第10話 襲撃現場


 翌朝、まだ日が昇りきらないうちに、アルベリックたちは馬車に乗って出発した。


 かなり早い出発となったが予定通りで、この先は難所が続くため突発的な事態に対応できるよう充分な余裕を持たせたのだ。道が悪いということは難渋なんじゅうしているところを狙う盗賊も出現するわけで、そういった厄介事の後始末にかかる時間も計算に入っていた。


 幸い馬車の故障や、盗賊の襲撃などといった不測の事態に遭遇することもなく、昼過ぎには切り立った崖に挟まれた山道を抜けることができた。


「……この調子なら、今日は宿場町の宿に泊まることができそうですね」


 焼いた肉と葉野菜を挟んだパンと作り置きの茶という、簡素な昼食をりながらヘレナがアルベリックに言う。


 朝食のついでに作られたそれは、冷めても美味しいように工夫が施されている。

 肉は下味をつけたあと小麦粉をまぶして焼き、野菜の水気が移らないようにパンにはしっかりとバターが塗られている。こういった細々としたことに気が回り、なおかつ美味しく作ることができるグラハムの才能には感謝するしかなかった。


「ああ、でも下手な宿なら、馬車のほうが寝心地よかったりしません? 俺たちにしたところで、下手なベッドならお――アンジェ様の提案で作った、野宿用のマットのほうが衛生的にもはるかにマシだったりしますし」


 大きめのパンを、下品に見えないぎりぎりの速度で平らげてグラハムが返す。


 充分な広さのある場所まではたどり着けなかったため、昼の休憩は道の端に馬車を止めて立ったまま取る形となった。馬車の中で取ってもよかったが、人数的に少しばかり手狭てぜまなのとクリスティアーナ一人を外に追い出す形になるのを、アルベリックが嫌った結果である。


 クリスティアーナは他の者から少し離れた場所で、栗鼠りすのような仕草ではむはむとパンをかじっている。


「確かに、中途半端な宿に泊まるくらいだったら、野宿のほうが快適かもしれませんね。アンジェ様のおかげで、私たちもずいぶん清潔さにはこだわるようになってしまいましたし」


 苦笑の気配を穏やかな笑みの中に漂わせて、ヒュームが軽く肩をすくめてみせる。


 一人、馬車の昇降口に置かれたクッションの上でパンを食べていたアルベリックが、やや不本意そうな顔をヒュームに向けた。

 アルベリックの位置は、馬車の中で食事を取って欲しいというヘレナの希望と、皆と一緒に食べたいという本人の希望の妥協点である。


「私のせいみたいに言うのはやめてもらおうか。清潔さについて一家言あるのは事実だがな、その環境にすっかり慣れきって受け入れているのは皆のほうだろう。まぁ正直、何年も洗濯もしないで虫やカビの温床になっているベッドに、平然と横になれる人間の精神構造のほうが私にはよっぽど謎なんだが」


「それを今言われると……ただ言っておきますが、そこまで清潔にこだわれる人間のほうが少数派なんですからね? 普通の家では衣類だって滅多に洗濯できませんし、そもそもベッドにシーツがかかっているだけでも上等な部類なんですから」


 釘を刺すようなヒュームの言葉に、アルベリックは溜め息混じりにうなずきを返す。


「わかっている。不潔がどうこう言う以前に、明日の食べ物や寝床に不自由している人間もいるということは――そういった人間を少しでも減らすのが当面の目標だな」

「その前に、堂々と人前でそういう話をできる立場に戻る必要がありますがね。今のその姿では、なにを言っても単なる世迷よまごとでしかありませんよ?」


「……そうだな。わかっている」


 アルベリックは言って、食べかけのパンを持つ自分の手に視線を落とす。

 細く華奢な指は、労働を必要としない立場であることを差し引いても、以前のものとはあまりにかけ離れたものだった。


 沈んだ様子のアルベリックに、言いすぎたと思ったのかヒュームが語調を緩める。


「焦る必要はありませんよ。クロエ殿を初め、アンジェ様の周囲にはたくさんの才ある者がつどっています。私も微力ながら、持てる力の限りを尽くしてお役に立ちたいと思っています。それだけの人間が力を結集して、目的を果たせないなどということは考えられません」

