第8話 旅の女神官


 夕食を終えたあと、後片づけをするグラハムを残してアルベリックは馬車に戻り、ヘレナの手を借りて簡単な湯浴ゆあみを済ませてから寝台に横になった。


 男性陣は馬車の外で、寝台代わりのマットと毛布をもちいての雑魚寝である。


 朝になると、前日の晩にすでに用意されていた、たっぷり具の入った穀物粥こくもつがゆと果物という食事を済ませてアルベリックたちは出発する。


 外装よりも足回りを中心に資金を投じた馬車は、揺れが少なく快適な乗り心地だ。

 速度も一般的な馬車の倍近く出せるため、予定していた旅程りょていを順調に消化して、昼近くには休憩地点の候補となっていた高原に差し掛かった。


 そこで、真っ先に異変を察知したのは、馬車の座席に座っていたクロエだった。


「――魔物に人が襲われている」


 窓の外を見やることもせず、宙の一点を見据えて呟く。

 その言葉に真っ先に反応したのはアルベリックで、魔物素材を利用した強化ガラスの入った窓を開けるとデュシェスに向かって叫ぶ。


「前方に魔物の反応! 人が襲われている、救援を願う!」


 一言も発さずに、デュシェスはグラハムと目を合わせる。うなずきが返されるのを確認する間もなく、彼はアルベリックへと視線を戻した。


「状況は?」

「人の反応は一、魔物は六、大きさと動きからして大型の獣型魔物――火の魔力が強く感じられるから、ヘルハウンドの可能性が高い」


 アルベリックが視線を向けるより早く、宙を睨んだままクロエが声をあげる。

 それを一言一句違わず窓の外に向けて復唱し、アルベリックは最後にデュシェスに向かって強い口調で命じた。


「救援を最優先にしろ! 単独行動ができる冒険者であっても、ヘルハウンド相手に一人では荷が重い! こちらにはクロエがいるから、ドラゴンでも出てこない限り結界魔術で確実に一度は攻撃をしのげる!」

「……承知した」


 デュシェスはその一言だけを残し、馬の速度を上げて瞬く間に走り去っていく。


 その時にはアルベリックの目にも、馬車の前方に複数の魔物とおぼしき影が見え始めていた。まだ人影は小さすぎてよく見えないが、素早く動き回る影の合間にちらちらと薄灰色のローブ姿のようなものが見て取れる。


 グラハムがむちをふるって馬車の速度を上げ、駆けつけたデュシェスが馬上から魔物の一体を切り捨てるのと同時に、アルベリックは精神を集中して構成した魔術を放った。


「〈氷の矢〉!」


 空中に浮かんだ魔法陣から、透きとおった幾本いくほんもの矢が飛び出して魔物に向かう。


「――王子ぃ!?」


 慌てた声を出したのは御者台のグラハムだ。魔物の注意を襲われている人物から引きがすためとはいえ、どんな魔物かもはっきりしない状態で、自身に敵意を向けさせる行為は無謀としか言いようがなかった。


「そういう奴だってわかってるけど! せめて一声くらいかけてからにしろ!!」


 反対側の窓から顔を出したクロエが悲鳴のような声をあげ、防御のための魔術を待機状態にしたまま、素早く構築した攻撃魔術を放つ。


 彼が使ったのは土属性の、硬質化した鋭い石の槍が地面から飛び出してくる術だ。

 十分な魔力と練度があるため、呪文はおろか魔術名を口にする必要さえない。無詠唱で放たれた魔術は、十を超える石の槍となって獣型の魔物の腹を貫いた。


 救助者への誤爆を避けるため狙ったのは一体だが、それでも人影にはかすりもさせないあたりはさすがの制御力だ。


 と同時に、襲われていたローブの人影が、手にした戦槌メイスらしき武器で魔物を殴る。


 下からのスイングで適確に魔物のあごとらえ、その身体を盛大に宙に舞わせる。一回転した魔物は地面に横たわったまま動かず、人影は振りかぶった戦槌をその頭に叩きつける。


 完全に止めを刺したことを確認し、ローブの人影は次の魔物へと向かっていった。


 身長の半分ほどもありそうな戦槌を軽々と扱っているあたり、身体強化の魔術をもちいているようだが、だとしても救援の必要などなかったのではと思わせる腕だった。


 その間に、馬を下りたデュシェスが二体の魔物を立て続けに切り捨てる。馬よりも一回り大きい狼に似た魔物は、クロエの言葉通りヘルハウンドのようだったが、並の冒険者なら命の危険のある相手も彼にとっては紙でできた張りぼてと変わりなかった。


