第12話 呪いの箱とクロエの機転
女性――エレンは横たわっていたソファに座り直すと、アルベリックに椅子を勧めようとして、初めて室内の
男たちが
「うわー、また派手にやられたもんだね。客が来たと思って玄関の扉を開けたらいきなり薬を
「なにか、あんな連中に襲撃を受けるような心当たりでもあるのか?」
言葉ほどには衝撃を受けた様子のない、どこか呑気とさえいえるエレンの口ぶりに思わずアルベリックは問い返す。
困惑と心配を半々にのぞかせた問いに、エレンは笑って首を横に振ってみせた。
「いや、この国に来てからはないよ。呪いの研究をしてるってことで、ご近所さんには恐がられているみたいだけどね。そのご近所さんも半時間ほど歩いた先にしかいないから、まあ平和といって差し支えないだろうね」
「この国に来てから……ということは、その前は?」
慎重にアルベリックが口にした問いかけに、エレンは笑みを苦笑めいたものに変えた。
「勘がいいね。わたしはクローヴィアスの出身でね。向こうじゃ女が研究職に付くってのはあり得ない話で、ましてや呪いを専門としているとなると……ね。嫌がらせや
「それは……大変だったな」
アルベリックは言って、ちらりとクリスティアーナに気遣わしげな目を向ける。
クリスティアーナはそんな視線を感じ取ってか取らずか、深く
「本当に残念なことですが、クローヴィアスでは珍しくない話です。女性はよき妻、よき母になることのみを求められ、他の道に進もうとする者は
クローヴィアスでは神殿は絶対の存在ですから、とクリスティアーナは言葉を続ける。
その実感のこもった言葉から、エレンはなにかに気づいたようにフードに隠れたクリスティアーナの顔を見た。
「もしかして、お嬢さんもクローヴィアスの出身かい? 年若い女性が一人で国の外に出ることを許される――ってことは、修行中の神官か。クレナ村では村人の治療をしていたって言ってたものね。だとしたら、治癒術の腕も荒事の腕も相当優れてるってことになる」
「いえ……私などまだまだ未熟なものです。得意なのは身体強化の術ばかりで、治癒術はひと通り扱える程度ですから」
謙遜したように手を振ってみせてから、クリスティアーナはあらためてエレンに向き直る。
「名乗り遅れました、クリスティアーナと申します。神殿に属している身ですので家名はありません――このような格好で挨拶をする不作法をお許しください。初対面の方に顔を見せるほうが、ご不快な思いをさせてしまうことになりますので」
「気にしない、ってわたしが言っても? どのみちあとで見せてもらうつもりだけど?」
エレンの言葉にクリスティアーナは少し
旅の間に、何度かかいま見る機会があったアルベリックたちを含め、誰一人として驚きや嫌悪の声をあげる者はいなかった。エレンも顔色一つ変えることなく、あらわになった異相を研究者独自の
しばらく検分するように見つめたあと、エレンは少しも口調を変えることなく言った。
「その症状はいつから? クレナ村をわたしが
「皮膚に発疹が出始めたのは、七日前です。治癒術をかけても治らず、村人たちの治療を優先したこともあって、気がついたらここまで悪化していました……用があって村を離れていた村長さんが戻ってきて、遺跡から呪いの品が発掘されたことを教えてくださったのはそのあとです。四日前――くらいになるでしょうか」
「痛みは? その状態なら少なからず痛みがあるはずだよね? 普通の人なら寝込んでいてもおかしくないほどの――でなきゃ、村人の治療にかかりきりになんてなるはずない」
エレンの断定する口調に、しばらくの間ためらうそぶりを見せてからクリスティアーナは小さくうなずいた。
「……身体強化と治癒術で今は痛みを抑えています。原因を取り除くことはできなくても、鎮痛の術で痛みをある程度取ることはできますから。ただ、原因である呪いをどうにかしないことには、何度痛みを取り除いてもぶり返して同じことをくり返すだけです」
「それは同感だ……けど」
エレンの声と視線に、どこか自分を責めるような鋭いものが混ざった。