「ああ、私も皆を信じている……」


 だが、とアルベリックは言葉を続ける。


「正直、不安にならないと言ったら嘘になる。本当にもとの姿に戻れるのか、戻れるとしてもどれくらい先になるのか……あの時、もっと用心深く行動していればよかったと、今更後悔しているのだから笑えない」


 ヒュームは言葉を返すことができず、沈黙してアルベリックを見返す。


 本来なら、自分が責められても文句は言えなかった。アルベリックのお忍びに同行していたのは生きた救急箱としての役割以上に、そういった呪いなどの事態に対処することを期待されてのことだ。

 いざという時に役に立たない、期待はずれだと責められたとしても仕方がなかった。


「……必ず、期待にはお応えしてみせますよ。だから、どうかご安心になってください」


 忸怩じくじたる内心を完璧に押し隠して、ヒュームは整った顔に笑みを浮かべる。アルベリックが返したのは、裏のない心からの笑顔だった。


「もちろん――できれば、この衣装にふさわしい振る舞いが身体に染みつく前に、もとの姿に戻りたいところだがな」


 内股うちまたが癖になったりしたら困る、とアルベリックは真顔で付け加える。


 こらえきれずにヒュームはき出し、近くで聞き耳を立てていたグラハムもえを食らってパンを喉に詰まらせかける。

 同じく流れ矢に当たったクロエが小さく肩を震わせているのを、アルベリックは冷えた目つきで見た。


 唯一の味方は、無表情を保ったまま周囲を警戒しているデュシェスだけである。

 そのデュシェスがきつく拳を握っていることには気づかず、アルベリックが憮然ぶぜんとした顔で口を開こうとした時、ヘレナが一足早く一同を見回して言った。


「そろそろ出発しないと、宿に泊まるという話も絵に描いたご馳走になってしまいます。アンジェ様も、早く食べないと残りは馬車の中で食べることになりますよ?」

「あ、ああ……!」


 慌ててアルベリックは三分の一ほど残っていたパンにかぶりつく。

 温くなった茶で半分流し込むようにしてアルベリックがパンを食べ終え、馬車に乗り込むとすぐに停まっていた馬車が動き始めた。


 午後も大きな事故や事件に遭遇することはなく、おおむね順調に旅程を消化していく。


 完璧に面倒事を回避できたわけではなく、馬車の車輪が地面の段差にはまってしまったり、移動中の弱い魔物に行き会ってしまったりはしたが想定の範囲内だ。

 夕方になる前に一行は宿場町へたどり着き、商人向けの宿を確保することができた。


 冒険者や一般の旅人を相手とする宿とは違い、部屋は基本的に個室できちんと鍵も掛かるようになっている。部屋の清潔さも段違いだ。

 その分宿賃もかさむが、十分な路銀を用意してきた一行に払えない額ではなかった。


 意外だったのは、クリスティアーナもあっさり同じ宿に泊まることを決め、自分の分の支払いは持つと言い放ったことだった。


「修行の旅に出る神官には、盗賊に狙われるのを避けるためあまり大きい額の金銭は支給されないはずですが……?」


 笑顔ながらも困惑を隠しきれないヒュームに、クリスティアーナは笑って答える。


「はい。ですが自分で稼いではいけないとも言われませんでしたので、魔物などを狩ってギルドに持ち込んで、素材を売って自分で稼ぎました! この国では女性の冒険者が普通に出入りしているので、変に目立つことがなくてとても気が楽でしたし」


