連続コラボ第一日目 1

「はははしじめましてぇぇ」

 やらかした。第一声で俺の人見知りイヒイヒ疾患が余すことなく発揮された。


「どうも」

 長く伸ばしたツイストパーマに、スポーツメーカーの三本ラインのトラックスーツ。このいでたちの夏川タケルを前にしてビビらないわけがない。

 東京にしかないであろう本格的な音楽的スタジオに漂う特有の空気と匂い——なぜかポテチっぽい匂いがする——も、俺を縮み上がらせることに一役買っている。


「今日は、ありがとうございます。ハルタモカです、よろしくお願いします」

 モカが礼儀正しく下げた頭が上がるのを待ってから、

「よろしくお願いします」

 とぶっきらぼうに返ってくる声と鋭い眼光。


 今をときめく人気ラッパーだから勿論顔は知っていたけれど、実物の持つこの威圧感。オーラがある、というような生やさしいものではなく目の前のこのロン毛の青年——俺たちよりも歳下だ——は反社まっしぐらのアウトローにしか見えない。


 いや、まだ捕まったことがないだけで、実際、人の五、六人は殺しているのかもしれない。そうに違いない。今からまさに始まろうとしているコラボ撮影にモカがしばしば悩んでいる切れ毛ほどの不都合でもあれば、俺たちは即お陀仏だろう。


「よよろしくお願いしィますヒヒ」

 俺の体のどの部分が共鳴したのか、素っ頓狂な声になる。夏川タケルはそれについて触れることはなく、

「あんまり、コラボとか慣れてないんで。すいません」

 と軽く頭を下げて見せた。


 ひととおり企画内容や段取りの確認を済ませ、田中さんがハンディカメラを構える。スコッパーの備品らしいが、なかなか高性能なモデルだ。

「じゃあ、音合わせいきまーす」

 音合わせというのは複数台のカメラを回すとき、編集時に頭出しに困らないよう分かりやすい音や声を動作に合わせて収録しておくことを言う。


「やっほー、みんな息してる? ハルタモカです!」

 モカの自宅でも京都の名刹でもない、閉鎖された音楽スタジオ。いらない反響を殺すよう設計されていためか、俺たちの挨拶が浮ついたように聴こえる気がする。


「今日はね、いつもと部屋の風景が違うと思うんですけどね」

 ことさらに得意げな顔をカメラに向け、

「スペシャルコラボゲスト!!」

 と盛大に拍手をする。

「夏川タケルさんです!」

 同時にモカがそう叫んでから、夏川タケルはカメラの画角に姿をあらわした。


 ツイストパーマを揺らしながらひょこひょこと出現するそれを見て、俺はおやと思った。

「どうも。夏川です。ラッパーやってます」

 夏川タケルの動画には、特に印象に残るような挨拶はない。ビューチューバーではなくミュージシャンがビューチューブチャンネルを持っているわけだから、そんなものだろう。


「ハルタモカさんの視聴者さんの中には俺のことなんか知らない人もいると思うんですけど、よろしくお願いします」

 こくこくと首を動かす度にツイストパーマが揺れ、アメリカのオモチャみたいだと思った。


「いやいや、そんなことないですよー。うちらみたいなんとコラボしてくれるなんて、ほんま奇跡です! じゃあ、よろしくお願いします! タケル君って呼んでもいいですか?」

 やりやがった。モカが打ち合わせにないことをブッ込みやがった。これで俺たちは今夜東京湾の底でコンクリを抱いてお魚とダンス決定だ。


 俺はそんな感じで背骨に溶けた氷が流れ込むみたいにヒヤリとしたが、夏川タケルはたいして気にするふうでもなく、

「ああ、どうぞ」

 と初めましてのときと変わらないぶっきらぼうな物言いで承諾した。


 なんだろう、まるで表情が読み取れない。ファンは普段は無表情でクールなのにマイクを握った途端に感情爆発の激しいパフォーマンスというギャップにやられているそうだが、キャラ付けなどではなく地でなのかもしれないと思えた。


 いや、油断はできない。ほんの僅かでも気を抜けば、東京と山梨の県境の山中とかの木に縛り付けられたまま餓死するまでフクロウの鳴き声を聴くハメになるかもしれない。


「さあ、夏川タケルさんといえば——皆さんお分かりですね?」

 できるだけ、カメラに向かって。夏川タケルと眼を合わせれば、狩られる。

「そう、ヒップホップ! 国内最高とも言われるそのテクニックを存分に披露していただきます!」

 ——だけじゃなくて、と付け加える。俺の頭の中では既に効果音が付け足され、編集済みの動画として再生されている。


「なんと、ハルタモカとラップバトルをしてもらいます!」

 これが、いわゆるタイトルコール。



 オープニングは順調だ。続いて前フリも録り、スタジオのブース内に入って夏川タケル側のスタッフがレコーディングをすることになっているのでその準備が整うまでソファに腰かけて休憩。