 瞬く間に魔物は数を減らし、残り一体となったところで馬車が現場に到着する。


 最後の一体は、ローブの人影が危なげなく戦槌で殴り倒そうとしているところだった。横入りを避けてか、デュシェスは手を出そうとはせずに周囲に視線を配り、血の臭いに誘われてやって来る他の魔物への警戒を行う。


 馬車が停まるのと同時に飛び降りたアルベリックが、もう大丈夫かと内心で安堵の息をついた、その時だった。


 ローブの人影がふらりと体勢を崩したところに、ヘルハウンドが襲いかかった。


「――危ない!」


 反射的にアルベリックは地を蹴り、人影と魔物の間へと飛び込む。うわあという顔でグラハムが制止しようとするが、その手はむなしく宙を掻いただけだった。


 魔物の前で半回転するのと同時に剣を抜き、アルベリックはその牙を受け止める。


 ひらりと黄金の髪と乗馬服の裾が宙にひるがえる。その細腕からは想像もつかない力で、魔物の攻撃を真正面から受け止め、アルベリックは用意していた魔術を放つ。


「〈風の刃〉!」


 空中に浮かんだ魔法陣から放たれた、不可視のやいばがヘルハウンドの顔を傷つける。


 すっぱりと片目を切り裂かれ、ひるんだ魔物の口から外れた刃を振り上げて、アルベリックはその喉を切り裂く。適確に気管と血管を断ち切った刃にって、激しく噴き出した血を避けてローブの人影の腕をつかんで素早く飛び退いた。


 重々しい音をたてて、地面に倒れ伏した魔物の前でアルベリックは剣の血を払った。


「……大丈夫か?」


 ローブ越しに腕を掴んだまま、アルベリックは深くフードを被った人物に声をかける。


 大丈夫、とかすれた声で言いかけてから、ローブの人物は慌てたようにアルベリックの手を振り払った。


「……っ!?」


 思いがけない行動にアルベリックは目を丸くする。同時にローブの人物は、耐えられなくなったようにその場にひざをついた。


 気色けしきばむ同行者を手で押しとどめ、アルベリックはローブの人物のそばにかがみ込む。

 その身体には触れないように気をつけて、そっとローブの下の顔をのぞき込もうとした時、弱々しい声が人物の口かられた。


「申し訳ありません……ですが、私に触れないでください。私にかかっている呪いが、あなたにもかかるかもしれません」


 意外なことに、その声は細く透きとおった若い女性のものだった。

 ローブの人物の思いがけない正体と、その言葉の内容に、アルベリックはとっさに反応できずに動きを停止する。


「……呪い? どういうことだ……?」


 アルベリックの言葉に、ローブの女性はうつむいていた顔を上げる。

 深くかぶったフードの下の顔があらわになるのと同時に、アルベリックは再開した動きを再び凍り付いたように止めた。


 そこにあったのは、まるで焼けただれたように赤黒く変化した顔だったのだ。


 女性であることも声以外からは判別できず、厚ぼったくれたまぶたの下の瞳の色も見て取ることはできない。フードの下からこぼれる白金はくきんの髪の美しさが、かえって異相との落差を際立たせているのが痛々しかった。


