第9話 ここで、最初に口にしたもののハナシ
診療所を出ると、既に太陽は沈みかけていた。
「まいったねぇ」
わたしは、ひとりごちながら手に持った赤い巾着をもて余していた。アレクロスの机にあったものだが、出る際に一方的に投げ寄越された。
「礼だ」
の一言と共に。
勿論わたしは遠慮したが、無一文なことも見抜かれていたので結局押しきられてしまった。ここまで、相手の調子に流されてしまうことなど、一辺死ぬ前は無かったことだな。
中身は三種類の硬貨が何枚か入っていたが、これがここではどれ程の額なのかは見当もつかない。それを探るためにも、またここの事を少しでも知るためにも、次の目的地は決めていた。
ア・トール亭。
この村でただひとつの酒場だ。
アレクロスに教わった通り、村の中心部に出ると店はすぐに見つかった。民家や診療所よりもひときわ大きな佇まいで、入り口上部には木製のジョッキを持った女性の絵が描かれている。その背中には透き通った羽が生えているが、妖精というやつだろうか?ここでは実在するのか?
中に入ると、店内の客が一斉にわたしに集中した。立ち呑み席が中心の店内は夕刻ということもあり、それなりの賑わいのようだ。軽く見渡したが、店内にいるのは、ネイスやアレクロスと同じ人間ばかりだ。わたしでも知ってるような幻想世界の住人や妖精は見当たらなかった。
わたしを見た客たちは、一様に声を潜めながら某かの話をしている。余所者が珍しいのか、それとも先程の出来事が既に広まっているのか?わたしはあまり反応を返さないまま、奥にあるカウンターへと向かう。
「いらっしゃい」
「どうも」
そこには、男が一人いた。服装や雰囲気はわたしの知るバーテンダーの印象に近い。年の頃はアレクロスと近いように見える。
「ネイスは助かったようだな」
「え?もうそれを」
開口一番に出てきた言葉にわたしは驚きを隠せなかった。彼の無事が確認されてから、まだ30分程度しかたっていない。
「あいつを担ぎ込んだ男が、その足で酒場に来てるんだからな」
「もうわ…、僕の事を?」
「この村では、噂が広まるのに一時間もかからん」
「なるほど」
誇張ではないようだ。いい知らせを持ってこれたのは幸運だった。
「まだ目覚めてはいませんが、命は助かりました」
「そうか」
バーテンは無愛想にそう返したが、安堵の息づかいを感じた。それは、わたしたちの話に聞き耳をたてていた他の客も同じのようだ。
「身内の恩人だ。一杯奢ろう」
「ああ、いえ。そんなことは…」
断わろうとするも、わたしはそこであることを思い立った。
「すいません。奢る代わりに、お願いがあるのですが」
「何だ?」
わたしは先程の巾着を取り出し、中身をカウンターに並べた。
硬貨は全部で17枚。
大きめで、竜らしき模様が掘られた金色の硬貨が2枚。
中位で、紋章らしきものが掘られた青みがかった銀色の硬貨ぎ5枚。
一番小振りで、シンプルな網目模様が掘られた茜色の硬貨が10枚。
アレクロスからの感謝であり、わたしの全財産だ。
「このお金で、ここではどれぐらいの注文ができますかね?」
「分からないのか?」
「ええ。これが使われてないところから来たもので」
相手のひとり合点を期待するのも負い目を感じるが、自分から"辺境大陸"という言葉を都合よく使いたくもなかった。
バーテンは並んだ硬貨とわたしを、しばし見比べた後ー
「ここで一番値が張るのは、
「旨そうですね」
「これだけあれば、3セットは注文できる」
口元にかすかな笑みを浮かべる。彼からもある種の信用はもらえたようだ。
しかし、具体的な値はまだ不明だが、それなりの額をアレクロスからいただいてしまっていたようだ。改めて
「それにするか?」
「いえ、まずは普通に一杯。ここのオススメは?」
「
「うそつけ!
そう言ったのは、近くの席で飲んでいたネイスと同年代らしき客だった。
「いいのか?今年の分はもう少ないんだぞ」
「ネイスの命の恩人だぞ。それぐらい出すのが当然だ。金もあるみたいだし問題ねぇだろ」
かなりできあがってるようだが、悪い人物ではなさそうだ。
「うまいんですか?」
「保証するぜ。
彼の言葉で、店内に笑いが起こった。
「では是非それを」
「わかった」
そう言ってバーテンは奥へと引っ込んだ。
「オススメを教えていただき、ありがとうございます。僕はクラウン・セマム」
自己紹介と共にわたしは手を差し出す。
「ジャイロ・スペンスだ。ネイスに代わって礼を言わせてくれ」
その手をがっちりと掴み、握手を交わしてくれた。彼の態度につられるように、店内に朗らかな空気が流れる。余所者の来訪が、ここまですんなりと受け入れられるとは、彼らの優しさに対して失礼ではあるが、いささか拍子抜けするものがあった。
そこへ、バーテンが小振りな樽を抱えて戻ってきた。蛇口のようなつまみを捻ると、そこから黄金色の液体がグラスへと流れていく。
見るだけで分かる。これは確かに上物だ。
その見立てが、ここでも通用すればの話だが。
「お待たせした」
と、グラスを差し出すバーテン。
受け取ったわたしはそこで、ジャイロだけでなく、店中の客に注目されていることに気づいた。こんな類いの期待と注目は初めての経験だ。そこでわたしは、グラスを軽く掲げ。
「ネイトの無事に」
と告げた。
すると、客たちも手持ちのグラスを掲げながら煽り、店内に賑やかな喧騒が戻った。多少賭けではあったが、ここにも乾杯の音頭というものはあったようだ。
わたしは、その賑わいを聴きながら
冷えた液体が喉を通ると共に、芳醇な香りが沸き立ち鼻腔へと抜けていく。味は甘辛くもその刺激は心地よく、時の進みが遅れたかのように柔らかな余韻が流れる。
「ふぅ…」
一息つき、わたしは余韻から戻った。
「どうだ?」
尋ねるバーテンにわたしは、少し言葉を探しー
「沈む陽をゆっくり見送ってるような。そんなひとときを見ましたね」
「ほう」
的に当たってたかどうかは分からないが、バーテンは感心したように声を漏らしていた。
「すいません。とってもおいしいですよ」
「分かってるさ。ゆっくり味わってくれ」
「はい」
-!!!!
その時、場の雰囲気を打ち壊すように、店に扉が開かれた。
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