第13話 追跡と黒幕


 アルベリックの興奮がおさまるのを待って、ヘレナがやんわりと注意したおかげでクロエは解放され、安堵の息を吐きながら距離を取ることができた。


 その顔が赤いことには、誰もあえて触れなかったのが人情というものだろう。


 感謝半分、恨み半分の視線をヘレナに向けながら――耳のいい彼には、ヘレナがエレンと会話を交わしながら様子を見ていたことも、その会話の内容もわかっていた――クロエは警戒の目をアルベリックに向けたまま口を開いた。


「とにかく、発信の魔術をかけてあるからあの連中の居場所を突き止めるのは簡単だし、居場所がわかれば、正体や目的を突き止めることも簡単にできるはずだ」


 だろう、と言いたげにクロエはグラハムを見やる。挑発するような目つきだけでは飽きたらず、言葉に出してクロエは言い放った。


「できないって言うなら、僕が追加で盗聴や監視の機能を付けた術式を、奴らのとこまで飛ばしてやってもいいけどね――そのほうがずっと早いかもしれないし」

「言ってくれますねえ……」


 こめかみに青筋を立てて、グラハムは歯をき出すような笑顔を見せる。


「なんか俺、クロエ様のお気にさわるようなことしちゃってましたか? 全然、まったく心当たりがないんすけども」

「さっき、僕のことを見て笑ってたろ? 気づいてないとでも思ったのか?」


 冷え切った声をクロエから投げ返されて、グラハムが笑顔のまま動きを停止した。


き出す寸前の顔でぷるぷるぷるぷる震えてたろ? いっそ声に出して笑ってくれたほうがマシだったよ! ヘレナは井戸端会議のおばちゃんみたいな会話してるし!」

「笑っちゃ悪いと思って必死に我慢してたんすよ!? 腹筋ふっきんるかと思ったくらいなのに、あの努力全部無駄っすか!?」

「いらないよ、そんな努力! 同じ努力するんなら、少しでもアンジェの役に立つような形でするんだね! というわけで、さっさと行った行った!」


 語気荒く言いながら、クロエは手を振って空中に魔法陣を浮かび上がらせる。

 うっすらと光る魔法陣は、形を崩して同じ光る線で構成された小さな鳥へと姿を変え、開かれた窓から外に飛び出していった。


「おうわっ!? いやちょっと、マジで即時行動しろって!? 容赦なさすぎっす!!」


 悲鳴にも似た叫び声をあげて、グラハムが光る小鳥を追って窓から飛び出す。

 瞬く間に小さくなる背中を窓越しに見送り、クロエはふんと肩をそびやかせて言った。


「僕にはできないんだから、せめて有用な情報くらい集めてこいよ。どんなに便利な魔術を作ったって、人間が集める情報に敵うわけないだろ。だからあいつは浅はかなんだ――」


 そこで自分に向けられる複数の視線に気がつき、クロエはしまったと言いたげな表情を金の瞳にのぞかせた。

 一瞬視線をさまよわせて、彼が口を開くより早くアルベリックが笑顔で声をかける。


「ありがとう、クロ――」

「いや、本気でアンジェのためとかじゃないから。自分にできないことがあるとか、僕自身が納得したくないだけだから! 魔術に関しては誰にも負けたくないから、解析できない術式があるとか断じて我慢できないんだよ、それだけ!」


 慌てて言いつのるほど、向けられる視線が生暖かくなるのを感じ取って、クロエがたらりと冷や汗を流す。

 それでも再び赤面するのだけは、精神力を総動員してクロエは回避したのだった。


 いつも通りの笑顔と見せかけて、あからさまに微笑ましげなものを見守るようなヘレナの笑みが原因だったが、予想外の伏兵が視界の外でぼそりと呟いた。


「……ツンデレ、というのだったか。こういうのは」


 表情一つ変えずに放ったデュシェスの呟きに、ヒュームがこらえきれず噴き出す。

 その後も小さく肩を震わせ続けるヒュームの姿に、先程グラハムに対して感じたのと同種の苛立ちが湧き上がる。だが口に出してはなにも言わず、クロエはヒュームをじろりと睨み付けるだけに留めた。


