レシーバーズ 霞の章
風鳥水月
第一節 風にめくられた聖書(バイブル)
午後10時、女はスーツ姿で駅から出た。くたびれた顔つき、おぼつかない足取り。化粧はすっかり剥げ落ちている。
「新年度初日から残業って…」
駅前のコンビニにもたれ、背中を擦らせながら力無くへたれこむ。あと十分はヒールを履いたまま歩かねばならないと思うと、正直このまま眠りたい。女はそんなことを考え、口に漏らした。
「やってられるか、こんな仕事~…」
すると、突然地面が揺れた。地震だろうか。女は飛び起きた。だが、余震が来る気配も感じられない。疲れすぎて幻覚でも見たのだろう。そう納得し、女は再びおぼつかない足取りで家路につこうとした。
刹那、女は違和感を覚えた。身体が動かない。それに、春だというのに寒くなってきた。血の気が引いていく。首から力が抜け落ち、視線が下がる。突起物が見えた。
「何、これ…」
女はようやく、自分の身体が貫かれていることに気づき、意識を永遠に失った。タイルの隙間を血が染めていく。突起物を引っ込め、獣は血を美味そうに舐めた。数口ほど嗜んだ後、獣は腕で口を拭い笑った。
「たまんねぇな、メスの血は」
パトカーのサイレンからおよそ200メートル先で、学校のチャイムが鳴る。六時限目の授業が終了した合図だ。教師が行事の連絡などを少しばかり行なった後、神妙に話を切り出した。
「昨日、この学校の最寄駅の前でレシーバーズが出たのは知っているな?それで部活はしばらく見合わせることになった。なので皆、今日は直帰するように」
レシーバーズ。20XX年4月1日に起きた異常気象、通称『ギフテッド・エイプリルフール(嘘みたいな贈り物)』によって生まれた突然変異生物のことを指す。端的に言えば超能力生物なのだが、いかんせん数が多すぎるためか、この混沌も現在は飽和状態にあった。
「先生、そんなんで止めてたら俺たち一生部活できないと思うんすけどー」
「どうせミストゲイル来るって」
飽和状態の元凶や象徴と形容される存在、透明なる疾風─ミストゲイル─。ネット掲示板で命名されたそれは、平均的に3メートルは超えるレシーバーズには珍しい、人間大のレシーバーズである。レシーバーズを狩る幻のレシーバーズ。彼はヒーローだ。いや、新たな脅威だ。人々は好意的にも懐疑的にも捉えていた。
「埼玉のと同じ奴なのかな、カマイタチの」
教室の中が不満や恐怖でざわつく。それを尻目に、クラス委員の礼閃零が折り目正しく立ち上がった。すると、誰に言われるでもなく、一斉に教室が静かになった。一年生にして生徒会長も兼任する男は伊達ではないといったところか。
「起立、礼」
そして、生徒達はそれぞれの感情を抱えたり、発露しながら教室を出るのであった。
だが、これらのことなど颯架純にとっては些末な事態に過ぎない。架純は一目散に下駄箱へ駆け、靴を履き替えた。脱兎のごとく走る架純の足は、1キロメートル先にあるゲームセンター『ジョイパーク』で止まる。
開きかけの自動ドアの隙間を通り抜け、架純は彩り豊かなゲーム機達には目もくれず、一直線にダンスゲームのコイン投入口へ100円玉を入れた。架純は手の平から鉄の臭いが漂わせる。
「Ready?Let's dance!」
機械の声と共にゲームが始まった。画面に合わせ、ステップを踏む。バネでも仕込まれたかのような、軽やかな足さばき。しかし、シンプルな譜面に合わせて踊る架純の顔は、無表情に近かった。
「今度はもっと難しくなるよ!Are you OK?」
その声と同時に、譜面の難易度が上がる。複雑に入り乱れた譜面を目にして、架純は瞳を輝かせて笑った。
「Yeah!」
ショートヘアーを揺らし、架純は返事する。ステップの速度が増す。恐らく、普通の人間には目で追うことすら難しいだろう。
「トン、トン」
そして最後のワンステップを踏む。
「キメ!」
決めポーズ。機械は高らかに叫んだ。
「Perfect!Congratulations!君が新しいチャンピオンだ!」
画面にスコア順位が表示される。『NEW!1st 9999999』の文字を指でなぞりながら、架純は声を弾ませた。
「ベスト記録更新、ってね」
「ここでそれ聞いたの、十回目だぞ」
架純の後ろから、架純と同じ学校の制服を着た男が声をかける。
「あっ、ジュンちゃん!」
振り向く架純の頭を小突き、
「『仁』だって。何回目のやり取りだよこれ」
と訂正した。男の名は志藤仁。なのだが、幼少期に架純がジュンと間違えて呼んで以降、彼女の中ではそれが定着してしまった。
「わかってるよ。でもわかるでしょ?ジュンちゃんも。自分のことだって」
架純は口を尖らせた。
「そりゃ何年もお前といたら嫌でもな」
仁がにべなく反応する。すると架純は露骨にしおらしい雰囲気を漂わせ、
「私といるの、嫌?」
と声を潤ませた。
「いや、そういうわけじゃなくて…」
戸惑う仁を見て、架純は笑いながら手を振った。
「冗談。ジュンちゃん、ホント騙されやすいよねぇ」
