第4話 呪いの専門家


「……なんだって?」


 硬くこわばった声が、花びらを置いたような唇から洩れたのはそれから三日あまりが過ぎた日のことだった。


 鮮やかな青のドレスを着たアルベリックの前には、顔色を悪くしたクロエの姿がある。


 目の下に隈を作り、げっそりとやつれた様子なのは過労のためばかりではなく、精神的な重圧によるものだとわかった。その身を包むのは王宮魔術師の制服である臙脂えんじのローブだが、その背中に落ちる紫紺の三つ編みもほこりじみて艶がない。


「言い訳はしない。僕の力では、あの産出物にかけられていた防護の術式を解くことはできなかった。純粋な力不足だ」


 すまない、とクロエは頭を下げる。動きを止めたまま上がらない後頭部をアルベリックは愕然と見つめ、かわりにソファの横に立ったイングリットが言葉を投げた。


「こちらとしては、謝罪の言葉をいくらもらったところで意味はないのですよ。必要なのは、どうやったら王子にかけられた呪いを解くことができるか、その手がかりだけです」

「……わかっている。今のは、僕のけじめだ」


 寝不足のためか、やや険を増した目つきでクロエはイングリットを見る。その目をソファに腰掛けたアルベリックに戻し、彼は手首に付けた飾り気のない金属製の腕輪を軽く撫でるような動作をした。


 陽炎が立つように、わずかに歪んだ空間から取り出した紙束を彼は卓上に広げる。


「かろうじて読み取れた術式を取っかかりに、あの産出物――言いづらいから、ひとまず呪いのアイテムってことにしておくか、そのアイテムにかけられている魔術の系統を推測して書きだしてみた。使われてる術式からして、古代王国時代なのは確実だ。問題は、初期のものか中期のものか、滅亡寸前の後期のものなのかだが――」


 クロエの声に、自身の力不足を嘆くような悔しさを隠しきれない響きがにじむ。


「そのあたりは、比較検討できるほどの資料がなくて特定することはできなかった。残念ながら、僕の力ではここまでが限界だ。もともと僕の専門は物質に作用する攻撃、防護の術式で呪いは専門外だ。ヒュームにも協力してもらって、手に入る限りの呪いに関する術式の資料も集めたが、呪いの系統の魔術は個人で開発されたものが多すぎて研究が進んでいないんだ」


「では……現時点では、王子の呪いを解くことはできない、とおっしゃられるわけですか?」


 切り込むようなイングリットの言葉に、唇を噛み締めて絞り出すようにクロエはそうだ、と声を出す。

 両者の間に落ちた沈黙は、アルベリックが発した静かな声によって破られた。


「……そうか。ここまで解析に尽力してくれたことについては、礼を言う。ありがとう、クロエ。本当によく頑張ってくれた」

「アルベリック王子……」


 言うべき言葉も定まらないまま、クロエはその名を思わずといった様子で呼ぶ。


「クロエが今できる限りの努力をしてくれたことだけは、間違いないと私は信じている。クロエにできなかったことなら、他の誰にも不可能だったろうとも」

「……しかし、結果をともなわなければ、どんな努力をしたところで意味がないわけでして」


 沈んだ空気の中、それが自分の義務だというようにイングリットが容赦なく指摘する。


「できませんでした、じゃあ仕方ないで済ませられる問題じゃないんですよね。王子にかけられた呪いを解くことができなければ、単に王子が婿を取って子供を産まなければいけないという、個人的に不本意な未来を迎えるだけでは済まされない――それにしたところで、王子にとっては十分な大問題でしょうが」


「それは……」


 すがるような目をアルベリックはイングリットに向ける。


「王子が男に戻れないということは、アルベリック王子という存在の死を意味します。だってそうでしょう? 男に戻った暁にはアンジェリカ王女という存在が死んだことになるのですから、その場合は王子という存在を消す以外に整合性を保つ方法がない」


 色を失った両者の顔を均等に見下ろし、イングリットは淡々と冷えた声音で告げる。


「そしてアルベリック王子が死んだとなると、その死の責任を問う人間が必ず現れます。病死なら病気にかかる原因を作った者に――あるいは、その直前にダンジョンに向かったことを突き止める人間がいるかもしれない。そうなれば、ジークフリート殿やクロエ殿、ヒューム殿やグラハム、ヘレナの不手際を責める者が必ず出てくることでしょう」


 特にジークフリート殿は、地位の高さもあって妬みを抱く者が後を絶ちませんから、とイングリットは言い添える。

 アルベリックはその顔を見返し、抗議めいた口調でなんとか言葉を投げ返した。


「だが……それなら、アンジェリカ王女が亡くなった場合も、責任を追及される者が現れるのではないのか?」

「あいにく、我が国では女性が王として即位することはいまだに認められていませんからね。自身が王となる可能性のある王子と、結婚した相手が王になる可能性のある王女とでは継承者としての価値がまったく違ってくるんですよ」


