第6話 ラバグルート王


「……では、水と非常食の各自分担分も配布しましたね。装備や衣類、寝具に関しては各自用意、管理するということで」


 いつもと同じ侍女服の上に、革鎧の胸甲と籠手こての部分だけを身につけたヘレナが、他の旅装束を整えた面々を見回して言った。


 各人、手首に付けた金属製の腕輪をいじりながら、了承の声をそれぞれ返す。

 空間魔術を付与して作り出された収納リングは、重さも体積も関係なく大量の荷物を持ち歩ける一方で、なにを入れたか把握しておかないと取り出すこともできなくなる仕様だ。


 ある自称天才魔術師によって設計された最新のモデルには、収納した物品を自動でリスト化して空中に投影する機能も付いている。ただ、まだ開発してから日が浅いため、機能が確実に作動する保証はなく、荷物を入れた時点でリストを確認することが推奨されていた。


 なお、収納リングには内部の物品の時間を止めるような機能はないため、生ものを収納して出し忘れると実に悲惨なことになる。


「こっちはオッケーですよ! にしても、ヘレナさん、なんで侍女服なんすか? いつもは冒険者風の装備なのに」


 確認するように腕のリングをぽんと叩いてグラハムが言う。隣のヒュームも同意するように深くうなずいた。


 それに対し答えを返したのは、当人ではなく翡翠ひすい色の乗馬服を見事に着こなしたアルベリックだった。ドレスも顔負けの華麗な衣装だがまるで違和感はなく、丹念にくしけずられた純金の髪も乗馬服と同じ色のリボンで一つにまとめられている。


「……私もそう思ったのだがな。一目で貴族とわかる風体の女性が、侍女も付けずに歩くのは誉められたことではないそうだ。具体的には、見せかけだけで侍女を雇う余裕もない貧乏貴族か、貴族を名乗って信用を集めようとする詐欺さぎ師かと思われる――と」


 そう納得させられるまでの攻防を思い出し、アルベリックはやや遠い目付きとなる。


 アルベリックの表情と、やや歯切れの悪い説明からおよその経緯を察し、グラハムとヒュームは同情めいた顔つきになった。

 視線を侍女服のヘレナに戻すと、虫も殺さないような笑みがにっこりと返される。


 酢でも飲んだような表情で二人は慌てて視線を逸らす。そんな二人とは裏腹に、まったく興味のない様子で、持ち込んだ魔道具を確認しているのがクロエだった。


「……ったく、あと少しで虫だけ選別除去する機能を結界に持たせられたのに。野外活動には必要不可欠だろう? 寝ているテントに虫が入ってくるなんて我慢できるわけ?」


 ぶつぶつと呟きながら自らの収納リングや、簡易結界を張る結界針、水を生成する水生球などを一つ一つ確認していく。

 その顔に寝不足の気配がないのは、ほんの少しでも不摂生をしようものなら同行を禁じると命じた、アルベリックの機転と配慮のおかげだった。


「王子の手綱たづなをしっかり握っておいてくださいよ? ジークフリート殿とは違って、あなたがけしかけるようなことはないと信じてますが、王子の暴走を主に物理的に止められるのは、デュシェス殿ただ一人なんですからね?」

「………努力しよう」


 真剣な顔で訴えるイングリットに対し、各所に補強の入った黒のロングコートという格好のデュシェスが返す。

 言葉を返すまでに空いたしばらくの間が、彼の内心を雄弁に物語っていた。


「本当にお願いします。ただでさえ危なっかしいのに、今はあの通りの状態ですから――どれだけ言い含めても、自分の見た目に対する自覚も持たずに、ですよ? 正直、トラブルが群れをなして寄ってくるとしか思えません」

「近づく男を片っ端から切って捨てるのは、王子に止められてしまったのだが……」

「場合によっては私が許可します。判断に迷って手遅れになるよりずっとましです。もしもの時は私がやれと言った、で押し通してください。責任は取りますから」


 据わった目でイングリットは告げる。本気そのものの口調に、デュシェスはためらいなくうなずいてみせた。


「了解した。できるだけ王子の意向には添うように動くが、万一の時は王子の身の安全を最優先にすることを約束しよう。その場合は俺も責任を取る」

「デュシェス殿の判断力――というか、野生の勘ならそうそう外れませんよ。判断に困った場合は勘を頼りに動いてもらって結構です。それで大半は解決するはずですから。勘がきかない場合のみ王子に判断を仰ぐようにしてください」


「……普通は逆ではないのか?」

「王子を相手に普通は通用しません。勘を頼りに、反射で動くくらいでちょうどいいんです。目の前に馬車にかれそうな子供がいたら、自分の立場もなにも考えずに飛び出していくような人ですよ? 普通の王族だと思って接していたら身がちません」


