第9話 新たな同行者と賑やかな晩餐


「あの……本当に、よろしいんでしょうか?」


 見るからに高級そうな馬車を前に、クリスティアーナが戸惑いがちな声を出す。

 その背中に声をかけたのは、どうせ向かう先が同じならばと、彼女に同乗を勧めたアルベリックだった。


「大丈夫だ。呪いのことを気にしているのなら、この馬車は定員よりはるかに少ない人数で乗っているから、十分離れて座ることができる。クレナ村の住人も、呪いの症状の出た村人と直接の接触がない者まで、残らず発症したわけじゃないんだろう?」

「それは、そうですが……」


 助けを求めるようにクリスティアーナはヘレナに目をやる。ヘレナは言いたいことが山ほどありそうな表情だったが、それ以上に強く漂っているのは諦めの気配だった。


「……アンジェリカ様は言い出したら聞きませんから。馬車の一番後ろに、予備の座席を用意いたします。そこなら、他の同乗者からは十分な距離を取ることができますので」

「でも、同じ馬車に乗るのは私もお勧めできません。直接の接触があった者にしかこの症状が出ていないのは事実ですが、どんな条件で呪いが伝染するのかはいまだに不明なんです」

「私としても、アンジェリカ様の身の安全を最優先にしたいのは山々ですが――このあたりが妥協点です。あとはクロエ様の結界魔術で、空気の流れも遮断すれば……」


 困り果てた顔で妥協案を口にするヘレナに、アルベリックは少し眉尻を下げてすまない、と声を投げる。


「だが、明らかに体調の良くない相手を――それも同じ場所に向かっているというのに、一人置き去りにしていくのはどうしても私が我慢できないんだ。呪いが伝染するというのなら、伝染しないように最大限の注意を払おう。もしもそれで伝染したとしても――」


 すでに呪いにはかかっているのだし、と続けかけたアルベリックの言葉を、グラハムがいきなり張りあげた奇声がさえぎる。


「ああああああっ! やばい忘れてた、生ものを部屋に出しっ放しにしてきてた!!」


 まるで脈絡のない叫びに、その場の視線がいっせいに集まる。グラハムは集中した視線に焦ったような顔で、頭を掻いて笑ってみせた。


「……あ、失礼いたしました。あまり日持ちのしない食べ物を、部屋に出したままにしてきたのを思い出して、つい……」


 誰か気づいて片付けてくれるかなぁ、とグラハムは妙に深刻な声音で独りごちる。

 それで気が抜けたのか、ヘレナとクリスティアーナは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく表情を緩ませる。


「では……お手数をおかけしますが、少しの間ご厄介になります。ただ、くれぐれも側には寄らないようにお気をつけください。接触が最も危険であることは間違いありませんから」

「ええ、もちろんです。ですが……その範囲で、できる限りのお世話はさせていただきます。アンジェリカ様のわがままにお付き合いさせる形になってしまってますし」


 女性二人がぺこぺこと頭を下げ合うのを、この場で残る一人の女性であるはずのアルベリックが居心地悪そうに眺める。

 その肩を、クリスティアーナには見えない位置から、クロエがさりげなく突いた。


「あのさ、なにを言いかけたかは知らないけど……あんまり世話焼かすなよ。グラハムにもあとで礼を言っておけよ?」

「ああ、うん……?」


 今一つ要領を得ていない顔でアルベリックは返す。その前でヘレナは馬車に乗り込み、折り畳み式になっている予備の座席の準備を済ませると、馬車から顔を出してアルベリックとクロエに声をかけた。


「用意ができました。まずお二人から馬車にお乗りください――クリスティアーナさんは他の人が乗ってからでお願いします」

「はい」


 素直に答えてから、クリスティアーナは控えめに申し出る。


「あと、私のことはどうぞティアーナと。長くて呼びにくい名前ですので……」

「お気遣いありがとうございます。私はヘレナと申します。あと、そちらがクロエ様と――」


 笑顔で答えるヘレナの瞳に、ほんの少し悪戯っぽい表情が浮かぶ。


「私どもの主人であるアンジェリカ様です。ですが、今回の旅はお忍びですので、どうかアンジェ様とお呼びになってください」

「おい……!」


 やけに可愛らしい愛称をつけられて、アルベリックは慌てた声をあげる。

 横でクロエが小さく噴き出すのをじろりと睨み、訂正しようとしたところでクリスティアーナが小首をかしげて言った。


「アンジェ様、ですか……よくお似合いの名前ですね」


 まるで疑うところのない声音に、うっと言葉に詰まる。あらためて訂正するにはすでに時遅く、苦虫を噛み潰し損ねて呑み込んだような複雑な顔つきで、アルベリックはクリスティアーナに向き直った。