 とにかく、とイングリットはずれてしまった話題を戻すように語調を強める。


「王子が死亡したとなれば、責任問題に発展することは避けられません。ジークフリート殿だけでなく、王子の側付きの方々は次代の重臣としてただでさえ妬みを集めていますからね。それだけの能力を持った人間しか集められていませんが、だからこそ追い落とす絶好の機会だと考える連中も多いわけで」


「……どうせなら、実力で取って代わろうとか考えないのか。無能ばっかりだな」


 あからさまな嫌悪感を漂わせたクロエの言葉に、イングリットは口元に浮かべた皮肉げな笑みを濃くする。


「実力で追い落とせないからこそ、こういう機会を見逃さないんですよ。連中に言わせればこれも権謀術数とかいう立派な能力のうちですよ?」

「その能力で、王子の呪いが解けるのならやってもらいたいものだけどな。人の足を引っ張っても自分が優れた人間になれるわけじゃないだろうに」


「残念ながら、世の中優れた能力を身につけるよりも、自分より優れた人間を追い落として取って代わろうと考える人間のほうが多いんです。天才と名高いクロエ殿には理解できない感覚かもしれませんが……ああ、でも今回の件で、少しはできない人間の気持ちもわかるようになったのではありませんか?」

「うるさいな! 現時点では解析できないってだけで、あきらめたわけじゃないからな!」


 クロエは声を荒らげる。疲れと無力感を声ににじませながらも、諦めは少しも感じさせないその声にイングリットは満足そうにうなずき、アルベリックに視線を移した。


「本当に最悪の場合には、アルベリック王子がお亡くなりになったことにするより他にありませんが――まだクロエ殿は諦めていないそうですよ? よかったですね、王子、じゃなかったアンジェリカ王女」

「わざわざ言い直すあたり、イングリットは本当にねじ曲がった根性をしているな?」


 じっとりとした目を向けて、非難じみた言葉を投げるアルベリックの顔にもまぎれもない笑みがあった。


「あてにさせてもらおう、クロエ。だが、現時点では解析は難しいのだろう? なにか手がかりになりそうな情報の心当たりはあるのか?」

「……それなんだけど」


 わずかに言いよどんでから、クロエはアルベリックの顔を見返して告げる。


「ヒュームに聞いた話なんだが、元神官で古代の呪いに関する術式の研究をしている人間がいるというんだ」

「本当か? まさに今求めている、呪いに関する専門家といえるじゃないか!」


「ああ、この国では確実に呪いの第一人者といえる人物だと思う――ただ、その分人となりに癖があるというか……研究のことしか目に入らない専門馬鹿の類というか」

「クロエ殿にそう評価されるというのは、相当なものと見えますね」


 真顔で声を投げ入れるイングリットをぎろりと睨み、クロエはやや端切れ悪く続ける。


「僕だってその気があるのは自覚してるが、その研究者――セプタード・アイル氏は気に入らない人間は追い返すくらいの人嫌いだそうだ。呪いに関する質問をしに行くくらいなら特に問題ないだろうが、当の呪いにかかった張本人が出向くのでなければ、へそを曲げる可能性も少なくない……というか、ほぼ確実に門前払いを受けることになる」


 つまり、とクロエは気遣うとも申し訳ないともつかない視線をアルベリックに向ける。

 彼が口を開くより一瞬だけ早く、わずかに苦笑めいた笑みを浮かべて、アルベリックがその口にしようとしていた台詞を引き取った。


「その研究者の協力を得たいのであれば、私が直接会いに行く必要がある、ということか」


「……そういうこと」


 クロエは口をへの字に曲げ、子供っぽい口調で返す。


「それなら、問題はまったくないに等しいだろう。もともと自分でいた種だ。解決のために私が出向くのは当たり前で、誰かに代理で向かってもらおうとは最初から思ってもいなかったのだからな」

「本当に種を蒔いたのは僕のほうだ。僕があのアイテムを落としかけたせいで、王子が呪いにかかることになったんだ」


 低く、だがはっきりと、クロエが自分の非を認める発言をする。


「誰が悪かったとかいう話はさておいて……実際のところ、アンジェリカ王女には王宮に滞在している時間を少なくしてもらったほうが好都合なんですよね」


 意外そうな表情を向ける両者に、イングリットはいかにも不本意といった顔つきで肩をすくめてみせる。


「なにしろ、中身が王子ご本人ですから……下手に関わる人間が増えると、あまりにも言動が似すぎていて不審に思われないとも限りません。だからって王女を誰にも会わせないでおくというわけにもいきませんし……」


 積極的に会わせたくないような相手に限って、あらゆる手段を使って会おうとしてくるでしょうし、とイングリットは露骨に嫌な顔をして言う。

 伝染したかのように、同じ表情がアルベリックとクロエの顔にも広がったのは、彼が会わせたくないと言う部類の貴族の顔が頭に浮かんだためだった。


「……うん、僕も王子――じゃなかった、王女を長く王宮に置いておくのは反対だ。下手をしたら強引に既成事実を作って、王女と恋仲になったと主張する馬鹿まで現れかねない」

