第5話 Acorn from Hell

 娘がまだ未就学児であった頃、彼女にとって唯一無二の趣味とは……近所の公園に群生している広葉樹から落下した、通称『どんぐり』と呼ばれる木の実を収集することであった。


 収集したからと云っても、何かをDIYで工作するでもなく……ただ単にあらゆる種類あらゆる大きさ、あらゆる色合いの『どんぐり』を拾い集めては自宅に持ち帰って来るだけなのであった。


 娘の収集品コレクションは彼女の母親の手により定期的に処分されていたのだが、彼女にとってその事実は承伏しかねる事案であったと思われる。


 いつしか娘は自身の所蔵する自慢の逸品を、彼女の父親や母親の目につかぬようこっそりと隠蔽するかの如くに所有し、娘にとって公園で拾い集める『どんぐり』は……代替の効かない彼女の彼女による彼女のための財物と化したのであろう。


 しかして娘は未だ未就学児と云う年齢の幼児であったので……冬に向けて備蓄した筈の木の実を埋めた場所を見失い、忘失してしまう栗鼠のような一面も持ち合わせていたのだ。


 そう、娘は自宅家屋の各所に『どんぐり』を隠蔽しながらも、その複数の隠し場所について失念してしまうと云う哀しい結果を以て……彼女の財産を散逸させてしまっていたのであった。


 そして『どんぐり』収集における最盛期である秋が過ぎ、厳寒の冬を越えて……季節は巡り春となった頃合いに我が家にが起きた。


 水が温み桜の花が咲き誇るこの季節に、我が家の宅内に謎の白い蟲どもが発生し……我が物顔であらゆる部屋のあらゆる箇所でその白き躰をくねらせ蠢き出したのだ。


 当初は私も妻も『春になったから蟲が入り込んでいるのだろう』と軽く考え、を括って……蟲を見つけるとつまみ上げ、外の自然に還すと云う作業を続けていたのだが、彼奴らは春の深まりと共にその勢力を増して……毎日のように家屋内のあちこちへと、そのおぞましき姿が散見させられるようになった。


 これは些か不味い事態になったと、私と妻は白き節足動物の発生源を探索する運びとなった。


 もし……此奴らが害蟲であり、家屋の木造柱や梁、そして根太等に巣食って……我々の自宅を喰い荒らすようなモノであっては困ると云う理由が、我々の探索行の主たる目的であった。


 かくして我々夫婦は、家中の収納から床下から天井裏に至るまでの蟲共が好み……そして潜み棲みそうな場所へと捜索の手を伸ばして行った。


 その結果は惨憺たるモノであった、宅内の各所……凡そは子供部屋の周辺であったが、洗面台の収納や下足箱、更には納戸の収納棚の下部等から出るわ出るわ、紙コップ一杯に詰め込まれ、可愛いプリントが成されたビニール袋に入れられ、そしてプラスチック製の収納箱に敷き詰められた『どんぐり』と、その中から這いずり出て、蠢きながら脱出を図ろうとする白き蟲共の無数の群れが……ウネウネとニョロニョロとその身をくねらせては、持ち上げた我々の手からポロポロと溢れ落ちて、床の上でさらに恐慌を来したかのように動き回るのだった。


 こうして我が家で発生した春の椿事『第一次防蟲戦争』は終結した。


 娘は自身の両親から叱責を受け、二度と『どんぐり』を収集しない旨の誓約を号泣しながらさせられた。


 しかしながら春が訪れる度に私は思う、今なお我が家には見落とされた『どんぐり』の容れ物ケースが残されているのではないかと。


 そして涙ながらの誓約にも関わらず、娘の収集癖が再発し……再び我々の目が届かぬ場所で蟲入り『どんぐり』が我が家に備蓄されているのではないかと。


 昨夜……私が熟睡している時間帯に、私の顔面にポタリと落ちて来たヒンヤリとしたあの小さな塊が……私の顔面を這いずり廻っていなかったかと………………。




【団栗より来る者:完】




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 一般的に『ドングリの木』と云われるが、『ドングリ』とは、実の形状を表しているに過ぎず 『ドングリ』という名前の木は存在していない。


 『ドングリ』がなるのはブナ科の樹木で、ブナ科はさらにブナ属、コナラ属、シイノキ属、マテバシイ属、クリ属に分類されるが、その中でも常緑樹と落葉樹に区別される。


【落葉樹】

ブナ・イヌブナ・コナラ・ミズナラ・クヌギ・アベマキ・カシワ・ナラガシワ・クリ 等


【常緑樹】

スダジイ・ツブラジイ・マテバシイ・シリブカガシ・シラカシ・アラカシ・アカガシ・ウバメガシ・イチイガシ・ウラジロガシ・ツクバネガシ・ハナガガシ 等


 そして作中に登場する蟲であるが、昆虫綱・有翅昆虫亜綱目、甲虫目・鞘翅目しょうしもく、ゾウムシ上科に分類されるオトシブミ種やチョッキリゾウムシ種の昆虫の幼虫である。


 オトシブミやチョッキリゾウムシの生態としては、成虫は上記樹木の葉を食べ『ドングリ』内に卵を産み付けて繁殖する……幼虫はドングリの中身を食べて成長するのだ。




2021.4.6

   澤田啓 拝

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