バーナビーは道端の野良犬の吠え声のごとく無視して、室内の男たちをぐるりと見回した。


「どこでどんな行動と取ろうとそいつの勝手だが、その結果、他の人間に不利益を生じさせた時は恨まれる覚悟が必要だ。それも、一番困っている時や弱っている時――他の奴の助けが一番必要な時に報復される、その覚悟が」


 空気のように無視されたクランドが怒気どきを漂わせるのも無視して、バーナビーは淡々とした声で告げる。


「自分のやり方に他人がついてくるという自信があるなら、そのやり方を続けるといい。ただし、独断が過ぎて組織に害を及ぼすようなら、組織の中でのお前の価値が秤にかけられることになる。それまでに築いた実績と人望が害を上回ればよし――でなければ、お前は組織にとって必要のない人間ということになる」


「……それは、脅しのつもりか?」


 憎悪を瞳に宿しながらも、どこか用心深げに言葉を口にするクランドに、バーナビーは小揺るぎ一つしない表情で答えた。


「いや、事実だ」

「………」


「お前がなにを考えていようと、組織にとって害にならないのなら問題ない。下の者をどう扱おうと、独断で行動を起こそうとも……だが、お前が思っている以上に下の者はお前の行動をよく見ているぞ。それが自分の利益になるかどうかも含めてな」


 気をつけることだ、と少しもそう思っていないような口調で告げられ、クランドは頬の傷をわずかに歪ませる。


 射殺すような視線がバーナビーへと向けられていたが、彼はそれに対してもそよ風を受け止める程度の反応も見せなかった。

 ますますクランドの瞳に宿る怒気が増すのにもかまわず、バーナビーは言い放つ。


「今回の仕事は、多少村に被害を出したところで目をつぶると依頼人から言質げんちを取ってある。どうやら例の箱の呪いのせいで、すでに何人も村人が倒れているらしい――よけいな情報が他の村人の口から広まる前に、口封じをするという意味もあるそうだ」


 バーナビーの口元に初めてうっすらとした笑みが浮かぶ。その笑みはまるで粘土で作った人形が笑ったような、非人間的な不気味さを感じさせるものだった。


「村にどれだけ呪いが広まっているかによっては、村ごと処分することも考慮に入れているという話だ。周囲には疫病えきびょう蔓延まんえんして、被害が拡大するのを防ぐためと説明すれば同情されこそすれ疑われる心配はない、らしい」


 それを言った当人の甘い見通しを嘲笑あざわらうように、バーナビーは笑みを深める。


「なんにせよ、心おきなく暴れられる絶好の機会には違いない。なにを壊そうが、盗もうが、誰を殺そうが、犯そうが、誰からもなにも文句を言われることはない。どうせ、後始末をするのは依頼人だ――いっそのこと全部まとめて燃やしてやったほうが、手間がはぶけていいのかも知れん」


 バーナビーの口調に宿る狂的なものが乗り移ったかのように、居並ぶ男たちの顔にも欲望をむき出しにした熱っぽい表情が広がる。


 それはバーナビーへの反感を隠そうともしない、クランドさえも例外ではなかった。

 ぎらぎらとした目つきに期待を込めて自分を見る男たちを、バーナビーは満足そうな光を宿した瞳で見返す。


「今回の仕事は総出でかかる。エレンという女に同行している連中は、それなりには腕が立つようだからな。村人はともかく、そいつらの口は完全にふさいでおかねばなるまい」


 再びすべての感情が抜け落ちたような表情になって、バーナビーは熱のない声を放つ。


「あるいは、どこかのお忍びの貴族かも知れんが――身分を隠して遊んでいる最中、不幸な事故に遭う貴族というのがいないわけではない。ああ、女が何人かいるようだが、なぐさみ物にするなら必ず殺しておけ。生かしておくと面倒なことになるからな」


 さして興味を持たないような口調でバーナビーは告げる。その言葉に男たちが返したのは理性のかけらも感じさせない、野獣の咆吼めいた歓声だった。




 エレンの発言を受けて、アルベリックたちは一度馬車を停めてクレナ村に向かうかどうかを話し合うこととなった。


 解呪の方法が見つからない以上、クレナ村に向かっても今は無駄足になりかねない。

 顔を突き合わせてしばらく話し合ったあと、アルベリックが出した結論は一度村に行ってみるというものだった。


「……とにかく、ここまで来たのだから一度村に行ってみよう。せめて現状だけでも確認しておかないと」


 そう言ったのは、現在の村の状況がまったく不明であるためだった。

 呪いにかかった村人がどうなったのか――痛み止めの薬を呑んでいるという話だが、症状は進行しているのか、新たな被害者は出ていないのか、いるとしたらどれだけの数か――まるで不明なのだ。


