第7話 平穏な旅路


 国王が部屋を退去した後、アルベリックは人目を避けるように城の外へと出て、用意されていた二頭立ての馬車に乗り込んだ。


 余計な装飾はいっさいはいした、上質ではあっても目立たないこしらえの馬車である。


 御者席にはグラハムが座り、別の馬に乗ったデュシェスが護衛として同行する。見上げるような黒馬は否応なしに人目を引くが、侍女を連れた一目で貴族とわかる容姿の女性が、馬に乗って移動するよりは目立たずに済むはずだった。


 神官服のヒュームと、魔導師のローブを身につけたクロエも、目立つことには変わりがないためヘレナとともに馬車に同乗する。馬車の定員にはまだ余裕があるが、下手に人員を増やしても足手まといになるだけなので、同行するのは彼らのみだ。


 そもそも国内の治安は基本的に安定しており、魔物や盗賊がたまに出没するくらいなので、この面子で対応できないほどの危難に直面する可能性は低い。


 呪いの専門家がいるという街までの移動にかかる日数は、クロエの転移魔術を用いる予定もあっておよそ三日。定期的に騎士団が魔物の駆除を行っていることもあって、よほど運が悪くない限り強力な魔物や盗賊団などに遭遇するということはまずあり得なかった。


 ただし、世の中には常に例外というものがあるため、予想外の危難に見舞われることがないとは断言できなかったが――


「……とはいえ、そうそう起きないからこそ予想外と言うのだろうしな」


 夕刻、野営のために停まった馬車を降りて、固まった膝や腰を伸ばしながらアルベリックが独り言めかして言う。


 都の外に出てすぐ、クロエが転移魔術を使ったため王都エギルバートはすでに遠い。


 周囲の風景は王都の近隣のものではなく、峻険しゅんけんな山々の目立つ北方のものだ。大地に伸びている街道は十分に整備されているが、そこを通る人や馬車の姿はほぼ皆無かいむだった。


 野営のために用意された、水場があるだけの簡易な宿泊場所にも人気はまったくない。


 すでに馬車の外では、主にヘレナが中心となって野営の準備が進められている。


 貧しい下級貴族のグラハムや神殿生活の長いヒュームを除き、他の者は使用人に囲まれる生活が当たり前だ。しかしアルベリックのお忍びに付き合うことが多いため、野営の準備も慣れたものだった。


「王子~、今晩のメニューは鳥と豚、どっちをメインに食べたいっすか?」


 手際よく火を起こしたグラハムが、馬車に据え付けられている冷蔵機能付きの保温箱を前に声をかける。

 ちなみに、一行の中で一番の料理上手は、貧乏生活で家事能力が磨かれた上に食い意地の張っているこのグラハムである。


「今日は豚の気分だろうか。あと、できればニンニクのきいた料理が食べたい」

「王宮じゃ無理っすからね~。じゃあ、豚肉をニンニク入りの漬けダレに漬け込んで焼きますか。臭いなんか気にするか! ってな感じでニンニクマシマシにして」

「楽しみだな。だったら夕食にはエールも解禁しよう――私はまないが、皆はあったほうがいいだろう?」

「いや、任務中なんで――呑み過ぎない程度にしときますっかね! 一杯くらいなら、水みたいなもんですし」


 グラハムがにかっと笑ってこたえる。そんな彼を不真面目と叱る人間がいないのは、多少の飲酒で判断力や身体能力が鈍る人間がいないためと、同行者の誰一人としてニンニクの効いた焼きたての豚肉を、エールで流し込む誘惑に勝てなかったためだった。


 ほどなく、強烈なニンニクの匂いがあたりに立ちこめ、それが肉から流れ出るあぶら肉汁にくじゅうとともに焼ける蠱惑こわく的な匂いへと変化する。


 その間に、魚の油漬けと刻んだ香味野菜を食べやすいように葉野菜で巻いた、簡単な前菜をヘレナが用意する。すでに準備されていた乾燥野菜とキューブ状に固めたコンソメで作られたスープが木皿に盛られ、各人へと配られる。


 焚き火で軽く炙ったパンも付けられれば、野外で摂るには充分豪華な晩餐が完成した。


「では、大地の恵みと、グラハムの料理の腕に感謝して――いただきます」


 アルベリックの言葉を簡素な食前の祈りに替えて、それぞれ小さく唱和したあと各人が盆に載せられた食事の皿へと手を伸ばす。


「あ~~~っ、やっぱり肉はいいっすねぇ! 味付けもばっちりで、これでエールが一杯なのは生殺しに近いかも!」

「護衛の任務中に、深酒する度胸があるならどうぞ? 僕はこの一杯で十分だけど」

「私はできればおかわりが欲しいですね……なんならエールではなく、もう少し酒精の強い酒でもかまいませんよ? この肉に合わせるのなら、癖のない蒸留酒も悪くないですね」


