第2話 ダンジョンの主と宝箱



 ほどなくして一行の目の前に現れたのは、蔓草つるくさ模様に似た金属の装飾をほどこされた黒塗りの大きな扉だった。


 いかにも重要なものが奥にありそうな――もしくは強敵が待ち構えていそうな扉だ

である。


 鍵や罠がないのを確認したグラハムが、やや緊張した面持ちで扉の取っ手に手をかける。同時にゆっくりと開き始めた扉の向こうに、岩肌からそのまま削り出されたようなドーム状の空間が広がっているのが見えた。


 どこから発されているともわからない、ぼんやりとした光が空間を満たしている。


 クロエが魔術の明かりを点そうとした時、空間の奥に青白く揺れる光が現れた。


 炎にも似た揺らめきを持つ光は、岩肌に添って音もなく増殖して空間を明るく照らし出す。一直線に並んだ光はなにかの儀式場のようにも見え、入口で足を止めたままの一行の顔にも緊張の色が浮かぶ。


 ちらりと目を合わせてから、アルベリックは意を決して足を踏み出そうとする。

 それを寸前で止め、一足早く部屋の中にグラハムが踏み込んだ時、磨き上げたように平坦な床の上に円を基調とした複雑な紋様――魔法陣が浮かび上がった。


「……来るぞ!」


 ジークフリートが声をあげるのと、魔法陣が強い光を放つのが同時だった。


 反射的に目をそむけたり、腕で光を遮ったりする一行の前に、大人の身長の倍はありそうな巨大な影が現れる。高さに比例した身体の厚みがあるため、腕や足の太さはこれも大人の男性の胴回りを楽々と超えそうだ。


 腰回りを獣の毛皮で覆っている他にはなにも身につけておらず、みっしりとした筋肉に覆われた雄偉ゆういな体躯が一目で見て取れる。


 その身体は人間の男性そのものだったが、腕やすねは黒みがかった茶の剛毛に覆われ、首から上は完全に人ではなく――緩く湾曲わんきょくした二本の角を生やした牛の頭部だった。


 牛頭人身の怪物の手には、岩塊がんかいにそのまま持ち手をつけたような武器が握られている。


 居並ぶ人間たちを赤みを帯びた金の瞳が睥睨へいげいする。直後、怪物は空間内にとどろき渡る雄叫びをあげて、手にした武器を振りかざしてアルベリックたちへと襲いかかった。


「散開しろ! この深さなら魔法攻撃はないだろうが、通常攻撃だけでも充分な脅威だ! 決して気は抜くな!」


 ジークフリートの声に即座に全員が反応して動く。素早く飛び出していったのはグラハムとアルベリックで、ヘレナがやや遅れてそれに続く。後方に残ったのはクロエとヒュームだ。その二名を背にかばうような形で、ジークフリートが怪物の真正面に立ちふさがる。


「だーかーらー、いの一番に突っ込んでくのやめてくださいってば! 護衛の心臓に優しい行動をお願いするっす、王子!」


 悲鳴じみた声をあげながら、グラハムは抜き放った剣で怪物に斬りかかる。その横で同じように剣を抜いて怪物に攻撃を加えつつ、アルベリックは笑みさえ浮かべて言い返した。


「グラハムの心臓なら毛が生えているから大丈夫だ! 毛髪量に不安を抱えている中年男性が見たら、うらやましく思うくらいふっさふさだぞ!」

「俺の心臓はムートン仕上げっすか!? そんな評価、まったく嬉しくないんすっけど!!」

「父上の前でも平気で立ったまま居眠りするくらいのごうの者だろう? 大丈夫、私が多少の無茶をしてもグラハムの心臓はびくともしない! なんならドラゴンの前に飛び出したって平気なはずだぞ!」

