猪突猛進

 モカのスクショを見た俺は、慌ててチャンネルのコメント欄や各種SNSを確認する。


 ——歴史的な名所でポイ捨てとか、最悪。

 ——マナー悪い。こういう奴に京都の街をうろついてほしくない。


 なんのことだ、と思い、さらに深く掘り下げてゆく。そうすると、SNS上にアップされた一枚の画像に行き当たった。

 それは、紛れもなく俺たちの動画。西本願寺のものだ。その一コマ、俺がのど飴をひとつ食べ、その空袋をズボンのポケットに何となく入れたところ。

 その空袋がポケットに上手く入らず、こぼれ落ちてしまったその瞬間の切り抜きだった。


 それが、ポイ捨てとして拡散され、批判の嵐になっている。

 さらに、批判は、

 ——男女デート、とかただの釣りじゃん。

 ——男の方が調子乗っててウザい。

 ——女もなんかあざとくて気持ち悪い。

 というように俺たちのキャラ自体にまで及び、さらに、


 ——今炎上中のハルタモカのモカ、個人アカウントあったよ。

 と、見たこともない誰かが、モカのものではないSNSの個人アカウントを晒している。


 今で、チャンネル登録者数二万ほど。一気に増えたものだが、炎上するにはまだ早い。

 偶然ゴミがポケットからこぼれ落ちてしまうなんて、迂闊だった。あまりに小さなことすぎて、編集中も気が付かなかった。

 おそらく、ポイ捨てに批判の声を挙げている人たちのほとんどは、俺たちの元動画の様子なんて確認もせずただ声に声を合わせているだけなんだろう。


 そんな馬鹿な話があるか、と思うが、ネットはそんなものだ。

 なぜ、こんなことに。コメント欄を、さらに掘り下げてゆく。


 ——こいつか。


 モカが一人の頃の動画に入っていた、わりと新しいコメント。

 ——モカちゃんは一人の頃がよかったよ!?やっぱり、俺と一緒にやった方がいいね!

 モカのファン最古参のオオキモヌシノミコト。


 最近はコメントやSNSのリアクションが多すぎて、全部に目を通せていない。モカは変わらずできるだけ返信をするようにしているが、最新の動画への対応で精一杯で、こんな前の動画に入ったコメントにまで手が回っていないのだろう。


 ——前はあんなに仲良しだったのに、最近じゃ無視ばっかり。

 モカからの返事がないことを言っているのだろう。仲良しとかふざけんな、というところだが、さらにコメントは連なる。


 ——ちょっと、おしおきが必要かも!?


 ——俺が、モカちゃんの目を覚まさせてあげるね!?


 もちろん、返信はないまま。キモオジサンはさらに続ける。


 ——テーブルの動画より、バズってるね!?みんな、俺と同じ意見なんだよ!?


「やっぱり、お前か」

 モカファンが、に化けたということだ。何をどう思い違えたのかこのオヤジはモカを自分の占有物か何かだと思っているらしい。


 病院の会計待ちの受付で舌打ちをし、周囲の人がこちらを見ているのに気付いてまた視線を落とす。

 そこに、また新たなコメント。


 ——いつまでも無視かよ。


 さらに、続けて。


 ——そっちがその気なら、こっちにも考えがある。


 もう一度入院した方がいいのではというくらい、血の気が引いた。

 最古参サイコさんがコメントを入れ続けている動画は、北山エリア散策の動画。俺が、モカの自宅を特定した動画だ。


 俺がしたのと同じことを、こいつが思いつけば。

 モカが、危ない。


 会計を放っておいてすぐ飛び出そうかと思ったが、ちょうど俺の番号がモニターに表示されたから慌てて精算機に向かい、会計を済ませる。


 病院を飛び出し、改めて俺が運び込まれたのがモカの家から微妙に遠い千本丸太町近くの病院であったことを認識する。


 地下鉄まで、徒歩ならば下手したら三十分くらいかかる。

 想定外の出費に俺の財布は呼吸をやめかけているが、ここはタクシーしかない。


 ——大丈夫か。


 モカにメッセージを送るが、さっきから返信が止まっている。これは、ヤバいのではないだろうか。あのときよりもさらに鋭い戦慄が、俺の背骨を叩く。


 タクシーの中でも電話を鳴らし続けたが、応答はない。赤信号すら、敵だと思えた。


 ——今、そっち向かってる。


 スーパーに買い物に出てただけ。ハルタ君が退院するから、次の企画の撮影に備えようと思って。

 シャワーしてた。どした?

