第19話 クレナ村へ


 グラハムがエスカペード邸を出てから、およそ一時間――そこまで長く待ったとも言い切れない時間が過ぎたあと、彼は平然と小さな箱を手に戻ってきた。


「ただいまー、おみやげ持ってきたっすよー」


 緊張感のかけらもない声で言って、布に包まれた箱をテーブルに置く。

 あまりにも軽い調子に、室内に居並ぶ面々が賞賛の声をあげていいのかどうか迷う様子を見せるのも、この場合当然だった。


 代表するように、アルベリックが微妙な顔つきでテーブルの上の箱を指差して尋ねる。


「……もしかして、これが例の箱か?」

「バーナビーの秘密金庫に入ってる、いかにも怪しげな箱ってこれだけだったんすけどね。一応、エレンさんに確認してもらっていいっすか? これで間違って別の箱を持ってきたなんつったら、恥ずかしいなんて話じゃないし」


 あはは、と笑いながら、グラハムは箱を包んでいる布をほどいていく。

 その姿は任務が上手くいって浮かれているというよりも、ある種のやけっぱちに近いものを感じさせたが、箱に直接触れないようにする手つきは慎重そのものだった。


「もともと布に包んであってたんで、そのまま持ってきたんすけど……あ、ちゃんと中身を見て、エレンさんから聞いた箱の特徴と合ってるか確認はしてありますよ? ただ、絶対に間違いないかどうかは、実際に箱を見たことのある人に確認してもらわないと……あと、布越しに触ってもたぶん呪いにはかからないっすよね?」


 じゃないと運んでた連中も全滅だったろうし、と言うグラハムにエレンがうなずく。


「正確な条件はわからないけどね……だって、直接触ったことのあるわたしが見ての通りぴんぴんしてるんだ。一方で、直接箱に触れたことも見たこともないティアーナが、村人から伝染する形で呪いにかかってる――」


 確かめるように言うエレンの視線の先で、手のひらに乗るほどの大きさの箱が姿を現す。


 やや緑がかった銀色の金属で作られた、正六面体に近い形の箱だった。

 六つの平面には複雑な幾何学きかがく紋様が描かれ、ふたの切れ間も一見した限りでは見当たらないため、箱というより立方体のオブジェのようにも見える。


「……うん、間違いないよ。これが、クレナ村で発掘された呪いの箱だ」


 しばらくの間、身動きもせずにじっと箱を見つめてからエレンが言い、エスカペード氏も自分が預かった箱に間違いないと太鼓判を押す。


 ほっとしたようにグラハムは肩の力を抜き、笑みを浮かべて室内の面々を見回した。


「あー、よかった。あんまり簡単に持ち出せたもんだから、もしかして別の箱を持ってきちゃったんじゃないかと思って不安だったんす!」

「……そんなに簡単だったのか?」


 アルベリックが口にした問いの言葉に、グラハムは力を込めてうなずいた。


「簡単も簡単、ろくな警備もついてないし、金庫の鍵も解錠の魔法を使わなくても、道具を使えば簡単に開いちゃうくらいの代物でしたよ! 仮にも犯罪組織の首領の秘密金庫だってのに、こんなに簡単に開いていいのかって真面目に思いましたよ!」

