第二節 嘘みたいな贈り物

 ギフテッド・エイプリルフール。日本がレシーバーズの棲む魔の島と化した日。架純や仁は当時、まだ来年の高校受験すら視野に入れていなかった。仁はどうか知らないが、架純は確かに覚えている。あの時の風景、匂い、呼吸でさえも。全てが変わった日のことを、今でも架純は覚えている。


 体育館から音が漏れ聞こえる。シューズが摩擦する音、流行のポップス、かしましいほどの笑い声。架純は体操服に身を包みつつ、シューズを手に持ちつつ、建物の外から音を聞いていた。

 その近くで、数羽の雀が飛び立つのが目に入る。複数の雀が固まって飛ぶ中、一羽だけが後から着いて行く。弾かれたのか、コミュニティの外へ。架純は歯を食い縛り、拳を握る。シューズの踵に皺が入る。

 すると、後ろから架純を呼ぶ声がした。

「早く帰ろうぜ」

「ジュンちゃん」

 振り向き、笑顔を作る。わざとらしいくらいにスキップして仁に近寄る。月曜日は仁の部活が休みなので、共に帰れる。この曜日は泣かなくて済む。今度は心から笑みをこぼした。

「お前も物好きだよな。春休みにまで冷やかしに来るか?普通」

 帰路、呆れる仁に架純は口を尖らせる。

「言い方に悪意を感じるんですけどー」

「事実だろ。いきなり幽霊になってゲーセンにたむろし始めたの、どこのどいつだと思ってんの」

 そう言って仁は笑い飛ばす。言葉だけならキツい。けれどそういう時、仁はいつだって和やかに笑いながらトゲを中和する。こんなに器用なら、自分も皆と踊れたのかな。仁の一歩後ろで架純は薄く笑う。雲を裂き射し込んだ太陽の作る木陰が、架純の顔にかかる。

「でも、いてくれるんだよね。ジュンちゃんは。こんな私とも」

 漏れ出た心の音。仁は耳を赤くしながら、

「そりゃあ、幼馴染だし…」

 と、言葉を詰まらせた。二人は黙ったまま坂道を登る。頂点までたどり着き、仁は足を止めた。風が二人の首筋を通り抜ける。

「明日は明日の風が吹く」

「え?」

 仁は青空を見上げて続けた。

「なるようになるさ。なるんだろ?ダンサー」

 架純は頬に生暖かさを覚えた。湿り気のある線をなぞる。仁には聞こえないように呟いた。

「泣いちゃったじゃん」

 涙を拭い、笑顔を心がけ、架純は陽気なステップで仁を追い越した。花の香り舞う空の下、アスファルトの上を軽やかに跳ねて踊る。ポーズを決め、息を荒くして高らかに言った。

「当然!」

 仁も歯が見えるほどの笑みで応える。桜の花弁が空に散らばる。

 その時、仁の背後の遥か彼方、黄金の渦が宙で巻いているのを見た。架純が仁に呼びかけるよりも先に、渦から閃光が走った。途端に空はいくつもの渦で覆われ、肌寒くも暑くもある、そんな感覚に襲われた。

「何だ、これ…」

 突然、仁は悶え、気絶した。倒れ伏す仁を見て、架純の血の気が引く。直後、渦から光が照射され、架純の身体を貫いた。全身に激痛が走る。神経が肌越しに発光する。星座を結ぶように、節目節目が特に色濃く光った。架純は絶句した。気持ち悪い。自分の身に何が起きているのかわからない。当惑、不安、恐怖。細胞という細胞が怯える。

 今度は痙攣が襲ってきた。徐々に強くなる。肉がゴムのように跳ねては戻る。一つ跳ねるごとに、あり得ないほど伸長していく。

 しばらくして、ようやく痙攣がおさまった。苦痛に喘ぎ、うずくまりながらも、架純は一縷の安堵を得た。

「やっと終わった…?」

「いいや、始まるのさ」

 聞き慣れぬ声。顔を上げる。白いマントで身を隠した『何か』が二体、立っていた。架純は仰け反り、理解不能な事態に再び震えた。

「化け物…」

 身長の高い方が笑う。

「酷いなぁ。僕達は授かりし者、さしずめレシーバーズといったところだ。選ばれた生命なんだよ。もちろん、君も」

 脳がフリーズしたような感覚に陥った。

「どういう…」

 身長の低い方が無口なまま、細く曲がりくねった灰色の光で鏡を作った。鏡に写る姿は架純に天変地異よりも激しい衝撃を与えた。鴉のように尖った顔つき、ヒビの入った青い眼、鎧のような黒い肉体。異形は咆哮した。

 激情に駆られる異形の身体を、身長の高い方が目に見えない何かで縛り上げた。途端に、平静が異形の心に訪れてきた。身長の高い方は異形に近づき、白いマントを着せて嬉しそうに語った。

「おめでとう!君は僕達の先導者となる資格を得た。真名(マナ)を授けよう。何がいいかなぁ」

 首を傾げ、

「灰色の雷鳴─ライトニングレイ─はどう思う?」

 身長の低い方に尋ねた。灰色の雷鳴は無愛想に、

「認めたつもりは無いぞ、『境界』」

 と答えた。『境界』はアメリカのコメディアンさながらのオーバーリアクションで不満を表した。

「略すなよ。僕には境界に咲く暗夜─サイレントボーダー─って真名があるんだからさ」

「興味ない」

 にべなく返事するライトニングレイに対して困った表情を浮かべながらも、サイレントボーダーは異形に向き直り話を続けた。

「先導者の名前は後で考えるとして…一人、場違いな人がいる気がするんだよね」

 サイレントボーダーは仁を指さした。

「授体の儀に落ちた持たざる者。これからの世界にいてはいけない存在だ。知っているかい?どんなに優れた菜園も、ハーブ一枚で腐り果てる。僕達はハーブを間引く必要があるんだよ。こんな風に」

