第5話 旅の準備と新たな護衛騎士


 派手になりすぎない程度に豪奢ごうしゃな調度でまとめられた私室で、アルベリックは自身のために用意された旅装を前に顔を引きつらせていた。


「こちらが下着の上に身につける防護服――聖銀せいぎんの糸で防毒、防麻痺、防催眠、防媚の効果を持つ術式を付与してあります。もちろん耐刃、耐衝撃仕様になっています。その上に着るのがこちらの乗馬服と、上に羽織はおるチュニックコート――」


 侍女服を身につけたヘレナが、円卓に並べられた品々を手にとって説明する。

 黒に近い濃灰のうはい色のワンピースにフリルのついた純白のエプロン、まとめた髪には侍女帽の名残なごりであるヘッドドレスを差している。


 わざわざ運び込まれた円卓の上にずらりと並ぶのは、華やかな色合いの衣服の山だ。


 当然ながら女性用のそれらの中には、レースや刺繍を多用した下着の類も含まれている。年頃の男子としては直視しがたい品々だったが、女性の肉体を持つ以上着用しないわけにもいかず、現に着用している以上不必要に避けるわけにもいかなかった。


「……いくらなんでも、衣服が多過ぎやしないか? この半分でも十分じゃ……」


「旅の間は洗濯の機会も限られます。清潔化の魔術を使うこともできますが、きちんと洗濯をした場合とは着心地が段違いです。王子は女性の身体には不慣れでしょう? ご自分では平気なつもりかもしれませんが、肌に合わない衣服を長期にわたって身につけるというのは、肉体的にも精神的にも意外と負荷がかかるものなんですよ?」


「そ、そうか……」


 他に答えようがなく、顔を引きつらせたままアルベリックはそれだけ返す。

 切々とした表情でうったえていたヘレナは、途端にぱっと花が咲いたような笑顔になった。


「よかった――実はまだ、色違いの洗い替えがあるんです。王子の収納リングは容量が大きいですから、多少荷物が増えたところで入りきらない心配はしなくていいですよね。出先で必要になった時のために、ドレスや装身具も何種類か用意しておきたいですし」

「……うん。小さめの会議室くらいの容量はあるから、それくらいは楽に入るぞ」


 もはや悟りの境地に達したかのような表情で、アルベリックは答える。その目が卓上の乗馬服に向けられ、せめてもの抗議を込めた言葉が投げられた。


「ただ……旅装だぞ? お忍びだぞ? それは少しばかり派手すぎるというか――まるで忍んでいないような気がするのは気のせいか? ヘレナが着ていたような、女性冒険者用の衣服や装備じゃ駄目なのか?」


 アルベリックの視線の先にあるのは、淡い翡翠色の生地に金糸で縫い取りをほどこした衣装だ。襟や袖口にはレースがあしらわれ、すそは動きをさまたげないように深い切れ込みが入っているものの、くるぶしを覆い隠すほどに長い。


 下に同色のズボンを履く造りになってはいるが、ほとんどドレスと変わりない印象だった。


 ヘレナは薄水色の瞳をわずかに伏せ、少し思案する様子を見せてからアルベリックに視線を戻して、ほがらかに微笑んで言った。


「よくお似合いだと思いますよ? それに、女性冒険者向けの衣服はまだ数が少ないですし、男性向けの衣服のサイズだけ縮めたようなものが多くて、あまりお勧めはできません。生地も丈夫さを最優先にした男性向けと変わりないものですし」

「……私はそれでもかまわないのだがな。丈夫なのに越したことはないだろう?」


「その分、伸縮性も通気性も犠牲になってるんですよ。とてもおすすめできる着心地じゃありません――私も、生地を持ち込んで特注で作ってもらっているんです。それに、一応お忍びということになってはいますが、アンジェリカ姫が王宮を出るということはある意味公然の秘密として扱われています。急病に倒れた兄王子の治療法を見つけるため、国内の専門家を訪ねていく……という名目で外出する予定ですので」


