第18話 黒幕判明はあっさりと


 その夜は普段から来客に備えて整えてあるというエスカペード邸の客間で明かし、翌朝、アルベリックたちは朝食もそこそこに活動を開始した。


 グラハムとヘレナはこの領都を縄張なわばりとしている、犯罪組織の情報を集めに行く。

 神官であるヒュームも、貧民街の炊き出しなどで裏町に詳しい人間がいることを期待して、神殿へと足を向ける。


 エレンとクリスティアーナは当然ながら、情報収集には向いていないため留守番だ。


 残るはデュシェスとクロエだが、前者はエスカペード邸に残るアルベリックの護衛をするためにがんとして動かず、後者はいまだ移動中の襲撃犯の監視に専念するため、提供された客室にこもったきりだった。


 エスカペード氏は本来なら大学に出勤する日だったが、盗まれた箱の行方が気になったのと、万が一、また狙われるようなことがあった場合に備えて欠勤した。


 目的の品を手に入れた以上、氏が狙われる可能性はきわめて低いが、エレンを拉致らちしようとした人間がいる――しかも、その目的もはっきりしていない。だとしたら、彼女に対する人質にされる可能性が皆無ではなく、念には念を入れておくべきだった。


「……とはいえ、ひたすら報告が届くを待つばかりというのも落ち着かんな。下手に動いて、皆の情報収集の妨げになるのは避けたいところだが……」

「大人しく待っている、と言ったのはなんだったのか」


 エスカペード邸の応接室で待機しながら、こらえきれなくなったように言葉をらすアルベリックに、すぐ側に立ったままのデュシェスがぼそりと返す。

 同じ部屋にはエレンとクリスティアーナ、エスカペード夫妻の姿もあったが、デュシェスに同意する表情がそれぞれの顔に浮かんでいた。


 呆れを含んだ眼差しが集まり、アルベリックは慌ててぶんぶんと手を振ってみせる。


「いや、別に出歩きたいと言っているわけではないぞ! ただ、私だけがなにもしないでいるのも心苦しいと思っただけで……」

「アンジェの場合、大人しく待っていてくれるのが他の皆にとって、一番ありがたいことだと思うけどね」


 苦笑の色を眼差しに加えてエレンが言う。それに同意を示すように何度もうなずきながら、クリスティアーナが本心からの言葉を口にした。


「なにもできずにいるのは、アンジェさん一人じゃありません。私だって――自分のことなのに、ここでただ待っていることしかできないんです! アンジェさんが歯がゆく思う気持ちは嫌というほどわかります。けど……勝手な行動をして皆さんを困らせるほうが、よほど迷惑をかけてしまうことになるはずです」


 切々とした口調で告げるクリスティアーナの言葉に、アルベリックはばつの悪そうな表情でそうだな、と答える。


「わかってはいる。いるんだが……まだまだ私も修行が足りないな。こういう時、皆を信じて大人しく待つということに抵抗を感じてしまう」

「アンジェさん……」


 ソファに座ったまま、膝の上に置いた手をアルベリックはきつく握り締める。

 気遣わしげな声をクリスティアーナが発した時、応接室の扉が控えめなノックの音のあとでゆっくりと開かれた。


 現れたのは屋敷のメイドの一人だったが、その背後にはクロエの姿があった。


「こちらのお客様が、至急の用だと……」


 案内してきたメイドが告げるのにうなずき、エスカペード氏がクロエに入室をうながす。


「なにかわかったのかね? 例の、ローブリッター嬢を狙った犯人たちの動きを追っていたのだろう?」

「ああ――連中がこの領都に到着した。今、根城らしき場所に向かっているところだ」


 遠慮のない足取りで室内に踏み込みながら、クロエは単刀直入に本題に入る。その背後では一礼したメイドが扉を閉めるところだったが、ふり返ろうともせずに彼はアルベリックの座るソファの横まで歩いてきた。


「それに、奴らの会話からおおよその状況も推察できた。あいつらがエレンをさらおうとしたのは、所属する派閥のトップの独断によるものだ。よくある組織の派閥はばつ争いさ――組織に金を出している出資者のご機嫌を取るために、抜け駆けして例の箱とエレンの身柄を押さえておこうと考えて、子飼いの部下を差し向けたってところだ」