「はっきり言おう。私が預かった呪いの品――手のひらに乗るくらいの小さな箱だったんだけどね。それには、そんな症状が出るような呪いはかかっていなかった。その箱にかかっていたのは、決まった手順以外で開けるとしゃっくりが止まらなくなる、という呪いだ」
じゃなかったら危なくて引き取ったりできなかったよ、とエレンは口元に苦笑を刻む。
クリスティアーナは
「いや、そんなはずは……現にティアーナは呪いにかかってこんな状態になっているんだし、その品の発掘に関わった村人たちだって、同じ症状で寝込んでいるというんだ」
「うん。だから、可能性としては――その症状は呪いとはなんの関係もなく、ただ偶然同じ時期に発症しただけの病気かなにかか、でなかったら……わたしが見落としていただけで、あの呪いの箱にはそういった症状を起こすような別の呪いがかかっていた、ということになる」
そう言ってクリスティアーナを見たエレンの顔には、悔しさを隠そうとして隠しきれないような表情がにじんでいた。
「可能性としては後者のほうが高い。なにぶん、古代の遺跡から出てくる呪いの品ってのはタチの悪いものが多い。だから慎重に取り扱っていたつもりだったんだが……冗談みたいな呪いだってわかったせいで、気が緩んでいたのかね。そんな悪質な呪いがかかっている可能性なんて、まったく考えもしていなかった――すまないね」
頭を下げるエレンに、クリスティアーナが慌てたように両手を振ってみせる。
「いえ! エレンさんが悪いわけじゃありません! 同じ品に複数の呪いがかかっているなんて、普通は考えもしないものです。呪いの品のことを知っている村長さんが、運悪く村を離れていたのも、不運な
「……けど、もし本当にあの箱が呪いの原因なら、
沈痛な表情でエレンは告げる。その口調からは上辺だけでなく、心の底から自らの力不足を嘆く気持ちが伝わってきた。
複雑な顔つきでエレンを見つめやっていたアルベリックが、重い口を開いて言う。
「それで、呪いを解く――
クリスティアーナや村人たちが受けた被害を思えば、エレンの過失は決して小さいものではなかったが、ここまで重く受け止められるとさらに責める気にはなれない。
まして、エレンは村長に対してだけとはいえ、呪いの品の存在を伝えていたのだ。
それが村人たちに伝わっていなかったのは、クリスティアーナも言った通り不幸な行き違いだとしか言いようがなかった。
「それなんだけど……今、わたしの手元にその箱はないんだ。呪いの解析は簡単に済んだんだけどね、材質が当時としては珍しいものだったらしくて……遺跡の調査に立ち合ったそっちの専門家のところに行っている」
やや言いにくそうにエレンは告げ、アルベリックとクリスティアーナはまたしてもそろって目を丸くすることとなった。
「専門家……その人はどこに? この街に住んでいるのか?」
「いや。わたしに声がかかったのは、発掘現場に近いところに住んでいる呪いの専門家ってだけの話でね。発掘隊自体は、
「領都か……馬車でも三日はかかる距離だな」
呟くアルベリックに、控えめながらしっかりした口調でクリスティアーナが言った。
「ですが、その箱を実際に解析してみないことには、呪いを解く手がかりもつかめません。私だけではなく、クレナ村の皆さんも呪いが解けないことにはずっとこのままです。私は治癒術で痛みを抑えておけますが、村の人たちは痛み止めの薬草を呑んで寝ているのが精一杯なんです。この先も……なんてことになったら、本人も家族もどれだけ辛い思いをすることか」
「……ティアーナ」
「お願いします、エレンさん! その方の居る場所を教えてください。私一人でも、領都まで行くことは可能です! もともとそのつもりで来たのですから……多少行き先が遠くなったところで、やることには変わりがありません!」
語気を強めて言い放ったクリスティアーナに、わずかに気圧されたような表情を見せてからアルベリックが口を開く。
「待ってくれ、ティアーナ。私たちとは別行動を取るものと決め込んでいるようだが……いつから私は、身体の調子が良くない女性を一人で放り出して、馬車でも三日かかるような距離を歩かせて平気なくらい薄情な人間になったんだ?」