「では、ティアーナと呼ばせてもらおう。あと私に敬称は必要ないぞ――ヘレナも言ったように、今回はお忍びの旅だからな」

「それでは、アンジェさんと呼ばせていただきますね。魔物から助けていただいたことも含めて、数々の親切に心から感謝いたします」


 綺麗な仕草でお辞儀をするクリスティアーナにうなずきを返すと、アルベリックはヘレナにうながされて馬車へ乗り込む。


 クロエとヒュームがそのあとに続き、ヘレナが馬車に乗り込んだあとでクリスティアーナが階段へと足をかける。荷物らしいものを一つも持っていないことから想像はついていたが、彼女も収納リングを所持しているらしくその手に戦槌メイスはなかった。


「護衛の者はあとで紹介させていただきますね。血の臭いに引き寄せられて、他の魔物が集まってきても困りますし……」


 クロエが魔術で地面に穴を開けて、ヘルハウンドの遺骸をまとめて処理していたが流れた血まで消し去ることはできない。

 少し困ったような笑顔でヘレナが申し出るのに、クリスティアーナは了承の意を示す。


 まもなく馬車は何事もなかったようにその場を出発し、すでに馬上で待機していたデュシェスを伴って街道を走り去る。


 あとに残されたのは、戦いの痕跡を物語る血の痕とわずかな地面の隆起だけだった。




 その後は魔物の襲撃などもなく、快調に走り続けた馬車は夕刻に差し掛かる頃には予定していた野営地へ到着した。


 前日と同じように、アルベリック以外の各人が手分けして野営の準備を行う。


 手を出したそうな素振りを見せるアルベリックだったが、クリスティアーナの相手を――充分な距離を取って――するという仕事をヘレナに与えられ、どこか腑に落ちない顔つきながら大人しく野外用の椅子に座って向き合っている。


 クリスティアーナはすっぽりと深くかぶっていたフードを外し、緩く編まれた腰まで届く髪をあらわにしていた。


「……そうか、ティアーナはクローヴィアス教国の出身か。こちらとは大分習慣が違うし、戸惑うことも多かったんじゃないか?」

「ええ、確かに……ですが、私は神殿での暮らしが長かったので、そういう意味ではどこの習慣も物珍しく感じられたと思います。ただ、こちらの国では女性の方が、当たり前に手や足を露出する衣服を着ているのには驚きました。男の方と同じような服装をしているのにも……」


「ああ……クローヴィアスはそのあたりが厳格だからな。あと、手足を出した衣服が流行しているのは、うちの国でもここ数年の話だ。どういうわけか、あれが妙にウケて流行ってしまったんだよな……」


 アルベリックは遠い目をする。特に深い考えもなく提案した膝丈のスカートが、主に若い女性を中心に流行していると聞いた時も、似たような表情になったものだった。


「神官で一人旅ということは、ティアーナは修行の旅か? ルミアス神の神殿でもそうだが、エンデュミア神の神殿でも見聞を広めて信仰を磨くために、年若い神官を何年間か修行の旅に出すと聞く――充分に自衛できる腕を持つ者だけだとはいうが」

「はい。私は昨年から、修行のために各地を回らせていただいております。幸い、身体強化の術を得意としておりますので……得意すぎて、無意識に使ってしまうことも多いのが悩みの種でもあります」


 クリスティアーナの声に苦笑ともつかないものが混ざる。アルベリックが首をかしげて目を向けると、彼女は少し困ったようにローブの上から腕を押さえてみせた。


「たまに、力加減を忘れて扉を壊してしまったり、食器やペンを握り潰してしまったりすることがあるんです。本当に、修行が足りなくてお恥ずかしい……」

「……それは、大変だな」


 主に周囲の者が、という言葉をアルベリックはかろうじて呑み込む。


 外見からは判別がつかないが、声の印象からしてまだ十代と思われるクリスティアーナが、大の男も顔負けの怪力を発揮するのだから落差は相当なものだろう。ましてや、おっとりしたこの言動だ。


