第20話 問題発覚


 それからフレイカにたどり着くまでの二日間、野営と休憩のために停まる以外、ひたすら馬車は走り続けた。


 馬の疲労はヒュームの治癒術で、強制的に回復させるという力業を使う。


 怪我の治療以外での治癒術の多用は、生き物としての自然治癒力をそこねるという問題があるため普段はもちいないが、今回は非常時ということで割り切る。今回の旅を終えたあと、たっぷり休養を取らせさえすれば問題はないはずだった。


 道中、中規模の商隊が盗賊の襲撃を受けている場面にも遭遇するが、遠距離から矢と魔法で援護するだけで大きく迂回うかいして先を急ぐ。クロエとアルベリックの攻撃魔法とヘレナの適確な射撃だけで、賊の大半が行動不能に陥ったので逆転の目はないと思われた。


 商隊の護衛の冒険者と思しき男女がぽかんとした顔で見送っていたが、怪我人も出ていなかったのでなにも問題はない――はずだ。


 馬車はフレイカへ向かって走り続け、二日目の昼近くに街を囲む街壁が見えてくる。


「アンジェ様、フレイカでは補給と休憩だけで泊まっては行かれないんですよね?」


 確認するように問いかけるヘレナに、アルベリックはちらりとクリスティアーナを見やってから答えた。


「ああ。一晩くらい、ちゃんとした屋根のあるところでゆっくり休んで――と思ったが、エレンもティアーナも休むより先を急いだほうがいい、と意見が一致したからな。体力自慢の男連中の意見は、この際聞く必要もないだろう?」


 本当なら休憩だけ取ってすぐ出発したかったんだが、とアルベリックは顔を曇らせる。


「モレニクまでの往復で思ったより食料やまきを消費していたからな。予備の食料にまで手をつけていないとはいえ、このあたりで補給しておかないと先になにか起こった時が怖い。クレナ村で補給できればいいが、その余裕があるとは限らないしな」


「そうですね。ティアーナさんがいれば無碍むげにあしらわれる心配はないと思いますが、村に余剰の食糧や燃料があるかという問題もあります。それに……なにより呪いという目に見える被害が発生している状況下で、よそ者に対してどれだけ寛容にふるまえるかという問題も」

「ああ……」


 アルベリックの表情がさらに難しくなったのは、クレナ村の呪いの被害が拡大している可能性を考えてのことだった。

 単純に被害者が増えているくらいならまだしも、それによる死者でも出ていたら――


 最悪、呪いの原因となる箱を村に持ち込んだ――と思われているだろう――エレンに村人たちの怒りや憎悪が向けられることも考えられた。


「万が一、エレンやクリスティアーナ――あるいは私たちに対して、攻撃的な行動が取られた場合には鎮圧のための武力行使もさない。もちろん、相手を不必要に傷つけるようなやり方は論外だが……ろくな武器も持たない村人を相手に、怪我を負わせなければ無力化できないなどと情けないことを言う人間はここにはいないだろう?」


 最後の言葉は挑発するような微笑とともに投げられ、車内の男性陣は負けじと威圧感のある笑みを浮かべて言い返す。


「……それ、誰に言ってるわけ? 僕が専門の訓練を受けたわけでもない、ろくな装備もない村人相手に、無傷で取り押さえることもできないとか本気で言ってる?」

「私もずいぶん見くびられたものですね……いえ、非戦闘員ですけどね、私。ただ非戦闘員だからといって、なにもできないと思われるのは心外ですよね。直接相手に攻撃する手段を持たないだけで、相手の動きを阻害したり感覚を鈍らせたりするくらい朝飯前なんですが?」


「まあまあ、二人とも落ち着いてくださいよ。アンジェ様だって、お二方の力を信用してないわけじゃないと思いますよ? むしろ逆――信じてるからこそ、うっかりやりすぎないよう発破かけてくださったんすよね? ちょっと逆効果って気がしなくもないっすけど」


