薔薇姫はドレスを脱ぎ捨てたい

岩城広海

第一章 呪いはある日突然に

第1話 王子と愉快な仲間たち in ダンジョン


「ここが……このダンジョンの最深部か」


 ざり、と音をたてて、ブーツの靴底がぼんやりと光を帯びた人工的な床を踏んだ。

 声を出したのは、目映まばゆい純金の髪を一つに束ねた、十代後半と見える若者だ。


 やや細身の引き締まった体躯を包むのは、地味な色の衣服と革鎧。装飾もないそれは目の肥えた者が見れば、防護の付与が施された非常に高価なものだとわかるはずだった。


「うかうかと前へ出るなよ。先遣隊が安全を確認してはいるが、いかんせん何が起こるかわからんのがダンジョンという場所だ」


 すぐ後ろ、なにか起これば即座に引き寄せられる距離から、張りのある声が返された。


 こちらも目立たないなりに質の高い装備に身を包んだ、二十代半ばくらいに見える青年だ。癖のある琥珀の髪を短めに整え、日に焼けた顔の中で赤に近い紫の瞳が輝いている。

 葡萄ぶどう色というべき瞳の力強い輝きは、男性的な整った容姿にこの上なく似合う。


 その横で、油断なく周囲に目を配っていた黒いローブの青年が、月光を思わせる冴え冴えとした金色の瞳を若者に向けて言った。


「おかしな魔力の気配は感じない。報告にあった通り、この先はダンジョンの守護者の部屋までまっすぐ続いているようだ。ただ、魔術的な仕掛けはなくとも物理的な罠が存在する可能性は否定できない。油断はしないように」


「そういう時は、俺の出番ってわけっすね!」


 軽快な口調で、ほぼ同世代と思われる、若草色の瞳の青年が言葉を投げ入れる。


 黒衣の青年が衣装に溶け込むような紫紺の髪をしているのに対し、こちらは明るい麦わら色の髪だ。二十そこそこらしき顔立ちは平凡そのもので、短く刈り込んだ髪とよく鍛えられた身体付きも相まって、どこにでもいる門番の兵士あたりに見えた。


 その身を包んでいるのも、先を行く二人と変わりない地味なこしらえの装備である。

 唯一、違いがあるとすれば、やや質が劣るかわりに色合いや質感で目立ちにくいよう工夫が施されている点だった。


「まっかせてください~、罠でも隠し扉でもちょちょいのちょいっすから!」

「そんなことを言って、私の出番が来るようなことがないよう祈ってますよ」


 わきわきと手を動かす青年に、一行の後ろに控えるように立っている神官服の青年が苦笑気味に言う。

 こちらは琥珀色の髪の青年に近い、二十代半ばらしき容姿の持ち主である。


 肩に付く長さの髪は、毛先に行くにつれて色の濃くなる青みがかった銀。清廉せいれんな印象の美貌の主だが、長い睫毛の下の濃藍こいあいの瞳にはふとした弾みに不釣り合いな色気が漂う。


「いつぞやも、初歩的な罠をうっかり見逃して腕を落としかける羽目になりましたよね? 嫌ですよ、また皮一枚でつながっている腕をくっつけることになるのは」

「思い出させないでくれませんかね! あれ本気で痛かったんですから! つか絶対、わざと痛くなるようにしてましたよね!?」

「ふふ、さてね。少し痛い思いをしたほうが、後々もっと用心深くなるんじゃないかな~とはちょっぴり考えましたが」

「うわ、鬼がいる! それが仮にも神官やってる人間の言うことですか!」


 ぎゃいぎゃいと――主に片方のみが――にぎやかに言い合う二人を無視して、先頭の若者にひそやかに歩み寄る影があった。


「ヒューム様の言ではありませんが、用心に用心を重ねても無駄ということはありません。グラハムに先行を任せてお下がりください、王子」


 しっとりと耳に柔らかく響く声は、この場では唯一の女性のものだった。

 赤みを帯びた薄茶色の髪を邪魔にならないように編み込んで結い上げ、先行する二人と同じ活動的な服装で身を固めている。その姿は、度々口に出されているダンジョンなどで探索を行う、女性冒険者とほとんど変わりなかった。


 ただ、外見に手をかけないことの多い冒険者とは違って、大きな水色の瞳が印象的な顔には薄く化粧がほどこしてある。慣れぬ者だと素顔と見まごうほどに自然な化粧だ。


「私は政務と鍛錬でこんを詰めすぎないための、息抜きの目的でここに連れてこられたと思ったのだがな。気を抜くつもりはないが、少しくらいは羽目を外させてもらえないのか?」


 先に立つ若者の声に、女性はやや童顔といっていい顔をへにゃりとしおれさせた。


「ですが、王子……もしも御身になにかあったら、我が国は唯一の正当な後継者を失うことになります。なにより、国王陛下がどれだけ悲しむことになられるか……」

「もちろん、父上を悲しませるような真似をするつもりはない。しかし、私が唯一の後継者というのは間違いだ、ヘレナ。父上という前例がある以上、非常の際には傍系の血筋から次期国王を迎えることになってもなんら問題はない」


