第5話 ラブレター5

次の水曜日である。

またお店に立ち寄った。

最近は、週に1回行くことが癖のようになっている。

ドアを開けるとテーブルに妄想癖の女と男の子、そしてレバーの女が座っている。

何か異様な雰囲気だ。


僕はカウンターに座る。

座ったはいいけれども、どうも後ろのテーブルが気になる。

とはいうものの、僕はテーブルの人たちとは何の関係もない。

勿論、カウンターで話をしたことはあるけれども、このお店ですべて完結している関係だ。

なのだけれど、まったく知らない間柄ということでもない。


僕はマスターに聞いた。

「あの3人、どうなっているんですか。」

「いや、私もずっと見てたわけじゃないんでね。始めは男の子がテーブルに座ってたんですよ。たぶん彼女と待ち合わせだったんだと思うんです。そこへ、ほらレバーの好きなお客さんが来てね、男の子のテーブルに座ったんです。どうしてなんだか、男の子が気に入ったのかな。そしたらそこへ妄想をよくされている彼女が現れて、それから大変なことになってるみたいなのよ。」

怖い。

これは怖い。

もうテーブルの方は見ないようにしよう。

「マスター。怖いね。」

「ええ、私も見ないようにしていますよ。」

「マスター、少しお腹減ってるから、オムライス作ってくれる?」


マスターの作るオムライスは美味い。

たまにオムライスが食べたくなる時があるんだよね。

でも、急にオムライスが食べたいって思っても、そんなにオムライス屋さんって多くないんだ。

オムライスっていう料理は、日本中のどこの学生街の喫茶店にも、必ずそのお店の人気メニューとして存在する。

なのだけれど、僕が勤めている本町の近くには意外と少ないのであります。


とはいうものの、少ないのであって、あることはある。

しかも、オムライスの専門店というちょっとお洒落なお店の形態でね。

なのだけれど、そういうお店は若い女の子御用達のお店であることが多く、僕のような中年の男性が1人で入るのにはちょっと勇気がいるのだ。


「あのね、僕はオムライスが食べたくて、このお店に入ったんですよ。そんな、若い女の子が目当てで入ったんじゃなんですよ。一応ね、一応念のために断っておきますがね。」なんてことを口には出さないけれど、若い女の子なんて関心ないよなんて態度でワザと振る舞わなきゃいけない気がして、どうも疲れるのであります。


それに、この若い世代をターゲットにしてオムライスの専門店というのが、また要らないことをするのであります。

オムライスにハンバーグを乗っけたり、エビフライを乗っけたりと、何かを乗っけるのが大好きなお店が多い。


お世話なことにホワイトソースなんてものを掛けて出す店もある。

オムライスというものは、ハムや鶏肉を玉ねぎと炒めて、そこにご飯を加えてケチャップをたっぷり入れて更に炒めた物を、薄く焼いた玉子で巻いたものであります。

それでいい。

ただ、それだけでいいのであります。

余計なことはしなくていい。


白いお皿に形よく乗っけられたオムライスの真ん中あたりにトロッとケチャップを帯状に掛けた姿は、大人でも、子供でも嬉しくなるものです。

僕は、これを食するときは、まずケチャップをスプーンの腹を使ってオムライスの背中全体に伸ばす。

そして、ややはしたない食べ方ではあるが、スプーンを縦に持って、オムライスの背中を4カ所ほど縦に突き刺し、その平行した溝に直角にウスターソースを1往復させるのです。

そうすると、その溝からソースが中のケチャップライスに浸み込んで、ちょっと嬉しいアクセントになるという仕掛けである。


そして、先日、僕は急にオムライスが食べたくなった。

大阪の難波の近くにあるオムライスを提供するお店を考えてみたが、急には思い出せなかった。


ないとなると食べたくなるのがB型であります。

そしてどうにか思いついたのが、少し歩くけれど、老舗の洋食屋さんだ。

ランチのセットなどは昔から同じメニューで提供されていて、また内装を見てもテーブル席とカウンター席の、やや年代を感じる風合いが、いかにも老舗の洋食屋という感じである。

これは昔からのオムライスが食べれそうである。

料理が運ばれてくる間、カウンターから調理の様子を見ていると、お持ち帰り用のカツサンドを作っていて、これもまた美味しそうです。

これは期待できそうだ。

少し歩いて来た甲斐があったというものであります。

うきうきした気分で待っていると、恋しいオムライスが僕の目の前に給仕された。


シマッタ!!!

