第17話 晩餐のあとで


 エスカペード氏の誘いを受けて、アルベリックたちは彼の屋敷で夕食をったあとそのまま宿泊することになった。


 最初は食事だけの予定だったが、宿を取っていないのを知って氏がすすめてきたのだ。


 部屋数だけは充分にあるという氏の言葉に、クリスティアーナは呪いを理由にして断ろうとしたが、だったらなおのこと宿は避けたほうがいいと言われて断念した。


「そもそも、今この時期に宿を取るのは至難しなんわざだよ。冬の移動を避けていた行商人や隊商がいっせいに動き始める時期だからね。個人的な伝手があるか、宿代を倍くらい上乗せしない限り、宿の確保は難しいと考えたほうがいい」

「……そういえば、フレイカに向かう途中でも宿は商人で混み合っていましたね」


 思い出したようにヘレナが言う。使用人であることを理由に、夕食のテーブルに着くことを辞退しようとした彼女だったが、一人だけ別に食事の席を用意させるのも面倒だからという氏の言葉に従わざるを得なかった。


 同じ理由で、クリスティアーナも数人分の間隔を空けてだが、同じテーブルに着いて食事をすることとなった。


 エスカペード邸の主食堂にあるテーブルが、大人数を招いての会食も想定した大型の長テーブルだったのが幸いしたといえよう。二、三十人は楽に着席できそうなテーブルには、のりのきいた純白のクロスと真紅のセンターライナーが掛けられている。


 その上に並べられた料理の載った大皿も、会食にふさわしい色鮮やかな品だった。


 むろん、その上の料理も皿にまったく見劣りしない。家鴨あひるを丸ごと焼いたローストにはベリーのソースがかけられ、色鮮やかな野菜や白さが際立つフレッシュチーズでいろどりよく飾り付けられている。


 前菜の皿には、一口大のキッシュや野菜を巻いたハム。珍しい魚卵の塩漬けを削って根菜に振りかけた品もある。


 各人の前に置かれたスープは、ほのかに貝の香りが漂う百合根のポタージュ。

 他にもチーズを使った温野菜のサラダ、口直しのための冷たいマリネ、第二の主菜といえる皮をぱりっと焼き上げた、大きなマスの香味ソースがけなどがテーブルに並ぶ。


 エグランタイン国の晩餐ばんさんは、大皿で出されたものを客の目の前で取り分けるのが一般的である。もとは毒殺を防ぐための慣習だったが、見た目に華やかなためもあって正式な晩餐は今もこの形式を取ることが多かった。


 貴族の晩餐に負けるとも劣らない豪華な夕食に舌鼓を打ったあと、デザートの冷菓まで平らげてアルベリックはエスカペード氏に礼を言った。


「急に押しかけてきたのに、こんな立派な夕食をご馳走してくれて本当に感謝している。用意するのも大変だったろう――料理人とメイドにも礼を言っておいてくれ」

「なに、私たちを助けてくれたお礼としては安いものだ――あのまま誰にも発見されずに一晩過ごしていたら、さすがに風邪くらいはひいていただろうからね」


 助けたとは、と言いかけたアルベリックの言葉を、茶目っ気を感じさせる口調と表情でエスカペード氏がさえぎる。


「確かに賊の襲撃には間に合わなかったが、幸い人的な被害はなかった。こう言ってはなんだが、相手がそのへんの物盗りではなく本職の犯罪者集団で良かったとさえ思うよ。目的さえ果たせば、変な欲を出したりせず迅速じんそくに撤退してくれたからね」


 言って氏が目を向けたのは、隣に座っている品の良い五十代の婦人だった。茶褐色の髪を丁寧に結い上げ、首も肩まわりも完全に覆うあかね色のドレスを身につけている。


 氏の奥方である女性は、温もりを帯びた夫の眼差しに笑顔でうなずいてみせる。


「ええ。本当に……私はともかく、雇っている若い女の子に被害が出なくて本当に良かったと思うわ。私みたいなお婆ちゃんには見向きもしないでしょうけど、見境みさかいのない食い詰め者のような集団だったら、あの子たちが無事に済んだかどうか……」

