第15話 領都到着


 夕食をったあと、アルベリックたちはエレンの家と馬車とに分かれて、一晩を過ごすこととなった。


 街中まちなかで野宿をするのはためらわれ、しかし急には宿も確保できなかったためである。


 一人暮らしにもかかわらず、一軒家を借りている――呪いの研究者ということで部屋を貸すのを拒否されることが多く、借りられたのが周囲に民家のないこの家だけだった――おかげでエレンの家には、使っていない部屋がいくつもあった。


 むろん家具などはなく、年単位で清掃していなかったため掃除が必要だったが、屋根があるだけ野宿よりもはるかに快適といえる。


 馬車から下ろしたマットを敷いた一室で、グラハム、ヒューム、クロエの三人が雑魚寝する形となる。デュシェスは馬車で休むアルベリックの不寝番をすると言い張ったが、当のアルベリックとヘレナの両名に却下されてベッドのある客間に通された。


 クリスティアーナは呪いの件があるため、エレンの家に泊まるのに難色を示したが、空いている部屋なら使ったあと、しばらく立ち入り禁止にすれば済むだけだと説得された。こちらも野営用のマットの予備を使用してのことである。


 なお、ヘレナはアルベリックの身辺の世話をするのと、貴族女性には付き添いが必須であるため一緒に馬車で寝起きすることとなった。


 そうして一晩を過ごし、一応再度の襲撃などを警戒してはいたものの、何事もなく全員が無事に朝を迎える。


 身支度を整えて、エレンの家の居間に集まったところで意外な提案がなされた。


 ある意味では、当然のなりゆきと言えないこともなかったのだが――


「これから領都に向かうんだろう? だったら、わたしも一緒について行くよ。そのほうが、例の箱を預けた相手に会いに行くにしても、話が通りやすくなるだろう?」


 至極しごく当然といった口調で言い放ったエレンに、アルベリックは思わず他の同行者たちと顔を見合わせる。


「……いいのか? そうしてくれるなら願ってもないが、厄介事に巻き込まれる可能性がないわけじゃないぞ?」

「その厄介事ってのは、もともとわたしが手に入れた呪いの箱が原因だと思うけどね」


 苦笑めいた表情で答えるエレンに、アルベリックは思わず言葉に詰まった。否定しようにもまぎれもない事実であると理解したのだ。

 かわりに、やや困った表情でぽりぽりと頬を掻きながら、低く返すのが精一杯だった。


「……私の名誉にかけて、危険な目にはできるだけ遭わせないようにすると誓おう。少なくとも、私と同行している限りにおいては――まぁ、とびきり優秀な護衛が私にはついているから、そうそう心配するようなことはないのだが」

