収益化
「やっほー、みんな息してる?ハルタモカです」
合わさった二人の声。それを、俺はモカの部屋で聴いている。
小さなネタ動画の毎日更新に加え、街ブラや名所巡り動画も追加している。今観ているのは、まさに今公開された西本願寺の動画だ。
「さあ、今日は東本願寺に続いてですね、こちらの西本願寺を紹介していきたいと思うんですけども」
可もなく不可もない半袖シャツにジーンズの俺と、白いワンピースに麦わら素材のお洒落な帽子の夏らしい姿のモカ。二人して陽射しに目を細めている。
「西本願寺ってのは、もちろん親鸞聖人を開祖とする由緒あるお寺なんですけどね」
「うんうん。東本願寺のときに、親鸞さんのことは紹介したな」
「そうそう。もともと一つだった本願寺だけど、秀吉によって寺領が寄進されたのがこの西本願寺。色々あってあとになって家康によって寄進されたのが東本願寺、だね」
名所紹介をするときは、はじめにそのゆかりを簡単に解説する。ただ口を開けて観光するだけでなく、中身もしっかりしたものでなければならないと思うからだ。
「その辺のことはすごく複雑な事情があるらしいから、興味のある人は調べてみてほしい」
ただ、国営放送のドキュメンタリーではないから、掘り下げすぎには注意する。退屈だと感じられてしまえば終わりだからだ。
「ということで、出発ぅ」
自撮りスタイルでオープニングを終えた俺たちは、豪壮な御影堂門をくぐり、境内へ。散策シーンでは俺が映ると画がうるさくなるから、モカを俺が撮影するというスタンスを取る。
広大な境内。門をくぐってすぐ解放的な広場があり、大銀杏が力強く俺たちを迎え、それら全てを覆う夏の青空との対比にまず息を呑む。
建物のうち、まず目につくのは正面の御影堂と右手に見える阿弥陀堂。どちらも国宝に指定されており、巨大な屋根の線を青空に引いている。
「すごいよなあ。瓦、何枚使ってるんやろ」
蝉の声が鳴り響いているのに、静かだ。京都駅もわりと近く、敷地の外は堀川通りで交通量も非常に多いが、境内はそれを感じさせない。こんなご時世で観光客が戻りきらないうえ、平日の午前中だから人も少ないし、余計にそう感じる。
「ほんま静かやなあ」
蝉の声に自分のそれを染み通らせるようなモカに、俺が声をかける。
「でも、幕末のころ、あの有名な新撰組の屯所になっていたときなんかは、すごかったらしいぜ」
「新撰組の?そういえば、そうやったっけ」
「この広場にも隊士がずらっと並んでさ。建物を改築したり、境内で大砲の試し撃ちしたり。その頃に比べりゃ、そりゃ静かだろうさ」
「すごいなぁ、ハルタ君。めっちゃ調べてるやん」
テロップで、「下調べ無しの罪でモカ氏は切腹決定。」と。それを観たモカがくくと喉を鳴らす。
そのまま、境内を一周しながら紹介と小ボケを続ける。金閣寺、銀閣寺と並んで京都三大名閣と称される飛雲閣は非公開だったり、美麗な装飾を見上げているうち日が暮れてしまうということから日暮らし門という愛称のある唐門は修復工事中だったりと全てが紹介できたわけではないが、当初からのコンセプトのとおり、実際に足を踏み入れたからこそ感じられる空気というものは伝えられているのではと思う。
もと来た御影堂門まで戻り、二人で締めに入る。
「どうだった、モカ」
「うん。西本願寺は前にも来たことあるねんけど、こうやって見てみると、やっぱ違うなあ」
「感想が小学生並みじゃん」
「ちょっと。こう見えても成人してますから」
客観的に見て、俺たちのコンビネーションは抜群だ。動画の中のモカはずっと楽しそうにしていて、このご時世、なかなか旅行に行けないような人にも楽しさを届けられているだろう。
動画の中のモカがずっと楽しそうなのは、モカ自身楽しんでいるからというのが一番だが、モカがふとしたときに見せる表情については、俺はカットしている。
すぐには癒えないもの。モカの中に間違いなくそれがある。でも、それは、俺しか知らなくていい。このまま数字を伸ばし、軌道に乗れば。そう思っている。
「歴史が分からなくても楽しめるから、みんなも機会があったらぜひ来てみてね」
と、モカが一般の若年層女性の代弁者を務める。
「京都水族館デート編も、お楽しみに!」
俺は、視聴者に期待を促す。
「毎日投稿もチャンネル登録してチェックしてね!」
二人で声を合わせ、動画上に表示されているチャンネル登録ボタンを指さす。これもだいぶ——本願寺だけに——堂に入ってきた。
「それじゃあ、また明日!」
これで、動画は終わりだ。隣でモカが、ふう、と息をひとつ吐く。
「いい感じだよな」
「うん。やっぱり、編集めっちゃ上手やわ」
「そうか?へへへ」
公開直後の再生数は。これで、この動画のだいたいの伸び方が見える。
三百。意外に少ない。
「もっと初速が出ると思ったんだけどな」
「うーん。もしかしたら、みんな、名所巡りよりもふつうのビューチューバーみたいな面白い企画モノの方がいいんかな」
とにかく、例のテーブル破壊アクシデント動画以来、チャンネル登録者数も再生数も爆発的に伸びた。
俺がモカの自宅を訪れているのは、今公開された動画を一緒に観るためではない。あくまで、それはオマケだ。
ほんとうの目的のため、俺は持ち込んだコンビニ袋をガサガサと鳴らす。
「ほら。モカ」