その運ばれたオムライスを見て、心の中で叫んでしまった。

とはいうものの、食べて見たら納得がいくのかもしれないと思って、スプーンで中のケチャップライスと表面の玉子を掬って口に入れる。

「やっぱりや。やっぱり違う。」

確かに老舗のオムライスであって、美味しいといえるのかもしれない。


そのケチャップライスは、バターを利かせケチャップは控えめにして、やや薄い味のチキンライスに仕上げてあり、薄く焼いた玉子はいいのであるが、ご丁寧にその上にドミグラスソースを掛けてあるのだ。


「何やねん。こんな上品なオムライスは、オムライスちゃうねん。」

悲しさで上を向いて目を瞑ったときに気が付いた。

オムライスが無性に食べたくなる時がある。

そんな時は、ケチャップ味が食べたいということなのかもしれない。

だから、高級なオムライスでは欲求不満になるのである。

オムライスが食べたい。イコール、ケチャップ味が食べたい。

これは、僕以外の人もそうじゃないのだろうか。


「あ、それからビールね。」

マスターに注文をする。

そして、運ばれてきたオムライスは、僕好みのケチャップ味の濃いオムライスだ。

オムライスと言えばさ、最近は薄焼き玉子で包んでるんじゃなくて、わざわざオムレツを半熟で作ってケチャップライスの上に乗せてパカッと割ってふわふわとろとろの玉子のオムライスに仕上げるのも流行っているけれども、あれもダメだね。

まあ、1番最初に考えてやった人は尊敬するよ。

何でも1番というのはエライ。

1番というのは、それはお店のオリジナルということだからね。


でも、それ以外のふわふわとろとろのオムライスを出しているお店は、もうちょっと考えてほしな。

さっきも言ったようにオムライスを食べた時はケチャップ味のライスが食べたい訳だ。

でも、とろとろの玉子にするとだね、スプーンでオムライスを掬ったときに、食べたいケチャップ味のライスに玉子が混ざって、気の抜けたケチャップ味になってしまうではないですか。