 これ以上ないほど切れ味の鋭い言葉でイングリットは切り捨てる。その言葉はアルベリックの耳にも届いており、きわめて複雑そうな声が返された。


「聞こえてるぞ、イングリット。普通の王族ではなくて悪かったな。なにしろ身近にいたのが私をまともに王族として扱わないような人間ばかりだったからな」

「ジークフリート殿には困ったものですね、本当に。クロエ殿にしてもヒューム殿にしても、悪い影響を与える人物が王子の周辺には多いようで」

「最も大きな影響を与えてきた人間の名が、そこには含まれていないようだが?」

「さて? そんな人物が王子のそばにいましたっけ? あいにく私にはまるで心当たりがないのですが……まさか私だなんて、不遜ふそんにもほどがあるというものですし」


 つれっとした顔で返すイングリットに、アルベリックは引きつった笑みを見せる。

 やや離れた場所からその様子を眺めていたグラハムが、ぶるりと身を震わせて正直な感想を口にした。


「偉い人の会話ってのはおっかないっすね。お互い笑顔で相手の足を踏みながら、抜き身の剣を突き付け合ってるようなもんで。俺は領地もない、名ばかりの貧乏貴族で良かったと心の底から思いましたよ」

「あれはあれで特殊事例という気もしますが……それに王子とイングリット殿の場合、あれくらいなら軽いじゃれ合いみたいなものですよ? 本当に仲がおよろしいようで」


 ヒュームが返した言葉に、グラハムがマジか、と愕然とした表情になる。

 すでに領地に向けて出立したジークはこの場におらず、旅支度の確認を済ませた一同は目的地に向けて出発しようとする――が。


 彼らが部屋を出るより早く、外から控えめに扉をノックする音が聞こえた。


 最も近くに立っていたグラハムが、素早く歩み寄りながら扉の向こうの気配を探る。そこにいたのは馴染んだ気配と、もう一つ――丸腰とわかる壮年の人物だった。

 特に問題はないと判断して、応答の声とともにグラハムは扉を開ける。馴染みのある気配が妙に緊張していることに気づいたのはそのあとだった。


「……どう、ぞ?」


 行儀のいい護衛騎士の仮面が、かぶった直後にあっけなくはがれ落ちる。


 扉の向こうに立っていたのは、深い青紫色を主体とした豪奢な衣装を身につけた、四十がらみの中背の男性だった。

 濃い茶色の髪を丁寧に整え、ほどほどに肉の付いた顔には群青ぐんじょうの瞳が輝いている。

 顔立ちは平凡そのものだったが、髪と同じ色のよく手入れの行き届いた口髭を生やした顔には、不思議と人を惹きつける愛嬌のようなものがあった。


「やあ、入ってもいいかな?」


 男性からかけられた気さくな声に、グラハムは一瞬の思考停止から我に返った。

 口を半開きにした間抜けな顔を瞬時に引き締め、扉を大きく開いて脇に避ける。恭しく頭を下げながら、


「どうぞ、お入りください――ラバグルート国王陛下」


 かけた声に、ありがとう、と言葉を残してラバグルート王は部屋に入る。


 そのすぐ後ろに、自分とうり二つの顔を発見して、グラハムは表情を変えぬまま口の動きだけで言葉を投げやった。


『な・ん・で、お前が陛下を案内してきてるんだ、トーマス? つうか、知ってたなら部屋に着く前に知らせろ!』

『知らせたけど応答しなかったのはお前だろ! ヘレナさんと王子に見とれて、注意力散漫になってたのをバラしてやろうか?』

『おま、だったらお前なら見とれずにいられたか? 侍女服だぞ、侍女服! 王子だってあの格好で、正直考えた奴天才じゃないかって思ったぞ!』

『それな! 見とれないわけないだろ馬鹿か。ある意味ドレスよりも新鮮みがあっていいよな、あの服! ヘレナさんの侍女服も、鎧付けただけであんなに印象変わるのな!』


 トーマス――グラハムの双子の弟は、口の動きと目配せだけで会話を交わす。ほとんど圧縮しているかのような高速の会話だったが、それを可能とするのが彼らの間に存在している、意識を共有しているような独特の感覚だった。