「呪いの原因が本当にこの箱なのか、そもそもその症状が呪いによるものなのか――そこから考え直す必要もある。ただ、だとしても最優先は村の人間の生命だ。もし万が一、呪いが際限なく他の村人に広がっていたら……生命維持のためだけでももっと多くの人手が必要になる」


 厳しい表情で言い切って、アルベリックは揺れる馬車の上でクリスティアーナを見る。


「ティアーナが村人の治療をしていた時、どのくらいの頻度ひんどで治癒術を使っていた?」

「症状を改善させることはできませんでしたが……痛みを訴える方に、一日に数度の割合で使っていました。それでも、一時的に痛みを取り除くのが精一杯で……」


 ローブの上から自身の身体を抱き締めるようにして、クリスティアーナはかろうじて感情を押し殺しているのがわかる声を出す。


「平癒の術も解呪の術も効かず、痛みを取り除くだけなら薬でもできるとわかったので、村長さんから呪いの原因である箱の持ち主を訪ねるよう、助言をいただいたんです。このまま私が村に留まっていても、根本的な原因を解決しなくてはなにも変わらないと……」


 クリスティアーナの言葉に、アルベリックはヒュームと目を見交わす。村長の行動は表面だけを見れば、呪いにかかっても動ける彼女に村の運命を託したように見える。


 だが、深読みしてみた場合、呪いに対して決定的な手を打つことができない彼女に、村人たちの敵意が向けられる前に村から逃がしたと考えることもできた。


 どちらが正解か――あるいはどちらも不正解かは、村長に聞かない限り不明だったが。


「とにかく、当てにしていた呪いの解析が不首尾に終わった以上、村に着いたら即呪いを解呪して万事解決、というわけにはいかない。他のやり方で呪いを解く方法を探すか、ティアーナがやっていたように、対症療法で進行を抑えながら本当の呪いの原因を探り当てるか――」


 懸命に冷静さを保とうとしながら、アルベリックは思いつく限りの方法を口に出す。


 頭の片隅を本当に最悪の可能性――呪いの原因を特定できず、その伝染を止めることもできなかった場合、村そのものを見捨てなければならないという考えがよぎる。

 村の外にまで被害が広がるよりは、クレナ村を犠牲にしたほうが助かる者の数は多い。


 そんな計算じみた考えが頭に浮かぶ自分自身に、自己嫌悪を感じながらもアルベリックはそれを全面的に却下することもできなかった。一歩間違えれば、国そのものが危機におちいりかねないと理解できたためだ。


 きつく拳を握り締めて、アルベリックは大きく息を吸って居並ぶ面々を見回した。


「まずは村に行って、実際の被害を確認してみないことには始まらない。ティアーナと同じようにほとんど進行していない、というのが理想的ではあるが……さすがにそれを望むのは贅沢にも程があるだろうからな」


 冗談めかして告げたアルベリックだったが、笑うどころか表情を緩める者すらいなかった。

 クリスティアーナの場合は、本人が治癒術と強化魔術を得意としているという特殊な事情あってのことだ。ごく普通の村人に、それを望むのは大きな間違いだろう。


 妙な緊張感を車内に漂わせたまま、馬車はクレナ村に向かって再び出発する。

 山間に伸びる道の向こうに、簡素な柵に囲まれた小さな村が見えてきたのは、太陽が頭上を通り過ぎて間もない頃だった。


 遠目に見える村の中に、動く人の姿が見えないことが不吉な予感に拍車をかける。


 労働のために畑や森に出払っているにしても、家の仕事をしているはずの女性や子供の姿が見当たらないのは充分な異常事態だった。春先のこの季節、畑起こしや危険な獣と遭遇する恐れのある森の見回りなど、力のある男手を必要とする作業がほとんどなのだ。


 村を囲む木製の柵の一部、閉めきられたままの木の扉の前に馬車が到達した時、村の中に見過ごせないものをアルベリックは発見した。


「グラハム、柵を乗り越えて中から扉を開けろ! 路上に子供が倒れている!」


 その声にグラハムの表情も変わる。扉のすぐ手前で馬車を停め、車輪の動きが完全に止まりきらないうちに御者台から飛び降りて柵を乗り越える。


 開いた扉の向こうから、グラハムが再び姿を現すまでには数秒もかからなかった。

 彼の表情がいっそう厳しくなっているのを見て、アルベリックは村の状況が想定よりもはるかに悪化していることを覚悟した。


 もの言いたげなヘレナを視線で制して、アルベリックは矢継ぎ早に指示を出す。


「グラハム、村内の状況を確認! ヒュームは倒れている子供に治癒術を――直接触れないように気をつけろ。クロエは村内の生命反応を確認、無事な人間がいたらそこまで私たちを案内しろ! 事情を聞く必要がある!」


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