「それは……あまり王宮を出る意味がなくなりそうだな。勝手について来ようと思えばできるのではないのか? 王宮にいるより数段マシにはなるだろうが……」


 アンジェリカ姫の存在が公表されてから、あえて遠ざけられているにもかかわらずあらゆる手を使って、接触を図ろうとする貴族の男性陣をアルベリックは思い出す。


 同年代や少し上ならともかく、父親と同世代の人間まで含まれていたのだから驚きだ。

 さすがに血縁者の縁談を持ちかけるのが狙いだろうが、本人が婿入りする気なのだとしたら恐ろしいつらの皮の厚さだった。


「それなら大丈夫ですよ。現地までの移動は、基本的にクロエ様の転移魔術を用いる予定ですから――あの方の開発した術式ですし、他に同じくらいの距離を移動できるような術者は存在しませんからね。勝手に付いて来られる心配も、行き先をたどられる心配もありません」


 いささかの曇りもない笑顔でヘレナは太鼓判を押す。アルベリックはわずかに懸念を残した様子ながらも、ひとまず納得したようにうなずきを返した。


「仮に移動先を突き止めて付いてくる根性の入った方がいたとしても、移動時の安全確保は各自の自己責任ですからね。私たちの移動速度と魔物を排除する速度についてこられるとは思えませんし……仮についてきたとしても、こちらが配慮する必要はまったくありません。たとえ相手が魔物に襲われたとしても――自然の摂理にお任せするだけです」


 虫も殺さぬ笑顔のまま、かなり腹の黒い発言をヘレナがした時、部屋の扉が切れのいいリズムでノックされた。


 アルベリックの顔をちらりと見て、ヘレナが扉へと歩み寄っていく。応答するのとほとんど同時に、扉が勢いよく外から開かれた。


「……邪魔するぞ! ああ、用が済んだらすぐ帰るので茶の用意はしなくていい」


 目鼻立ちのはっきりした男性的な顔に太陽を思わせる明朗な笑みを浮かべて、ジークフリートがずかずかと部屋に入り込んでくる。

 そつなく一歩下がって礼をしながらも、ヘレナは非難の色を込めた声を投げた。


「かしこまりました。ですが、今は少し立て込んでおりまして――お茶をお出しできる部屋の状態ではありませんので、そのお気遣いはご無用かと。お見苦しい部屋をお見せして大変申し訳ございません。女性の部屋に、いっさい遠慮なしで入り込んでくる殿方がいるなどとは、夢にも思いませんでしたもので」

「気にするな! 今は女性とはいえ、アルベリック王子とは一緒に風呂にも入った仲だ! 下着がその辺に出しっ放しになっているくらい、見なかったことにする度量もあるぞ!」


 別の意味でも遠慮がないジークフリートの台詞に、顔色を変えたのはアルベリックだった。顔を赤くして卓上に並べられた衣類――主に下着類を慌てて隠そうとするが、それより早くジークフリートが胸を張って言い放った。


「今回は残念ながらいとまを願いに来た。すでに知っているだろうが、うちの領地が魔物どもの大攻勢に見舞われてな。親父殿が一足先に帰って現地で指揮を執っているのだが、領軍と冒険者だけでは支えきれなくなりそうなので、騎士団の精鋭を連れて救援に来いとのおおせだ」


「……それは」


 アルベリックの声に苦慮くりょの色が混ざる。案じるようなみどり色の瞳を見返して、ジークフリートは力強く微笑んでみせた。


「心配はいらん! 今回の攻勢は規模こそ大きいが、ほとんど数ばかりで手強い魔物はいないようだからな! 単に人里への被害を減らすため、面制圧のできる人間をかき集めているというだけの話だ」


「そうか……だが、魔物相手とはいえ現場ではなにが起こるかわからん。くれぐれも油断して怪我などしないように気をつけてくれ」

「無論だ。ここで慢心して、下手など打とうものならクロエやヒュームになにを言われるか。ましてやイングリット殿なら、これでもかと傷口に塩をすり込みにかかるだろう!」


 ある種の信頼感を漂わせた口調で言い放ってから、ジークフリートはああ、と思い出したように本題を口にした。


「そうだった。暇の挨拶もそうだが、私の代理として王子に同行する人間が決まったのでな。知らぬ顔ではないが、しばらくぶりになるので面通しも兼ねて連れてきた」


 ジークフリートが背後に目を向けると、開かれたままになっていた扉の向こうから一人の男性が姿を現した。


 長身のジークフリートと比べても背の高い、よく鍛えられた身体からだ付きの青年だ。

 年頃も一緒で、二十代半ばと見える精悍な顔立ちの中で、万年雪に閉ざされた分厚い氷壁を思わせる青水晶色の瞳が輝いている。うなじで束ねた硬めの黒髪は肩を超える程度の長さで、手入れが雑なのかあちこちが無造作にねていた。