 御者台のグラハムまで加わったのは、身体強化で聴覚を増幅している彼の耳に、アルベリックの挑発めいた台詞が飛び込んできたためである。


 そこまで狙っていたわけでもないアルベリックは、ただ目を白黒させるしかなかった。


 フレイカの街に馬車が到着すると、一行はひとまずエレンの家に向かった。昼食を摂るにせよ、補給のための買い物をするにせよ、馬車を停めてゆっくり腰を落ち着けられる場所は必要だろうと判断したのだ。


「ま、狭くて汚いところだけど遠慮なくゆっくりしていって――もう充分、勝手は知ってると思うけどね」


 閉めていた窓の鎧戸を開けて、空気の入れ換えをしながらエレンが笑って言う。

 邪魔をする、と家主に声をかけて室内に足を踏み入れるアルベリックに続き、それぞれの口調で断りを入れて一行は家の中へと入る。


 ヘレナとグラハムは簡単な打ち合わせのあと、食料と薪の補給のため市場に向かう。


 クロエとヒュームは街の広場に出ている屋台に行って、昼食を調達してくる係だ。最初はアルベリックが行くと立候補したが、仲間はおろかエレンまで加わって却下された。


「あのさ、そういう気取らないところはあんたの美点だと思うけど……その見てくれしか見ないで勝手に都合のいい妄想して、思い通りにいかなかったら怒り狂う馬鹿な男ってのはどこにでもいるもんなんだよ? この忙しい時に、そんな馬鹿の相手する暇なんてないだろ?」


 むしろ幼い子供に教えさとすように諄々じゅんじゅんと説かれては、アルベリックも一種のわがままだと悟って断念するしかなかった。


「……せぬ」


 ぼそりと一言、心の底からの呟きを発することまでは止められなかったが。


 解せよ、と言いたげなエレンの視線を見なかったことにして、ヘレナがれていった茶をアルベリックは口に含む。同じテーブルについたデュシェスが、エレンとよく似た目で見ているのもあえて意識の外に追いやる。


 クリスティアーナはどこか同情めいた視線を向けていたが、口に出してアルベリックを擁護ようごすることはしなかった。


 戻ってきたのはヘレナとグラハムのほうが早く、収納リングで運んできた大量の生鮮食品とまきを馬車に備え付けられている収納庫へと移す。それがほぼ終わった頃、クロエとヒュームがなにやら言い争いながらエレンの家に帰ってきた。


「だからさ、どうしてあんたはそうやって面倒事にいちいち首突っ込みたがるわけ!? 女性の危機って、単にしつこいナンパ男に絡まれて困ってただけだろ? 放っといても、近くの誰かが助けてたって!」

「でも困っていたことに変わりはないでしょう? 女性でなくても、困っている人がいたら救いの手を差し伸べるのが神官の使命ですよ? それが人類の至宝たる美しい女性ならなおのことです。他の誰かが助けることを期待して、無視して通り過ぎるなんてとんでもない!」


 話を聞いただけでおおよその事情は推察でき、アルベリックはなんともいえない顔つきで二人を見やった。


「ご苦労だったな――主にクロエが。ヒュームのいつもの癖が出たようだが、昼食は調達できたのか?」

「……ああ」


 げんなりした表情のまま、クロエが視線と言葉をアルベリックに投げ返す。


「幸い、昼食を調達した帰り道のことだったから。だけどこいつ、屋台の女店主とも延々と喋ってるし……お前は女性と見ると話しかけずにいられない病気か! って言いたくなるくらい仕方ないだろう?」


「……ご苦労だったな、本当に」


 アルベリックは結局、同じ言葉をくり返すことしかできなかった。


 クロエとヒュームが収納リングから取り出した、手軽に食べられる軽食を中心とした料理をテーブルに並べ、今回は祈りの言葉も省略して一同は昼食に取りかかった。


 そう大きくもない街なので屋台の数も少なく、調達した料理も肉を挟んだパンや塩味を利かせた蒸し芋などありきたりのものだ。珍しいところでは小麦粉の皮で濃いめに味付けした野菜の煮物を包んだ、焼き饅頭まんじゅうなどもある。