 はずんだ声でクリスティアーナは告げる。その口調と言葉の内容にヒュームは笑顔のまま固まり、かわって話しかけたのは苦笑を頬に刻んだグラハムだった。


「じゃあ、けっこうふところに余裕はあるんっすね? なにを狩ったら、そんなに稼げるんです?」

「この国では熊が中心ですね。ええと……マーダーベア、と呼ばれていましたっけ。容量の大きい収納リングを持っていましたから、解体せずにそのまま運ぶことができましたけど、解体するのでしたらあんなに大量には狩れませんでした」


 私の二倍はありそうな熊でしたし、とクリスティアーナは手を上げて示してみせる。


 そのクリスティアーナがフードの下の顔をさらし、呪いが伝染する可能性があるので他の者とは別の個室で、と申し出ると宿の者は渋い顔をしたが、グラハムとヘレナの硬軟取り混ぜた説得によって無事宿泊の運びとなった。


 恐縮するクリスティアーナに、二人はそれぞれの言い方で気にせぬようにと告げる。

 直接の接触がない限り、呪いが伝染することはないというのが、クレナ村でクリスティアーナが得た知見だ。それが必ずしも正しいとは限らないが、外見だけで判断して邪険に追い払おうとする宿の者の態度はさすがに目に余った。


「宿泊したあと、何日かは部屋に他の人間は入れないようにと言って、その分の費用も負担すると言っているのにあの態度ですよ? 泊まるのをやめようかと思ったくらいです」


 怒りよりも呆れを強くにじませた声で、ヘレナは言ったものだった。

 それでも無事に部屋の確保を終え――宿の質からいって保安面があまり信用できないため、グラハムが見張りも兼ねて馬車に泊まることになったが――アルベリックたちはそれなりに清潔なベッドで一晩過ごす。


 夕食と朝食は、別料金で付けてもらうことも可能なため、一行はそれを利用する。


 翌日の出発は、朝食を摂ってすぐのことだった。特に娯楽もない宿場町に長居する必要はなく、旅程に余裕を持たせるためにも早めに行動を開始する癖がついている。


 途中何事もなければ、昼くらいには目的の街に到着できるという理由もあった。

 それくらいの時間なら、到着次第研究者のもとを訪ねることもできる。昼食は街にたどり着いてからるか、昨日のように小休憩ついでに保存食を食べてもいい。


 道中、小鬼の群れに襲われている商人の馬車に遭遇するという事件はあったが、クロエが遠距離からまとめて小鬼を氷漬けにし、停車することさえなく脇を通り過ぎていった。


「別に助けようとか思ったわけじゃなく、単に通行の邪魔になりそうな障害物を手っ取り早く片付けただけだし。礼とか取り分とか、そういう話になるほうが面倒だし」


 馬車の座席に座ったまま、クロエは面白くもなさそうに窓の外も見ずに言い放つ。

 その顔を見て茶化すような言葉を口にしたのは、クリスティアーナとアルベリックの間に挟まるような形で座るヒュームだった。


「魔物に襲われている馬車を救ったら、美人で気だてのいい娘さんが乗っていて色々とお礼をしてくれるというのが、男性共通の夢なのでは?」

「魔物や盗賊に襲われる危険を承知で旅をしている時点で、その娘さんの神経は鋼鉄製のロープでできてるよ。お礼だって助けてくれたことへの感謝の念じゃなくて、お節介で実力のある相手への顔つなぎと好感度稼ぎだろう?」


「……身も蓋もないことを言いますね。夢くらい見たっていいじゃありませんか」

「夢を見るのは勝手だけど、相手の思惑にがんじがらめになって身動き取れなくなってから、目が覚めても遅いんじゃない? 商人なんて、目に映るもの全部に値段を付けないと生きられない生き物なんだから」


 遠慮のかけらもない言葉をクロエは投げる。ヒュームはたはは、と眉尻を下げて情けなさそうに笑い、アルベリックは話の内容的に今の自分には参加資格なしと決め込んで、賢く沈黙を保ったのだった。


