ラントヴィー①

******


 食事会のために着替え直し食堂に行くと、まだ誰もいなかった。


『第一王子とやらの分を食べてもいいんだが、姿を現すのは避けたいからな……』


 言いながらアルシュレイの椅子に座って、リリティアが物欲しそうな顔をしている。


 彼女の分は「夜食が欲しい」と侍女に頼んで部屋に運んでもらっているけど……すまない、リリティア。


 ……アルシュレイの席は扉から一番離れた長机の短辺、つまりは頂点にあたる。


 あとは長辺のアルシュレイ寄りに第二王子、その向かいが第三王子、その斜め向かいで、かつ第二王子の隣に第四王子……となるので、俺の隣は第三王子クルーガロンド、向かいが第四王子メルセデスだ。


 第六王子と第七王子は十八歳までの授業がすべて終わると、ここに加わることになる。


「おい『出来損ないのリヒト』」


 そのとき、ほかの王子たちとやってきたクルーガロンドがぐるりと顔を回して仏頂面のまま俺を見た。


 ――うん。鋭い眼光ではあるけど大丈夫だな。いまは落ち着いているらしい。


 視線を合わせて確認をしてから、俺は肩を竦めて応える。


「……模擬戦ならしばらくは付き合わないからな」


 すると、ちょっと予想外なことに。


「ふん、ならしばらくしたら付き合え! ……ほらよ」


 ばさ、と。クルーガロンドのゴツゴツした手で、俺の前になにかが置かれる。


 まじまじ見ると……なんだこれ――薬草?


 俺が「?」を顔いっぱいに浮かべていると、クルーガロンドは肩を怒らせたまま自分の席にドカッと座った。


 リリティアはどういうわけか顔を真っ赤にして笑い出すし……。


 ラントヴィーはさっさと自分の席に移動しているし。


 すると、俺の救世主……メルセデスがぽんと俺の肩を叩いた。


「炎症を抑える薬草だよ。あとで騎士に言って湿布にしてもらったら? 律義に君の頬を心配した第三王子からの贈り物だね」


 彼の言い方にクルーガロンドが目を剥いて噛み付く。


「……う、うるせぇぞメルセデス!」


「ふん、模擬戦に付き合わされた僕たちの身にもなるといいよクルーガ。体中が痣だらけだ」


 俺はふたりの会話を聞きながら、胸のなかで何度も反芻した。


 ……炎症を抑える……薬草?


「……うわ、これ俺のためってことか……! ありがとうクルーガロンド」


 あの様子だとリリティアは気付いているんだろうな。


 ようやく腑に落ちた俺が感動して言うと、クルーガロンドは露骨に嫌な顔をして腕を組み盛大に鼻を鳴らす。


『殴った張本人のくせに気にしていたのか! はは、なるほど愚直な奴だな!』


 リリティアは楽しそうだ。


 ――冷やしたお陰で頬の腫れは引いていたけど、確かに薄らと痣になっていた。


******


 結局、王子たちの食事会では収穫はなかった。


 アルシュレイのことも当然話題に出たものの、なんとなくお互いの意見を交わすことが躊躇われたからだ。俺としてもまだラントヴィーと話せていないから、迂闊なことを口にしたくないなんて思惑もあった。


 そういうわけで一度部屋に戻りリリティアが食事を済ますのを待っていると、彼女は食べながら言った。


「……そういえばリヒト。私を自由にするという話だが」


「ん? ああ、すまない。ちゃんと話してなかったな。……俺さ、思ったんだ。リリティアにとってはつい昨日でも、何百年も前なのは事実だ。それなのに、なんで一番苦しいはずのリリティアが一番背負わないといけないのかなって」


「…………」


 リリティアがとろとろに煮込んだ肉を口にして視線で続けろと言うので、俺はコップに水を入れて手渡してから頷いた。


「それを背負うのは俺たち王族だ。ユルクシュトル王がどんな王だとしても俺たちのご先祖様なんだからさ。俺がもしユルクシュトル王に似ているんだとしたら、俺は『出来損ない』でいいよ。……だからリリティア。俺はアルを起こして王になってもらう。それを影で支えながら、この先の穢れとか呪いってのは『俺が』なんとかするって決めたんだ」


「んっ……なんとかするだと?」


 肉を呑み込んでパンにかぶり付こうとしていたリリティアが顔を上げる。


 俺は「食べていいよ」と声を掛けて笑ってみせた。


 リリティアは「む」と唸ると、おずおずとパンを口にする。


「ここが神聖王国なんて笑っちゃうだろ? 神世のときは違ったのかもしれないけど、ユルクシュトル王の時代にいてくれたのは女神じゃなくて白薔薇ヴァルコローゼだ。――だからっていうのも変だけど、白薔薇ヴァルコローゼ。俺はこの嘘だらけの腐った国から君を自由にしたい。君の自由を願うために聖堂の鐘を鳴らしたい。君のために俺が各地で情報を集めて――民が穢れや呪いを生まないよう王に進言するんだ。アルシュレイなら応えてくれる、絶対に。だから君は君のために、新しいこの国で咲いてほしい。そう思ったんだ。――どうかな、詩人になれるか?」


 聞き終えてぽかんと口を開けたリリティアは、やがて手を下ろして視線を泳がせた。


 行き場を失ったトマトがフォークの先で食されるのを待っている。


「…………リヒト」


「ん?」


「……お前の言葉を返そう……その台詞は、ちょっとどうなんだ?」


 リリティアは俯いて紅色のケープのフードをすっぽりと被った。


「……さすがの私でも、かなり、その…………恥ずかしい台詞だが」


 みるみる朱に染まる白い頬から目が離せなくなって……瞬間、俺はかーっと自分の頬が熱くなるのを感じた。き、君のためには言い過ぎたかな……?


「す、すまない……」


 謝ると、彼女はフードの下から赤らめた頬を覗かせ、蒼くて綺麗な瞳で俺を見上げて身動ぐ。


「いや。お前がそう言うなら……私の自由とやらを考えてみよう。そのためにも早くそこの第一王子とやらを起こさなくてはな」


 ……彼女の言葉は聞こえてはいた。聞こえてはいたんだけれど、俺は。


 初めて見るリリティアのそんな表情に戸惑ってしまって……なにも応えることができなかったんだ。


 アル、頼む。教えてくれ――こんなとき俺はなんて応えたらよかったんだろう?


 それに、なんだか。胸の奥がぎゅっと掴まれたみたいに、苦しいんだ――。


 ……俺はそのあと、落ち着くまで何度も顔を洗わなければならなかった。

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