「そいつは心強いね。護衛っていうのは、あの黒髪の兄さんかい? 確かに、見た目からしていかにも強そうだしね?」

「私が知る限り、純粋な武技の腕でデュシェスを上回る相手を見たことはないな」


 少しの力みもなく、ごく自然な信頼をにじませて放たれたアルベリックの言葉は、強い説得力を感じさせるものだった。


 すでに旅支度を整えていたエレンを馬車の人員に加え、アルベリックたちは出発する。

 馬車は定員が楽に十名を超える大きさなので、予備の座席を出せばエレンを乗せるのになに一つ問題はなかった。


 領都であるモレニクまでは、通常の馬車で三日はかかる。足回りを重点的に改良したこの馬車であっても、途中に狭い山道があるため三日を二日に縮めるのが精一杯だ。


 昼に短い休憩を挟んで、馬車は野営のできそうな空き地を見つけたところで停まる。

 野営の準備をするには少し早い時間だったが、この先は悪路が続くため野営に適した場所が見つかる保証はなく、無理に進むのは避けたのだ。


「エレンさんとアンジェ様はこちらで休んでいてください。ティアーナさんはこちらで……」


 いち早く設置した野外用のテーブルと、半ばクリスティアーナ専用となりつつある小卓に茶器の準備をしてヘレナが声をかける。


 その間にグラハムがいつも通り、手際よく組み上げた簡易竈で食事の支度したくを初め、残る男性陣は邪魔な草を刈ってマットを敷く場所を確保する。


「天気に恵まれたのは幸いでしたね。これで雨でも降ろうものなら、時期的にも天幕を張らないとさすがに寝泊まりは厳しいでしょうから」


 慣れた様子で自分の寝床を用意しながら、ヒュームが笑ってアルベリックに声をかけた。


「確かにな……最悪、馬車の簡易ベッドを総動員すれば、なんとか全員分の寝床くらいは確保できるだろうが……」

「やめてくださいね。いくらなんでも、狭い馬車でアンジェ様と男性の方々を一緒に寝起きさせるわけにはいきませんから」


 顔には笑みを浮かべながらも、断固とした口調でヘレナが釘を刺す。肩をすくめるアルベリックに、エレンが用意された茶を飲みながら苦笑気味に言った。


「苦労するね。自分の身分にも容姿にも頓着しなさすぎる主人を持つと……魔法使いのお兄さんもそうだけど、護衛の皆さんも大変そうだ」


 口先だけではない、心からの同情を感じさせる言葉に、そうなんです、と深々とうなずいたのはヘレナではなくグラハムだった。


「なにが困るって、この人、俺たちの前でも平気で夜着やぎのままうろついたり、湯浴ゆあみをしたあとの濡れ髪でおやすみの挨拶をしに出てきたりするんっすよ! 目のやり場に困る以上に、風邪なんかひいたら困るから! 頼むから大人しく寝ててくださいって思いますよ!」


 肉や野菜を刺した串を両手に握り締め、グラハムは切実な口調で力説する。


 炭をおこした焼き台に串を並べ、火の通りを見ながら別のかまどかしたお湯に刻んだ乾燥野菜を放り込む。瓶に入ったトマトソースをどぼどぼと投入すると、味を見て塩胡椒をして溶き卵を流し入れる。


 一方、ヘレナは生ハムを薄くけずり取ると、保冷箱から取り出してきた葉野菜をちぎって生ハムと重ね、刻んだピクルスを中に入れて巻いていく。竈の側には耐火布に包まれたパンが置かれ、じっくりと遠火で温められているところだった。


 クリスティアーナはそんな二人の熟練した手つきを、尊敬の眼差し――れたまぶたの下でよく確認できないが――で見つめている。


 本人の弁によれば、最低限の料理くらいはできるそうだが、文字通りの最低限であるらしく旅の間はほとんど保存食に頼っていたという。


 夕食ができあがるまでの間に、クロエとデュシェスもそれぞれの寝床を作り終えて、小卓に分かれたクリスティアーナ以外の全員が料理の載せられたテーブルを囲む。


「うん、今日の料理も上出来っすね! 卵がそろそろ限界が近かったんで、使い切っちゃえてよかった。どこかの街か農家で卵を売ってもらえたら、補充しておきたいっすけど」

「この串焼き、タレが絶妙でいい味ですねぇ。いや、エールが進む進む……今度タレの配合教えてもらえませんか? 神殿のまかない方に伝えて、この串焼きがいつでも食べられるようにタレを作ってもらいますから」


「……美味うまいな、確かに」

「串焼きもいいですけど、皆さん生野菜もちゃんと食べてくださいね? 栄養がかたよらないように、わざわざ保冷箱まで用意して運んできてるんですから……」

「このサラダも美味しいですよ。私、ピクルスは舌がぴりぴりして苦手なんですけれど、これなら平気で食べられます!」


「あんたたち、本当になんというか……らしくないねぇ! 旅の間の食事に、ここまで全力でこだわる人間は初めて見たよ! でも、食事が美味いのに越したことはないね――このトマトスープも充分、街の食堂で出してお金がもらえる味だよ!」