 その間も馬車は走り続け、やがて目的地であるフレイカの街が前方に見えてきた。


 人の身長の三倍はあろうという防壁に囲まれた街は、このエグランタイン国のみならずどこの国でも珍しくないものだ。


 開かれたままの門をくぐって街の中に入ると、一行は件の研究者のもとへと向かう。


 ヒュームの案内で向かった先は、街の中心部から外れた場所にある小さな一軒家だった。

 農耕区でもあるらしく、まだ作物の芽も出ていない起こしただけの畑が、家の周囲に黒々と広がっている。


「……ここで合っているのか?」


 思わずアルベリックがヒュームに問いかける。呪いという人に忌避きひされがちな研究を行っているのだから、ある意味納得のいく立地ではあったが、だとしても家の周辺も含めて人の気配はまるで感じられなかった。


 そのはずですが、と心もとなげに返すヒュームを乗せ、馬車は畦道あぜみちを進んでいく。


 目的の家の前で馬車が停まる。アルベリックが降りようとするのを制し、ヘレナが一足先に馬車から降りて家の戸口へと向かう。


 扉を軽くノックしようとした時――その扉が、前触れもなく音をたてて開かれた。


「――っ!?」


 ヘレナが目を見開いたのは、開かれた扉の向こうから抜き身の剣が現れたためだ。


 問答無用で振り下ろされたやいばを、馬車の側から一瞬のうちに駆け寄ったデュシェスの握った剣が受け止める。


 火花を散らして打ち合わされた剣が離れた時、すでにヘレナは扉の前にいなかった。

 侍女服の裾をひるがえして、ヘレナは扉の中へと飛び込んでいた。同時にグラハムが御者席から飛び降り、馬車を背にする形で戸口へと向き合う。


「クロエ様、フォローお願いするっす!」


 背中越しに投げられた声に、クロエは答えも返さずに防壁の魔術を使う。

 ぼんやりと光る魔力の壁が馬車の前に形作られるのと、家の中へ飛び込んだヘレナが大声を張り上げるのとは同時だった。


「賊です! 数は十三、家主か確認できませんが意識不明者一人、外傷なし!」

「攪乱が不可能なら撤退! 身の安全の確保を最優先にしろ!」


 ほとんど条件反射的に判断を下してアルベリックが叫ぶ。馬車の窓からなかば身を乗り出すようにして、いつでも攻撃魔術を放てるように準備する。


 その目の前では、デュシェスが粗末な身なりをした人相の悪い男と切り結んでいた。

 身なりの割に腕は確かで、専門の訓練を受けているか相当の期間剣をふるい続けているかのどちらかだった。デュシェスを相手にして一撃で倒れず、いまだに粘り続けているというのがなによりの証拠だ。


「……金銭か誘拐目的かは知らないが、白昼堂々の犯行とはいい度胸をしているな」


 油断なく家の周辺に目をくばりながら、アルベリックがぼそりと言葉を放つ。

 その後ろでは、クリスティアーナが収納リングから取り出した戦槌メイスを手に、いつでも飛び出していけるよう準備を整えていた。

 ヒュームも戦闘の邪魔にならぬように、座席を盾にする形で身を低くしている。


 アルベリックの見ている前で、デュシェスが対峙している相手の剣を弾き飛ばして鳩尾に蹴りを入れる。がっ、ともぐっ、ともつかない呻きをあげて、男が倒れ伏した次の瞬間、開かれたままの扉の中からヘレナが飛び出してきた。


 それを追うように、武装した複数の男たちが戸口から駆け出してくる。

 ヘレナに向かって手にした武器を振り下ろそうとする男たちを、視界に入れるのと同時にアルベリックは待機状態にしていた魔術を発動させた。


「――〈光の矢〉!」


 空中に浮かんだ魔法陣から、幾本もの光の矢が現れて男たちへと降り注いだ。

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