「なにを言うんだ、ミッチェル。年齢なんて関係なく君は充分に魅力的な女性だ――今もなお私の心をとらえて離さないのだから」

「まぁ、ジェームズ……」


 この上なく真面目な顔つきで言うエスカペード氏に、奥方はほんのりと頬を染める。

 突然目の前で生じた甘ったるい空気に、どんな顔つきをすればいいのか迷う表情でアルベリックたちはさりげなく目を見交わす。


 照れたように、先にこほんと空咳からぜきをしたのはエスカペード氏の奥方のほうだった。


「あなた、今はそのお話をする時ではないわ……若い人のお時間を無駄に使わせては駄目よ。それよりも、盗まれた呪いの箱がどこへ行ったのか――どうやって取り戻すかと考えないと。でないとティアーナさんの呪いを解く手がかりも手に入らないのでしょう?」

「あ、ああ……そうだな」


 やや遅れて、エスカペード氏も人前であることを思い出したように赤面して言う。

 老齢といっていい立派な紳士が、少年のように顔を赤らめているのはどことなく微笑ましいものだったが、奥方の言葉には一どころではない理があった。


 ここに来る途中、エレンからエスカペード氏の人柄について話を聞いた際『典型的な研究馬鹿。ただしっかりした年下の姉さん女房がついているので心配ない』という言葉に首を傾げたアルベリックだったが、その意味を心の底から理解する。


 妻にならうようにこほりと空咳をして、氏はテーブルに着いた面々を見回して口を開く。


 テーブルの上には食後のお茶が並べられ、どこか野の花を思わせるふわりとした芳香があたりを包んでいた。


「先に説明した通り、押し入ってきた賊の身元や背後に繋がるような手がかりはない――が、この領都を根城にしている犯罪者組織だとしたら、裏町を虱潰しに調べたらなんらかの情報は手に入るのではないかと思う」


 残念ながら、私にそういった方面の伝手はないが、と氏は申し訳なさそうな表情を見せる。

 思わず口を開きかけたアルベリックに先んじて、苦笑を噛み殺しながら声を発したのはグラハムだった。


「いや、一介の大学教授にそんな伝手があったら大変っしょ? どんな裏家業持ちかって話になるっすよ?」

「グラハム、言葉遣い」

「はっ、大変失礼いたしました! 今後は気をつけますのでどうかご勘弁を!」


 やんわりと注意したヘレナに、やや大袈裟おおげさともいえる仕草と言葉をグラハムが返す。

 二人のやりとりで場の空気が解れ、アルベリックがその方向で調査してみようか、と言いかけた時、クロエが眉根にしわを寄せたまま言った。


「……その犯罪者組織だけど、おそらくフレイカの街でエレンを掠おうとした連中と繋がっているんじゃないかな? もしくは同一の組織だとか」


 わずかに目を見開いたあと、アルベリックはうなずきとともに肯定の言葉を返す。


「その可能性は高いな。これだけ短い期間に、エレンの周辺で同じ呪いの品がからんだ犯罪が頻発しているんだ。同じ組織が関わっている可能性はかなり高いだろう」

「で、フレイカの街で捕まえ損ねた連中なんだけど、せっかく泳がすんならと思って、グラハムに調査に行ってもらったあと、監視と盗聴の術式を追加した追跡魔術を放っておいたんだ。おかげでこの数日はすっかり寝不足だけど……」


 なにか依頼者の身元につながるようなことを話すんじゃないかと思って、と続けるクロエの目の下には、うっすらとくまが浮かんでいる。

 ここ数日、アルベリックがまったくそれに気づかなかったのは、ヘレナから借りた化粧品で隈を隠していたためだった。


「クロエ……」


 アルベリックの声に感情の揺れを感じ取って、クロエは慌てて釘を刺す。


「べ、別に誉めて欲しくてしたことじゃないし! 僕は僕のやるべきことを、やるべき時にやっただけだ。それくらいのことができないで、天才を名乗るなんて恥ずかしいにも程があるだろう? 僕にとっては朝飯前のことを、当たり前にやっただけだからな!」

