出来損ないのリヒト⑤

******


 うん。自分の部屋はやっぱり安心するな……ラントヴィーの気持ちもわかるかも。


 ベッドにはアルが眠っているので、俺はソファに身を投げ出すようにして深くもたれた。


 水でも飲もうかと思ったけど、そっか。水差しは回収されていたんだったな。


「そういえばリリティア、俺の水差しになにしたんだ?」


 ふと問い掛けると、部屋の真ん中で難しい顔をしていた彼女の表情が少し和らいだ。


「睡眠薬に変化させた。ひとくちでぐっすり眠れるぞ」


「えぇ……じゃあ俺、睡眠薬で眠らされていたってことになるのか」


 思わずぼやいてみたけど、それならそれでいいか。


 リリティアはそんな俺の隣に腰掛けると、しみじみと言葉を紡ぐ。


「……メルセデスも言っていたが、お前は楽観的だなリヒト。……それに悔しくはないのか?」


「ん、ああ、『出来損ないのリヒト』のことか? ……んー、もう全然気にもならないよ」


 俺が笑うと、リリティアは困ったように眉尻を下げて微笑む。


「王族のくせに、お人好しだな」


「褒め言葉、どうもありがとう」


 応えてから、俺は紅色の手袋が嵌まった左手を広げてみせた。


 とにかく、この手のことは聞いておかないと。


「それで? これってあの黒い靄を集約したから呪いが広がったってことか? リリティア?」


 するとリリティアは身動いで、膝の上で手を握る。


 少し逡巡したあとで、彼女はゆっくりと頷いた。


「……お前には溢れた穢れが見えるのだったな。……すまない、完全に甘く見ていた――浄化するには穢れや呪いを受ける『器』が必要になる。それが今回、お前しか――」


「それはいいよ。アルシュレイを助けるために俺がその『器』になったんだよな? 確か最初にリリティアが言ってただろ、己が身を器としてなんたらかんたらって……。聞きたいのはそうじゃなくて――俺とアルの命はちょっと削られたのかな、とか、そういうこと」


 きっぱり言い切ると、リリティアはぱっと顔を上げ、俺を見た。


 大きな蒼い瞳は困惑に彩られ、形の良い眉がぎゅっと寄る。


「いいだなんて簡単に言うものではない、リヒト。いいか、器となるのは『特殊な方法で精製された封印具』と、お前のような『本来の王族』のみなのだ。いまの王族が器にはなれぬのは見てわかった。……甘かったんだ――私が」


 そこまで捲し立てると、リリティアは両手を伸ばして俺の左手にそっと触れた。


「器は白薔薇ヴァルコローゼの術によって呪いを宿し、時間を掛けて穢れや呪いを浄化するもの。王が王たる理由はそこにもあるのだ。私自身が贄とされ、地下の扉を塞いでいたのは――白薔薇ヴァルコローゼの力で無理矢理押さえていたにすぎない。浄化は間に合っておらず、あの中には何百年もの穢れが凝縮された強力な呪いが溜まっていることになる。それはもう、お前ひとりではどうにもならない量だろう――。それなのに、私はその呪いを封じておくためにお前とそこの第一王子とやらの命を糧としてしまった」


 俺はリリティアの小さな手が、紅い手袋の甲――そこに花咲く白い薔薇の模様をなでるのを黙って見ていた。


「私はほかの王族――つまり器に呪いを分散させて浄化できると考えていたが……それはできそうにない。しかも、最悪なことに『首謀者』が私と同じ白薔薇ヴァルコローゼの術を使えることがわかった。例えば、先ほどの暴走した侍女。器以外に穢れを集約させればあのようになり、呪い自体を集約させれば、あらゆるものを腐敗させることができてしまう」


 楽観的すぎたのは私だ、と。リリティアは小さく……かろうじて聞こえる程度の音で呟いた。


 でも、まだよくわからないんだよな……。


「ええと。すまない、確認したいんだけど……つまりさ、いまの状態じゃ器が足りなくて浄化はできないんだな? ――だとしたら、俺とアルはどうなるんだ? ……それに、呪いが溢れたらこの国は……?」


「――そうだな、それも説明せねばなるまい」


 リリティアは小さく吐息をこぼし、瞳を伏せた。


◇◇◇


 神聖王国ヴァルコローゼ。


 それは、白薔薇ヴァルコローゼと呼ばれる役に就くことができる白銀の髪と蒼い瞳を持つ一族と、彼らが見出した蒼い黒髪に翠の瞳を持つ王が対となって治める国だった。


 白薔薇ヴァルコローゼは国に根付く生命(いのち)から聖なる力である祝福を授かり、特殊な術を使うことができる。


 彼らはその術により、人の心から生まれる穢れや、穢れがより強いものとなった呪いを集約させることが可能だった。


 対して王は穢れや呪いを生まれさせないよう白薔薇ヴァルコローゼに指示を出し、国の政治を取り仕切る。


 例えば不作による飢餓、例えば戦争による悲哀。それらを和らげ、国の平和を保つことが務めなのだ。


 加えて、もしも大規模な穢れや呪いが生まれたそのときは己が身を器とし、命と時間を掛けて浄化する……それが王だった。


 ――しかし、王族とて人。ときに穢れてしまうもの。そのため、城の中央に聳える中央片の地下深くには白薔薇ヴァルコローゼが管理する特殊な部屋が用意されている。


 その部屋は王族が生んでしまった穢れと呪いを集約させるための、封印具を壁とした巨大な器であった。


 白薔薇ヴァルコローゼは一族のなかで一番力のある者が選ばれ、祝福で紡がれた黒瑪瑙オニキスいばらに己の命を分け与えてその部屋を封じていたのだ。


 そして、溜まる穢れと呪いの量を知ることで、白薔薇ヴァルコローゼは王族を慮ることができたのである。


 けれど――あるとき部屋の様子を確認するために地下に潜った若い白薔薇ヴァルコローゼは、胸に封印具を穿たれ部屋の扉に磔にされてしまった。


 予期されていたのかは定かではないが、部屋の扉を封じる黒瑪瑙オニキスいばらは彼女を取り込み、その命を循環させることで機能し続けることとなる。


 ――彼女を贄としたのは、そのときの王族の誰かに違いない。


 真っ黒なローブに身を包み仮面で顔も隠していたが、それは顔が知られていたからにほかならない――あの場所に入れるのは白薔薇ヴァルコローゼと王族のみだからだ。


 おそらく白薔薇ヴァルコローゼの力を欲するあまりに膨大な穢れと呪いを生み出してしまい、それを隠すために彼女の存在が邪魔になったのだろう。


 その後の歴史はまだはっきりしていないが、王族は白薔薇ヴァルコローゼの一族と交わって子を成し、少しずつその血を濃くしていったと考えられる。


 そうして、 白薔薇ヴァルコローゼの存在が忘れ去られるほど長い――長い時間が過ぎて――リリティアは目覚めた。


 ……結果は知っての通りだ。目の前にいる王族――リヒトルディン=ヴァルコローゼを器とし、溢れた呪いを集約させ、残りを扉の向こうに封じることとなる。


 簡単に言えば、終わりの始まり。肝心の器が足りず、浄化もままならない。


 彼らの命が尽きたそのとき、扉は開かれ、この国は呪いに呑み込まれてしまうだろう。


 そうなれば最期。この国の生命いのちはすべからく腐敗し、草の一本も生えない不毛の地が産声を上げる――。

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