 不埒な考えを抱いて近づいた者が、戦槌で吹っ飛ばされる姿がありありと目に浮かぶ。

 昼間のヘルハウンドのように、とどめで頭を叩き潰されないだけいいのだろうか――そうアルベリックが思った時、夕食の準備ができたとしらせる声があった。


「申し訳ありませんが、ティアーナさんはこちらで……」


 アルベリックを呼びにきたヘレナが、クリスティアーナを離れた席へと案内する。

 むしろほっとした様子で、クリスティアーナはアルベリックに一礼すると馬車の側に用意された小卓へ向かった。


 その姿を見送ってから、アルベリックは座っていた椅子を持って場所を移動する。


 レンガで作られた簡単なかまどそばには、大人数で使える組み立て式のテーブルが設置されている。野外なのでクロスは省略されていたが、テーブルの上に載せられた料理の質と量は正式な晩餐ばんさんにも劣らないものだった。


 昼食が味気ない携帯食だっただけに、あたりに漂う匂いだけで食欲が刺激される。


「これは美味しそうだな……ますます腹が減ってきた。冷めないうちに早く食べよう!」


 目を輝かせるアルベリックに、グラハムが苦情とも懇願こんがんともつかない声を投げた。


「だから、そこで自分で椅子持って来ちゃわないでくださいよ! 側にいる人間の立場ってものがないでしょう。呼びに行くまで大人しく座っててくださいって!」

「いいじゃないか。他に人目があるわけでもなし……それに、呼びに来るのをのんびり待っていたら、せっかくの食事が冷めてしまうだろう?」

「それは、確かに……いやいや、偉い人の食事はたいてい毒見役を通すせいで、熱々の状態なんて望めないでしょう! こんな時ばっかり庶民ぶらないでくださいよ!」


「だからこそ、普段は食べられないできたて熱々の食事を食べたいんじゃないか! 脂の滴り落ちる焼きたての肉とか、手でちぎって盛り付けただけの簡単なサラダとか、焼き目の付いたチーズを載せたパンとか、ここじゃなければ食べられないんだぞ!」

「……あ、ダメだ、説得力がありすぎて俺にはなにも言えないっす。うん、別に誰が見ているわけでもないし……ヘレナさんのお説教は仲良く二人で受けましょう!」


 開き直ったように笑うグラハムに、すでにテーブルについて大皿に盛られた料理を取り分けようとしていたクロエが呆れ顔を見せる。


「盛り上がるのは勝手だけど、その間にも料理は冷めていくんじゃないのか? まぁ、僕は勝手に食べてるからかまわないけど」

「急いで食べましょう、王――じゃなかった、アンジェリカ様! 特に今日の鳥肉のスパイス焼きは、俺自身びっくりするくらい会心の出来なんで!」

「それは実に楽しみだな。デュシェス――はともかく、ヒュームはもう食べ始めているのか。そういえば、昨晩スパイス焼きを食べたいと言い出したのはヒュームだったな……」


 アルベリックの視線の先で、青銀の髪を持つ神官が取り皿に山と盛られた鳥肉のスパイス焼きを前に、上機嫌な顔でエールの入ったカップをかたむけている。

 一方、黒髪の護衛騎士はしつけの行き届いた大型犬よろしく、空の皿を前に身動き一つしないまま、食事が取り分けられるのを待っていた。


「ああ、デュシェス様、ちょっと待ってください! お――アンジェリカ様の分を取り分けたら、すぐに用意しますんで!」


 慌ててグラハムはテーブルに向かう。ほとんど同時に、本日のメイン料理である鳥肉のスパイス焼きを確保したクロエが言い放った。


「いちいち名前を呼ぶ度につっかえるなよ。あと、お忍びって設定的には、アンジェ様と呼ぶのが正しいんじゃないのか?」


 思いがけない方面からの奇襲に、アルベリックは思わずごふっと咳を洩らす。

 反射的にあげそうになった声は、クリスティアーナのいる方向を指差してその指を口元に持っていくクロエの仕草でさえぎられた。


 恨みがましく睨み付けるアルベリックに、クロエは気分のよさそうな顔で笑みを返す。


 その間にグラハムはいくつかの皿に彩りよく料理を盛り付け、ハーブ水の入ったカップとともにアルベリックの前に置く。


 スパイス焼きの他には削ったチーズを山ほどかけた生野菜のサラダに、塩漬け肉と根菜の具沢山スープ、焼き目が付く程度にあぶってバターを載せた胡桃くるみ入りのパン、さらには干し果実と蜂蜜を練り込んだ折りたたみパイがデザートに付く。