 その結果失敗してるんだから世話はないけど、とクロエは面白くもなさそうに言う。


「奴らの上役の名はクランド。もともとこの街にあった裏の組織を率いていた、筋金入りのならず者だ。そいつと対立している――というか、一方的にそいつが目のかたきにしているのが、今の首領のバーナビー。三年前にこの街に現れて、瞬く間に裏社会の実権を握ったそうだ」

「……とすると、かなりの切れ者だな」


 眉をひそめてアルベリックが口にした言葉に、クロエはうなずきを返す。


「かなり容赦のないやり方で敵対勢力を一掃して、組織のボスの座を手に入れたらしい。エレンを拉致しようとした連中も、今はクランドの下に付いていてもバーナビーと正面切って敵対する気はないようだった。うつわが違う、というやつなんだろう」


「その切れ者が、おそらくエスカペード氏を襲撃して呪いの箱を奪った犯人か……」

「可能性としては高いだろうな。出資者と直接のつながりがあるのもそっちだろうし――ただ、そこまで頭の切れる人間なら、すでに手に入れた箱は出資者のもとへ渡っているという可能性もある。手元に置いておいて下の人間にちょろまかされたり、官憲に踏み込まれたり、腕利きの冒険者でも雇われて奪い返されたりしたら元も子もないだろうから」


「だとしたら、厄介だな……その出資者の正体によっては、簡単には呪いの箱を取り返せないかもしれない」

「ああ。裕福な商人とか、貴族なんかだったりしたら、家の防備にはがっちがちに力を入れているはずだし」


 苦い顔でアルベリックとクロエは言葉を交わし合う。最悪、アルベリックの本来の身分――隠されていた王女というほうだが――を明かして要求するという手も使えるが、その場合あまり性質のよろしくない相手と関わりを持つことになるのは避けられない。


「まぁ、とにかく連中の根城が判明し次第、まずはグラハムを調査に向かわせよう。例の箱がまだ根城にあるならよし、そうでなくても出資者を突き止めないことには、その後の方針も定まらないんだから――どういう手段を取るにせよ、だ」




「……まじっすか?」


 昼時を一つの区切りとして、調査を一段落させてエスカペード邸に戻ってきたグラハムが、まず最初に発したのはその一言だった。


 帰ってきたグラハムに挨拶する間さえ与えず、追跡魔術によって得た情報を豪雨のごとき勢いで叩きつけたクロエが重々しくうなずく。


「ああ」

「えー、つまり……俺らの調査って、全然必要なかったってことっすか? エスカペード氏を襲撃した賊の正体も、根城も、後ろ盾まですっかり判明したあとで、あとはまだそいつらの手元にある箱が、後ろ盾の貴族の手に渡る前に取り戻せばいいだけ……?」

「……楽できていいんじゃないか? 手間がはぶけて良かった、と思えば」


 さすがにクロエが気の毒そうな口調になったのは、根城に戻った犯罪組織の男たちが上役のクランドに会い、その場で必要な情報のほとんどが手に入ったためだった。


「だったら、せめてちゃんと目を合わせて言ってくれませんかねぇ!? 無駄足踏ませたって自覚はあるんすよねぇ? 俺らの労力はいったいなんのために、って思うくらいは許されてもいいっすよねぇ!?」

「いや、無駄足じゃないぞ――実際に行って調べてるからこそ、侵入がずいぶん容易になりそうな情報がすでに手に入ってるわけだし」

「本当にっすねぇ! 自分の仕事熱心さがちょっとだけうらめしくなるっすよ!」


 やけくそのように言って頭を抱えるグラハムに、少しばかり押され気味の笑顔でアルベリックが声を投げた。


「すまないな。今回ばかりは、なんというか……タイミングが悪すぎた。まさか、あそこまでとんとん拍子に情報が手に入るだなんて思ってなかったんだ」


 アルベリック自身、クロエからじかにクランドと男たちのやりとりを伝え聞きながら、思わず耳を疑ったものだった。


「まぁ、普通は目に見えない追跡魔術が自分に付けられてるなんて考えもしないだろうし、根城に帰り着いて気が緩んでいた部分もあるんじゃないか? それに、追跡魔術による情報収集が上手くいかなかった場合に備えて、この領都の犯罪組織について前もって調べておくことはどちらにせよ必要だったと思うし」