 戦槌を握り締めたまま、地面についている女性の手が肌をまったく見せないように、包帯で巻かれているのにアルベリックは気づく。


「助けてくださって、ありがとうございます……ですが、どうか私に触れず、この場をお立ち去りください。私のこの呪いは、人から人へ伝染する可能性があるのです……」


 苦痛をこらえるように声を震わせながら、それでも女性は気力を振り絞って告げる。

 思わず、アルベリックは馬車を降りて近づいてくるヒュームに顔を向け、声を張り上げて命じていた。


「ヒューム、解呪かいじゅの魔術を頼む! この人も呪いにかかっているというんだ! 伝染性の呪いだというが――そんなものが本当に存在するのか!?」

「王――アンジェリカ様!」


 ヒュームよりも一足早く馬車を降りたヘレナが、慌てたようにアルベリックをローブの女性から引き離す。


「離れてください! 真偽のほどはともかく、可能性が少しでもあるなら呪いの感染源に近寄ってはなりません!」

「そうです……どうか、離れてください。あなたのような親切な人に、呪いを伝染させてしまったら……どんなに後悔してもし足りません」


 ヘレナの言葉に女性も同調する。その反応に、ヘレナは思わず肩すかしを食ったような表情となり、アルベリックと顔を見合わせる。


 とりあえず、女性の望みでもあるため、アルベリックは立ち上がって距離を取る。

 入れ替わるように、ヒュームが女性へと歩み寄ると、触れないように気をつけながらもその側に膝をついて柔らかい声で話しかけた。


「呪いということですが、その原因に心当たりはおありですか? あと、呪いが他の人に伝染していると思ったのはなぜ? なにか、そう判断するだけの根拠こんきょがあったのですか?」


 言いながら、ヒュームは指先で聖印をかたどった動きをして、神聖魔術の一つである解呪の術を構成する。


 呪文ではなく祈りを発動の鍵とするこの魔術は、本来であれば神殿という正式な儀式の場で行う必要があるものだ。ただし、ヒュームにかかると使用も発動も、おまじないレベルの気軽さで行われるのがつねだった。


「――〈解呪〉」


 その言葉とともに、女性の足元に浮かんだ魔法陣が白い光で全身を包み込む。

 だが、光が消えても、フードの下からのぞく女性の顔に変化はなかった。軽く眉を寄せて、もう一度術を使おうとするヒュームを、女性はやんわりとした言葉で止めた。


「解呪の術は効きません――私も何度も試してみましたが。これでも一応、大地母神エンデュミア様に仕える神官ですから」


 ローブの下から、正式な神官にのみ与えられる聖印を女性は出してみせる。細い鎖で首からかけられたそれは、麦と月をかたどったエンデュミア神の紋章に他ならなかった。


 清雅な顔に浮かべていた笑みを消し、ヒュームは真面目な表情で神官服の胸元に下げていた銀の聖印を手に取る。太陽と日時計をかたどった紋章は天空神ルミアスのものだ。


「――失礼いたしました。私は天空神ルミアス様にお仕えしています、ヒューム・カドフィールと申します」

「ご丁寧にありがとうございます。私はクリスティアーナ……家名はございません。今の私の家は神殿ですので」


 互いに神をたたえる聖印を切り合って、神官二人が挨拶を交わす。

 そんな二人をアルベリックは胡乱うろんげな目で見やり、ヒュームが代弁するように問いの声をクリスティアーナへと投げた。


「解呪が効かないのは、今この目で確認しましたが……この呪いはいったいどこで? それに伝染するというのはどういうことなんでしょうか?」


 言葉の内容は先程のものと変わりなかったが、クリスティアーナは覚悟を決めたように唇を一度引き結んでから口を開いた。


「私がこの呪いを受けたのは、ここから東に四日ほど行ったところにあるクレナ村というところでです。その村の近くで、古い時代の遺跡が見つかったらしく……発掘していた研究者の手によって持ち込まれた出土品の一つが、呪いのかかった品物だったんです」


「古い時代の遺跡……」


 我知らず、アルベリックはその言葉を口にする。無意識に自分の身体へと視線を落としたのは、ダンジョンで発見した呪いの品を思い出したためだった。


 アルベリックの反応には気づかず、クリスティアーナは言葉の続きを口にする。


「遺跡の発掘を手伝っていた村人数名が、まず最初に呪いにかかって倒れました。私が村を訪れたのはその後です――最初は呪いとは思わず、伝染性の病気かと思ったものですから、平癒へいゆの術をかけて様子を見ていたのですが……いっこうに良くなる気配はなく、そればかりか同じ症状で倒れる村人が次々と出て」


「あなたにも、同じ症状が出た……と。それで、呪いだと断定した理由は?」

「遺跡から運ばれた出土品の一つが、呪いの品だと専門家に断定されているのを村長が聞いていたんです。最初に倒れた村人は、その出土品の発掘の現場に居合わせていました。おそらくその時に呪いにかかったのではないかと……」