「え、でも……」
クリスティアーナの声の調子が少し弱まる。その
「ここまで来たら、ティアーナの呪いが無事に解けるまで付き合わないと私が落ち着かない。私に付いてくる者たちには、迷惑をかけてしまうかもしれないが……私の呪いを解く手がかりにもなるかもしれない。私のほうは、ティアーナのように原因となった物品を解析できるわけではないのだから」
正確には、すでに
背後に並び立つ同行者のほうから、話しすぎを
主にヘレナとグラハムを発生源とするその気配が、ちくちくと神経を刺激するのを感じながら、アルベリックは表情を変えることなく言った。
「先にも言ったように、私の呪いは今すぐ命に関わるわけでも、苦痛があるわけでも生活に支障があるわけでも――まぁ、多少の不便はあるにはあるが、まったく普通の生活が送れなくなるようなものではない」
現状、着替えや入浴は目を閉じて、ヘレナの手助けを受けて行っている事実を思い出し、アルベリックは言葉を修正する。
「だったら、古代の呪いに関する情報を手に入れるためにも、他の呪いを解く手伝いをしたほうがいい。それが私とは違い、普段から苦痛があって生活にも支障が出て、将来的に命に関わる可能性さえありそうな呪いならなおのこと、だ」
きっぱりと言って、アルベリックはクリスティアーナからエレンに視線を移した。
「ただ、一つ気になるのが、あなたを
「……それにしちゃ、ずいぶん無駄口が多かったけどね」
ずっと無言で立っていたクロエが、あらぬ方向を見てぼそりと言う。
言葉ほどには棘のない声に、アルベリックは肩越しに苦笑と言葉を投げ返した。
「どんな組織でも、構成員の質は様々だ。上から下まで意識を統一された、裏仕事の専門組織なんて――もはや単なる犯罪組織ではなく、暗殺組織だとか呼ばれるものだと思うぞ」
「まぁ、それはそうだけど……」
クロエは言葉を
「あと……さっきの連中なんだけどさ。正体が気になるというんだったら、突き止める方法がないこともないんだけど」
「……どういうことだ?」
他の者からも似たような表情が向けられており、クロエは形勢の悪さを感じたように
「あの連中が逃げる前に、追跡に使う発信の術式を構成して、奴らのうちの一人に飛ばしておいたんだ。
「……クロエ」
目を大きく見はってアルベリックはクロエを見返す。その顔がこらえきれないような笑みを浮かべ、思わずといった様子でクロエの両手を
「私は本当に、どれだけし――友人に恵まれているんだ? 皆優秀すぎて怖いくらいだぞ! もし皆に見捨てられるようなことがあったら、私一人ではなにもできなさ過ぎてこの世に絶望するしかないぞ!」
「ちょっと、おい――手! 手ぇ離せ! 近い近い近い近い!!」
悲鳴じみた声をクロエがあげる。その顔が赤く染まっていることにまるで
ちょっとした騒ぎになっているその様子を、呆気にとられた顔でエレンは見つめる。
少しの間のあと、残る同行者の中で一番話が通じると思ったのか、ヘレナに視線を移して彼女は問いかけた。
「……いつもあんな感じなのかい? あんたがたのご主人――で、いいんだよね?」
確かめるように付け足された言葉にうなずきを返し、ヘレナは微笑と苦笑の中間くらいの表情を見せた。
「割と……あんな感じです。相手の身分と、あと性別にも頓着しないところがアンジェ様の長所であり、また短所でもあります……お気の毒に、クロエ様」
最後の言葉に、まぎれもない本心からの思いをのぞかせてヘレナは答え、エレンの表情が笑っていいものか迷うようなものに変わる。
「うん、まぁ……気の毒に、ね。そればっかりは同意するしかないわ……」
「もう少し距離感を把握してくださると、私どもとしても助かるんですけど。でなければご自身の容貌がどれだけ
「うわぁ、あの顔で自覚なしなのかい。そりゃタチが悪いわ……うん、あの坊やに心の底から同情する。ホント、あの顔に距離感なしで接されたらたまったもんじゃないわ」
声をやや
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