 どんなに離れていようと、意識さえあればお互いに意志を伝え合うことができる――その能力のおかげで、貧乏貴族の息子二人が王子の護衛騎士に抜擢されたのである。


 ただし今回のように、馬鹿話に用いられることも多く、宝の持ち腐れに近かったが。


「……父上?」


 目を丸くするアルベリック以外の全員が、素早く居住まいを正して礼を取る。

 正式な場であればひざまずいて礼をするところだが、先触れもなく現れたことで非公式の――お忍びといってもよい訪問だと判断した結果だった。


 実際、ラバグルート王はあたりをはばかるように声を潜めて、アルベリックへ笑いかけた。


「あまり堂々と訪ねると、またお前の周辺が騒がしくなると思ってな。政務の合間にこっそり抜け出してきた。皆も私がここに来たことは、内密にしておくように」


人懐ひとなつっこい笑みを浮かべる国王に、この場を代表するようにイングリットがかしこまりました、と頭を低くしたまま声を投げる。


「楽にしてくれ――私は本来、ここにいないはずの人間なのだからな。それより、アルベリックをどうかよろしく頼む。いつもならそう心配はないが、なにしろこの通り、王子とはとても呼べない姿となってしまっているのだ」

「父上!」


 ラバグルート王が放った言葉に、うっすらと顔を赤くしてアルベリックが声をあげる。

 恨みがましい目を向ける顔は赤く染まっても可憐そのもので、他の者はなんとも言えない表情になってあらぬ方向を見やった。


「そんなことを言うために、わざわざ忙しい中おいでくださったのですか? 公式の場での出立しゅったつの挨拶はすでに済んでおります。変に騒がれるのを避けるためにも、できる限り人目を避けて王宮を出る予定ですので――」

「短いとはいえ旅に出る息子に、国王ではなく一人の父親として見送りの声くらいかけさせてもらってもいいだろう?」


 深い慈愛を感じさせる父親の言葉に、アルベリックは口にしかけた文句を引っ込める。


「息子がこれから世話になる相手に、一言挨拶あいさつをしておきたいと思うのも人情だ。国内の移動とはいえ、いつ何時なにが起こるかわからない――アルベリック、今回の一件でお前もそれを充分思い知ったのではないか?」

「……それはもう、嫌というほど」


 正直に答えるアルベリックに、ラバグルート王はだろうな、と声をたてずに笑う。

 ますます顔を赤くしたアルベリックから、その背後に控える者たちに視線を移してラバグルート王は穏やかな声を発した。


「今回、アルベリックが呪いにかかった件については、息子自身の気の緩みが招いた避けられない事故だったと言おう。性別反転どころではなく、命に関わるような呪いを受けることになった可能性だってあるのだ。それを予期することができず、呪いにかかるような状況に陥ったのは彼の未熟さゆえだ」


 居並ぶ一人一人に語りかけるように国王は告げる。特に威厳などは感じられなかったが、なぜか素直に耳を傾けたくなる声だった。


「幸い、今回の呪いは命に関わるものではなく、息子は自らの未熟さがなにを招くかを学ぶ機会を得た。これは本当に運がよく、得難えがたいものだったといえよう――その一度の機会すら得られずに、命を落とす者がこの世には存在するのだから」


 その声には実感を伴った重い響きがあり、アルベリックだけでなく全員が引き締まった顔つきとなる。

 しっかりと自分を見つめてうなずくアルベリックに、ラバグルート王は笑みを返して本心からの言葉を口にした。


此度こたびの旅が、アルベリックにとってさらに得難き経験を得るものとなることを祈っている。アルベリックを含め、ここにいる皆が誰一人として欠けることなく、多くのことを学び取った上で無事戻ってくることも……」

「……はい」


 真摯しんしな表情でアルベリックは言葉を返す。その顔をラバグルート王はいとおしげに見つめ、目尻を下げたまま同じ口調で言った。


「……いや、しかし、こうして見ると本当にオフェーリアによく似ているな。いっそこのままでもいいのでは、とつい思ってしまう。息子が生まれたことはむろん嬉しかったが……本音を言うと、娘が欲しかったと思ったことがないとは決して言えんのだ」

「父上!」


 今は亡き母親の名を口にする父親に、アルベリックは思わず声を荒らげる。


 ほとんど物心もつかないうちに亡くなった母親をしのぶ気持ちは理解できるが、その面影を自分に求められても困惑するしかない。まして、これ以上ない本気の声音とわかる分、父親の言葉に抗議せずにはいられなかった。


 そんな息子――今は娘の声に、ラバグルート王はすまんすまん、と笑って返す。


「まぁ、今回は空振からぶりでも次がある――くらいの軽い気持ちで行ってくるといい。息子であっても娘であっても、私にとってはかけがえのない子供であり、亡き妻のたった一人の忘れ形見だ。それより怪我や病気などせず、無事に戻ってくることをなにより優先してくれ」


 その言葉にもまた親としての深い愛情が込められており、アルベリックは父親の顔を半眼で見ながら了承のうなずきを返した。


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