出来損ないのリヒト④
「……ああアアアァッ!」
侍女はくるりとダガーの切っ先をこっちに向けると、いきなり突っ込んできた。
「! や、やめろ……っく!」
俺は咄嗟に自分のダガーを抜き放ち、黒いダガーを跳ね上げる。
「おい! その侍女を取り押さえろ!」
クルーガロンドの声に、騎士たちがガチャガチャと鎧を鳴らして走ってくるけど――。
「駄目だ! 来るな!」
俺は騎士たちに怒鳴り、再び黒いダガーを突き込んでくる侍女に応戦して組み合う。
このダガーがアルを呪ったものなら……そう思うと嫌な予感しかしない……!
騎士たちは俺の剣幕に踏鞴を踏み、困惑したように動きを止める。
そのあいだも俺と侍女は刃を交えたまま、ギリギリと鬩ぎ合っていた。
「な、なんだ……なにが……?」
至近距離で見ているメルセデスがこぼしたのが聞こえるけど、いまは構っていられない。
きっと、メルセデスには侍女のダガーが見えていないんだ。
だから俺が『なにを防いでいるのか』わからない……そういうことなんだろう。
『――くっ、仕方ない、すぐに穢れを集約する! ……すまない、耐えてくれリヒト!』
リリティアが両腕を広げ、彼女の瞳に蒼い光が宿った瞬間――俺は一気に自分のダガーを引いて上体を反らし、侍女の体勢を崩すと同時に左手で彼女の右手首を掴み捻り上げた。
「……アアァ――!」
侍女の唇から、酷くしゃがれた絶叫が迸るのと同時に――。
『集約ッ!』
ぶわあっと、蒼い光が満ちる。
「うぅ……ッ⁉」
侍女とその手に握られたダガーから黒い靄が溢れ出し、俺は思わず呻いていた。
あ、熱い……! 左手が――!
そのあいだにも黒い靄がぐるぐると渦を巻きながら、俺の左手に集まってくる。
すぐに侍女の体から力が抜けて、黒いダガーがその手を滑り落ちた。
ゴトンと音を立てて落ちたダガーに、そのとき初めてメルセデスが目を瞠る。
「暗器か……!」
――見えるように、なったってこと……だ。
けれど、もうそれ以上熱さには堪えられなかった。
「……ぐううぅッ!」
俺は左手首を押さえ、膝を突く。侍女が後ろに倒れたけど、正直、気にする余裕がない。
「リヒト⁉」
メルセデスが慌てて俺の名前を呼んだのが聞こえる。
俺は応えることもできずに床に額を付けて歯を食い縛った。
あ、熱い――! 熱い……ッ!
『すまない、すまないリヒト……! もう少しで収まる、もう少し耐えてくれ!』
リリティアが駆け寄ってきて、俺の背中にそっと手を載せる。
これ、この熱は……アルシュレイを助けたときと似ていた。
だけどアルのときに見た黒い靄の密度はこんなものじゃなかったし、熱さも――意識を失うほどだったはず。
これが呪いと穢れの違いなんだ、きっと――。
それなら、あの侍女から溢れ出した黒い靄――穢れを全部取り込めば……!
「うぅっ……」
やがてリリティアの言葉通り熱が急速に引き始め、俺はぶはっと息を吐き出して仰向けに転がった。
「はあっ、はぁッ……!」
「リヒト! 斬られたの⁉」
「メルセデス……いや、違うよ。あれくらいで、斬られたり、しない……はあ、はあ……」
なんとか視線を上げれば、リリティアが悲痛な面持ちで俺を見下ろしている。
……はは。そんな顔されると、ちょっと困るなぁ。
「……俺は大丈夫だよ」
俺は彼女に向けて左手を持ち上げ……ぴたりと止まった。
紅色の手袋の縁のあたり……手が、変色しているのだ。
心なしか腐臭が漏れている気がするんだけど……これって、まさか。
『部屋に戻ろうリヒト。そこで説明する。……もう黒いダガーに危険はない』
俺の視線に気付いているのだろう。
リリティアが視線を逸らしてそう言ったので、俺は小さく頷く。
次から次へと……信じられないことばっかり起きるな……。
「その女を拘束しろ!」
メルセデスが腕を振り抜き、今度こそ騎士たちが意識のない侍女を拘束するのを横目に、俺は立ち上がって自分のダガーを鞘に収め、メルセデスの肩にぽんと右手を置く。
「すまない、俺、さすがに混乱してるかも……。……アルシュレイもいないし、侍女もあんなだし……ちょっと疲れたよ。今日は一度解散しないか?」
「……あ、ああ」
メルセデスは視線を泳がせながら応えると、ぽかんと成り行きを見ていたクルーガロンドに言った。
「とりあえず今日は解散しようクルーガ。王女たちも部屋に。念のため今夜は全員に護衛の騎士を付けて……クルーガ、そっちの手配をお願い。筆頭侍女長のところには僕が報告に行くよ」
「お、おう――」
俺はメルセデスとクルーガロンドの会話を聞き、頷いて歩き出す。リリティアも付いてきた。
「それじゃあ俺、部屋に戻っておくよ。クルーガロンド、騎士が来るなら部屋の外にいてもらってくれるか? ちょっと疲れたし、もう休むから」
擦れ違いざまにクルーガロンドの肩にもぽんと手を当てて伝えたけど、彼は忌々しいものでも見るような目つきで俺を見下ろし、俺の手を払い退けて唸る。
「『出来損ないのリヒト』のくせに。俺は……騙されないぞ」
……はいはい。心の中で適当に返事をして廊下に出たところで……俺は『彼』に気付いた。
アルシュレイの部屋から少し離れた場所の扉が、少しだけ開いている。
そこから黙って俺を見ていたのは……第二王子ラントヴィーだ。
「あ、ラントヴィー……」
ぱたん。
って、ええ。なにか話してくれてもいいんじゃないか?
俺は閉められた扉に、深々とため息をこぼした。
一番疑われているのは俺、その次は第二王子ラントヴィーだろうからな。
部屋に籠っているほうが安心――なのかもしれない。
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