マイルドなケチャップ味。

そんなのは、中途半端でオムライスとしての意味がない。

「ねえ、マスター。マスターのオムライスは最高だよ。うん。」

「ありがとう。」


そんなことを考えている間にも後ろのカウンターから3人の声が聞こえてくる。

「あたしの彼を取らないで。はっぱふみふみ。」

これは現実なのか妄想なのか。

でも、妄想癖の女は真剣である。


「あたしの彼って言うけど、彼ってあなたの所有物なの?」

レバーの女である。


「ねえ、あなた彼女の所有物なの?奴隷なの?」

男の子に攻め寄る。

見ると男の子の鼻から血が流れていた。

いつのまに、誰が。

妄想癖の女なのか、いや鼻血が出るくらいぶっ叩けるのはレバーしかいない。


「ねえ、あなた彼は人間じゃないの?それともあなたの所有物?人間が人間を所有してもいいの?彼には人格はないの?」

「あたしの彼氏、、、。はっぱふみふみ。」

泣きそうな妄想癖が少し可哀想に見えた。


「じゃ、彼はあなたの所有物じゃなくて、ただ単に食事をしたりするだけの、婚約とかしたわけじゃない、今、ちょっと仮にお付き合いしている人ってことよね。」

レバーが容赦なく続ける。

「お付き合いしているんだもん、、、、。はっぱふみふみ。」

「でも、彼は人間で、人格を持っていて、自由もあるよね。」

「自由、、、ある、、、。はっぱふみふみ。」

どうもレバーが優勢のようである。


男の子を見ると、鼻血を拭きもせず、背筋を伸ばして目を瞑っている。

一体君はどっちの味方なんだ。

それに妄想癖とは付き合ってるのかい。

目の前で繰り広げられる女の争いに、目を瞑ることでしかこの場をやり過ごせないのは、彼の若さでは仕方がないのかもしれない。

彼がここでどちらかを選べば話は終わるのだ。

或いは、彼はどちらをも選びたくはないのかもしれない。

自分の気持ちはどこかに置き去りにされて、ただ関係のない人たちが自分の事で争っている。


しかし、考えてみれば幸せじゃないか。

僕なら、両方を選んじゃうね。

いやいや、それは怖い。

両方を選ぶのは普通の女性の場合に限られる。

この2人は危なすぎる。

原爆級に怖い。


原爆と言ったら思い出すことがある。

「えっ?無理やりのフリだって?だって思い出したら、それ言わないとさ、ストレスになるものね。ねえ、マスター喋ってもいいでしょ。ねえ。」

無視だ。

でも、きっとマスターは聞いてくれるものね。


それはさ、僕がみゆきさんのコンサートツアーに広島に行った時のことなんだ。

広島平和記念資料館に行ったんだよね。

途中、バラの花が咲いていたね。

当時の町には恐ろしいほどの放射性物質があっただろうに、これほどの復旧を見せた広島。

あの時の死の灰はどこへ行ったんだろう。

まだ、この地面の下に眠っているのだろうか。

そんなことは知らないとバラの花は気持ちよさそうに日向ぼっこしていたよ。


資料館の受付に行くと、入場料が50円だという。

出来るだけ多くの人に知ってほしいという願いがここでも感じられる。

中に入ると、修学旅行だろうか小学生の団体でごった返していた。

外国の観光客も沢山いて、原爆について関心があるようで、興味深そうに見学をしていたね。


そこで、初めて知ったことがある。

広島の市長は、核実験をするという行為に対して、その国の首相に毎回抗議文を送っているそうなんだ。

その数は、その年は2012年だったかな、その年の1月で599通だって。

そんなに核実験をしているんですね。


記念館の中に作られたドームの壁面は抗議文でできていてさ、あれは圧巻だったよ。

これは素晴らしいことだと思う。

唯一の被爆国の日本であるから出来ることだ。

これからも続けていくべきことだと思う。


ただ、ここで僕は思うことがある。

唯一の被爆国だと言ったけれど、被爆国イコール被害国という意味に取ってる人が多いのではないだろうか。

僕は、それは少し違う気もする。

確かに、原爆によって多大な被害を受けた。

でも、今回は日本が被害を受けたけれども、もしアメリカと日本が逆だったら、日本は原爆を落とさなかっただろうかと考えるんだ。


ひょっとしたら、日本も原爆を持っていたら、その時に使用していたかもしれないと思う。

被害国も立場が変われば加害国になりうるということだ。

原爆、原爆というけれど、兵器そのものが問題なのである。


原爆は落とさなくなったかもしれなけれど、もっと怖い化学兵器や、システムを常に作り続けている。

人間がこの地球上で生きる上で、兵器を作るという事に対して、政府や政治家だけじゃなく、ぼくたちも考えて行動しなきゃいけないなと思うんだ。


そんな偉そうなこと言える僕じゃないけどさ、広島へ行ったら、そんな事を考えさせられる何かがあるんだよね。


最近は、尖閣諸島や竹島などの領有権問題で、中国や台湾、韓国などと、揉めているけれど、日本も時代遅れの政治家の口車に乗って動かされちゃダメだ。

今は、そんな政治家やテレビ評論家の意見に洗脳されて、尖閣諸島は日本のものだからチカラを行使しても守らなきゃいけないなんて思っている人が大半じゃないだろうか。

僕は弱っちい。

喧嘩は嫌いだし、人と争うなんて怖くて出来ない。


だから、そんな僕はこう思う。

日本や中国や台湾や韓国の間には、海があるよね。

そもそも一体、その海に線を引かなきゃダメですか?