 恒例となった略式の祈りをアルベリックが捧げると、テーブルについた面々はいっせいに料理を口に運びながらにぎやかな感想をらす。

 アルベリックも品よくスープを掬い、一口味わって感心したように目を輝かせた。


「うん、美味い……この味が出せるのなら、ソースの瓶詰めも本格的に流通に乗せることを考えてよさそうだな。問題は瓶の大量生産と衛生管理の方法か……」

「……僕が言うことじゃないけど、食事の間くらい他のことを考えるのは止めたら?」


 真剣な顔つきでスープを見つめてぶつぶつ呟くアルベリックに、隣の席に座ったクロエが呆れたように言う。

 その一言ではっとしたように、アルベリックは少し赤くなった顔を上げて笑った。


「そうだな、せっかく料理を作ってくれたグラハムとヘレナに申し訳ない。二人とも、今日の料理も絶品だぞ? 栄養バランスもよく考えられているし……できれば乳製品か、魚があれば言うことなしなんだが、鮮度の維持がどちらも難しいからなぁ」


 再び難しい顔になったアルベリックを見て、グラハムが出た、と肩をすくめてみせる。


「お――アンジェ様、いつも言いますよね。食事は野菜と肉、穀物をバランスよく食べないといけないって……すっかりヘレナさんにもその口癖が移って」

「だから、ニワトリの餌を変えて証明してみせただろう? 同じ種類の餌ばっかり食べさせたニワトリは病気になって、そうでないニワトリは健康だったはずだ」


 口を尖らせるアルベリックに、グラハムは降参するように両手を上げてみせる。


「はいはい、まさか本当にそこまでやるとは思いませんでしたけどね……あれで頭の固い連中も、市場で扱う食材の種類を増やすのに同意したんでしたっけ」

「確かに、生野菜や葉野菜を日常的に食べるようになってからは、神殿の孤児院でも病気にかかる子供の数は少なくなりましたからねぇ……」


 ヒュームが同意したが、こんがりと焼き上げられた串焼き肉を美味そうに頬張る姿からは、いま一つ説得力が感じられなかった。


 夕食を終えると、てきぱきと洗い物に取りかかるヘレナ以外の面々は、適当にくつろいで腹ごなしをすませたあと毛布にくるまって横になる。


 通常であれば見張りをたてるところだが、魔道具で物理的な侵入をはばむ結界を張っている上に、接近するものの存在を気配でも魔力でも、敏感に察知することができる面子がそろっているため、その必要は皆無に等しかった。


 アルベリックとヘレナ、そして客人扱いのエレンだけは馬車の簡易寝台で休み、何事もなく夜が明けたあと朝食を摂って出発する。


 馬車一台が通るのがやっとの、曲がりくねった悪路には少し難儀したが、幸い何度か魔物と遭遇したくらいで大きなトラブルもなく旅程を消化する。


 やがて領都が近くなると、道幅も広くなって行き交う人の姿もちらほらと見え始める。


 ほっとした様子を見せたのは御者台のグラハムで、随伴するデュシェスは特に表情を変えることなく馬を進める。

 馬車の窓から道行く人の姿を眺め、アルベリックはエレンに視線を戻して笑いかけた。


「正直、また襲撃があるかもと思っていたが――何事もなくてよかった。撃退するのはわけもないが、あれだけの人数を捕らえてここまで来るのは一苦労だからな」

「とっ捕まえる前提かい……まぁ、あの護衛の兄さん方の実力を考えりゃ、そうなるのが当たり前か。あの兄さんだけで小鬼どころか、屍食鬼くらいなら片手で一刀両断してのけるし、魔法使いの兄さんはブラックウルフの群れを塵も残さず灰にしちまうし……」


 過剰戦力もいいところだね、と呆れたように笑うエレンにアルベリックは同意する。


「少なくとも、中ランク以下の魔物相手に私の護衛が苦戦するところは見たことがないし、人間が相手だったら最低でも白級の冒険者相当の実力がなければ、一撃で意識を刈り取られてお終いだ。金級の冒険者で、やっとまともに相手になるくらいだろうな」


 どこか子供が親友を自慢するような得意げな表情で、ふんすと胸を張るアルベリックをエレンは微笑ましげに見やった。

 同じような表情を同じ相手へ向けて、ヘレナが言い添えるように言葉を口にする。


「そうでなければ、片手の指で足りる数の護衛しか付けずに、アンジェ様が自由に動き回ることが許されるわけなんてありませんよ? アンジェ様ご自身が魔術でも剣術でも一流の腕をお持ちだということも、理由の一つではありますが……」

