第3話 性別反転の呪い


 天井近くまであるアーチ窓から、初春の柔らかな光が差し込んできていた。


 曇りのない板ガラスを透かした光が、石造りの床を白く染める。床からの光の反射が、控えめな色合いでまとめられた品の良い調度類を照らし出す。


「なるほど……それはまた、同行した者が残らず自ら謹慎を申し出るだけのことはある、明らかな失態と言えるでしょうね」


 深い群青色の天鵞絨ビロード織りのカーテンが寄せられた窓際、ぎりぎり光に直接当たらない位置に立つ青年が口を開いた。


 濃栗のうくり色の髪を肩口で束ねた、二十代前半ほどの細面の青年である。

 痩せ気味の身体を包むのは鉄紺てつこん色の文官の制服で、襟元にきらりと光る羽根ペンをした金色の徽章きしょうが、厳しい試験をくぐり抜けた高等政務官であることを示す。


「ジークフリート殿がついていながら情けない。仮にも一国の王子を軽々に連れ出して、冒険者ごっこなどという悪い遊びを教えておいて、肝心の時には身をていしてかばうことすらできないとはね。他の者にしたところで役に立たないという意味では同罪ですが」


「イングリット……今回の件に関しては、誰も責められるようなものではない」


 窓からやや離れた、これも直接光に当たらない位置に置かれたソファの上から、やや元気のない声が返される。

 その声は、変声期を過ぎた男性のものとしてはあまりにも細く、高かった。


「しいて言うなら、責められるべきは危険を承知でダンジョンに赴いた私だ。誘ったのはジークであっても、断るという選択肢が私にはあったのだからな。まして、正体不明の産出品に触れてしまった経緯については、不可抗力の事故としかいいようがない」


「不可抗力が生じる状況を作ったこと自体、同行した連中の怠慢でしかないんですよ」


 薄灰色の瞳を室内へと向けて、イングリットと呼ばれた青年はきっぱりと言った。


「連中は死ぬ気で王子を止めるか、でなければ自分の命に替えても無事に――まぁ今回も、生命的には無事といえるでしょうが、ダンジョンに向かう前とまったく同じ状態で帰すかのどちらかしかなかったんです。それができなかった時点で無能者の烙印はまぬがれません」


 ああ、とイングリットはわざとらしく目を細めて、自身の言葉の一部を訂正する。


「間違えました――『王子』ではなく『王女』でいらっしゃいましたね、今は」


 あきらかな揶揄やゆの響きをまとわせた言葉に、肌触りのいいアイボリーのソファに座っていたアルベリックがぐっと声を詰まらせる。


 その外見は、まばゆい金髪はそのまま、別人としか思えないほどに一変していた。


 細身ではあってもしなやかに鍛えられた肢体は、さらに細く華奢とさえいえるものに。長い睫毛の下の碧眼へきがんは、ひとまわり小さくなった顔に比べてぱっちりと大きく。薄く形のいい唇も濡れたようなつやと色味を増したものへと変わっている。

 顔の造りにはいささかの変化もないが、明らかに男性ではなく女性の美を感じさせる。


 真珠色の糸で縫い取りが施された萌葱色のドレスを身につけているため、芸術的なまでに整った身体の曲線もはっきりと見て取れた。


「……わざわざ言い直す必要はないだろう。中身は同じ私なのだから――というか、ドレスを着る必要はいったいどこにあるのだ?」


 白磁の肌を耳まで赤くしてアルベリックは抗議の声をあげる。その緩やかに巻いた純金の髪は、顔の両脇の一房ひとふさだけを編み込む形で丁寧に結い上げられている。


 後頭部でまとめた髪をめるのは、花の形に削り出した翡翠をあしらった髪飾りだ。


「別に、男物をそのまま着ていてもいいだろう……少し前に着ていたものなら、サイズ的にも問題ないだろうし……」

「大ありです。丈は合っても、確実に身幅があちこち余ったり足りなかったりします。私たちの目のやり場をなくさせるおつもりですか? それに、ドレスの件については国王陛下のご意向ですので、文句でしたらそちらにどうぞ。ドレスの用意をさせたのも陛下ですよ」


「父上ぇ……」


 呻くような呟きとともに、王子から見事な転身を遂げた王女は深くうなだれる。


「あと、今の貴方のお名前に関しては、国王陛下と重臣の皆様の三時間半に及ぶ討論の結果、アンジェリカ様とお呼びすることで意見が一致しました。アンジェリーナ派が最後まで粘っていましたが、最終的にはアンジェリカ派に肩入れした国王陛下のご裁量で」


「本当になにをやってるんだ、父上も、重臣たちも……暇なのか、暇なんだな!?」

「なわけないでしょう。今ずれ込みにずれ込みまくった予定を、必死に消化してらっしゃるところでしょう。アル――アンジェリカ様のこととなると、頭のネジが何本かまとめて吹っ飛びますからね、あの方々」