 妙にあやふやなクリスティアーナの言に、アルベリックは眉を寄せる。同じ疑問を感じたのか、ヒュームが首をかしげてクリスティアーナへ問いかけた。


「その呪いの品を、あなたが確認したわけではないんですね? 平癒の術が効かないことと、状況から呪いではないかと判断しただけで……」


「そうです。ただ、呼ばれた専門家は呪いの研究を専門に行っている方とのことで……古代の遺跡から呪いの品が出土することも珍しくないため、研究者の方が伝手をたどって呼び寄せていたとのことでした。その方が、研究のために問題の呪いの品も持っていってしまっていたため、私もその品を直接見ていないんです」


 そう言って、クリスティアーナは包帯に包まれた自分の手へと視線を落とす。


「問題の品が村にあれば、また状況は違っていたかもしれません。同じ解呪をするにしても、原因となった物品があれば術式を解析して、それに合わせた解呪の術を使うことができるでしょうから……だから、持ち去られた呪いの品を解析するために、私はその方のところに向かっているところなのです」


 思わず、アルベリックは離れたところに立つクロエに目をやる。彼女が口にしたのは、クロエがアルベリックの呪いを解くために試みたのと同じ方法だった。


 クロエは難しい表情でクリスティアーナを見つめている。その金の瞳に浮かぶのは、自分にできなかった呪いの解析が彼女には可能なのかという疑問と、もし可能であるならアルベリックにかけられた、呪いの解析の手がかりになるかもしれないという希望だった。


 ヒュームに視線を戻すと、彼の目にも同じような計算じみた表情がのぞいていた。


「……原因となった呪いの品を解析すれば、解呪は可能なのですか?」


 ヒュームが穏やかな口調を崩さずに尋ねると、クリスティアーナはフードに包まれた頭をゆっくりと横に振ってみせた。


「断言はできません。古代の術式には、解析そのものが難しいものも多いですから。でも他に手がかりはありませんし、呪いを解かなければクレナ村の人たちはずっと苦しんだままです。それに、もしその方が呪いの存在に気づいていなかったら、万が一のことがないよう警告しなければという思いもありました」


 専門家ならば必要ないかもしれませんが、とクリスティアーナは少し声を緩める。

 鈴を振るようなその声とは裏腹に、みにくく爛れた顔をヒュームはじっと見下ろし、わずかに真剣なものをのぞかせた表情で言った。


「その症状……見た目だけでなく、かなり痛みもあるのでは? クレナ村の人たちは今も苦しんでいるのですよね?」

「そうです。でも――私はもともと頑丈ですし、治癒の術で一時的にではありますが痛みをおさえることもできます。村の人たちの苦しみを思えば……一刻も早く呪いの品の解析をして、解呪を行わなければなりません」


 それに、とクリスティアーナはいささか恥ずかしそうに、その手にしたままの戦槌を持ち上げてみせる。


「その専門家の方のお住まいになっている街まで、無事にたどり着けそうなのが私しかいなかったということもあります……この通り、腕には多少覚えがありまして。他の人のように、護衛を雇ったりしなくても一人で旅ができますから」

「はぁ……」


 人の頭ほどもありそうな金属塊を先端にめ込んだ、見るからに凶悪な武器を軽々と持ち上げるクリスティアーナに、ヒュームは微妙な表情を見せる。


 話が一段落したところで、クリスティアーナは必要な礼は済ませたと判断したかのように、軽く地面に手をついて立ち上がる。

 ややふらつきながらも、しっかりと両足に力を込めて立ち上がり、最後にもう一度礼を言おうとアルベリックに向き直ったところで、


「――ところでたずねるが、その呪いの専門家という人物の名前はわかるのか?」


 先んじて問いかけられ、クリスティアーナは一瞬動きを止めてからうなずいた。


「え、ええ……私はその方とは面識もありませんし、名前を知らなければお住まいを訪ねることもできませんので……」

「さしつかえなければ、その人物の名前を聞かせてもらえないだろうか?」


 妙に真剣な顔つきで尋ねるアルベリックに、ほんの少しためらう様子を見せてからクリスティアーナは答える。


 同時に、その名前に心当たりのあった一行の表情が引き締まったものとなった。


「セプタード・アイル氏とおっしゃるそうです――あの、どうかされましたか? 皆さん急に黙り込んでしまわれて」

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