「タケルさん、すごい人気ですよね」

 モカは夏川タケルを取引先の営業マンくらいに捉えているのか、気さくに話しかけている。かろうじて敬称が付いているのが救いだろう。

「ああ、まあ。おかげさんで」

「新曲、めっちゃ格好よかったです。ペイ・ウィズ・ミー」

「ペイ・フォー・ミーです」

「あ、そっか。ごめんなさい」

「べつに」

 俺はモカに隠れるようにして座っているソファにさらに深く埋もれ、山梨の山中に埋まるよりも先にそこに埋没しようと試みた。


「ビューチューブじゃなくて、曲の方をチェックしてくれてるんですね」

 夏川タケルが、少しの間のあと口を開いた。

「ビューチューブも、もちろん観てます。音源だけやったら分からへんようなタケルさんが観れて、めっちゃ楽しいです」

 インテリジェンスのクオリティがハイなモカが言葉の裏を察したのか、ビューチューブチャンネルの内容についても話題にした。

 夏川タケルは口の端に少し苦い線を走らせ、

「あんまり、好きじゃないんですよ」

 と、線路に置き石でもするように呟いた。


「——え」

 戸惑うモカ。ここは適当に笑ってごまかせ、と心の中で叫んだが、それはもちろん誰にも届くことはない。

「ビューチューブが。あんまり好きじゃないんです」

 モカを庇って何か別の話題を持ちかけようと、埋まりかけたソファから尻を少し浮かせたところで、夏川タケルが何かを補うように続ける。


「事務所がやった方がいいって言うから始めたんですけど。正直、家で曲作ってる方がいいです」

「そうなんですか——」

 頼む、モカ。下手なことは言わずに目の前のペットボトルの水をゆっくり、とてもゆっくり飲んでくれ。この地獄の時間が終わるまでそれを続け、早く撮影を終えよう。


「——ほんまに、音楽が好きなんですね。すごいです。わたしなんか、めっちゃ飽きっぽいから、そんなひたむきに何かに打ち込める人、尊敬します」

「でも」

 モカの後ろ頭。その向こう側に付いている顔がどのようなものになっているのか、想像ができる。

 ん? と続きを乞うような表情。


「でも、あんたらは、成功してる。ビューチューブ一本で。すげぇと思います」

 それにつられたのかどうか、夏川タケルの色も温度もない声はすこし滑らかに、ちょうど彼の新曲のイントロのように流れだした。


「毎日撮影。編集、投稿。俺はスタッフが編集やチャンネルの管理をしてくれてるけど、自分でそれをするなんて考えられない。あんたらは、それをしてる。尊敬してます」

「そんな。わたしらなんて、まだ登録者数も」

「数じゃあない。あんたらは、それをしてる。だから、成功してる」


 超人気ミュージシャンは言うことが違う。やはり、俺などとは違う世界線の存在だ。素直にそう思った。登録者数十万もいっていない俺たちはまだまだヒヨっ子のはずなのに、成功という言葉をあっさり当てはめて表現する。それは、夏川タケルにとっての成功の定義が、多くの人に認められて賞賛を得ることとはまた別のところにあるということを表すだろう。


「やれと言われ、それをする。そこに意味を見出し、頭から突っ込めるのなら、それは幸せだ。だけど、俺も、あんたらも、自分のすべきことを、自分にしかできないことをするだけなんじゃないですか。誰に指示されるでもなく、これなら自分は、と思えるような何かを」

 どうも、言葉尻がおかしい。あれほど流暢にラップができるくせに、コイツ、さては話し下手だなと思った。そして、同時にそのラップと同じく、内面には相当にアツいものがあるのかもしれない、と好意的に思えた。


「だから、敬意をあらわすのは、俺の方です」

 夏川タケルは話し過ぎた、とでも言わんばかりに気まずそうな空気を醸し、それきり口を開かなくなった。

 ちょうど準備が終わり、いよいよ俺たち三人でブースの中へ。


 カメラが再び回りはじめる。

「ガチの勝負だ。素人だろうが、手は抜かねえ」

 これまでずっと伏せられがちだった夏川タケルの眼が、にわかに上がる。

 そして、真っ直ぐに、俺たちを。


 ビューチューブのコラボ撮影。ネタなんかじゃなく、ガチなんだ。少なくとも、彼にとっては、マイクを握るということは、そういうことなんだ。

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