「……でも、ありがとう。感謝している」


 花が咲きこぼれるような笑みを浮かべて、アルベリックは素直に礼を言う。

 一瞬視線を泳がせ、赤面しそうな顔をかろうじて平常の顔色に留めたまま、クロエはそっけなくどういたしまして、と返した。


 その目が直後、睨み殺しそうな威力を込めて向かい側の席に座った、グラハムとヒュームに向けられたのは自然なことだった。


 両者ともになにか言いたげな表情で、緩む口元を懸命に引き締めていたためである。


「と、とにかく、今まで情報収集を続けてきたわけなんだけど――残念ながら、雇い主に直接結びつくような情報は手に入ってない。連中、意外と口が固い……というか、口を滑らせそうな奴には最初から、重要な情報は渡していないみたいだ」


 まったく無駄に知恵が回る、と忌々しそうな口調でクロエは吐き捨てる。


「ただ、奴らグラハムに自分たちの情報が抜かれたことを知って、すぐフレイカをって領都へと向かった。あと一日くらいで着くんじゃないかな。幸い、向こうには魔術の気配にさとい奴はいないみたいだから、追跡魔術を付けたまま根城まで案内してくれるはずだ」

「……クロエ」


 今度こそ、感極まったようにアルベリックが立ち上がるのを見て、クロエの顔にはっきりとした焦りの色が浮かぶ。

 間に座るヘレナを盾にするような形にして、彼はアルベリックに制止の言葉をかける。


「抱きつくのも手を握るのも禁止だからな! 人の目を考えろ――というか、頼むから自分の見た目と性別を自覚しろ!」

「う……ああ、すまん」


 まさしくクロエが言ったことを実行しかけていたアルベリックは、広げていた両腕を下げてやや悄然しょうぜんと肩を落とす。

 その様子に思わず口に出しかけた言葉をぐっと呑み込んで、クロエはかわりに低くおさえた声音で言った。


「このまま監視は続けるから――連中の根城が判明し次第、グラハムを忍び込ませるなりとっ捕まえるなりすればいい。そうすれば、連中の背後に誰がいるのかもわかるだろう。いくらなんでも、下っ端連中ならともかく上の人間が、雇い主の顔も名前も知らないなんてことがあるとは思えないし」

「……そうだな」


 期待を込めるように深くうなずいて、アルベリックはクリスティアーナを見やった。


「少し待たせることになるが、上手く連中の根城が突き止められればティアーナの呪いを解く手がかりをつかむことができるはずだ。もう少しだけ、我慢してくれるだろうか?」

「そんな……」


 醜く変色した顔で、クリスティアーナははっきりと首を横に振ってみせる。


「こんなに早く、盗まれた呪いの品の行方を突き止められるなんて……むしろどんなに感謝してもし足りません。本当に、ありがとうございます……」


 心からの思いが込められた言葉は、やや鼻にかかった涙声で発されたものだった。

 よかった、と呟く声には自身の身を案じるばかりではなく、今も苦しんでいる村人の身を案じる響きもあった。


 それを感じ取って、アルベリックの目に賞賛とも尊敬ともつかない色がよぎる。


 同じ感情はクリスティアーナを見る他の者の目にものぞいており、代表するようにエレンがよかったね、と言葉を投げやった。


「とはいえ、まだ同じ犯罪者集団だと決まったわけでも、連中の根城が判明したわけでもないんだが……これで別組織だったりしたら、私たちはいい笑いものだぞ、クロエ」

「その時は、グラハムの調査能力とデュシェスの腕っ節に期待するところだ。あと運的に考えて、この状況下で別々の組織が動いているなんていう圧倒的にハズレの可能性を引き当てるのは、アンジェしかいないと思うけど?」


「……どういう意味だ、それは」


 むっとした顔で言うアルベリックに、クロエは口の動きだけでの・ろ・い、と伝える。

 思い当たる節がありすぎて、アルベリックは複雑な表情で黙ることしかできなかった。


 そんな二人のやりとりにクリスティアーナは気づかず、れたまぶたの下からこぼれた一雫ひとしずくの涙を、厚く包帯を巻かれた指先でぬぐい取ったのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る