「……いや、それはグラハムの基準のほうがおかしい」


 クロエがぼそりと呟いたのは、ダンジョンのかなり高度な仕掛けの鍵や罠でもなんなく解除してのける、グラハムの腕を思ってのことだった。


「念には念を入れて、他の金庫や隠し場所を探し回ったんすけど……見つかったのは金品とか帳簿くらいのもんで……あ、一応帳簿は魔道具で写し取ってきたっす!」

「あ、ああ……」


 グラハムが懐から出した記録用の魔道具を、アルベリックは手を出して受け取る。

 目配せをする必要もなく、すぐそばに立っていたヘレナに魔道具を手渡すと、アルベリックは切り替えるように笑みを浮かべてグラハムに視線を戻した。


「まぁ、とにかく無事に戻ってきてくれてなによりだ。下手をしたら、盛大に一戦交えてくるかもしれないと思っていたから……」

「やだなぁ、そんなヘマしないって言ったじゃないっすか!」


 信用ないなぁ、と手を振ってみせるグラハムに、アルベリックも苦笑をのぞかせる。


「ああ。グラハムの潜入の腕を見くびっていた。許してほしい――それと、見事に任務を果たしてくれたことに礼を言う。本当に、ありがとう」


 揺るぎない信頼と真心を込めたアルベリックの言葉に、グラハムは面映おもはゆそうに笑いながら頬を掻いた。


「どういたしまして――というのも変っすね。身に余る光栄、かたじけなく……って言ったほうがサマになるっすか?」

「最後の一言がなければ完璧だったな。そのほうがグラハムらしいとは思うが」


 一片の曇りもない笑顔になってアルベリックは告げる。ですよねー、とグラハムも笑って、服のポケットから今度は反古紙ほごしの包みを取り出した。 


「こっちは本当のおみやげっす。帰り道に屋台で売ってた揚げ菓子が美味そうだったんで……昼飯前だけど、これくらいならつまんでも平気っしょ?」


 ヘレナに向けて確認するように問う。ちらりとアルベリックの顔を見てから、ヘレナは仕方なさそうに苦笑を返した。


「お昼が入らないほど、食べ過ぎないでくださいね……こちらの料理人の方が腕によりをかけて、この領都の名物だという、ベイラというお魚の料理を用意してくれているそうですから。なんでもお魚のアラでとった出汁だしに、魚肉を練り込んだ麺を入れて食べる料理だそうですよ」


「ああ、それはお腹を空かせておかないと後悔することになりそうだな。味見程度で済ませるよう気をつけよう」

「大丈夫大丈夫、今のアンジェ様の胃袋の容量の小ささは理解してるっす! 余った時は俺が責任持って片付けるからご心配なく!」


「……っていうか、寄り道までしててこの時間に戻ってくるって……」

「だから簡単すぎて不安になったって言ったじゃないっすか! 実質忍び込んで箱を持ち出すのにかかった時間って、十分そこそこなんすよ?」


 クロエが呆れたような口調で発した言葉に、グラハムは負けじとばかりに呆れの色をにじませた声を返す。

 うわぁ、と言いたげな表情がクロエの顔に広がり、同様の表情をのぞかせた瞳でヒュームがグラハムを見やった。


「それは……なにか見落としか罠があるのではと、不安になるのも仕方ないですね」

「でしょう? 他に隠し場所があるんじゃないかって、探し回りたくなるでしょう? まぁ、無事取り戻せたからいいんすけど……」


 心の底からの安堵の息とともにグラハムは言葉を吐く。アルベリックもそんな彼に今度こそ安心しきった笑みを向けて、どこか子供っぽい仕草しぐさで手を差し出してみせた。


「じゃあ、おみやげを渡してもらおうか……こと食べ物に関しては、グラハムの嗅覚はものすごく当てになるから楽しみだな。デュシェスも遠慮なくつまむといい」


 かたわらに立つデュシェスに目をやって言うと、無言のままうなずきだけが返される。


 アルベリックの手の上に紙の包みが乗せられるのと、やや苦笑めいた目つきでその様子を眺めていたクロエの口から、ごく小さな呟きがれるのは同時だった。


「……順調に進みすぎて逆に心配になる、か。まさしく今の状況そのものだな――本当にこのまま何事もなく、呪いの解析ができればいいんだけど」


 無意識に口から出た呟きを、クロエは縁起でもないと強く頭を振って打ち消した。

 アルベリックが言うところのフラグというものの、まさしくど真ん中を打ち抜くような発言だと自覚したためだった。




 料理人の心づくしの昼食を出汁まで残さず平らげたあと、アルベリックたちはエスカペード氏の厚遇に礼を言ってから、馬車に乗り込んで領都をあとにした。


 氏にはもう一泊していくことを勧められたが、クレナ村の問題があるため急いだのだ。


 呪いの術式の解析は馬車の中でもできるとエレンが言い、領都にとどまって解析に専念するにしても、再び襲撃を受ける確率が低くはない以上、出立を急いだほうがまだ妨害が入るのを避けられると考えられた。