 居眠ってた。眠くて。

 あらゆる「なんでもない結果」を想像する。すなわち、そうではない事態がモカの見に起きていると考えているということだ。


 タクシーに乗っていたのは十五分か二十分くらいだろう。その時間を星の一生を見るように長く感じた俺は慌てて降車する。降りてから、乗れば幸運がおとずれるという四つ葉のクローバー印のタクシーだったと気付く。四つ葉タクシー引き当てるまで帰れません、なんて企画はどうだろうか、と俺の頭の中のある部分が旋回するが、今はそれどころじゃない。



 マンションのエントランス。そこに、人影。男だ。

 なにか大声で叫んでいる。どういうわけか、それを目にしてはじめて自分の息が切れてしまっていることに気付く。

「モカ!いいから、出てきなさい!鍵を開けなさい!」

 やはり、と思った。背格好は中年らしく、こいつがあの最古参サイコさんか、と俺は眉を吊り上げた。


「いい加減にするんだ!」

 オートロックに向かって叫ぶ男の背に、俺は闘牛のように突進する。息が切れていようが、いや、止まってしまったとしても構わない。

「いい加減にすんのは、お前だ!」

 俺のワガママボディのタックルを食らった男は、あっと声を上げて吹っ飛び、横倒しに。

「モカ!大丈夫か!絶対に出んな!警察呼べ!」

 繋がったままのインターホンに向かって鋭く叫ぶ声に、拍子と調子の外れた声。


「——え、ハルタ君?なんで?」

「なんでって、お前」

 モカの危機を察知して駆け付けたのに、なんではないだろう。そう思いながら男に眼を落とした。


「いたたた——なんだ、いきなり」

 男が高そうなスーツの尻を払いながら、立ち上がる。

「いきなり、じゃねえ。このストーカー野郎。いい加減にしろ」

「一体、何を言っているんだ。——ハルタ君だね」

「今さら何だよ」

 モカファンならば、ハルタモカのハルタを知らないとは言わせない。あえて調子外れのことを言っているつもりだろうが、俺には通じない。


「モカが、お世話になっているみたいだね」

「なんだその言い草。PTAかよ」

 待って、とインターホンの向こうのモカが俺たちを制する。俺と男が揃ってそちらを向いたところ、オートロックが解錠された。


「上がって。二人とも。ほかの住人さんの迷惑になるから」

 男はふう、と鼻を鳴らし、エントランスの内側へ。ちょっと待てよ、と伸ばした手は男の肩には届かず、自然、俺も男の背に続くような格好になった。


「君とも、一度話をしたいと思っていた」

「はあ?」

 俺はエレベーターを待つ間も眉を怒らせている俺は、ホールのコンクリートに声を跳ね返した。

「はじめまして。モカの父です」

「——モカの?」

「ええ」

「——会社をいくつか経営している?」

「よく知っているね。モカから、聞いたのか」

「——はい」




 や ら か し た。




 どうやら、俺は完全にやらかしたらしい。

 到着したエレベーターにすぐに乗り込まず、ドアのところに手を添えてお先にどうぞ、と目で促すあたり——そしてそれが無意識に、日頃から行われている動作なのだろうと確信するほど自然だった——ほんとうにモカのお父さんなんだろうと思った。


「何か、行き違いがあったようだね」

 エレベーターが、俺が処刑を待つ牢獄のようになった。うっすら笑みを浮かべながらそう言うモカのお父さんのスーツの肩についたままの土埃を、俺は慌てて払い除ける。

「ご、ごめんなさい。すみません。勘違いをして」

「僕、ストーカー男に見えるほど怪しかったろうか」

 お父さんの言葉はどこにもルーツを感じさせない綺麗な標準語で、それがかえって不気味だった。


「つい、思い込みで」

「モカと仲良くしてくれているのは有り難いが、もう少しよく状況を確かめた方がいいんじゃないか?」

「返す言葉もないです」

 と、お腹を見せて恭順を示しながら、そこにたわわに実る腹肉の奥では何も知らないくせに呑気なことばっか言ってやがる、という思いがファイヤーダンスを繰り広げてる。


 二階。モカが部屋の前まで出てきて待っていた。

「久しぶりだな、モカ」

 と爽やかに手を挙げるお父さんと眼を合わせることなく、入って、という仕草を見せる。


「お茶?コーヒー?」

 とりあえずリビングに俺たちを通し、モカはキッチンに立った。気まずい。何がということはないが、俺が忍者試験に受かっていれば間違いなく煙玉をぶち撒けて退散しているところだ。

「うーん、コーヒーかな」

「あ、ごめん。コーヒー無かったわ」

 そりゃそうだ。この前撮影してまだ編集していないストックの中に俺が一リットルのコーヒーを何本飲み干すことができるかという企画があり、冷蔵庫にあったものを全て空けてしまった。


「じゃ、お茶で」

 お父さんは俺と眼を合わせ、昔っからそそっかしいところがあるんだ、と声をひそめた。

「聞こえてますけど」

「おお、怖いな」


 目の前に出されたお茶——もちろん、ペットボトルからコップに移し替えただけの——を一口飲んで、お父さんが薄く息を吸う。

「——さて、モカ。少し、話そうか」

 これから地獄の時間が始まるであろうに、なんとなく、物言いがモカに似ているな、なんて思っている俺こそ呑気だろう。

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