「ですよね、ええ……わかっちゃいるんですが、気持ち的にやりきれないっていうか。ほら、あれですよ――『もう、あいつ一人でいいんじゃないか?』ってやつ」

「クロエ一人だけで、私を支えきれるわけがないだろう?」


 ぼりぼりと麦わら色の頭を掻いて言うグラハムに、アルベリックはどこまでも真面目な顔でごく当然のごとく答える。


「グラハムだけじゃなく、デュシェスも、ヒュームも……一人一人得意とすることも、苦手としていることも違う。ここにいる者だけじゃない、ジークやイングリット、他にも大勢の人の助けを借りてやっと、私はそれなりにできる人間みたいな顔をしていられるんだ」


 嘘やお世辞で言っているのではない、本心からのものとわかる言葉にグラハムは頬に苦笑じみた笑みを浮かべた。

 だからタチが悪いんだよなぁ、という呟きは本人以外の誰の耳にも届かなかった。


「ええ、そういうふうに言ってもらえるからこそ、皆お――アンジェ様に仕えたいと、仕えてよかったと思うんですよ。本当~に、あれですね……前に言ってた『人たらし』? まさしくその典型ですよ?」


 肩をすくめて笑うグラハムに、アルベリックはめられているのか悩むような微妙な表情を顔にのぞかせる。


「にしても、ここの領主が犯罪組織の出資者をやってるとはね……政治も治安もそこそこ安定してるし、比較的安牌の領地だと思ってたんすけどね」

「……それなんですけど」


 グラハムの後ろで話を聞いていたヘレナが、やや控えめに言葉を投げた。


「この土地の領主――レッセ子爵といいましたか。本人は先の継承争いで時流に乗りそこねて、どの勢力に付くか迷っているうちに、逆に争いに巻き込まれずに生き残ってしまった……まぁ、なんというか、非常に運にだけは恵まれている方なんですが」

「うわー、ものすごく評価に困るタイプっすねぇ……」


 思わずといった様子でグラハムが口にした言葉にうなずき、ヘレナはアルベリックに目をやって続ける。


「ただ、彼に付いている家臣団は先代の頃から仕えている、非常に優秀な方たちのようです。この領地が特に問題もなく、それなりに栄えているのは家臣の方たちの功績と言っていいでしょう――子爵本人は、それが非常に面白くないみたいですが」

「うーわー……それって、暴発してよけいなことしでかす前兆じゃないっすか?」


「すでにしています。隣のクレイドル領に何度も手を出そうとして、その度に手酷てひどく撃退されてはいるんですが、おかげでクレイドル子爵との仲は険悪です。領民からの評判もあんまり良くはありませんし……まぁ、思いつきとその場の勢いで出兵しては負けて、大事な男手を死なせているわけですから、評判が良かったらそのほうが不思議ですが」


 あえて事務的な口調で淡々と告げるヘレナの言葉に、グラハムだけでなくアルベリックの顔にも形容しがたい表情が浮かんでいった。


 しばらくの沈黙のあと、グラハムと目を見交わしてアルベリックは重たい口を開く。


「そういう人間が、呪いの箱を手に入れてなにをしようとするか……ものすごく、とにかく、嫌な予感しかしないのだが」

「ねぇ? 気に入らない人間に送りつける嫌がらせくらいなら、まだ可愛いほうって気がしてきましたよ?」


 グラハムは言って、表情を引き締めるとあらためてアルベリックに向き直った。


「急いだほうがいいのは間違いないと思うんで、とりあえず例の箱を取り戻しに行ってきてもいいっすか? クランドの手下が戻ってきたばかりなら、バーナビーのほうもまだクランド派が勝手な動きをしてることに気づいてないはずですし」


 だったら、まだ自分たちの存在は知られてないだろうから警戒は緩いはず、とグラハムは言葉を続ける。


「この屋敷に見張りを置いていたとしても、現時点では知人が来てエスカペード氏への襲撃が発覚した、というところまでしかわからないでしょ? 警邏けいらに連絡しないことだって、呪いのかかった品を盗まれたという醜聞を表に出さないためと考えられるし」