 つらっとした口調で言い放つと、イングリットはアルベリックの正面のソファに座る。


「ですが、別にふざけて女性としてのお名前を用意したわけではありませんよ。さすがに、仮にも一国の王子が息抜きでダンジョンに行った挙げ句、正体不明の産出品にうっかり触れて性別反転の呪いにかかりました――なんていうのは外聞が悪すぎますからね。王子にはしばらく急病人ということになってもらいます」


「では、私は別人ということになるのか……どこかの貴族の娘とか?」

「いいえ、なにしろ王子とうり二つのそのお顔ですからね。変な憶測を呼んでも困りますし、生まれてすぐ隠されて育てられていた、王子の双子の妹という設定で通します」


「……それは、さすがに無理がありすぎるのではないか? 父上に私以外の子供がいないのは広く知られているのだし……もし双子で生まれていれば、どちらかに万一のことがあった時のために、一緒に育てられるのが普通だと考えられるのでは?」

「残念ながら――というか、この場合は幸運にもと言うべきなんでしょうか――王子がお生まれになった当時は、その普通が通用しない状況だったんですよ」


 イングリットの顔に浮かんだ笑みは、皮肉げというには苦みの強すぎるものだった。


「王子もご存じでしょう、現国王――ラバグルート陛下が王位につく原因にもなった、国中を巻き込んでほとんど内乱一歩手前まで行きかけた、王位継承争いの話は。おかしな野心を持った貴族はあれで大半が死に絶えるか、勢力を大きく落とすことになったんですけどね。落ち目だからこそ、王子の双子の妹なんていう政争の種に飛びつかない保証がないわけで」


「……そう、だったな」

「ええ。王女なら傀儡かいらいに仕立て上げる必要もなく、自分か自分の身内が配偶者となるだけで簡単に王位が転がり込んでくるわけですし。もし本当にあの当時、王子が男女関係なく双子でお生まれになっていたとしたら、今の話と同じように片方が隠されて育てられていたか――でなければ、闇に葬られて『生まれなかった』ことにされていたでしょうね」


 苦さを通り越して毒に近くなった、イングリットの口にする言葉にアルベリックは悲しげな色を瞳にのぞかせる。


「まぁ、だからこそ今の王子は、陛下にとっての『あり得なかった可能性』であり――余計に愛しく感じられるのかもしれませんね。肖像画の王妃様にもそっくりですし。ドレスを着ることくらい、親孝行と思って大人しく受け入れたらいかがです?」


「お前は、コルセットの苦しさを知っていないから、そんなことを言えるんだ! 一度着てみろ! 二度と言う気になれないだろうから!」

「世のご婦人方の苦労がうかがい知れますねー。あ、私はつつしんで辞退申し上げますが」


 深刻さのかけらも感じられない声で言い放ち、イングリットは口調とともに話を変えた。


「ところで、ヒューム殿の解呪がまったく通用しなかったそうですね? あんなのでも一応は王都の神殿一の神聖魔術の使い手ですよね? 相当厄介な呪いのようですが、専門家のクロエ殿の見解はどうだったのですか?」


 呪いも術式の一つには変わりないでしょう、とイングリットは言外に告げる。


「それなんだが、クロエの意見では、術式自体にプロテクト――防護の付与がかかっているような状態ではないか、とのことだった。とりあえず例の産出品を持ち帰って、防護の解除を試みてみるとのことだったが……根を詰めすぎていないといいのだがな」


「原因となった産出品の防護を解除しても、王子にかかった呪いは解けないのでは?」

「物品が魔術の媒体となっている場合、本体にかかっている魔術と結果として生じた魔術は型枠とそこから作られた製造品のように、鏡写しの関係になることが多いそうだ」


 趣味にしている魔術に関わる話のためか、アルベリックの口調は滑らかなものとなり表情も少し明るくなる。


「ダンジョンの産出品は古代の魔術によって作り出されたものも多いと聞く。それを解析して現代の魔術のいしずえが作られたとも……時間が許せば、私も解析に協力したいところだったのだが。古代の術式を研究するいい機会だったろうにな……」


 熱っぽく語る表情は、対象が魔術の話でなければ恋する乙女そのものだった。ダンジョンの産出品――しかも呪いの原因の話をしているようにはとうてい見えない。

 さりげなくその顔から視線を外して、イングリットは頭をよぎった残念美少女という言葉を打ち消すように空咳からぜきをした。


「術式についてはクロエ殿の右に出る者はいませんし、こればかりは解析の結果が出るのを待つしかなさそうですね。稀代の天才という触れ込みが正しいことを信じて……」

「辛辣だな。クロエはまぎれもない天才だぞ? 魔術に関する知識だけでなく、理解力も想像力も常人離れしたレベルで備えているのだからな」


「……ええ、まぁ、王子の突拍子もない発想についていける点は、確かに常人離れしているのでしょうね。防御魔術で空中に足場を作って立体機動で戦闘を行うとか、料理や洗濯に威力を落とした攻撃魔術を使うとか……普通の人間の発想じゃありませんし」

