第十八節 疾風迅雷

 爽やかな緑の鎧を纏う少女は、華奢な背中からエメラルドに煌めくクリアーな羽を広げ、烈風を巻き起こした。無駄のない空気の塊が前方数メートルのレシーバーズを覆う。風のドームに包まれたレシーバーズ達は、全方位より飛び交う鎌鼬に身を切り裂かれる。その吹き様はまるで、高速のBPMに合わせてビートを刻むダンサーのようであった。

 ビル街の交差点の一角が綺麗に空いたのを見て、さすがのライトニングレイも乾いた笑いを浮かべる他なかった。

「発破かけるまでもなかったな」

 そう言うライトニングレイに、ミストゲイルは忙しなさそうに呼びかける。

「合わせるよ、奏雨っち!」

 羽が外れ、ミストゲイルの脚に絡みつく。翡翠の渦巻きが一歩を踏み出す。刹那、ミストゲイルは姿を消した。時の中を永遠に漂う空気の流れでさえも追いつけない、摩擦が起きようとする頃にはもう身体が遥か彼方へ向かっている。まさに韋駄天の速さであった。

「無茶言うよ、全く」

 四方八方のレシーバーズが吹き飛ぶ光景を眺め、ライトニングレイは片手に電気を集める。

「悪い気はしないけどね」

 楽しげに呟いたライトニングレイの手から、雷光の矢が撃たれた。軌道はさながらビリヤードのごとく、吹き飛んだレシーバーズを正確に射貫いていく。

 ミストゲイルは宙を舞う矢を掴み、全身に蓄電する。そして、叫びと共に稲妻を地上めがけて放った。雨が土に脈を作るように、閃光は大地を伝って辺りのレシーバーズ達を一掃した。

 焼き払われた死骸が塵となり、風に運ばれる。ミストゲイルが見下ろす視界に、もう進攻してきたレシーバーズはいなかった。だが、同時にその瞳に映るのは、荒れ果てた街並だった。ミストゲイルは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。受け止めるしかない。吐き出したくなったとしても。

 降り立ったミストゲイルの様子に気づいてか、ライトニングレイは肩に手を乗せた。

「今は自分を認めてやろうよ。あんたがあたしを許してくれたみたいにさ」

 手を握っては開く。あの時、届いた手は間違いではなかった。胸中の靄が晴れるような気分だった。

 突如、震動が起こり、コンクリートに亀裂が走る。咄嗟に浮遊したミストゲイルの瞳には、百獣村で見た巨体が進攻する様子が映った。その頭部に影二つ。正体など、もはや思案するまでもなかった。

「オーダー…!」

 視認できる頃にはもう、オーダーを除いて一面の景色が呼吸を止めてしまった。身構えたまま硬直したライトニングレイを尻目に、ミストゲイルはオーダーめがけて飛び出す。空気に溶け込んだ拳が四方八方から繰り出されるが、オーダーは全てをいなした。

「ゾアとして完全に覚醒したようね、ミストゲイル」

「もうやめてよ、こんなこと!無限樹があれば世界を救えるんでしょ?意味ないことしないでよ!」

「新しい世界に下等な生物を残して何になるの?くだらない時間を繰り返すだけよ」

 オーダーはシャットシェルの頭部の時間をわずかに進め、ミストゲイルの足場を崩した。その隙にオーダーの蹴りが入り、ミストゲイルは踞る。

「道具を持てば殺しに使い、知性を持てば蹂躙に使う。自らより優れた者を標的にしてね。有意義な時を歩めるとは到底思えないわ」

「…それは、他人が決められることじゃないよ」

 ミストゲイルは羽ばたき、俯瞰地点(そら)から答えた。

「誰がどんな考え方をしてるとか、何のために生きてるとか、わかるわけない。その人でもないのに」

「じゃあ、あなたは一度だって疑問を抱いたことが無いとでも言うの?現状に!歪んだ生物共に!」

 激昂するオーダーの傍に降り立ち、ミストゲイルは視線を逸らすことなく言った。

「何度もあるよ。どうして夢を奪うのか、何で苛めてくるのか、わかんなかった。だからジュンちゃんだけでいいやって思ってた。でも、」

 拳を握りしめる。

「私、ジュンちゃん殺そうとした奏雨っちに、咄嗟に手を伸ばしてた。その時、そんな私を諦めたくないなって、皆のために頑張りたいって思ったんだ」

 嘲りを含め、オーダーは笑い飛ばす。

「けれど、大衆はどうかしら?あなたのこと、化け物呼ばわりしているけど」

 ミストゲイルは全身に風を帯びる。

「そんな風向きを変えるために、ここへ来た」

 沈黙の後、オーダーの鎧が変形を始めた。先鋭的な形状の鎧は、夢か現かわからぬほど存在が曖昧な、幻想的な雰囲気を醸し出すものへと変わった。色と呼べるものがあるかも脳では理解できず、ただ、そこに鎧があることだけが理解できた。兜は消え、代わりに顕現したのは無機物のような顔面であった。