「……わかった」


 しっかりとグラハムと目を合わせて、アルベリックは告げるべき言葉を口にする。


「グラハムに命じる。先に調べた犯罪組織の根城に潜入して、できる限り穏当なやり方で盗まれた呪いの箱を取り戻してくるように」

「――はっ、かしこまりました!」


 流れるように自然な仕草でその場に膝をつき、グラハムは答える。

 そのあとで顔を上げ、彼は悪戯っぽい表情を若草色の瞳にのぞかせて、アルベリックにへらりと笑ってみせた。


「心配性っすね、アンジェ様――『穏当なやり方』なんていちいち付けなくても、荒事に発展するようなヘマはしませんって」

「……心配くらいさせてくれ。できれば、私がかわりに行ってきたいくらいなんだ」

「いや、やめてください、それだけは、マジで」


 心細げな表情で告げるアルベリックに、こればかりは茶化す余裕もない様子でグラハムは真顔で言った。


「お――じゃなかった、アンジェ様の運動能力と魔術の腕は一流ですが、潜入に必要な技能はそれだけじゃないんで。というか、マジで俺たちの心の安寧のためにも大人しく待っていてください。おみやげ持ってきますから、ね?」

「……私は子供か?」

「子供顔負けのわがまま言ってる自覚持ってくださいよ。能力的にはできないこともないかもしれませんが、総大将が敵陣に突っ込んでっちゃ駄目でしょ?」


 むっとして唇を尖らせるアルベリックに、グラハムはそれこそ子供に言い聞かせるような調子で笑いかける。

 今この場に双子の弟のトーマスがいたなら、彼と一緒に心の中で『可愛いかよ、畜生!』と合唱していただろう。


「とにかく、総大将は後ろでどーんと構えていてください。ヘレナさん、アンジェ様の手綱をしっかり握っててくださいよ? 潜入しようとした矢先に、この顔で『来ちゃった』なんて言われたら俺絶叫する自身がありますからね?」

「どんな怪談よりも怖いですね、それ……大丈夫、ちゃんと見張ってますから、心配せずに行ってきてください」


 想像したのか冷や汗混じりの笑顔でヘレナが声を投げる。グラハムはうなずいて、足早に部屋の扉へと向かった。

 扉を開けようとした矢先、向こう側から開いたためグラハムの手が空を切る。


「うおっと!?」

「ぬわっ!? グラハム――なんですか、急に!?」


 ちょうど部屋に入ろうとしていたヒュームと、真正面から衝突しかけてグラハムは慌てて身体を捻った。

 似たような身長のため、まともにぶつかるとお互いに不愉快な目に遭う羽目になる。


 ヒュームも上半身をのけ反らせるようにして、事故の回避に努めながら抗議めいた声をグラハムへと投げた。


「気をつけてください! 私はあなたとキスなんてしたくありませんよ!?」

「俺もごめんです! つーか、今ノックせずに扉開けたのあんたのほうですよね!? 他所のお宅でくらい礼儀と常識を守りましょうよ!?」


 ぎゃあぎゃあと怒鳴り合ったのも一瞬のこと、グラハムは本来の目的を思い出して素早く部屋を出る。

 残される形となったヒュームは、当惑したような表情でその背中を見送った。


「……なんだったんです?」


 室内に視線を戻した彼に問いかけられて、アルベリックはわずかに言葉に迷う。

 ヒュームもまた神殿がらみの調査を終えて戻ってきたばかりで、グラハムとヘレナに行ったのと同じ説明をする必要があった。


 助け船を求めるように室内を見回した、アルベリックの目がヘレナの目をとらえる。


 頼む、と目で訴えたアルベリックに、ヘレナはにっこりとこの上もなく完璧な笑みを浮かべて、頑張ってください、とやはり目だけで答えた。

 次いで視線を向けたクロエにも、さりげなく目を逸らされて代役を拒否される。


 恨めしげな目つきを両者に向けて、アルベリックは観念したように大きく息を吸って吐くとヒュームに向き直った。


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