「それ、俺が飛び出すんすよね? 王子が飛び出すって話じゃないっすよね!? それだけはマジで止めて欲しいんすけど!?」


 いささか緊張感に欠けたやりとりを交わしながら、アルベリックとグラハムは息のあった攻撃で怪物の身体に傷を刻む。

 致命傷にはほど遠い傷だったが、腕や足の腱を狙った適確な攻撃は怪物の機動力をぎ、流れ出る血はじわじわと体力を奪っていく。


「できれば私も、こういう無茶はやめて欲しいんですけど……ダンジョンの最深部にいる時点で、今更感が満載なんですよね。もう、あとはフォローに全力を尽くすしか……」


 どこか諦めの漂う笑顔で言いながら、ヘレナが手にした短弓たんきゅうで怪物に矢を撃ち込む。

 一瞬たりとも足を止めず、立ち位置を変えながらの射撃にもかかわらず、放たれた矢は吸い込まれるように怪物の左目に突き立った。


 空気がびりびりと震えるほどの悲鳴――あるいは怒りの咆吼ほうこうをあげて、怪物は目の前の二人へと棍棒を叩きつける。咄嗟とっさに左右に飛び退いた両者の立っていた床が棍棒に穿うがたれ、激しい破砕音とともに床の破片があたりに飛び散った。


「……ったく、〈風壁〉!」


 クロエが舌打ちとともに使用したのは、圧縮した空気の壁を作る魔術だ。


 鋭い石礫いしつぶてと化した床の破片を空気の壁が受け止め、アルベリックとグラハムを思いがけない急襲から守る。


 助かった、と肩越しに声だけを投げるアルベリックに対し、クロエは額に青筋を立てて険のある口調で言い返した。


「いいから敵に集中しろ! 僕がついていながら、王子にかすり傷一つでも負わせるわけにはいかないだろ! そんな恥を掻くのは真っ平ご免だ!」

「大丈夫ですよ~、即死でさえなければ私がすぐに治しますから。かすり傷なんて男の子には勲章みたいなもんですし」


「あんたは黙ってろ、不良神官! 下町の子供が膝擦ひざすりむいたとかいう話とはわけが違うんだよ! 仮にも一国の王子が、お忍びでダンジョン潜ってる時点で大問題なのに、傷でも負ったらそれがかすり傷でも同行者の責任問題になるんだよ!」

「じゃあ、問題にならないように綺麗に消しとかないとなりませんね。大丈夫、身体が半分潰れたくらいの傷でもあとも残さずに治せますから!」


 ヒュームが口にした物騒な台詞に、顔を引きつらせたのはクロエ一人だ。

 アルベリックは怪物の攻撃を余裕を持ってかわしながら、口元に苦笑ともつかない笑みを浮かべた。


「治す治さない以前に、傷など負わないのが一番なのだがな……それに、私は自分の行動の責任は自分で取るつもりだ。同行者が誰であろうと、私自身の意志で行動した結果を他人に押しつけたりしたくない。それこそ一国の王子ならなおさらに、だ」


 自分の行動の責任も取れない者が、将来一国を背負って立つことなどできるはずがない、とアルベリックは真面目な口調で告げる。

 その間も怪物から目を離すことなく、隙をうかがうアルベリックの後方でジークフリートがほがらかな笑い声をあげた。


「ははは、一本取られたな、クロエ! それに安心しろ、アルベリック王子の身になにかあって、責任を問われるとしたら首謀者の私だ! もちろんそんな事態はご免被るので全力で守るつもりでいるがな!」


威張いばって言うな! 一人で取りきれるような責任だったら、僕もこんなこと言うもんか! 王の一人息子って立場がどれほど重いか、もう少し考えてからものを言えよ!」

「現王の唯一の直系男子という立場は無論重いが、私にとってはもう十年以上面倒を見てきた弟分という立場のほうがはるかに重いぞ? それこそ我が身と引き替えであろうと、守り抜くことさえできれば後悔はないと言い切れるくらいにな!」