仁は顔を赤くして眉を潜ませた。
「マジで心配したじゃねぇか」
架純は仁の肩を叩き、何故か誇らしげに言った。
「さすが人気者、私も鼻が高いよ」
「どっから目線なんだお前は」
呆れる仁と、にこやかな架純に対し、ヤンキースタイルの恰好をした女性、田宮奏雨が話しかけてきた。
「相変わらずの夫婦漫才ぶりだな、二人とも」
仁は助かったと言わんばかりの表情を浮かべた。
「付き合っちゃいないけどな」
「傍から見たら信じらんないけどね、その言い訳」
悪戯に笑う奏雨に近づき、架純はコインの投入口へ手を引いた。
「そんなことより早く対決しようよ、奏雨っち!」
架純は無邪気に催促する。それを聞いて、仁はほんの少しだけ微妙な表情を浮かべた。その機微を逃さなかった奏雨が、顔を仁に向けて小声で喋った。
「気にしなくていいよ、悪気ないと思うから」
「知ってる」
「一番、でしょ?自信持ちな」
声を潜ませ話し合う二人の間に顔面を突き出し、架純は不満げに言った。
「なにコソコソ話してるの?ハミゴは無しだよ~」
「わ、わかったわかった。今コイン入れるから待ってな」
奏雨は慌てふためきつつ、財布から100円玉を取り出した。
そうして過ごしていると、いつの間にか日は暮れていた。
「あー楽しかった」
ようやく帰路についた架純は満足げに伸びをした。
「次はどこ荒らすつもりなんだ?この近くはもう無いだろ、ゲームセンター」
仁が尋ねると、架純の代わりに奏雨が答えた。
「デパートの中のやつはまだ二つぐらい残ってたと思うぞ」
「あっ、そうだっけ?じゃあ明日行こっか!」
架純の足取りがスキップに変わった。その背中を眺めつつ、仁は微笑んだ。
「好きだよなぁ、あいつもお前も」
「実際楽しいしな、ゲーセン狩り」
奏雨は仁の横顔を見つめ、幼い子供のような笑い方をした。
「ゲーム上手すぎて出禁なんて、あいつやお前と一緒じゃなきゃ確実に聞けねぇ単語だわ」
「いやぁ、勲章だね」
胸を張る奏雨に対し、仁は苦笑しながらツッコミを入れた。
「あっちからすりゃ死活問題だっつーの」
「言えてる」
奏雨が仁の横顔に話しかけている間ずっと、仁は遠い目で架純を見つめ続けていた。
午後十時、仁は風呂に入ろうとズボンに手をかけた。ポケットに重さを感じる。中身を取り出す。水色のテープ式財布。仁は思い出した。ジョイパークに来る途中、架純の財布を拾ったのだ。そそっかしいうえに危なっかしい。頬を緩ませ、仁は呟いた。
「返しに行かねぇと」
服を着直し、仁は外に出た。隣の家のチャイムを鳴らそうとしたその時、異様な音が聞こえた。まるで、何かがぶちまけられたかのような音。不思議に思い、仁は音の先へ足を伸ばした。
街灯が正体を照らす。一本角を生やした巨大な獣が血を啜っていた。その下には腹に大きな穴を空けた女が横たわっている。
「ああ、うめぇうめぇ。蜜の味だな、こいつぁ」
茶色い鎧に身を包んだ獣は舌で血を拭き取りつつ、恍惚に陥っていた。
「レシーバーズ…!」
その光景を見るや否や、仁は獣の方に駆け出していた。獣は足音を感知し、対象を視認する。
「んだよ、オスか。興味ねぇ」
恍惚は吹き飛び、あからさまに不機嫌になった。仁が獣の懐に飛び込み、女から引き剥がそうと押した。一歩も動かない。メートル単位で対角線差があるのだ、無理もない。獣は仁を掴み、遠くへ飛ばした。アスファルトの地面に叩きつけられ、電柱が揺れる。仁は吐血した。
「よっわ」
獣は嘲笑する。だが、仁は構わず立ち上がり、再び獣を押した。
「その人から離れろ…!」
「持たざる者のくせによぉ、きったねぇ手でケイファー様に触ってんじゃねぇぞ虫ケラが!」
怒髪天となったケイファーは仁の顔面を掴み上げ、角で腹部を刺そうと身を屈めた。一閃。腹を破りかけた角は砕け、ケイファーは仁を手離して断末魔を上げた。
「誰だ!」
ケイファーが周囲を確認する。しかし、仁の他には誰もいない。その仁も、ケイファーにやられた傷が痛んでたまらないといった状態だった。すると、ケイファーの首の後ろに衝撃が走った。振り向くが、またもや誰もいない。
「姿を見せやがれ、卑怯者が!」
「どっちが」
潤った風が舞う。瞬間、ケイファーの四肢から血が噴き出した。さらに、ケイファーの口が無理矢理に開かれる。顎が破壊される音が闇夜に響く。
「血、好きなんだろ?飲めよ」
ケイファーの喉に、自身の濁った血が突っ込まれる。直後、喉がへこんだ。激しい衝撃を加えられた喉は千切れ、アスファルトに転がった。
「よっわ」
そう呟き、声の主は透明の姿を顕現させる。仁は霞む瞳で、忍者を彷彿とさせるその恰好を捉えた。レシーバーズを狩る幻のレシーバーズ。
「ミストゲイル…?」
頭から血を垂らす仁を見て、ミストゲイルは咄嗟に叫んだ。
「ジュンちゃん!?」
ミストゲイルの容貌が少女に変化する。見慣れた幼馴染の顔、それが仁の覚えている最後の景色だった。
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