 抗菌作用のある大きな木の葉に包まれた料理を、そのままテーブルに並べただけの手抜きの昼食だったが、特に文句を言う者はなく各人の胃袋に料理が消える。


 軽い食休みを挟んだあと、しっかり家の戸締まりをして一行は再び馬車に乗った。

 途中までは王都からフレイカに向かうのに通った道であるため、休憩や野営に使える場所も頭に入っている。多少の強行軍をしても大丈夫だろうと判断してのことだった。


 夕刻、少し野営の準備には早い時間ながら、この先にある野営地までの間隔を考えて馬車を空き地に停車させる。フレイカまで比較的近く、商人の行き来が多くなっている時期のためか何台かの馬車がそこにはすでに停まっていた。


 周囲の目をはばかって、グラハムも今夜ばかりは携帯食を中心とした食事を用意する。


 ある程度普及しているとはいえ、空間魔術を用いた保存庫や保冷庫――当然ながら収納リングもかなりの高級品だ。そういったものを多数保有していることが知られると、妙な気を起こす人間が現れないとも限らないがゆえの配慮だった。


 それと同じ理由で、今夜は外で寝る面々も周囲の目を遮るため天幕を張ることにする。


 男性陣は主に就寝用のマットを隠すためだが、クリスティアーナの場合は女性が一人で寝ているのを知られるのを避ける意味もあった。商人の護衛につく冒険者はある程度信用のおける者が多いが、それでも不埒ふらち者がまったくいないわけではない。


 また同時に、彼女が呪いにかかっている事実を隠す目的もあった。ただでさえ呪いというと忌避きひされる傾向があるのに、伝染する可能性があるなどと知られたら、最悪野営場所から叩き出されることにもなりかねない。


 その夜は特に問題もなく、アルベリックたちは夜開け前から起きて行動を開始した。


 前の晩に一緒に用意しておいたサンドイッチとスープで簡単な朝食をると、天幕をたたんでかまどの後片づけをしたあと馬車で出発する。


 そのまま街道沿いに二日ほど進んでから、脇道に入ってクレナ村へと向かう。ここから先は村に行ったことのある、エレンとクリスティアーナの道案内が唯一の頼りだった。


 彼女たちの説明によれば、フレイカからクレナ村までは徒歩で約五日の道程みちのりだ。

 ただ、山がちで道が狭いため馬車であっても、それほど大きく日数が変わることはないとのことだった。


 実際に行ってみると、確かに高低差のある道は馬車には厳しいものだった。道もかろうじて馬車一台が通れるくらいの幅しかなく、すれ違う際にはどちらかが道を外れて相手が通過するのを待つしかない。


 村の方向から来る馬車が一台もいなかったのは、幸いであるのと同時にアルベリックたちに嫌な予感を抱かせた。


 人口二百人にも満たない小さい村だが、それなりにフレイカとの行き来はあるという。


 村の主産業は農業と林業で、五日に一度くらいの頻度で近くの街まで商品を運ぶ馬車も出ているらしい。逆に村にやってくる行商人や、魔物の駆除を頼まれて訪れる冒険者、旅芸人や神官などといった客人も、月に数度くらいではあるが訪れる。


 不吉な予感を振り切るようにアルベリックたちは馬車を進め、クレナ村まであと半日という距離まで達した時、エレンから一つの報告がもたらされた。


「……え?」


 思わず洩らした一言の他には、なにを言うべきかも思いつかずアルベリックはただエレンの顔を見つめる。


 明らかな疲れをにじませた顔で、エレンは歯切はぎれ悪く言葉を口にしたのだった。


「あの呪いの箱だけど……いくら解析しても、ティアーナにかかっている呪いのもとになる術式を見つけ出すことができなかった。わたしの力不足なのか、それとも……あの箱にはもとからそんな呪いはかかっていなかったか。これ以上のことは、わたしには言えない」


 村が近づくにつれ、睡眠も食事の時間も削って顔色を悪くしながら、解析に全神経を注ぎ込んでいた彼女の言葉はとてつもなく重く響いた。


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