 自画自賛するグラハムにクロエがそっけなく言い返し、料理をつまみにちびちびとエールを呑みながらヒュームが神官らしくない要望を口にする。

 それを尻目にかいがいしくアルベリックの食事の世話をしているのがヘレナで、黙々と肉を口に運んでいるのがデュシェスだ。


「……うまい」


 ぽつりとデュシェスが呟いた一言に、同じ料理を口にしたアルベリックがうなずいた。


「ああ、本当に――腕を上げたな、グラハム。この料理の腕なら、王宮の厨房に推薦状を書いてもいいくらいだ」

「マジっすか? ああでも、王子の護衛騎士のほうが給料がいいので辞退します!」


 笑顔で投げられた最上級といっていい誉め言葉に、グラハムは冗談とも本気ともわからない断り文句を口にした。


「それに、俺の本分は料理じゃなくって剣の腕ですし? そっちで誉められるんだったら本望なんすけどね」

「難しいな、それは。なにしろ比較対象となるのがデュシェスやジークだ。生半可な腕では一人前とは認められないだろう」

「ですよねー。わかってるんですけど、どうせなら超えるべき壁は高い方がいいっていうか。騎士なのに料理の腕ばっか誉められるのも、正直微妙な感じだし……いや、どうせ食うなら美味いもん食いたいってのも本音なんすけど」


 アルベリックが真面目な声音で返すと、グラハムは笑ってそう言って短く刈り込んだ麦わら色の髪を掻き回す。


「まあ、そうは言っても誉められるのは素直に嬉しいし、料理に関しても目一杯誉めてくれて大丈夫っすよ! 俺は誉められて伸びるタイプなんで!」

「伸びるのは実力じゃなくて、身の程知らずの鼻じゃないのか――まぁ、今日の料理は十分に満足できる味だったけど」


 冴えた月光を思わせる金の瞳を細めてクロエが言うと、ヒュームがうなずきを返す。


「好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものです。実際、私もグラハムが食べられないくらい不味い料理を作ったところは、一度も見た記憶がありませんし」

「いや、不味い料理ってそれ、食材に対する冒涜だろ? そんなもったいないことするくらいならいっそ生のまま食べるわ!」


 あまりに衝撃的だったのか、グラハムが取りつくろうのも忘れた素の口調で言う。


 心からの気持ちが現れた言葉にヒュームはくつくつと笑い、手に持ったエールの入ったカップを軽くかかげてみせた。


「失礼しました。グラハムなら間違いなくそうしますよね――もしも生の肉を食べてお腹を壊しても、その程度なら私が治すことができますからご心配なく。ただ、グラハムの料理の腕があれば、まったく心配する必要はなさそうですが」

「ええ、他人が作る不味い料理や、失敗した料理を食いたくない一心で料理の腕を磨きましたからね! もともと親の手伝いくらいはしてたっすけど!」

「その向上心に感謝を。ヘレナ女史の料理も悪くないですが、味付けが上品過ぎるのが玉に瑕ですからね。こういうがっつりした料理は、グラハムが作ってくれるものに限ります」


「正直に言ってくれていいんすよ? 酒に一番合う料理ってだけっすよね?」

「いえいえ。純粋に誉めているんですよ――酒に合うという言葉を否定はしませんが。豚肉もいいですが、この間作ってくれたスパイスをきかせた鳥の炭火焼きは美味しかったですねぇ。また今度作ってもらってもいいですか?」

「やっぱり酒のさかなじゃねえか! 材料はそろってるから明日の晩にでも作りますよ!」


 二人のやりとりを黙然と見守っていたデュシェスが、その間に残らず平らげた料理の載っていた空の皿を見下ろす。


「……明日は鳥のスパイス焼きか。楽しみだな」


 ぼそりと吐き出された言葉は、隣に座るアルベリックの耳にしか届かなかった。料理を口に運ぶ手を止め、アルベリックは笑顔で同意する。


「そうだな。あの時はデュシェスは同行していなかったが、味に関しては私が保証するぞ! かりかりに焼けた皮が香ばしくて実に美味しかった」


「……そうか」


 デュシェスは口の端をわずかに持ち上げる。その笑顔は本心からのものであるにもかかわらず、なにか企んでいるような不穏な気配を感じさせた。


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