 男性陣のひそかな攻防には気づかず、アルベリックはエレンに視線を移した。


「今、グラハムがあの連中のことを調べてくるから――少しここで待たせてもらってもいいだろうか? 領都にいるあなたの知人を訪ねるにしても、あの連中の正体や目的を確かめないことには、いらぬ面倒を持ち込むことにもなりかねない」

「それは、別にかまわないけど……」


 エレンはまじまじとアルベリックを見つめ返す。その目が背後の男性陣に向けられ、笑顔のまま立つヘレナを経由してアルベリックに戻される。


「あんたたち、いったいどういう素性の人間だい? いや、言いたくなければそれでもいいけど、どう見ても普通の貴族なんかじゃないだろ……」

「……それは」


 言いあぐねるアルベリックを前に、エレンは両手ではさみ込むように軽く顔を叩いた。


「ああ、いらないことを聞いたね。わけありなのは最初からわかってるこった、それでもあんたが人間として信用できると思ったから、話をしてみようって気になったんだものね。無理に話さなくてもかまわないよ」


 にっと笑みを浮かべて、エレンは所在なげに立っているクリスティアーナを見やる。

 その視線の意味を、理解できないほどアルベリックは愚かではなかった。口をつぐんだまま目礼するアルベリックに、エレンは笑顔のまま言葉を投げやった。


「あの兄ちゃんを待つんだったら、好きなだけここで待つといいよ。わたしだって他人事じゃないんだし、お茶くらいなら出すから――って、まだ椅子もすすめてなかったね。それによく考えたら、もうお昼の時間も過ぎてるじゃないか!」


 窓の外の日差しからおおよその時間を確認したらしく、慌てたように言ってエレンはソファから立ち上がる。

 アルベリックは制止しようとしたが、幸い、目眩めまいなどを起こすことはなかった。


 散らかった引き出しの中身などを器用に避け、足早に台所に向かいながらエレンは肩越しに声を投げる。


「適当にその辺に座っててくれないかい? 探せばいくつか椅子があると思うから――胸を張って他人様に自慢できるような腕じゃないけど、一応は一人暮らしの身だからね。お昼くらいはご馳走ちそうするよ! 味の保証はしないけど!」


「でしたら、僭越せんえつながら私がお手伝いさせていただきます。野外料理ではグラハムに負けますが、きちんとした厨房を使わせていただけるのなら少しは腕に自信がありますよ」


 ヘレナの提案をエレンは快諾かいだくし、そろって隣の台所へと消えていく。

残された者たちは顔を見合わせ、とりあえずといった様子でヒュームがアルベリックとクリスティアーナにソファに座るよう勧めた時、入口からひょっこりと顔を出してヘレナが言った。


「今、お茶をお持ちしますから誰かテーブルの上を片付けておいてください。ただしアンジェ様は大人しくしているように!」

「……信用がないな、私は」


 苦笑するアルベリックに、当然だろ、とクロエが目を合わせないまま声を放つ。


 率先そっせんして片付けようとするクリスティアーナをデュシェスが身振りで止め、怪しい手つきで片付けようとし始めたところで、ヒュームがさりげなく引き継ぐなどという一幕はあったが、幸い物も人も損なわれることなくテーブルの上は片付けられた。


 その時には、家捜やさがしの邪魔になったためか部屋の隅に投げ出されていた椅子も発掘され、無事に全員が座ってお茶にありつくことができたのだった。




「――なんだと? では、肝心の品はあの女の手元にはないというのか?」


 華美かびを通り越して下品に感じられるほど、派手に飾りたてられた部屋の中で不快さを隠そうともせず発された声があった。


 目に痛いくらいの原色と、黄金の輝きがあらゆるところで存在を主張する部屋だ。


 部屋のあるじもまた、それに負けないくらい無闇に高価な衣服を身につけていた。


 つやのある繻子しゅす織りのガウンは絹製で、金糸銀糸で絢爛けんらんな縫い取りがほどこされている。模様にまぎれるように貼り付けられているのは、小粒ではあったが見まごうことなき宝石だ。黒に近い紫の生地の上で輝くそれらは、まるで夜空をいろどる無数の星のようだった。


 襟や袖口には毛皮があしらわれ、その下からたっぷりと重なりあったレースがのぞく。


 衣装の豪奢ごうしゃさとは裏腹に、声の主の容姿は貧相――とまではいかずとも、衣装に比べるとかなり見劣みおとりのするものだった。


「誰が預かったのかすぐ調べろ! まさか金に困って売り払ったということもあるまい。女の分際で、家一軒借りて研究に専念できる程度には暮らしに困っておらんのだ……なにをして稼いだ金か知らんが、どうせろくなことをしておらんに違いない」