 寸分のためらいもない口調で言い放って、ジークフリートは剣を持っているのとは逆の手を宙へと突き出す。


 同時に、空中に浮かんだ魔法陣から流星のような幾筋もの光が放たれた。緩く弧を描いて怪物の頭部に殺到さっとうした光は、その顔面に熱傷を負わせるとともに視界を奪う。


 それは恒久的こうきゅうてきなものではなかったが、ごくわずかな間であってもアルベリックにとっては充分な時間だった。

 身体強化をかけた足で床を蹴り、狙いを察して進路上へと飛び込んで背を向けたグラハムの肩を踏み台にして、怪物の眼前まで思いきり跳躍する。


 まだ視界が回復しきっていない怪物が、危機を察してか棍棒を力任せに振り回す。


 だが、アルベリックが怪物の喉元に飛び込むほうが早かった。

 破壊的な威力を宿す棍棒の風圧を背中に感じながら、振り上げた剣を怪物の首筋めがけて突き出す。


 グラハムの悲鳴じみた声が再び聞こえた気がしたが、気にかける余裕はなかった。


 不安定な空中で姿勢を保つのにも限度がある。常人離れした体幹を持つアルベリックであっても機会は一度きりだ。

 姿勢を整えるのに一度だけ、クロエが使った〈風壁〉の魔術を応用して作り出した空気の足場を利用したが、二度目はさすがに難しかった。


「――やああっ!」


 焦点の定まらない赤みを帯びた金の瞳と、みどり色の瞳が至近距離で互いを映し合う。

 裂帛れっぱくの気合いとともに突き出したアルベリックの剣は、狙いを外すことなく牛頭の怪物の首筋を深々と切り裂いたのだった。





 ずしん、と重い音をたてて倒れた牛頭人身の怪物が、淡い光の粒子となって身体の末端から崩れていく。


 怪物の肉体が、残らず消え去ったあとには抱えるほどの大きさの箱があった。


 子供なら楽に入るくらいのふた付きの箱だ。控えめながら繊細な装飾がほどこされたその箱へ、息も切らしていない一行がゆっくりと近づいていく。


「鍵はかかってないっすね――ああ、罠の確認をするまで王子は近寄らないように!」


 グラハムが慣れた様子で複雑に曲がった針金の束を取り出し、別人のように引き締まった顔で、箱の表面を触れるか触れないかくらいの距離で撫でていく。


 しばらくの間のあと、彼は少し離れたところに立つクロエにちらりと目をやった。


「……隠蔽の魔法の気配は感じない。魔術的な罠もなさそうだ。まあ、この規模のダンジョンなら普通のことだろうけど」

「先遣隊の調査にあったとおりか……冒険者の質もだいぶん上がってきたようだな」


 にこりともせずに言葉を返すクロエにジークフリートがうなずき、さりげなく背中で庇うような位置に立っているアルベリックをふり返る。


「せっかくの迷宮主の討伐報酬だ。自分の手で宝箱を開けてみるか、アルベリック王子?」

「いや、ここは私は遠慮しておこう。グラハムとクロエの二人が確認した以上、罠があるとは思わないが……おかさなくていい危険を冒す必要はないだろう?」

「迷宮主と正面切って戦うのは、冒す必要のある危険か――いや、危険のうちにも入らないということか! 剛毅なことだな!」


 呵々大笑とばかりに笑うジークフリートにアルベリックは微笑を返す。その視線を受けて、グラハムがいそいそと箱の蓋を両手で持ち上げた。


「……うわー、なんだー、中から煙がー! ……なんてこともないっすね。うんうん、中身は鉄の剣に、使い捨ての魔術のスクロール、低ランクの防毒の付与のついた指輪ってとこか。まあ、ダンジョンの規模を考えたら定番も定番って感じっすね」

