リヒトルディン=ヴァルコローゼ④

『――すまないリヒト! もうこれしか!』


 そのとき、駆け寄ってきたリリティアが俺の左腕をぎゅっと包み込んだ。


 ジュウ、と音がして……彼女の白い手が黒く変色していく。


『な、なにしてるんだよ! 離れろリリティアッ、呪いが――!』


 目を見開く俺に、リリティアが真っ直ぐ目を合わせる。


 彼女の大きな蒼い瞳は――微笑んでいた。


『いいか、よく聞け。話した通りだ……私は、私自身に宿る穢れや呪いを浄化したり誰かに移すことはできない』


『……ッ』


『そして『本来の王族』に宿した穢れや呪いは、こうして誰かの身に移さねば――再び集約できない』


『――あ』


『だから、お前が私を救え。待っているぞ、リヒト――』


『駄目だ……リリティアッ』


『――集約ッ!』


 その瞬間、彼女の瞳が蒼く燃え上がった。


『ぐっ、うう、あああぁっ!』


 熱い――!


 堪らず叫んだ俺の左腕に、ユーリィから溢れ出した黒い靄が集まってくる。


 灼熱の――穢れた炎が俺の左腕を焼いていく。


 その熱とともに、紅色の手袋がじわじわと紡ぎ出されていくけれど……リリティアの腕が黒く腐敗していくのは止まらなかった。


『リリティア――リリティアッ! 放せ、駄目だ――嫌だ!』


『耐えろリヒトッ! いいか、いまのお前にユーリィの穢れまで背負わせては封印に支障が出る! ――だから、お前の抱えている呪いを、半分、私が背負う……!』


『――っぐうう、嫌だ、リリティア……うううッ』


『臆するなッ……お前なら、できる!』


 熱い。頭がぐらぐら、する。


 そのとき、組み合っていたユーリィがふらりと傾いだ。


 手が離れ、倒れ伏す彼女から溢れた黒い靄が俺たちを取り巻いている。


 けれど、リリティアは瞳を光らせたまま俺の手を放さない。


『リリティア――駄目だ、そんなこと――したらッ』


『……なんとかなる、リヒト。――いいか、ラントヴィーに……封印、具……を。ダガーを、渡せ』


 ――途切れ途切れになった言葉とともに、リリティアの体から力が抜ける。


 燃えるような左腕を包み込む彼女を、俺は咄嗟に右腕で抱き寄せ……ともに膝を突いた。


『うう、ぐうぅ……』


 黒い靄はもう少しで全部俺に集まる。


 でも、でもリリティアは――。


 白く柔らかい腕が、肘まで真っ黒に染まっていて。


 抱き留めた体は……俺よりずっとずっと熱い。


『嫌だ――リリティア――うぅ、嫌だ――リリティアッ』


『――――大丈夫、だ……リヒトルディン……』


 彼女は俺の頬に額を寄せ、柔らかな声で俺の名前を小さく呟いて…………崩れ落ちる。


『う……あ……あああアアァ――ッ!』


 ――絶叫する俺の左腕には、紅色をした肘を超える長さの手袋が紡ぎ上げられていた。


******


 リリティアを背負い、俺は走っていた。


 ユーリィは地下に寝かせたままだけど、ほかにどうしようもなかったんだ。


 視界が涙で歪むし、呼吸はままならないし、最悪の気分だった。


 それでも走らなければならない。彼女とアルシュレイを助けるんだ……そう思ったから。


 ――俺がこんな状態で穢れを生んでいないのは――きっと彼女のお陰だ。


 ユーリィの命を奪わずに済んだし、なにより『待っている』と言ってくれたから。


 俺が呪ってしまった大切な人が――そう言ったから。


「俺はッ……こんなことで、絶望、なんか……していられ、ないッ!」


 苦しいけれど声を張り上げ、己を奮い立たせた。


 土壁の通路を抜け、石積みの階段を駆け上がり、俺が向かったのは第一王子アルシュレイの部屋である。ここが一番ラントヴィーの部屋に近かったからだ。


 歯を食い縛って光の差す部屋に飛び込んだ――けれど。


 何故かそこにいたのは――第三王子クルーガロンドだった。


「『出来損ないのリヒト』⁉ お前――なにを……ッ」


 ものすごい剣幕で怒鳴られて、初めて聖域が解けてしまっていることに気付く。


 けれど情けないことに――誰かに会えたことで気が抜けて。


 俺はぼたぼたと涙をこぼしながら膝を突いてしまった。


「はぁっ、は――た、助けて、くれ……クルーガロンド、助けてくれッ……リリティアが、リリティアが――ッ」


「――な、なんッ……⁉」


「ラントヴィーなら、彼女を――お願いだ、クルーガロンド――俺、俺ッ、うぅ……」


「ああくそ、よくわからないが――そいつ寄越せ! お前へばりすぎだ。ラントヴィーだな⁉」


 クルーガロンドは俺からリリティアを引き剥がして抱き上げると、すぐに駆け出す。


「あとから来いリヒト! こいつは俺が運んでやる! おい、ラントヴィー! 出てこいッ!」


 部屋から飛び出し、廊下で声を張り上げるクルーガロンド。


 俺はふらふらと立ち上がり、必死で彼を追い掛けた。


 足が上がらなくても、呼吸がままならなくとも、俺が行かないと駄目なんだ! 駄目なんだよ……ッ!


 廊下には甲冑がふたりと、扉を開けたラントヴィーの姿。


 そして彼の前にはクルーガロンドと、抱き上げられたリリティア。


「リヒトルディン! なにがあった⁉」


 見たことがないほど険しい表情のラントヴィーに向け、俺は「ぜはっ」と息を乱しながら黒いダガーを差し出し、なんとか口にした。


「封印具――ラントヴィー、お前、作れるな――⁉」

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