ここからここまでが、自分のものだって線を引くことが正解なんですか。


確かに、今までは必要だったかもしれない。

人は自分の欲を満たすために、努力をしてきたし、それによって経済発展をし、テクノロジーの発達も、想像以上にしてきた。

そして、それには線を引くことが必要だったと思う。


でも、これからの時代は、それではいけない。

相手の幸せを願うことによって、経済を発展させ、テクノロジーを発達させていかなきゃいけないのじゃないかと思う。


海だってそうだよ。

各国の漁師が仲良く同じ場所で魚を取ればいいじゃないですか。

多分、太古の昔はそうやっていたと思う。

お互いにお互いの大漁を願って魚を取っていた。

今は、石油なのか、レアアースなのかに変わっているだけの話だ。


そんなに線を引くことにこだわっていると、その内に空間にまで線を引かなきゃいけなくなるよ。

「あ、今ね、あなたがため息をついた空間ね。それ私の空間なんだけど。私の空間とらないでくれる。」なんてね。


更に進むと、空間だけじゃなくて、時間にまで線をひいちゃったりして。

「あ、今から10分後ね、2時半から30分は私の時間だから、あなたその間、消えてくれないかな。」なんてね。

そんな世界が来たら窮屈だろうね。


そんな理屈で、僕は尖閣諸島も、誰でもがパスポートもビザも必要ない、世界初めての島にすればいいと思う。

世界中のみんなが自由に集まって、友情を深め合う。

そんな世界って多分、楽しいよ。


これからのぼくたちに必要なことは、線を引くことではなくて、線を消していく努力じゃないかと思う。

日本や中国、台湾、韓国の若者が、みんな協力して友情の消しゴムでもって、線を消していきましょうよ。

そんな民意が集まって、高まってくると、必ず政治も動くと思う。

これはアジアだけじゃなくてね、世界中でそんな活動が広まればいいと思う。

線なんて消えてしまえ。


なんてね、もう最近は、妄想ばかりしてるからね、しかもさ、お口アーンとかさ、そんなフシダラな妄想ばかりだしさ、ここで真面目な話もしとかなきゃ、周りのお客さんに、お口アーんのお兄さんとか、赤ちゃんのマネするバブバブのお兄さんって思われちゃうからね。