「新人から中堅にさしかかる冒険者の、卒業試験の場所にするにはちょうどよさそうだな」

「そのあたりは、冒険者ギルドの責任者と話し合う必要があるでしょうね……あれ、なんか他にも入ってる?」


 背中越しにジークフリートと話しながら、グラハムが箱の底から小さな金属の塊のようなものを取り出す。


 指先できらりと輝いたのは、半透明の石を銀の枠で囲んだ装身具らしきものだった。

 一見するとブローチのようだが、衣服に留めるための針は見当たらない。中央の石はうっすらと紫を帯びた乳白色。親指と人差し指で作った円くらいの大きさだ。


 石を囲む枠には、針の先で描いたような細い線で幾何学的な紋様が刻まれている。


「んー、俺の感知魔術のレベルじゃまったく、全然、歯も立たない感じですねー。クロエ様だったら、なにかわかるんじゃありませんか?」

「……いや、材質も来歴もまったく不明。かろうじて攻撃性の術式が施されていないとわかるくらいだな」


 眉間にくっきりとしわを寄せて、クロエがグラハムの手から装身具を受け取る。


「なにかの魔術を付与ふよされているのか、あるいは発動を助けるための媒体か……専門の分析機器にかけないと、取っかかりすらつかめそうにない」

「クロエがそこまで言うほどか……単に針の部分が取れたブローチということはなさそうだ」


 興味深げに目を輝かせて、アルベリックがクロエの指先をのぞき込む。慌ててその手を遠ざけながら、クロエは焦り混じりの声をはなった。


「正体不明のダンジョンの産物にうかつに近づく奴があるか! 明確にわかる攻撃性の術式がかかっていないだけで、どんな術式が潜んでいないとも限らないんだぞ!」


「それを実際に手にしている人間に言われても、説得力は今一つなのだが……」

「僕はいいんだよ、僕は! 万が一があっても大概の術式なら自力で解除できるし、そもそも僕になにかあっても、僕の知識と技術は確実に受け継がれるように手配してある」


 ふん、と居丈高に肩をそびやかせるクロエに、アルベリックは悲しげな表情を見せた。


「クロエの存在したあかしが、知識と技術だけになってしまうのは嫌だ。そんな悲しいことは、たとえ本人の口からであっても聞きたくないな」


「……僕に万が一のことなんて起きるわけがないだろう! あくまでこれは仮定の話だ」

「そうか、だったらよかった――ところで、万が一のことなどないと天才のお墨付きをいただいたのだし、もう少し近くで見せてもらってもいいか?」


 一転して虫も殺さないような笑顔になるアルベリックに対し、クロエは目を丸くしてから奥歯をぎりぎりとめる。


 軽く噴き出したのは、少し離れた場所で二人のやりとりを見ていたジークフリートだった。


「王子のほうが上手うわてだったな! なに、見せるくらいならいいのではないか、クロエ?」

「悪質な術式の中には、見るだけで発動するタイプのものもあるんだよ! 僕とグラハムがこれだけ触れて何もないから、その可能性は低いだろうけど――」


 言った瞬間、クロエの指先につままれていた装身具がぽろりと滑って落ちる。


 反射的に手を出したアルベリックが、それを受け止めたのは次の瞬間だった。


「………」

「………」


 目を見開くジークフリート、総毛そうけ立った表情になるグラハム、口と目を丸くしたヒューム、アルベリックの手から装身具を叩き落とそうとするヘレナ。


 そんな中、無言で顔を見合わせていたクロエとアルベリックが、ほっと息を吐き出す。


「よかった、何事もなかったよう……」


 アルベリックが口にしかけた言葉がなかばで消える。手のひらに載せたままの装身具が、目を灼くような白光を放ったためだった。


「――っ!」


 視界を真っ白に染め上げる光に、くらりと目眩めまいを感じてアルベリックは膝を付く。


「王子! 大丈夫ですか――」


 すぐ側で発されたはずのヘレナの声が、アルベリックには分厚い壁をへだてたように妙に遠くこもって聞こえた。


 その理由が、全身から発せられる熱であると気づくのに時間はかからなかった。


 腕が、足が、胴体も頭も、灼熱の炎に突っ込まれたかのように熱い。こらえきれずらしたうめき声混ざりの息も、唇を焼くかと思うほどの高熱を帯びていた。


「あ、う――っ」


 身体を支えきれず、アルベリックはがくりと崩れ落ちるように突っ伏する。


 膝や肘、肩や足の付け根といった関節から、みしみしと音がする錯覚を覚える。身体にまとわりつく衣服が重く感じる。全身から流れ落ちる汗が染み込んでいるためだ。


「アルベリック! しっかりし――」


 珍しく切羽せっぱ詰まった様子のジークフリートの声に、それほどの非常事態であるのかと頭の片隅でぼんやり思ったのが最後だった。


 アルベリックの意識は、吸い込まれるように気絶という闇の中へ呑み込まれていった。








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