「そこまで言われるほどか? ちょっと考えれば普通に思いつくと思うのだが」


 不本意そうに唇を尖らせ、アルベリックはふと思い出したように疑念を口にした。


「そういえば、この性別反転の呪いが解除できた暁には、アンジェリカ王女という存在はこの世のどこにもいなくなるのではないのか?」

「ええ、そうですね」

「その場合、公にはどう処理するつもりだ? 一度表に出してしまった以上、アンジェリカ王女はやっぱり存在しませんでした、とするわけにもいかないだろう? だからといって、私と同じ急病というのも怪しまれるだろうし……」

「ああ、それなら――」


 まるで後ろめたさを感じさせない笑顔と声で、イングリットはあっさりと言った。


「王子が復帰した暁には、アンジェリカ王女にはお亡くなりになってもらおうかと」

「おい!?」


 目をくアルベリックに、だって他にないでしょう、とイングリットは平然と続ける。


「急病やそれこそ呪いで、どこかで療養していることにしてもいいですが、まず確実に担ぎ出して王位を狙おうとするバ――思慮の足りない方々が現れるでしょうから。それならすっきり死亡したことにしたほうが後腐れがないかと。実際、この世のどこにも存在しないという点ではお亡くなりになったのと同じですし」


「発想が血も涙もない!?」

「文句だったら、あれだけ盛大な王位争いをやっておきながら、いまだに反省も後悔もできてない学習能力皆無の皆さんに言ってください。本当に一家残らず根絶やしになったほうがマシでしたね……タチの悪いのに限ってしぶとく生き残ってやがりますし」


 最後の台詞は聞こえるか聞こえないかのぎりぎりの音量で発し、イングリットは妙にさわやかな笑顔を見せる。


「まぁ、そういうわけで、後の面倒事を避けるためにもアンジェリカ王女には死亡退場という形を取っていただきます。せっかくだから、病気の兄王子を助けるために薬か治療法を探しにいって、盛大に英雄的な最期をげたという話にしましょうかね」

「待て、それを私はどんな顔をして聞けばいいのだ!?」


「そうですね、私たちの腹筋も試されそうです……が、下手に生きていることにして、王位を狙う輩に結婚相手として色目を使われたいですか? 見た目もこの通りの美少女ですし、色欲と権力欲の両方を満たしたい男たちが群れをなしてやってきますよ?」

「冗談じゃない! 男に言い寄られるなんて体験、死んでもしたいとは思わないぞ!」


 文字通り総毛立った表情で、全身に鳥肌を立ててアルベリックは叫ぶ。毛を逆立てた猫のような反応に、イングリットは若干の同情を含んだ顔つきになった。


「うーん、それが正常な反応といえるんでしょうが……ただまぁ、その呪いを解くことができなかったら、男性と結婚することも視野に入れなければならないことをお忘れなく」

「………なん、だって?」


 聞き返すアルベリックの顔から、言葉の意味を理解するのと同時に血の気が引く。


「だって、ほら、陛下の血を引く子供は王子一人じゃないですか? また傍流もいいところの家系から王位継承者を引っ張ってくるくらいなら、アンジェリカ王女に婿を取ってもらって、次の王となる子供を産んでもらったほうが……」

「絶対に、嫌だ! 私が子供を産むなど――男を相手に、子供ができるようなことをしろと本気で言うつもりか!?」


 あまりの嫌悪感に涙をにじませ、ソファから腰を浮かしてアルベリックは怒鳴る。

 心の底から嫌がっているのを理解して、イングリットは決まり悪そうにがりがりと後頭部を手で掻いた。


「うん、そうなりますよね……まぁ、そんな未来が訪れるのを避けるためにも、一日も早く呪いを解けるように尽力しましょう? ひとまずはクロエ殿の解析待ちですが……」

「……こんな形で、私の命運をクロエに託すことになるなどとは思ってもみなかったな」


 冗談の気配もない言葉をアルベリックは口に出す。両手をまるで祈るように組んだ姿を、斜めに見下ろしてイングリットは慰めとも止めともつかない口調で言った。


「少なくとも、全力を尽くしてくれることだけは間違いないですよ。あとは彼の、天才という触れ込みが正しいことを祈るばかりです――王子は彼の才能については、いささかの疑いもなく信じているようですし」


 確かめるような視線を向けられて、アルベリックは組み合わせた両手に落としていた視線をおもむろに上げる。

 不安をにじませた瞳に、弱々しいながらも明らかに笑みとわかる表情が浮かんだ。


「……そう、だな」


 決して力強いとは言えない声だったが、そこには確かな信頼の念が宿っていた。イングリットは応えるようにうなずいて、明るい日差しに満たされた窓の外へと複雑な感情を宿した視線を転じたのだった。



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