「ねえ、どう今の話、ちょっとは真面目な話でしょ。」

マスターは、コクリと頷いた。


だけど、僕とみゆきさんとの間には線を引きたいよ。

隔てる線じゃなくて、僕とみゆきさんを繋げる線をね。


たとえ、糸電話のような弱っちい線でもいいからさ。

弱い細い糸でも、僕はめげないもんね。

だって、細い糸でも、負けないで大声で叫べばいいんだからさ。

「みゆきさーん。好きでーす。」ってね。


「えっ?大声ださないでって。あ、ごめんごめん。つい調子に乗ってみゆきさんって叫んじゃったよ。でも、今回はいい話でしょ。」

「大きな声を出すと、3人に気が付かれますよ。」

後ろのテーブルを振り返ると、3人が全員目を瞑って無言で座っていた。

怖い。

それにしても、大声を出して3人に気が付かれなくて良かったよ。


「それでさ、マスター。線といえばね、、、、えっ?また無理やりな繋がりかって?いいよね、喋って。さっきの話はいい話だっていったもん。いいよね。」

また無視だよ。


「それはさ、僕がみゆきさんのコンサートで東京へ行った時の話なんだ。」

上野の西洋美術館の前を通りかかったんだ。

どうも人間という生き物は、線を引きたがるもののようでありまして。

線を引いて、二つに分けたがる。


善と悪。

天国と地獄。

男と女。

あっちとこっち、、、、などなど。

両極端なものに、二つを区別するために、線を引いてしまう。

そんな線について考えさせられるものがあったんだ。


その西洋美術館の入り口の前の庭に、数点のロダンの彫刻が置かれている。

タダで見れるんだ、入口の前だからね。

そうタダなので、見てみることにしたんだ。


そこに「地獄の門」があった。

ダンテの神曲をモチーフに製作されたブロンズの扉だ。

ただ、制作しているうちに、神曲色は薄れていったようで、詳しいことは、僕は分らないので、ここではちょっとおいておくね。


とはいうものの、その浮彫は扉全体に地獄の様子を表現していて、美術を知らない僕でさえ、生々しいロダンの想像の地獄の世界を見るものにダイレクトに感じさせるんだ。

そして、そんな地獄の門の上に、有名な考える人が置かれている。

扉全体に描かれている地獄の模様を見ている扉の上部に置かれた「考える人」は、何を考えているのだろうね。


ただ単に地獄に堕ちる人を、悲しみでもって見ているのか、その救済方法を考えているのか。

でも、考えているだけじゃ何も始まらない。

止まったままだ。


それじゃ、僕と変わらない。

考えるだけの、見ているだけの、僕。

しかも、僕の場合は、考えているフリ。


それにしても、地獄の門なんて、名前だけで怖そうだよね。

モチーフになった神曲では、地獄の入り口として、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」という銘文で有名だそうなんだね。


この門をくぐると地獄。

怖い。

そんな、怖い門を、どうして作ったんだろう。

そんなの作っちゃいやだ。

やだ、やだ。

バンバンバン。

「あ、マスターごめん。またカウンターバンバンしちゃったね。それよりさ、あの3人さ、今のカウンターバンバンに気が付いた?付いてない。良かったよ。だって怖いもん、あの3人。」


それで門だけどさ、門があれば開けてみたいというのは、どうだろう、誰でもが思うのではないだろうか。

僕は絶対に開けてみたい。

全開は、怖いけれど、ちょっとだけ隙間を開けて覗きたい。

覗き趣味、、、、ピーピング僕。


とはいうものの僕は、線を引くという事をしない。

線を引くという事はね、これは、どこまで行ったって終わらない、虚しい行為なんだ。

何かを分け隔てるつもりで引いているのかもしれないけれど、引いた瞬間に、また分け隔てなきゃいけない空間が出来上がる。


1枚の画用紙の右と左を分けるつもりでさ、真ん中で切り裂いてもね、切り裂いたその半分の画用紙にも右と左が出来上がる。

なんど切り裂いても、わけられるもんじゃない。


この門をくぐると地獄だといっても、それじゃ、この扉のこっち側は、天国かっていうと、そうでもない訳で。

門のこっち側だって、どこかで、誰かが、どこでも、誰でも、苦しんで生きている。


地獄じゃないこの世だって、戦争もある。

戦争なんて、地獄そのものじゃないか。

門でもって、線を引いたと安心しても無駄な話だ。


それにね、門の向こう側だってね、線を引いた瞬間に、地獄の中に、天国と地獄が生じるんだ。

地獄の住人にしてみれば、地獄の中に更に天国のようなところと、地獄のようなところが生まれる。

だから、線を引く行為なんて無駄な話なのである。


すべては、連続体なのであると、僕は思う。

とはいうものの、この線という行為は、人間のこころを安定させるものであるようで、色んな人が、線を引こうと無駄な苦労をしているのであります。

その線の象徴が、門であり扉である。

そして、引かれた線の向こう側が見えなければ、そこに希望や解決策があるのだと、勝手に思ってしまうのである。

こっちの世界を棚上げにしてね。

門の向こうには、素晴らしいものがあるのだと、信じたいのであります。


夏目漱石さんの「門」という題名も、友人を裏切った罪悪感に対する解決策や、本来自分が生まれてきたことの目的を得るために禅の門をたたくのだけれど、結局答えを見つけられない、そんな象徴として名づけられたと思う。

そして、その文章の中に、「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」という1節があって、これはまさに僕の事ではないかと、むかしに読んだ時に思った記憶がある。