「それは、私も、嫌だ……というか、そんな真似をされそうになったら、相手の生命か男性機能を奪わずに済ませる自信がないぞ」


 いっそう顔色を悪くしてクロエが言うと、アルベリックはそれで最悪の想像をしたかのように身震いをして深刻な口調で呟く。


「それなら、どんな辺鄙な場所だろうと研究者のところに自分で行くぞ! 誰がなんと言って止めようと……少なくとも、男に言い寄られる心配はしなくていいんだからな!」

「いや、止めはしないって……どのみち、研究者のところに行くなら王子も一緒の予定だったんだから」


 いいんだよな、と問うような目を向けるクロエに、イングリットは渋々といった様子でうなずいてみせる。


「王宮にいる場合の危険と、王宮の外にいる場合の危険を比べてみたら、確実に前者のほうが大きいと断言できますからね。今や、噂が一人歩きして『薔薇のごとく美しい姫君』だなんだと評判になってますから……しかも、勝手な妄想を膨らませて寄ってこようとする輩は、外の危険と違って斬って捨てたら終わり、というわけにもいきませんし」

「まぁ、絶対に大騒ぎするよな……自分に非があったとしても、全部相手のせいにして」


 ますます嫌そうな表情でクロエが同意する。その言葉には経験者特有の重みがあり、アルベリックは強く頭を振ってきっぱりと言い放った。


「あとでどんな問題になったとしても、私は、自分の身は自分で守るからな。最大限に譲歩して、生命ではなく男性機能の喪失で済ませるくらいだ――それが問題だというなら、私が王宮から出て活動してもいいように、各方面にしっかり根回しを済ませておいてくれ」


「では、そのように取りはからいましょう」


 恭しく一礼してイングリットは告げてから、悪戯っぽく笑みを浮かべて付け足す。


「まぁ、もうその方向性で根回しは済んでるんですがね。国王陛下と重臣の皆様方のご意向も手伝って、もう話が進むのが早いこと早いこと」

「……だろうと思った。話が早く進む分については、それだけ出発を早められるだろうから助かるけどさ」


 クロエが小さく鼻を鳴らして言うと、アルベリックもほっとしたように肩の力を抜く。

 少しばかり温かみを増した眼差しでそんな二人を見て、イングリットは伝えるべき事柄の残りを口に出した。


「では、王子に付ける人員の手配が済み次第、その研究者――アイル氏でしたっけ? そちらの方のもとへ向かえるように、準備を済ませておきますか。すでにアンジェリカ王女の存在を嗅ぎつけた連中が、会わせろとうるさく騒ぎ始めているようですしね」


「絶対に会うだけで済まないやつだろう、それは……」

「まぁ、あと一日か二日の辛抱しんぼうですよ。王子付きの人員は基本的に固定されていますし、自主的に謹慎に入っている連中を引っ張り出してくるだけで済みますから。ああ、いや……もしかしたら、ジークフリート殿は今回同行は難しいかもしれませんが」


「……なにかあったのか?」


 心配そうな調子をのぞかせたアルベリックの声に、イングリットは首を傾けて返す。


「確か、ご実家の領地のほうで、大規模な魔物の襲撃が発生したと聞いたような……それほど強くない、小鬼や犬鬼などが中心だそうですが、その分数が多くて冒険者の手が回っていないそうですよ」

「それは……心配だな。ジークの実家なら不覚を取る心配はないだろうが、討ち洩らしや変異種の発生によって、思わぬ被害が出ることもある」

「ですが、領地の安定化はその地の貴族の果たすべき義務ですからね。救援を求められたわけでもないのに、他所から口出しをするのはあなどりと受け取られかねません」


 ご本人はどこからの救援であろうと喜々として使い倒すでしょうが、と続けるイングリットに、アルベリックは同意するように表情を緩める。


「そうだな。面子だとか体面だとか、そういうものは平然と蹴っ飛ばして実利を取るのがジークという人間だな」

「もう少しこだわったほうがいいと、たまに――割と頻繁ひんぱんに思うんですがね……」

「無理だろう、それは。熊に畑を耕せとか、魚にフライを作れとかいうのと同じだぞ? まだ馬に聖句を唱えさせることのほうが実現の目がある」


 一片の疑いも感じさせない声をクロエが発し、アルベリックが深々とうなずく。そんな二人に対し、イングリットは同意ともつかない複雑な笑みを顔にのぞかせた。


「それをあきらめと呼ぶのか理解と呼ぶのか、人によって評価は分かれそうですね。ともあれ、ジークフリート殿が同行できないというのであれば、代理となる人員は数が限られます。信用的にも、実力的にも――あんなんでも、一応は騎士団でも有数の使い手ですからね。王子は人員の手配が済み次第、出発できるように身のまわりの準備を整えておいてください。あと、変な人が近づいてこないように、単独行動は厳として慎むこと。いいですね?」


 イングリットが最後に付け足した一言に、少しばかりうんざりしたように口を尖らせてアルベリックは再度うなずきを返した。


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