 狷介けんかいな印象の強い四十代半ばの男性が、決めつけるような口調で言葉を吐き捨てる。


 薄い――色ではなく物量的に――赤毛を髪油ででつけ、口元には丁寧に整えられたひげをたくわえている。黙っていればそれなりの貫禄かんろくはあったが、口を開いた途端に飛び出してくる癇性かんしょうな声がその印象を台無しにしていた。


「まったく、こちらが親切で声をかけてやったというのに、なにが『私は呪いの研究者であって、実践者ではありませんから』だ――見た目だけはそこそこ整っているから、愛人に迎えてやろうと思えばそれも断る。たいして若くもない、婚期をのがした年増女の分際で……身の程を知らんのにもほどがあろう」


 どうせ今の生活も、身体を売って作った金で支えているのだろうに、と男性は忌々しそうな顔で続ける。

 侮蔑ぶべつをあらわにした言葉は、品性のかけらも最低限の良識も感じさせないものだった。


 その言葉を顔色一つ変えずに聞いている無個性な顔つきの男へと、ガウンの男性は薄茶色の目を向けて言った。


「なにをしてる、さっさと行け! 私の時間を無駄に使わせる気か――私がどれだけ多忙か知らんわけでもあるまい。上との顔つなぎの晩餐ばんさん会に、付き合いの狩猟会に……やるべきことが多すぎて政務がまわらないくらいなのだぞ!」


 言葉を重ねれば重ねるほど、自身の小物ぶりが強調されていくことにはまるで気づかず、男性は優越感もあらわになおも言葉を連ねる。


「あの女のことはもうどうでもいい。お情けで声をかけてやったのに、自分の価値をどれだけ高く見積もっているのか――自分がどれだけの名誉にあずかろうとしているのかも理解できない馬鹿な女だ。そんな馬鹿女よりも、病のように人から人へ伝染するという呪いのほうが、私にとって比べ物にもならんほど価値がある」


 悦に入って話し続ける男性の前にひざまずいた男は、投げつけられる言葉をただ無言で聞いているだけだった。


 まったく表情が動かない顔からは、内心の動きも読み取ることはできない。

 鍛えられた身体付きから武技を修める者だとわかるだけで、年齢も二十代から三十代くらいとしか判別できない。髪の色も目の色もありふれた焦げ茶色で、短く刈り込んだ髪型も身体を動かす職業の者では珍しくもないものだった。


傍目はためにはただの病としか思えない、人から人に伝染していく呪い……私の目的を果たすのには、この上もなくぴったりだ。まるで誰かが、私の目的を知ってあらかじめ用意でもしてくれたようにな……くく、あの女もまさか自分がこんな形で、私の役に立つことがあろうとは思ってもみなかったに違いない」


 男性は機嫌良さげに喉を鳴らして、目の前で跪いたままの男にあらためて顔を向ける。


「まだいたのか。さっさと行って役目を果たせ。お前たちに払っている金額を思えば、今回の仕事などわけもないはずだ。ただ一つの品物の在処ありかを調べて、手に入れてくればいいだけのことなのだからな……お前たちにとっては子供のお使いのようなものだろう?」

「……失礼いたします」


 その一言だけを投げて、男は立ち上がるとゆっくりと部屋を出て行った。

 扉が閉まる前に一礼して、姿を消した男のことはガウンの男性の脳裏から、すぐ消え去ったようだった。


「自分の見つけ出したものが私に利用されて、あの無礼な女が悔しがる顔が見られないことだけが残念でならんな。後ろ盾もない平民の女ふぜいが、私の役に立てるという名誉を逃したことをどれだけ悔しがるか、この目で確かめられないことも……」


 髭を蓄えた口元に、下卑げびた笑みを浮かべて男性は独り言めいた言葉を続ける。


「まあいい。あんな使い古しの年増女よりも、もっと若くて顔のいい女がこれからいくらでも手に入るはずだ。この計画さえ上手くいけばな」


 どこか不穏な響きのある声は、どぎつい色彩のタペストリーが掛けられた壁にさえぎられて、男性以外の誰も耳にすることはなかった。


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