第六章 【御礼】ついに銀の盾ゲット!!

アトムにて

「ほんで、どやったんや」

 マスターが禿げ上がった頭と同じくらいに光るまでグラスを拭き上げるいつもの癖を見せながら、言葉短く訊ねてくる。

 東京での撮影のために連休をもらったから、その分頑張らないとと思う俺はテーブルを片付ける手を休めずに答える。

「はい、おかげさまで、めちゃくちゃ楽しめました」

「そうか」

 と言ったきり、マスターはまたグラスに眼を落とした。


「もう、お父さん。恥ずかしがらんと、チャンネル登録したて言うてあげぇな」

 ナナコさん。今日も、この人の前では美の女神すら女芸人くらいのクオリティにしか見えないなというほどに美しい。髪を切ったらしく、モカみたいなショートボブになっている。長い黒髪も綺麗だったけど、これはこれで全男子が首を深く縦に振るしかない破壊力を誇っており、有形文化財とかに登録した方がいいのではなかろうかと京都市に申し出たくなる。


「え、ほんとですかマスター。俺たちのチャンネル、登録してくれたんですか」

「せや。ナナコに教えてもらいながらやけどな」

「相川くん、活き活きしてるなぁ。面白いやんか」

 俺たちのチャンネルは、どうやらアトム夫妻の年代にも理解してもらえるらしい。

「うちもな、手芸のサロンとヨガ行ってるやろ。そこでも宣伝しといたえ。みんな、面白い言うて喜んではるわ」

 奥さんの行動力は、やはり凄い。新しいもの好きなことと相まって、さっそく俺たちのことを広めてくれているらしい。


 アトム一家は、やはり俺にとって何にも替え難い。これほどまでに応援してくれているというのはほんとうに嬉しいことだ。

「ほんとうに、ありがとうございます。ビューチューブで活動ができるのも皆さんのおかげですし、そのうえ宣伝まで」

「お父さんもお母さんも、相川さんが活躍したら嬉しいだけですよ。それに、宣伝なんか。わたし、さいしょは職場の人に勧められて知ったんですよ」

 そういえば、そうだ。隠していたわけではないけれど言っていなかった俺のビューチューブ活動を見つけてきたのはナナコさんだった。


「それと、おんなじ。面白いと思うし、応援したくなる。知ってほしいと思う。知ってる人と、共有したくなる。だから、広まっていくんです」

 たしかに、口コミとはそういうものだ。昔ならばほんとうに人の口づてで広まったものだろうが、さいきんはそれにSNSというものがある。奥さんくらいの年代の女性の間でもそれは日常の一部になるほどだから、口コミの拡散力は昔の比ではないだろう。


 じっさい、俺たちはそうしてここまで来た。

 炎上騒ぎのあとやはり登録者はさらに増え、五万を越えていた。夏川タケルとハイチーズとの動画が公開になれば、また跳ねるだろう。

 ひょっとしたら、十万人なんてすぐなのでは。そうなれば、倍々ゲームで増えていくのだろうか。


 一年で百万人。口から自然に出たようなものだが、それが俺たちの目標だ。

 モカは、どんな顔をするだろう。驚くだろうか。それとも、笑うだろうか。もしかすると、嬉しさのあまり涙を流すかもしれない。



 モカ。

 京都に到着するときには、だいぶ落ち着いていた。京都駅で新幹線を降りてすぐタクシーで病院に向かい、診察を受ける。モカを診てくれたお医者さんが下車しようとする俺たちを見つけて書き付けを渡してくれたから、受付でだいぶ待たされたにしろいざ診察がはじまればスムーズだった。


 診断は、パニック障害の可能性があるというもの。継続的に症状が出ないとパニック障害だとは診断できないらしく、あくまで突発的なパニックであるとのことだったが、いちど発作が出ると同じような条件が因子となって再発する可能性が高いらしく、注意が必要だと言われた。


 何かをすれば治るというようなものではなく、現時点では継続的に発作が出ないことを願いつつ、そうなったら上手く付き合う方法を探しながら因子から自分を遠ざける工夫をしていくしかないらしい。