 機械仕掛けの瞳を等間隔で揺らし、オーダーは不敵に笑む。

「皮肉なものだ、ミストゲイル。私の願いに必要なお前が、私の最大の天敵なのだから」

 中指と親指の腹を合わせ、続ける。

「時間の牢の外にあるもの、それが風。風はいつでも、どこにでも吹いている。時に縛られない。ならばこそだ」

 指が鳴り、時間が息を吹き返した。頭蓋のある所に浮かぶ歯車の集積物─脳─を回し、オーダーは叫んだ。

「戦おう。どちらかが倒れるまで。どちらが正しいか、ここで決まる」

 地鳴りが轟く。シャットシェルの歩みを止めるべく、ライトニングレイが太い脚を両手で受け止めた。支える足がコンクリートの中にめり込む。その背後から、サイレントボーダーが透明の槍を突く。間一髪、脇腹をかすめるにとどまったが、シャットシェルを前に進ませてしまった。

 ライトニングレイは脇腹を押さえ、電気による熱で止血する。

「これも、持つ者の戦い方ってやつかい?零」

「サイレントボーダーだ。真名は己の存在を示すものだ、軽んじないでくれ」

 冷淡な声音で返すサイレントボーダーに対し、ライトニングレイは鼻で笑った。

「殺した奴の名前すら覚えていないくせに」

 光の線が鏡を描き出し、鏡からいくつもの稲妻が照射される。だが、それらは全て虚空の一点に収束し、掻き消された。

「必要が無いからね」

 鏡は消え去り、代わりに、ライトニングレイの手に雷の槍が握られた。

「ならあの時、何で『零』って呼ばせたの?」

 槍をぶつけ合う。サイレントボーダーは押し黙ったままである。

「あんただって欲しかったんだろう?理解者がさ」

 その訴えを前に、サイレントボーダーは動揺を露にした。

「笑わせるな。僕の理解者はオーダーだけで十分だ」

「じゃあ何故!」

 透明の槍がライトニングレイを退ける。

「僕はレイジじゃない、零なんだ!それを確かめて何が悪い!」

 ライトニングレイにはわからない事情。そこに込められた感情が、サイレントボーダーの激情を煽った。だが、ライトニングレイにもわかる情緒が、そこにはあった。

「あんた、結局人なんじゃないか。どれだけ見下したって、真名だなんだって言ったって、本質は人じゃないか」

「うるさい!」

 空間が原点に収束し、瞬時にライトニングレイとサイレントボーダーの間合いが詰められる。ライトニングレイの腹部に鈍い感覚が走った。血の滴がコンクリートに吸われる。

「人を超えれば、レイジよりも上になれば、あの人は僕だけを見てくれる!ゾアのなり損ないでも、レイジの代わりでもない、僕を!」

 咳き込み、ライトニングレイは呟いた。

「…まぁ、吹っ切れたかな」

 ライトニングレイは俯いたまま右手をかざし、大気中の電荷という電荷全てを集中させた。イオンの波動が空気を震わせ、ライトニングレイの右手さえ焼き切りそうなほどの、傍にいたサイレントボーダーを遠くへ吹き飛ばすほどの威力を蓄えた。

「さすがにこれはスルーできないよね」

 極大の光線がサイレントボーダーに向けて発射された。無の壁を張り続けるも、光はとどまる気配を見せない。

「何故…!」

「人より優れたあんたなら知っているはずだろう?光は透過する。どれだけ無に還そうったって、『見える』時点で無意味なんだよ」

 『見る』ためには光が要る。全てを原点に収束させられるなら、サイレントボーダーの姿が消える、もしくは屈折しなければおかしい。それはつまり、サイレントボーダー自身、無の壁越しに物を見るために光を透過させていることとなる。

 ならば、たとえ防御するために無の壁を展開したとしても、必ず綻びは生じる。その綻びこそ、収束の許容量なのだ。つまり、手を焼き切りかねないほどの強さで放った光なら、光はサイレントボーダーに届く。

 ライトニングレイは吼えた。激痛を紛らわせるため、その光を届かせるため、過去の慕情を振り切るため。そして、光線はサイレントボーダーを焦がした。

 肩で息をして、ライトニングレイは真っ黒の零を通り抜ける。

「待て…!」

 足首を掴む零の指を静かに離し、

「じゃあね」

 と言ったきり、後ろを振り返ることはなかった。焦げた臭いが蔓延するコンクリートの更地に寝転ぶ男が一人、取り残された。

 満身創痍のライトニングレイが走る先には、建物などの人工物という人工物を破壊するシャットシェルと、頭上で戦闘を繰り広げる二体のレシーバーズがいた。

 ミストゲイルがオーダーへの対応で手一杯の中、シャットシェルを止められるのはライトニングレイのみ。だが、身体は言うことを聞かない。朦朧とする意識の中、膝をついて倒れ伏す。諦められない。しかし、どうすれば──

 その時だった。大地の響く音が突如止まった。何かがシャットシェルを止めたのだ。奏雨は目を開く。否、開かされた。その歩みを止めた強風と正体に。それは人とも獣とも、ましてやレシーバーズとも言えないもので、天馬に騎乗する白銀の騎士であった。騎士は指一本でシャットシェルの動きを止める。

「何者じゃ、貴様…!」

 呻き声に対し、騎士は無機質に答える。目の前に広がる景色の全てが絵空事なのではないかと錯覚してしまうほど淡白で、これほどのものは世界に存在しないのではないかと思ってしまうほど気品に溢れる声色だった。

「我は混沌の使者が一人、ホワイトライダー。停滞した世界を削除(デリート)する」

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