 無言で軽く一礼して部屋に入る青年を、アルベリックは喜色もあらわな顔で見やった。


「デュシェス! 久しぶりだな、戻ってきていたのか!」

「……ああ」


 言葉少なに青年は答え、さすがに足りないと思ったのか言い添える。


「国境の紛争がようやく一段落ついたので、本隊より一足先に戻らせてもらった。その……今回の一件については、王都に着いて初めて知ったが……大変なことになったな」


 訥々とつとつと語る青年に、アルベリックは苦笑しようとして失敗した表情になった。


 いつまでも部屋の入口で立ち話というのもなんだと、室内に二人を招き入れてソファに座るよううながす。

 二人掛けのソファは大柄な青年二人が並んで座るには小さく、ジークフリートが一人用の椅子に座ることでなんとか収まった。


「とにかく、無事に戻ってきてくれて良かった。クローヴィアス教国との調停がこじれているそうだから、まだしばらく帰ってこられないと思っていたんだ。向こうでは火事場泥棒狙いの盗賊団も出て、一時も気を抜けないような状況だったとも聞いているし」


「火事場泥棒……というか、例によって教国の自作自演だ。神官を名乗る煽動者を民衆の中に紛れ込ませて、主に不作で困窮こんきゅうした農民にエグランタインの軍を襲わせた。ご丁寧に守りの手薄な物資集積所の情報や、大量の武器まで用意した上でだ」

「相変わらず、神の御名みなを免罪符にしてえぐい手を使う……武器を持たせたところで農民が本職の軍隊に敵うわけもなかろうに」


 からりとした口調でジークフリートが言ったが、声と表情の底には嫌悪の色があった。


「多少なりとも相手に損害を与えられればよし、駄目でも困窮した農民が反乱を起こす目をつぶし、ついでに我が国の軍に精神的な損耗そんもういることができるというわけか。効果的なだけにいっそういやらしいな!」


 物騒な光を葡萄ぶどう色の瞳にのぞかせて言い切るジークフリートに、アルベリックは同意するようにうなずく。


「農民が困窮するのは、嵐や干魃かんばつなどの自然災害を除けば基本的に国の責任なのだが……あの国の政治家はそうは思わないようだな。自分たちの口に入る食料が、誰の手によって作られているものなのか、普通なら簡単に考えつきそうなものなのに」


 どこか沈痛な面持ちで告げるアルベリックに、黒髪の青年――デュシェスが無表情のまま言葉を投げる。


「……幸い、農民に指示を出していたクローヴィアスの兵を徹底して潰すことができたおかげで、それほど被害が広がることはなかった。味方にも、敵にも」

「そうか……良かった、と言うのは前線で命の危険をかえりみず戦ってくれた、デュシェスや他の兵士に失礼かもしれないが」


 アルベリックの顔に浮かんだ一匙ひとさじほどの苦さを含んだ笑みを見て、デュシェスはいや、と小さくかぶりを振ってみせる。


「王子にそう言ってもらえるのなら、我々も力を尽くしたかいがあった。素人同然の農民相手に、殺戮さつりくを繰り広げてきたと王子に胸を張って報告するつもりか、というのが現場の兵たちの合い言葉だったからな」


「……そうか。本当にありがとう。よくやってくれた、デュシェス」


 花が咲きこぼれるようにアルベリックが笑顔になる。その顔を眩しそうに見やり、デュシェスは少し面映おもはゆそうに微笑する。

 そうすると威圧的な雰囲気が少し薄れ、どこか少年めいた気配の漂う風貌となった。


 そんな二人の様子を保護者然として見守っていたジークフリートが、言葉が途切れたのを見計らったように口を開いた。


「うむ。それでも騎士団最強と名高い剣士がともに戦っているとあれば、兵たちも心強かったことだろう。その力、今度は王子を守るためにいかんなく発揮してくれ。国内の移動が中心になるとはいえ、戦力の一端である王子が不慣れな女性の身体になってしまっているからな!」