「……まぁ、襲ってきたとしても返り討ちにできるとは思うが」


 窓の外に目をやって、アルベリックが独り言めかして呟く。すぐ隣にはヘレナが座っていたが、特になにも言うことなく前の席のエレンに視線を送った。


 馬車に乗ってからずっと、集中して解析を行っているのだから相当の精神力である。


 アルベリックが――王宮や王家のものではなく、個人の持ち物として――所有するこの馬車は、足回りと乗り心地に特に重点を置いて改造を行っているため、通常の馬車に比べると速度も出るし揺れも少ない。


 だが、まったく揺れないわけではなく、その環境下で集中し続けていられるのはさすがの一言に尽きた。


「そろそろ、一休みしませんか? 馬も少し休ませたいことですし」


 頃合ころあいを見計みはからって、ヘレナがエレンに遠慮がちに声をかける。


 エレンはそのまま箱を睨んで動かず、集中のあまり聞こえなかったのかとヘレナがもう一度声を出そうとした時、


「ふう……」


 大きく息を吐いて、エレンが前屈まえかがみ気味になっていた背筋を伸ばした。


「ああ、悪いね。ちゃんと聞こえてるよ……一休みにも賛成だ。目と頭を使いすぎて、お茶と甘いものでも欲しい気分だよ」


 目頭めがしらを指先で押さえながら言うエレンに、クリスティアーナが申し訳なさを漂わせた口調ですみません、と言葉を投げる。


「私にも、なにかお手伝いができればいいのですが……術式の解析をすれば、などと気軽に言っておきながら、全然お役に立てなくて……」

「仕方ないさ。普通の術式ならともかく、呪いの術式は魔術の専門家でも苦戦するような代物だ。私も詳しいわけではないが――」


 アルベリックは後ろの座席に座っているクロエに目をやる。眠っているわけではなさそうだが、目を閉じたまままるで動く様子がないのを見て取って、ほんのわずかに苦笑をのぞかせてかわりに説明を行った。


「通常の魔術の術式が、誰でもわかるように書かれた教科書の記述だとしたら、呪いの術式というのは自分以外が読むことを前提としていない日記みたいなもの、だそうだ。しかも他人に読まれるのを防ぐために、暗号を使ったりわざとわかりにくい記述をすることも珍しくない。さらに言うと書いている人間ごとに、文章の癖――術式の法則さえもまったく違う」

「それは……」


 クリスティアーナは口元に手を当てて、感嘆とも落胆ともつかない声をあげた。


「とても、私には解析できそうにありません……普通の魔術の術式をいじって、威力や効果に多少変化をつけるくらいはできるので、なんとかなるかと思いましたが……」

「それはそれで、充分すごいことだと思うが。まぁ、餅は餅屋――いや、せっかく呪いの専門家がいるんだから、信頼して任せるべきだと私は思う」

「……モチ?」


 不思議そうに首をかしげるクリスティアーナに、アルベリックはきまり悪げに視線をさまよわせながら言葉を重ねる。


「専門家の仕事を肩代わりするよりも、その専門家が全力で仕事に取り組めるように支えたほうがいい、ってことだ。それに――けっこう強行軍が続いたが、体調のほうはどうなんだ? 治癒術でだましだまし動き回っているのだろうが、あまり無理はしないほうがいい」