 サイレントボーダーが気絶した仁に向かって手を伸ばす。異形の心は無の淵にいた。が、瞳に仁の姿が飛び込む。何かが沸々と湧き起こってくる。まるで、逆巻く風のように。

 異形の手がサイレントボーダーの腕を掴んだ。すかさず、サイレントボーダーの頬をマント越しに殴る。風を連れたその拳がサイレントボーダーに血を流させた。

 異形は自らの足で立ち上がり、仁に駆け寄る。ライトニングレイが光線を放つも、光さえも追い越す透明の疾風を捉えることは叶わなかった。しかし、サイレントボーダーが仁を抱きかかえる異形に手を伸ばし、再び縛り上げる。指を折り曲げながら、サイレントボーダーは呼びかけた。

「考え直せ。僕達は授かった。家族みたいなものじゃないか。抱きかかえる相手を間違えるな」

 両手を広げてサイレントボーダーが歩み寄る。傍に来た瞬間、異形はサイレントボーダーの胸めがけて手刀を放った。血が異形に被せられたマントを染める。だが、その隙を狙ったライトニングレイが光線で異形の身を焼く。マントが燃え盛る。

「やめろ!」

 サイレントボーダーが叫んだ。

「でも…」

「家族を傷つける力じゃないだろ、それは!」

 サイレントボーダーの覇気に押され、ライトニングレイは渋々、光線の照射をやめた。すぐにサイレントボーダーは虚空を握りしめ、火を止めた。焦げたマントはマフラーほどの長さとなり、異形の口を覆う。

 異形は仁を背負いながらサイレントボーダーを睨み、

「この人だって、家族だよ」

 と言い残し、透明な風となってその場を去った。

 仁を家に帰し、異形は疲弊した肉体で遠くの森に入った。湿っぽい地面に倒れ込む。息をするのもつらい。視界がぼやけてきた。また、身体に激痛が走る。無理矢理に目覚めさせられた瞳に映ったのは、傷だらけの肌色の手。

 身体を起こし、全身を確認する。架純がそこにいた。

「元に戻った…?」

 安堵も束の間、物音がする。周囲を見回すが、草木以外には何も見えない。聞き間違いだろうか。だが、確かに感じる。殺気を。

 刹那、何かが架純の頬をかすめた。血が滴る。振り向くと、化け猫が尻尾で木にぶら下がっていた。

「よぉ兄妹!そんな恰好に戻っちゃって、どったのよ?みっともない」

 数メートルは離れている化け猫の牙に血が付着しているのが見えた。臭いが漂う。脳が勝手にDNAを解析した。人間。吐き気が架純を襲う。構わず、化け猫は続けた。

「もしかして俺よりランク低いのかな?ナンバーも貰ってなかったり?」

「人を、食べたの…?」

 架純は狼狽する。もう意識を長く保てない。強い眠気と激しい痛みが同時に押し寄せる。

「おいおい、質問したのはこっちだぜ?ランクはいくつよ?統制者─オーダー─に言われるだろ?ちなみに俺は5。ナンバーはエイト。名前はナンバーと一緒。数が少ない方が偉い。で?俺ばっか滅茶苦茶語っちゃってんだけど。質問に答えてよ」

 血の臭いが脳髄を支配する。食べられた?人が。発達した神経の電気信号が、鮮明な想像を架純に与える。汚く散らかされた臓物。剥き出しの骨。動かない筋繊維。腐乱臭。仁の顔がよぎる。食べられる?大事な人も。

 目元からヒビが走る。ヒビは青い光を放ち、架純の肉体を旋風で包み込む。架純は冷徹に、それでいて嵐のごとき殺意を孕ませ、言葉を発露した。

「食べたの?」

「しつけぇな!質問に質問で返してんじゃ──」

 ほんの一瞬だった。エイトの首が消えた。いや、握り潰されたのだ。疾風怒濤の勢いで。異形と化した架純は、血のついた手を払って呟いた。

「どうでもいいよ。そんなこと」

 同時に誓った。自分にはレシーバーズと名乗る化け物を倒せる力がある。ならば倒そう。一匹も残さない。大事な人を守るために。

 暮れかかる空に慟哭が轟く。騒がしい街に向けて、架純は風を連れて駆け出した。授かり物を活かすために。


 胸を押さえ膝をつくサイレントボーダーに、ライトニングレイが詰め寄る。

「何で逃がした。あんな奴、家族じゃない」

 怒り心頭のライトニングレイを諌めるように、サイレントボーダーは平静を保って語った。

「あの子は最強のレシーバーズになり得る。そうなったらわかるさ、僕達の考えが。立場が人を作るのだから。それまでは持たざる者のヒーローでいてもらおう」

 各地で人々の阿鼻叫喚と、風の吹き荒れる音が聞こえる。サイレントボーダーは安らかな顔で呟いた。

「あの子は…透明なる疾風─ミストゲイル─は、僕達を導く風になれる」

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