「純粋な筋力や体力はともかく、剣の技量まで落としたつもりはないぞ。第一魔術の腕には男女の差はないだろう」


 容赦なく現実を突き付けてくるジークフリートの言葉に、わずかに顔を引きつらせてからアルベリックは不満そうに言い返す。

 一方、デュシェスのほうはきわめて真面目な顔で、うなずきとともに言葉を返した。


「もちろんそのつもりだ。王子には誰であろうと、なにがあっても、絶対に傷一つ付けさせたりはしない。今の王子に姿に不埒ふらちな考えを抱くようなやからも、近付き次第叩っ斬る」

「待て、デュシェス! そこまでいったらやりすぎだ。過剰防衛もいいところだぞ!」


 慌てた様子のアルベリックの声に、デュシェスは少し考えるそぶりを見せたあとで自らの発言を一部撤回した。


「不埒な考えを抱いて王子に近づく輩には、当分はそんなことを考えられなくなる程度に痛い目を見せてやることにしよう。もしも王子に指一本でも触れようものなら、下の指を切り落としてやるつもりだが」

「おい! その発言には問題がありすぎるぞ! 下の指って足の指のことだよな!?」


 デュシェスの口にした言葉を聞きとがめて、アルベリックが血相を変える。


「はっはっは、そこは触れないでおくべきだぞ! 今の王子は、仮にも見目麗みめうるわしい女性なのだからな。女性が口にするにはいささか危険な発言だ!」


 からからと笑ってジークフリートが微妙な文句を投げ、なんとも複雑な表情で彼をじろりとにらみ付けてから、アルベリックはデュシェスへと視線を戻した。


「まぁ、あまり過激な反応をされるのは困るが……デュシェスが側に付いていてくれるというのは心強い。頼りにしているぞ」

「この命に換えても――必ず王子は万事何事もなく王宮に帰してみせる。その身にかかった呪いも解いて、かつてのあるべき姿で」


 まさしく騎士の宣誓せんせいを思わせるおごそかな口調で、デュシェスは揺るぎない言葉を返す。


 一分いちぶの迷いもためらいも感じさせない、自分へ向けられるまっすぐな敬意と決意にわずかに気圧けおされたような表情をアルベリックは見せる。

 ちらりと瞳の奥によぎった罪悪感めいた色を、余裕のある笑みの下へと押し隠して、


「本当に頼もしいな。デュシェスの腕なら万が一などということは決してないと信じられる。だが最後に私の身を守るのは、私自身の剣と魔術の腕だ。魔術に関してはクロエという最高の師を得ているから、デュシェスには剣の腕を磨く手伝いをしてもらえると助かる」


「……俺で良ければ。護衛に支障が出ない範囲内で」


 超高温の炎にも似た青い瞳をアルベリックに向けて、デュシェスは了承の意を示す。


「まさに護衛騎士のかがみと言うべき態度だな! 私はどうもそのあたりが緩くなっていかん……ある程度は王子にもいい経験になるだろう、とつい考えてしまう。王となるには不要な経験だろうが、一人の人間として積んでおいて損のない経験というものは多いからな!」


「ジークはそうあってくれたほうがいい。皆が皆、私に対して同じ態度を取る必要はないし、違うからこそ複数の人間が私の側にいてくれる意味がある」


 陽気に笑って告げるジークフリートに重みのある声で告げてから、アルベリックは少しだけ悪戯いたずらっぽい口調で付け加える。


「それに、多少行儀の悪い行動を取っても無茶をしても、お目こぼしをしてもらえる相手がいなくなってしまうのは困るからな。ジークが私の味方をしてくれているからこそ、まわりが大目に見てくれている部分もあるんだ」

「これは困ったな。私はアルベリック王子の手本になれるような言動を心がけているつもりだが、知らず知らずのうちに悪い手本も見せてしまっていたらしい」


 言葉とは裏腹に、どこか楽しげな口調でジークフリートは言う。その顔には共犯者めいた笑みがあり、アルベリックは彼と目を合わせると声を出さずに笑った。


 そんな両者を、デュシェスは表情をまったく動かすことなく黙然と見つめていた。どんな内心もその顔からうかがい知ることはできなかったが、どこか待機を命じられた大型犬のような寂しさが背中のあたりに漂っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る