 本来ならクレナ村の村人のように寝付いているのだろうから、とアルベリックは心配そうな眼差しをクリスティアーナに向けて言う。


「大丈夫ですよ。無理は――できる範囲でしかしてません。ここで私が倒れたら、アンジェさんや他の皆さんに迷惑をかけてしまうのはわかってますから」

「……できれば、痛いのや苦しいのもできる限り我慢しないで、素直に私たちを頼って欲しいんだがな。女の子が辛い思いをしているのに、なにもできないのも心苦しいんだ」


 白皙はくせきの美貌を曇らせて言うアルベリックこそ見た目は立派な『女の子』なのだが、そこに触れることなくクリスティアーナは微笑を含んだ声を返した。


「アンジェさん、男の子でも女の子でも関係ありません。私は私に今できることを、できる範囲でやろうと思っているだけです。クレナ村の方々は今、男も女も関係なく苦しんでいます。呪いに苦しめられている方だけじゃありません。自分の大切な人が苦しんでいるのに、なにもできずに心を痛めている人も、いつ自分が呪いにかかるか不安を覚えている人もいます」


「……そうか」

「ええ。私は幸い、治癒術も身体強化の術も得意としていて、呪いにかかっても他の人のように、身動き一つできないほどの苦しみに見舞われることはありませんでした。だったら、他の人ができない分、私ができることをやらないと――」


 赤黒く変色した顔に、それでも笑みとわかる表情を浮かべて告げるクリスティアーナを、アルベリックは眩しそうに見つめる。


 しばらく言葉を選ぶように沈黙したあと、アルベリックが返したのは尊敬の念を色濃く漂わせた声だった。


「……そうだな」


 深い思いのこもる声に、クリスティアーナは力強くうなずいてみせる。


「そうです。私があの時、クレナ村に居合わせたことにもなにか意味があるはずです。自惚れではないですが、私がいたから村の人たちの苦痛を少しでもやわらげることができた――私がいたから呪いの原因となった箱を探しにいくこともできた。それはきっと、無駄なことなんかじゃなかったはずだと思います」


 できれば、私が呪いを解くことができればよかったんですが、とクリスティアーナは声の調子をわずかに落とす。


「でも、できなかったことを嘆いていても現状はなにも変わりません。だったら、少しでもクレナ村の人たちの助けになれるよう、今できる最大限のことをしなくては……そうして、村の人たちを助けることができたなら、きっとそれが神のおぼしなのだと思います」


 首にかけた大地母神の聖印に指で触れながら言うクリスティアーナに、少し虚をつかれたような表情を見せてからアルベリックは微笑む。


「ティアーナが信じる神なら、そうしても少しもおかしくないだろうな……一応、私は名目上ルミアス神の信徒ということになってはいるが」

「信じる神は違っていても、神の御心に添う行いをしようという気持ちは同じはずです。それに、ルミアス神は他でもないエンデュミア神の旦那様であらせられますし」

「ああ、そうだったな……」


 どこか他人事のような口調で言って、アルベリックは車内のヒュームに目をやった。

 こちらの話は耳に入っているはずだが、いっさい口をはさもうとしない神官服の青年に口元にのぞかせた苦笑を深める。


 神の実在を心から信じることのできないアルベリックにとっては、神官であるにもかかわらず、信仰を押しつけてこようとしない彼は非常に気楽な相手だった。


 ただ、神官としては大いに問題があるのは間違いなく、さらに普段の言動も真面目とはほど遠いものだったが――


「私の行動が神の御心にかなっているかどうかはともかく――敬虔けいけんな信者であるはずのクレナ村の住人に、神が手を差し伸べてくれることを祈りたいな。できる範囲で最大限力を尽くすのは当然のこととして、それでも足りない部分はもう神の力を当てにするしかない」


 不良神官ならともかく、真面目な神官――少なくとも言動は比べ物にならないほど――のクリスティアーナの前で口にするには、いささか不謹慎かと思いながらもアルベリックはその言葉を口に出す。

 クリスティアーナが返したのは、揺るぎもない信頼を込めた声だった。


「きっと、助けてくださいます。だって、なんの縁もゆかりもない私をアンジェさんは助けてくれました――エレンさんも力を貸してくれています。この出会いが、単なる偶然などではないと私は信じています。きっと、神が手助けしてくれているのだと……だったら、なおのこと精一杯頑張らないと、せっかくお力添えをいただいているのに顔向けができません!」


 心の底からの信頼を込めたその声に、アルベリックは軽く目を見開いてから今度こそ迷いのない笑みを浮かべてうなずいたのだった。


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