「……剣術のほうは、かなり本格的に鍛え直さないと勘が取り戻せそうにないがな」


 ぼそりとアルベリックが呟いたが、その声はあまりにも小さすぎて、本人以外の誰の耳にも届くことはなかった。


 馬車の内部での会話をよそに、領都モレニクまでの距離は刻一刻と縮まっていく。


 領都を取り囲む高い街壁が見えてきたのは、それから二時間ほどあとのことだった。傾き始めた日の光を反射して、金色に輝く壁が街道の向こうに長々と伸びている。


 近づいていくにつれて、その高さが一般的な建物の四、五階に相当するのがわかった。


 街壁の中へと入っていく道の途中には、大きな両開きの扉に併設される形で兵士の常駐する検問所が設けられている。昼間は開け放たれている扉の両脇に立つ鎧姿の兵士が、通行する人や馬車の通行証を確認しては中へと通していく。


 出ていく分に関しては自由で、犯罪者や通行証を持たない流民の侵入を阻止するのが一番の目的だ。


 アルベリックが持つのは、イングリットが手配したとある伯爵家の次女としての通行証――いわば立派な偽造手形である。ただし、伯爵家自体は実在のものであり、名前を貸りることも承認済みであるため偽造が発覚する可能性はなきに等しい。


「よし、入れ」


 ヘレナが見せた全員分の通行証を、ちらりと確認しただけで兵士は通行を許可する。


 アルベリック以外の人員の通行証も――エレンとクリスティアーナは間違いなく本人のものだったが――偽名を用いた偽物だったが、伯爵家の紋章が威力を発揮してかそうと見破られることはなかった。


 グラハムが笑って兵士に礼を言い、馬車を発進させる。車内でも緊張した様子を見せた者は誰もおらず、のんびりとした調子でヒュームが口を開いた。


「このあたりは国境からも離れているおかげで、検問も緩いものですね。変に仕事熱心になられるよりは、こちらとしても助かりますが」


 あと、露骨に賄賂を要求してこないのも、と続けるヒュームにクロエが顔をしかめる。


「堂々とそんなことをやらかす馬鹿は、先の王位継承争いでとっくに絶滅してるだろ。せいぜい、後ろ暗いことをやってる連中から袖の下を受け取って、ちょっとした犯罪歴を見逃したりばれたら後ろに手が回る積み荷を通してやったりするくらいだ」

「個々の当たり外れも大きいでしょうしね。いつの世でも、職務や立場を利用して懐を暖めようとする人間はあとを絶ちませんから」


 いささか殺伐さつばつとした二人の会話を、苦笑じみた表情で聞き流してアルベリックはエレンへと目をやった。


「無事に領都には着いたわけだが――この足で例の箱を預けている相手のところへ向かっても大丈夫か? 先触さきぶれを出したほうがいいなら、どこかの宿か食堂にでも馬車を停めてグラハムに走ってもらうが……」

「いや、大丈夫だよ」


 エレンは言って、馬車の隅でフードを深く被ったままのクリスティアーナを見やる。


「この時間なら自宅にいるだろうし、早いところ用事を済ませてしまったほうがいいだろ? もしその子の症状が、本当にあの箱に潜んでいた呪いによるものだったら……他の被害者が出ないとも限らない。なるべく急いで向こうに知らせたほうがいい」

「そうだな……」


 アルベリックはうなずいて、馬車の前方にある小窓からグラハムに声をかける。


「というわけだから、エレンの知人の家にまっすぐ向かう。エレン、道案内を頼む――その席だと声が届きにくいから、こちらの席に移ってくれ。揺れるから気をつけて」


 言いながらアルベリックが差し出した手を、どこか苦笑を噛み殺すような表情で取ってエレンは席を移動する。


 まるで王子様だね、という呟きは、馬車の音にまぎれて誰の耳にも入らなかった。


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