「問題はないかもしれんが、大いに揉め事の種になるのは間違いないだろうな!」


 琥珀色の青年の言葉はいっそ明朗なほどだったが、その内容は明るくはなかった。


「先代の国王が無分別にばらまいた『正当な血筋』の後継者が共食いの果てに死に絶え、王家に近い血筋の家も尻馬に乗るか巻き添えになった挙げ句、虫の息か完全に断絶。そんな状況でかろうじて生き残っていた傍系の血筋を引っ張ってきたのとはわけが違うぞ!」


「……いつになく、ずいぶんと毒を吐くじゃないか。ジーク」


 じとっとした響きが若者の声に混ざるが、青年は気にする様子を見せなかった。


「自覚をうながしているだけだぞ? 現国王のきわめて特殊な事例を引き合いに、後継者はいくらでもいるなどと世迷い言を抜かす王子には、それが必要だろう? もちろん、口でなんと言おうとも、国と民のことを第一に考える王子が軽々なふるまいをするとは思わんがな」


 からからと笑って告げると、ジークと呼ばれた青年は片目をつぶってみせる。

 若者はなんともいえない表情で目を逸らし、かわって口を開いたのは黒いローブに身を包んだ、怜悧れいりな容貌の青年だった。


「それが息抜きと称して、王子をダンジョンに連れ出した張本人の言葉でなければ、まだ説得力もあっただろうな。ジークフリート殿?」

「一緒に付いてきている時点で、貴殿も立派な共犯者だぞ、クロエ!」

「お忍びでダンジョンに潜るなんて暴挙をしでかすような連中を、野放しにできるわけがないだろう! せめて、魔術に関してなら右に出る者がない僕が同行しないと!」

「王子にはそろそろ左側から追い抜かれそうだがな! あと暴挙とまで言われるようなことはしてないぞ――ちゃんと斥候と回復役は確保してある」


「生きた薬箱並の扱いなんですよね、私……」


 遠い目をする青銀の髪の青年に、ジーク――ジークフリートは力強い笑みを向ける。


「安心しろ、ヒューム! 貴殿は生きて歩いて回避もできる、きわめて優秀かつ使い勝手のいい薬箱だ!」

められた気がしませんが……なんでしょう、まったく嬉しくないこの気持ちは」

「気のせいだろう! 私はこの上もなくまっとうに、貴殿のことを高く評価しているつもりだぞ! あとは、その女癖の悪ささえなければ非の打ち所がなかったのだがな!」

「それって今は関係のない話ですよね? というか、私は基本的に清いお付き合いしかしてませんが?」

「基本的に、とそこで付けてしまうあたりが語るに落ちているな! いや、当人同士で納得しているのならば、外野があれこれと口を挟むようなことではないが」


 うむ、ともっともらしく腕組みしてジークフリートはうなずく。頬のあたりをわずかに引きつらせ、ヒュームは金髪の若者に視線を向けた。


「少しばかり、自由すぎるのにもほどがありませんかこの守り役? アルベリック王子?」

「そればかりは同意も否定もできないな――特にこうして、政務の間の息抜きに連れ出してもらっている身としては」


 金髪の若者――アルベリックは、口元にはっきりとした苦笑を浮かべて返す。

 その容貌は、秀麗という言葉が陳腐に思えるほどに整っていた。滑らかな白磁の肌にくっきりとした曲線を描く眉、やや目尻の吊った大きな瞳は南国の海を思わせる碧色みどりいろだ。


 鼻梁びりょうはすっきりと高く、ほのかにべにを含んだ唇が少年から青年に移り変わる時期の、独特の危うさを含んだ美しさを感じさせる。首の後ろで束ねた髪は長く、緩やかに弧を描きながら腰のあたりまで届く。

 はにかんだ笑みをそのかおに浮かべ、アルベリックは居並ぶ者たちに目を向けた。


「私としてはジークだけでなく、こうして私に自由な行動を許してくれる皆に感謝しているのだがな。おかげで、王宮の中だけしか知らない温室育ちになることは避けられた。もちろん、そういう者を選んで私に付けてくれている父上にも――」

「……わざわざ口に出して言わなくても、それくらい僕たちもわかっているよ」


 ふて腐れたように言う、クロエと呼ばれた黒衣の青年に、アルベリックは花が開くように顔全体をほころばせる。


「私は幸せ者だな! じゃあ、くれぐれも油断は禁物と胸に刻んだ上で、このダンジョンの主にお目にかかりに行くとしようか!」

「ああ、だからって先に立って歩こうとするな! せっかくグラハムって肉盾があるんだからちゃんと有効活用しろ!」

「……俺の扱いも相当なもんっすよね? いや、それが護衛騎士の役割なんですが」


 引きつった笑みを浮かべたグラハムが、慌ててアルベリックのあとを追って歩き出す。


「とりあえず、王子に何かあったら俺の首が飛ぶだけじゃすまないんで、斥候兼肉盾の役割を果たさせちゃくれませんかね? いやマジ、家族が路頭に迷うどころじゃないんで!」


 切実な響きを帯びたグラハムの言葉に、アルベリックは渋々ながら先頭を譲って、一行は隊列を組む形で暗い通路に足を踏み出す。


「さて、この迷宮の主はどんな魔物だろうか……油断は禁物だが、この面子で挑むのならばとても負ける気はしないな」

「王子、それって『負けフラグ』とかって、前にご自分で言ってませんでしたっけ?」


 青銀の髪の神官、ヒュームの言葉だけをその場に残し、一行の姿は遠ざかっていく足音とともに通路の奥へと消えていった。


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