この門をくぐったところに答えがある。

そう主人公は考えたのだ。

でも、そこに答えは無い。

だって、そこに答えがある筈だと、門というもので見えない線を引いたのは、自分自身であるから。


画家の佐伯祐三さんは、日本人なんだけれど、日本人だとは感じない作風で、好きな画家だ。

その佐伯祐三さんが、「絶対売ったりしないように巌に君に頼むよ、あの二枚だけが僕の最高に自信のある作品なんだよ」と友人に頼んだ絵がある。

「扉」と「黄色いレストラン」だ。

どちらも閉ざされた扉が描かれている。

佐伯祐三さんは、その扉の向こうに何を見ていたのだろうか。

でも、彼にとって、この扉は開けっ放しではダメだったんだろうね。

開けてしまうと、希望がなくなってしまう。

やだ、やだ。

希望がなくちゃ、やだ。


そんでもって、ダンテの神曲の地獄の門だ。

この地獄の門をくぐると、すぐにでも壮絶な地獄が待ているのかと思ったら、ダンテの神曲によると、そうでもなくて。

地獄の門をくぐると、地獄の前庭とでも言うべきところがあって、罪も誉もなく人生を無為に生きた者が、地獄の中に入ることも許されず留め置かれているそうである。

ウィキペディアで知ったんだけどね。


そうそう、ウィキペディアに書かれていることを鵜呑みにしちゃだめだって、僕もそう思うけどね、結構便利だからね。


それで、地獄の前庭と言えるようなところの事を知ったとたん、笑ってしまった。

何とも、曖昧な門である。

地獄の門を入ると、何となく地獄的な、地獄じゃないような的なところにでる。

この曖昧な場所なら、少しぐらい居られそうだ。

というか、今まさに僕が暮らしている世界そのものじゃないか。

僕は、もう既にその門をくぐっているのだろうか。

「南無阿弥陀仏。チーン。」


上野恩寵公園の、大空の下の開けっぴろげな空間に置かれた地獄の門は、その向こうに地獄の世界が広がっているという風には、東京にいるという浮かれた気分の僕には、思えなかったが、タダで、こんなに想像で遊ばせてもらって、得をした気分になって、上野駅に歩いて行ったのを今でも思い出すよ。

そして、歩きながら思った。


「みゆきさんの門」があるのなら、絶対に開けてみたい。

開けて何をするというのでもない。

ただ、みゆきさんが、そこにいてさ。

ただ、それだけでいい。

そんな、門があるのなら、たとえ爆弾で門を破壊しても入りたいよー。

「ドカーン。」ってね。

爆死。


でも、みゆきさんは、きっと門を開けていてくれると思うんだな。

全開に開け放たれた門にはみゆきさんが目じりを思いっきり下げた笑顔で待っていてくれる。


中に入るとまた門があるよ。

「みゆきさんのココロの門」だ。

これはいつも閉じられている。


でも、僕は開けて入っていくんだな。

するとそこには、みゆきさんが普段考えていることが、クルクルと空中を回っている。

その1つを捕まえて僕は中を見る。


「えーーーっ。そんなことを考えているの?みゆきさんってエッチ!それで、そうして、、、それをああやって、うん、こうしちゃう訳。みゆきさん、それって世間で言う変態ってことだよ。えっ?そんでもって、それを垂らしちゃう訳。うん、解った。僕にもしてもらうよ。でも、痛くしないでね。」なんてことを普段は考えているのかもしれない。