 新幹線の中、モカは、とても辛そうだった。そのために死ぬようなことはないにしろ、辛く、不安だったに違いない。

 よく人混みが因子になり、満員電車などで発作が出ることがあるらしいが、座席の広い新幹線——しかも昼間だったからけっこう空いていた——が引き金になったとは考えにくい。


 撮影。それしかない。

 慣れないコラボ。それも、すでに知らない人がいないような大物と。モカはいつもどおりの様子だったが、もしかすると、それ自体、モカにとても負荷をかけるようなことだったのかもしれない。


 モカは、ビューチューブでの成功を望んでくれている。それは疑いようがない。だが、それが、モカを蝕んでしまうのだとしたら。


 モカほど明るく、素直な人間はそうはいないだろう。だが、だからといって、その人間が何も感じずただ毎日笑っているだけであるはずがない。

 ハルタモカをはじめたとき、モカは、とても傷付いていた。必要とされなければならないはずの場所で必要とされない孤独に、押しつぶされそうになっていた。


 モカは、笑っているだけなんかじゃない。笑っているから、救われているんだ。

 あのとき、俺がはじめてモカの部屋に押しかけたとき。今じゃ考えられないが、あのときの部屋の散らかりよう。いつのものか分からない飲みかけのペットボトル。カップ麺の空き容器。おびただしい数の酒の空き缶——そういえば、それらもグレープフルーツのチューハイだった——。それに、散乱したよく分からない錠剤と、それが入れられていたであろうお医者さんの袋。


 俺が目にしたあの瞬間のモカもまた、紛れもない彼女の一部分だ。それが、完全に消えて無くなったかどうかは、誰にも分からない。


 モカは、無理をしているのだろうか。俺に申し訳ないと思うあまり、望まぬ活動をしているのだろうか。趣味で京都の名所巡りをするだけならまだしも、比率で言えばほかのビューチューブチャンネルと同じような企画モノばかりだ。


 俺が、モカに無理をさせているのだろうか。

 俺が。

 俺が、モカを蝕んでいるのだろうか。



 ナナコさんが、じっと俺を見ている。

「今、チャンネル登録者、何人くらいにならはったんですか」

 俺たちがチャンネル登録者数の増大を目指していることは、動画の中でもたびたび言っている。ナナコさんは、急に黙った俺を見て、俺の心がこの現世からどこかに行ってしまっていることを察し、俺の興味が向きそうな話題を向けてくれたのだろう。


「ええと。今で、五万ちょっとですかね」

「へー。すごい」

「せやけど、相川くん。あんた、アレ収入になるんやろ。ビューチューブの人はみんな、えらい儲けてはるらしいやんか」

「いや、僕らはまだ。おかげさまで、お小遣い程度にはなってきましたけど」

 もう少し動画の再生数が伸び、それが継続的に回り続けるようになれば、それで生活していくのも不可能じゃない。今は、バイト代にしては安いがお小遣いにしては多いというくらいの収入だ。


「あ、ほしたら、税理士事務所紹介したげますね。わたしの友達が勤めてるとこが西陣にあって。うちの確定申告もそこでお願いしてるんです」

 そういうことも、気にしていかなければならないだろう。だが、今はそれどころじゃない。


 モカに会いたい。一人の間、また発作を起こしていないだろうか。バイトが終われば、家に行くと言ってある。それすら待ちきれないほど、心配になってきた。


 ふと視線を感じ、眼を伏せていたことに気付き、それに応じる。

「——ああ、ぜひ、またお願いします」

 ナナコさんがにっこりと笑い、任せてください、と全男子がスタンディングオベーションをせざるを得ないような仕草——ただでさえ可愛いのに両手で拳を作り、小さくガッツポーズをして見せるとか神の創作物の中で最上級の可愛さを持つであろう仔猫や仔犬、げっ歯類すら絶滅させてしまいかねない危険性を持つのだからナナコさんはもっと自重しなければ地球の生態系に重篤な影響を以下略——を見せた。


 何を任せたんだろう、とふと思った。

 そうだ。友達が税理士さんだとかどうとか言っていた。その話なんだろう。

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