初期草稿「ここでのハナシ」(未完)
第1話 ここに、至る前のハナシ
62歳。
これは、わたしの享年である。
短いかどうかは個々の印象次第だが、少なくとも、わたしが生きていた
わたしは、愛されていた。
その事実がまるで、光の滝の如く今際の際にあるわたしを包み込んだ。生者の頃には、向き合えなかったこの事実に、今になって受け止めることができようとは。
「皮肉。とでも言いたいか」
不意に背後から声がしてわたしは振り返った。
自然と身体に緊張と殺意を走らせていた。
「死んでも、その反応は抜けないようだな」
「…賀菊の親っさん」
そこには、肉親のいなかったわたしが唯一親として、慕い愛した男が立っていた。
しかし、妙だ。先立ったはずのあの人がこちら側にいることは不自然ではないが、その姿は若々しく、しかもその額には角が生えていた。
「察しがいいな。こっちも助かる。俺は、お前が親と呼んでいた男ではない。ちなみに、周りを見てみろ」
気づけばわたしは、死に場所となった私邸の大広間に立っていた。しかし、私たち以外に人影はない。親しみと落ち着きを感じるが、ここはあの場所ではない気がする。
「そう。これは幻だ。こちら側の世界には定まった実態がない。だから、こちら側に来た者の記憶の中から、適した情景や姿を拝借し、投影している」
「落ち着ける空間、そしてもっとも敬うべき人物の姿をか」
「その通り」
ちなみに、わたしの心も分かるのか?
「その通り」
全てが筒抜けなのか?
「今のお前には、心を隠す器がないからな」
「それで、その姿を借りたということは、あなたはこちら側でもっとも敬うべき存在なんだな」
「そうだな。お前の国の死生学で言えば、閻魔と呼べる存在だ」
「それは、光栄だ。親っさんの姿をした閻魔様に地獄へ案内してもらえるとはな」
「自分は地獄行きだと?」
「浄土に行けるとは思っていないが」
「確かに、お前の罪だけを見ればそうだ。しかし、そう単純に済まないから、この件はこの俺が預かることにした」
「どのような問題が?」
「愛だ」
「愛?」
「そう。お前が往生際に受け止めたあの愛。正直、ここまでの罪に釣り合う愛なんて今まで聞いたことがない。本来なら、それに見合う酌量を行うのだが、下手をすれば浄土行きになるかもしれん」
「情状酌量はありがたいが、完全無罪までは望まないな」
「かといって、かの者の意を削ぐようなこともしたくない。よほどお前は、恨まれ、そして愛される人生をおくってきたようだな」
わたしに向くのは、
「では、どうすれば?」
「そこでだ」
すると、閻魔様は何か後ろめたそうに背中を丸め、わたしを手招きした。
そばに駆け寄るわたし。
「ちょっと頼みがあるんだが…」
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