それか、「へえ、あの芸能人が嫌いなの。」とかさ、「それ言っちゃダメだよ。」なんてね。

そんなみゆきさんのココロの中が見れるんだ。


「みゆきさんの好きな人」なんてのがクルクル回ってたら、それを捕まえて思いっきり足で踏んづけちゃうよ。だって、そんなの知りたくないもんね。


だけどね、だけど。

みゆきさんのココロの中はね、そんな下世話なものは回っていないんだよ。

みゆきさんのココロの中には清らかな天使が回っていてね。

みゆきさんはその中で、とろけるような笑顔で座っているんだ。

そんでもって、ときどき「天かす抜きのたぬきうどん」を食べるんだね。


いやだあ。

もう僕のココロまでトロンと溶けちゃうよ。

「ねえ、マスター。今の話どうだった?聞いてなかったって?まあ、それはそれでいいけどね。」


やけに静かな後ろのテーブルを振り返ってみると、無言で3人とも僕を見ていた。

背筋に走る震え。

怖い。

怖いよお。

何を見ているんだろう。

いや、それは僕を見ている。

じゃ、何故。

3人とも無表情なのが気になる。

男の子だけでも何かの情報を発信して欲しかったよ。

ただ、もう怖いから後ろを見ないでおこう。


「ねえ、マスター。もう1杯ビールください。」

ビールと言えばね、ビールを飲むとオシッコに行きたくなるよね。

でも、僕はオシッコが苦手なんだ。

特に、男性トイレのオシッコがダメなんだ。

男性はさ、ほら立ってオシッコするでしょ。

でさ、混んでると後ろに並ぶわけ。

そうなったら、もうダメなんだ。

後ろに人が並んだらさ、早くしなきゃいけないと思うじゃない。

でも、思えば思うほど、出ないんだ。


それでなくても、普通でも出ないんだよね。

それが後ろに人が立たれると、緊張して更にでなくなる。

こっちは出そうと必死なんだよね。

でも、あんまり出ないで立っていると、後ろの人が怒るんじゃないかって思ってさ。

いかにもオシッコしましたよって感じの演技をしてね、本当は出てないんだけど出た振りをして一旦、トイレを出るんだ。

そんでもって、またトイレに入る。


なんでだろうね。

なんでオシッコでないんだろうね。

「ねえ、マスター。どう思う。」

それはそうだよね、人のオシッコは知らないよね。


でもさ、オシッコって言えばね、僕は、みゆきさんはオシッコしないと思うんだ。

オシッコだけじゃない、ウンコさんもオナラもしないよ、きっと。

だって、あんなに可愛いんだもの。

しないに決まってる。


もうね、オシッコもウンコさんもしないでも、ずっと清らかなんだ、みゆきさんはね。

そんな風に神様が作ったんだよ。


あ、マスターは知らないかもしれないけど、僕はウンコって呼び捨てにしないんだ。

だって、汚い感じするでしょ。

でも、ウンコさんって「さん」を付けると、何となく僕と対等な感じになるもんね。

あ、でも、みゆきさんのウンコさんだったら、もっと敬意を表して、ウンコ様か。

いや、みゆきさんは可愛いからウンコちゃん。

それもどうかなあ、何かのキャラクターみたいだ。


そんなことは、置いといて、みゆきさんはウンコさんをしないよね。

「そう思わない。ねえ、マスター。」

そらそうだよね、それはそうだ。

みゆきさんも人間だからね、オシッコもウンコさんもする。

それは僕も理屈は解るんだ。


だからさ、前に僕は想像したことがある。

僕はみゆきさんが大好きだ。

だから、僕はみゆきさんの為だったら何でも出来る。

そう思うんだ。

そんでもってね、この前もさ、みゆきさんのウンコさんに頬ずりが出来るかって想像したんだ。

みゆきさんのウンコさんだよ。

きっと、ピンク色でさ、バラの香りなんかするんだね。


そう、それは解っているよ。

みゆきさんも人間だ。

バラの香りのウンコさんなんかしない。

細かいことが気になるんだねマスターは。


それでさ、実際のみゆきさんのウンコさんを想像してさ。

手の上に乗せる訳。

ほんのり温かいよ。

みゆきさんは、実際は人間だから、少しはクサイかもしれないな。


それでそのウンコさんの乗った手をほっぺたのあたりまでもってくるよ。

クサイかもしれない。

で、そのみゆきさんの実際のウンコさんに頬ずりするんだ。