 手際よくデュシェスにも量を倍ほどに増やして料理を取り分け、自分の分もちゃっかり確保してからグラハムは席に着いた。


「ヘレナさんはティアーナさんの給仕をしてから来るそうなんで、先にこっちも食事を始めちゃいましょう! じゃあ――アンジェ様、音頭をお願いします」


 口元を微妙に緩めて、グラハムは新しい呼称を使用する。面白がっているのが丸わかりの顔に、アルベリックはこめかみを引きつらせて口を開いた。


「すでに食事を始めている者もいるから必要ないとは思うが……一応、グラハムの料理の腕とその源になった食い意地と、私たちの血肉となるすべての食材に感謝して」


 軽く両手を合わせて祈りの文句を唱えると、それぞれの仕草で祈りを捧げた各人が――さすがにこの時ばかりは、ヒュームもカップを傾ける手を止めて唱和した――食事を開始する。


「デュシェス、量はそれで足りるか? 足りなかったら取るから言ってくれ」

「だーかーら、ひょいひょい側付きの仕事を取るのはやめてくださいってば! フットワーク軽過ぎるのにもほどがありますよ。気の回る系女子か! いや女子だけど!」


 きちんと噛んでいるのかと心配になるほどの速度で、黙々と食事を平らげていくデュシェスへとアルベリックが声をかける。途端に、焦った顔でグラハムが割って入り、その後半の台詞にアルベリックが露骨に嫌そうな表情を見せた。


「それを言う必要はあるのか? あと、料理を取り分けるくらいは私にもできるぞ?」

「できるできないの話をしてるんじゃなくて……いや、いくらアンジェ様でも、取り分けただけで料理が劇物に変化するとは思ってませんけどね!」


「劇物……というのは言い過ぎだろう。確かに、料理はかなりの確率で失敗するが」

「不思議ですよね、あれ。普通の手順で普通のレシピで普通に調理してるだけなのに、なぜか気がついたら謎の物体が完成してるっていう……手を切ったりする失敗がないのはありがたいことなんですけど」


 心からそう思っている表情でグラハムが首をひねり、アルベリックが唇をとがらせてなにか言おうとした時、ヘレナがゆっくりと歩いてきて一礼した。


「こちらの準備を任せっきりにしてしまってすみません。ティアーナさんに給仕の必要はないから私も食事にするように言われてしまったので、少々早いですが戻って参りました」

「そうか……こちらこそ、彼女の世話をすっかり任せてしまってすまないな」


 食事の手を止めてアルベリックが返した言葉に、ヘレナの桜色の唇が弧を描く。


「いいえ。手のかからないお客様で助かりますよ。少しばかり気を遣われすぎるきらいはありますが、できるだけ大人しく世話をされるように配慮してくださってますし」


 おそらく、使用人のいる生活を体験したことがあるのでしょうね、とヘレナは続ける。


「それも生まれながらのものではなく、普通の平民として暮らしていた方がある程度大きくなってから、環境が変わったというように見受けられました。神殿で使用人を付けられるのは、ある程度地位のある神官か、でなければ高い魔力を持つ将来の幹部候補……」

「……女性の場合、クローヴィアス教国では大半が客寄せの看板にされるそうですが」


 本心の読めない表情で、エールのカップを傾けながらヒュームがさらりと告げる。

 アルベリックがヘレナに目をやると肯定のうなずきが返る。瞳にちらりと不快そうな表情をのぞかせて、アルベリックはカップに入ったハーブ水を一口飲んだ。


「まぁ、エンデュミア神の神殿は女性が多いので、多少事情が違うのかもしれませんけどね。どちらにせよ、護衛も付き人も付けずに一人で行動している時点で、かなり特殊な事情をお持ちであることは想像にかたくありません」


 ヘレナは言って、アルベリックに真正面から視線を合わせる。

 口に出さずとも言いたいことは伝わり、納得のいかない顔つきでアルベリックは確認するように声を投げた。


「……あまり、気を許しすぎるなということか?」

「不要な心配かとは存じます。アンジェ様が、自らの立場をお忘れになるような行動を取ることはないと、信じておりますが……」


 奥歯にものが挟まったようなヘレナの物言いに、アルベリックは眉を寄せる。

 わかっている、と返した声は先程と同じ不快感をぎりぎりで隠しているような、棘のある響きをともなったものだった。


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