モカの好きなグレープフルーツのチューハイ。俺も同じ物を手に取り、蓋を開ける。
「収益化、おめでとう!」
そう言って、二人で乾杯。
ビューチューブの収益化の条件は、チャンネル登録者数千人以上、それに直近一年以内の動画の総再生時間が四千時間。
チャンネル登録者数の方は例のバズりのときに難なくクリアしたが、再生時間の条件を達成するのに時間がかかった。
それでも、脅威のスピードであることに変わりはない。
今後は、額の多少はあるだろうが、俺たちの動画が再生される度、広告料として収入が入ってくることになる。今日は、そのお祝いだ。
「ハルタ君、ほんまに凄いな」
「モカのキャラクターあっての収益化さ。俺一人じゃ、とてもじゃないけど無理だった」
そもそも、モカがいなければ目指すことすらなかっただろう。
「収益化して終わりじゃない。こっからだ」
「そうやね」
「今日が、ほんとうのスタートラインだ」
「ハルタ君がいいひんかったら、ここまで来ることすらできひんかった。ほんま、ありがとう」
一気に喉を通っていく炭酸が弾けて、酔いを呼ぼうと手招きしている。もともと得意じゃないし大学時代も飲み会はできるだけ避けていたけれど、こんなに美味い酒は初めてだ。
「わたし、何の取り柄もないけど」
口の中からグレープフルーツの香りが去り、アルコールの匂いだけになる。それを待って、口の中のものをそっと浮かべるようにモカが言葉を。
「ハルタ君が、見つけてくれた」
「なんだよ、あらたまって」
それを言うなら、あの日、何も持たず、ただ許されて生きるばかりだった俺を見つけてくれたのはモカだ。
「ハルタ君がいるから、毎日頑張ろうって思える」
俺だって。
「ほかのどんな人でも、こんなに楽しく毎日を過ごして、明日が来るのが楽しみでいられることなんかなかった」
俺も、明日が来るのが楽しみだ。毎日、毎日、今日も楽しかったから明日はもっと楽しいはず、だから早く明日になれと思いながら過ごしている。そこに、かならずモカがいる。
「今日がスタートラインなんやったら、まだこれからも続くんやんな」
「当たり前だろ。こっからだぜ」
「それやったら、一緒に行く。ハルタ君となら、いつまででも、どこまででも行ける気がする」
俺だって、そうさ。モカがいるから。モカを連れていくって決めたから。いや、そうじゃなくっても、モカがいるだけで、自分に意味があると確信できているから。
「お、コメントも続々入ってるな」
口に出すのがなんとなく恥ずかしく、コメント欄に話題を向ける。新しい動画だけでなく、以前に投稿したものを遡って見てくれている登録者もいる。
——モカちゃん、かわいい!
——2:47のとこのモカちゃんの笑い方が天使すぎ!
——モカちゃんのワンピ、どこのやつ?
——前の茶色も良かったけど、このベージュっぽい髪もかわいい!
「すげえな、すっかり人気者じゃん」
「あはは、なんか変な感じ」
それに対して、俺は。
——ハルタ君がダサいから、モカちゃんが余計に引き立つ。
——ウザキャラが極まってるww
——見るたび、ウザくなってるなあ。
となかなか当たりが強い。しかし、俺の考えどおりだ。ちょっとアクが強いかな、くらいがちょうどいい。コメント欄にあるとおり、その方がよりモカのキャラに人気が集まる。
「ハルタ君、平気なん?」
「当たり前だ。ぜんぶ、事実じゃん」
俺はそう言って缶チューハイを飲み干す。
「そっか。すごいな。わたしには多分無理」
「モカはみんなに愛されりゃいい。そのためなら、俺は——」
あたらしい缶を取り出そうと、立ち上がった。その瞬間、天地がにわかに逆転した。
さすがにこれくらいの量で酔うはずはなく、おかしいなと思いながら、この前撮影したときに買ったサラダチキンが冷蔵庫にまだあるはずと思い、キッチンに。
勝手にキッチンに入り、冷蔵庫を開け閉めすることに問題はない。俺たちはパートナーなのだから。
冷蔵庫を開ける。やはり、酔っているらしい。
そこで、何かの糸の切れる音がした。同時に、俺の尻餅がこのお高そうなマンションの床を鳴らす音。
「ついでに、コップに氷お願いー」
モカの声。応えなくては。
「——ハルタ君?」
やばい。これはマジでやばい。
「——ハルタ君!」
俺から応答がないのでキッチンを覗き込んだモカが慌てて駆け寄ってくる。
横倒しになった俺の体はモカには重すぎるだろう。無理して抱え起こすと、腰を痛めるぞ。そう思っても、声が出ない。
俺の名を何度も呼び、体をゆするモカ。その度に俺の腹肉がたぷたぷと震えて応えはするが、声がものすごく遠くから聴こえてくるようだった。
あとのことは、よく覚えていない。泣きながら救急車を呼ぶモカ。誰かに担架に乗せられる感覚。
遠く、遠く、サイレンの音。もしこれを銀閣寺荘の大家さんが聞けば、また家の前まで出てくるかもしれない。自宅じゃなくてよかった。
意識が朦朧としていて、起きているのか寝ているのか自分でも分からない。だけど、そんなつまらないことを考える余裕と、ハルタ君、ハルタ君、と俺の手を握りながら小さく声をかけ続けるモカに、死ぬみてえじゃねえかとツッコみたい衝動だけはあった。
あと、ああ、これもカメラを回しておけばよかったな、とも。
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