あくまでも想像だよ。


僕の頬とみゆきさんのウンコさんの距離3センチ。

クサイ。

確かにクサイ。

でも、愛があれば、これぐらい何ともないはずだ。


僕の頬とみゆきさんのウンコさんの距離1センチ。

「はははは、、、、。みゆきさんが好きだ。ウンコさんが近くに、あはははは、、、。」

しっとりと、そして温かいウンコさん。


本当に好きなんです。

本当に。

で、結果はどうだったと思う。


そうなんだ。

無理だったんだ。

僕はみゆきさんのウンコさんに頬ずりをすることは出来なかった。

想像ですら出来なかったんだ。

なんて情けない男なんだって泣いたよ。

大声でね。

僕はみゆきさんが大好きだって言っているのに、みゆきさんのウンコさんに頬ずりもすることのできないダメな男なんだ。

今思い出しても悔しいよ。

「うえーん。うえっ、うえっ、うえっ。」


シマッタ!!!

感極まって大声で泣いてしまったよ。

僕の後ろのテーブルから、「泣いてるよ。」というレバーの声が聞こえた。


「うえーん。はっぱふみふみ。」

泣いているというのは、 僕の事を言っているのか、妄想の女のことなのか。


バシーン!誰かをぶっ叩く音。

どうなっているんだ、後ろのテーブルは。

でも、見ないのが賢明だ。


「それより、マスター。ごめんね。どうも大声を出して泣いちゃったみたいだね。えっ、泣くことより、ウンコさんの連呼はお店ではやめて欲しいって。それはそうだね。ごめんねマスター。でも、僕って情けない男だよね。頬ずりできなかったのは愛が足らなかったのかな。ねえ、マスター。」

「ウンコさんに頬ずりするような男は、みゆきさんも好きじゃないと思いますよ。」


「そうだよね。そうだ。頬ずりしなくて正解だったんだ。良かったよ、マスターに気づかせてもらって。ありがとうマスター。」

「いえ、どういたしまして。」

無表情だが、ウンコさんの話は嫌いじゃないようだ。


「でもさあ。負け惜しみじゃないけどさ、オナラだったら嗅げると思うよ。みゆきさんのオナラだったら吸えるね。100パー吸える。ビニール袋かなにかに、みゆきさんにプーってやってもらってさ、それをいつも持ち歩く訳だ。そして公園かどこかの空気の良いところでベンチに腰かけてね、ビニール袋に鼻をつけてさ、一気に吸うんだね。少し気が遠くなるかもしれないよ。でも、それは想像だけれど、出来る気がする。どうマスター。それぐらい僕はみゆきさんが好きなんだ。ちょっとは見直した?」

マスターは、ただ首を振るだけだ。


そうだよね、オナラを吸うっていうのも、考えれば変態だよね。

勿論、想像だけの話なんだけれどね。

そうだ、今日はこれ以上この店にいるのは、どうも危険だ。

後ろの3人に声を掛けられる前に店をでよう。

そろそろ帰るとするかな。


ドアを開けると、空に星は見えなかった。

ただ雨が降り出す前の湿った空気が僕の首にまとわりついてきたが、それでも少し気温が下がってきたのか、それも嫌なものではなかった。

あの3人は、これからどうなるんだろうね。

まあ、考えるのはやめよう。


京阪電車の長椅子で、みゆきさんの「もっぷでやんす」(小学館文庫)の絵本を1枚1枚めくりながら「はろー」なんてその文章の1つ1つを僕だけが聞こえるぐらいの小さな声で読み上げていった。


みゆきさんの「もっぷでやんす」は、どうしようもなく疲れた時やツライ時に読むと何故かその疲れやツライ気持ちが、みゆきさんの優しさが解いてくれて開放してくれる。

知らない間に涙があふれて、鼻水もあふれて、口からも何かの液体があふれていた。


「あのオッチャン、口と鼻と目から、変なもん出してるよ。」という子供の声。

「しっ。声出したらアカン。もうオッチャン見たらアカンで。変なオッチャンやから何されるか判らへんで。」と子供をたしなめる母親の声。

そんな声が聞こえてきたが、僕は気にしない。

今、僕は猛烈に癒されているのだ。

ダラダラダラ、、、。

やや、流れた液体で首回りが気持ち悪いが気分は最高だ。

みゆきさん、大好きでーす。

モーレツにシアワセだ。

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