リリティア⑤

白薔薇ヴァルコローゼ。それは、王族に力を与えることができる者のことだ。お前が王子であるように、私は白薔薇ヴァルコローゼ。つまりただの役職のようなものにすぎない。……そこまではいいか?」


 ん、んん――? 俺は眉間に寄った皺を右手の人差し指と中指でぐりぐりと広げる。


「すまない。まったくよくない――白薔薇ヴァルコローゼが役職? 俺は白薔薇ヴァルコローゼの女神とその聖女の話しか知らない……」


 しかし、白薔薇ヴァルコローゼだという彼女はしゅんと肩を落としただけで……納得してくれたらしい。


「どうやら白薔薇ヴァルコローゼのことがねじ曲げられているようだな……女神? 聖女? ……なんだそれは。白薔薇ヴァルコローゼには男もいたのに――いや、まあいい。とりあえず先に進める」


 ……いいのかな? 俺、まったく付いていける気がしないんだけど。


白薔薇ヴァルコローゼになれるのは、白銀の髪と蒼い瞳を持つ一族だけだ。。そして白薔薇ヴァルコローゼが王たらしめていたのはお前のような蒼い黒髪に明るい翠色の瞳を持つ一族だった。……なのにどうだ、いまそこで眠っている者が第一王子? ユルクシュトルが何代も昔の王? それは確かなのか?」


「……ま、待て待て。俺のような容姿が王族だった……? そんな話も初めて聞いたよ……それから、そこにいるアルシュレイが第一王子なのも、ユルクシュトル王が何代も昔の王様なのも間違いなく本当の話だ」


 俺が首を振って腕を組むと、白薔薇ヴァルコローゼだという彼女はまたもやがっくりと肩を落とした。


「……そうか。……王族は白薔薇ヴァルコローゼの力を得るべく私の一族の血を交ぜた――そういうことなのだろうな。私の知る第一王子ユルクシュトルがお前の言う何代も前の王であるなら――私は磔にされたまま時代に取り残された化石のようなもの――ということになる」


「…………化石って」


 俺は不躾に彼女を眺めた。


 俺より頭ひとつは小さな体。膝丈のドレスのような袖のない白い服の上に、紅色のケープを羽織っている。


 ふっくらと柔らかそうな白い肌に、血色のいい唇。肩ほどまでの白銀の髪に蒼い瞳。


 年齢も俺とそう変わらないだろうと想像ができたけど……つまり、彼女はここで磔にされ、ユルクシュトル王の時代から何百年も黒瑪瑙オニキスの像だったと。


 そう言いたいってこと――なんだよな。


 俺は俯いて再び眉間を揉んだ。


 いやいや。無理だ、信じられない。けれど現に、俺は呪いとかいう恐ろしいものを目にしたわけで。自慢じゃないけど、何事にも楽観的な性格だったりするわけで。


 …………信じるしかないってことだよなぁ。


「はあ、すまない。全然付いていけないながらに質問させてもらうけど――君、ずっと石だったってことか?」


「石ではない。封印のくさびだ」


「いや……そうじゃなくて……」


「そもそも、お前は何故私の封印を解いた? この胸を貫いていたはずのダガーはどうした」


 俺はそこではっと顔を上げる。


「ダガー? ……もしかして、黒いダガーか?」


 彼女は俺の言葉に深々と頷いてみせた。


 ――俺が思い出したのは、アルが倒れていたその隣に落ちていたダガーのことだ。


「あれが君の言うダガーかはわからないけど……俺が抜いたんじゃないよ。アルが倒れている横に落ちていたんだ」


 俺は触れてもいないから、アルシュレイの部屋に残してきてしまったけれど。


「……では、そっちの王子が抜いたということか?」


「あー……それはわからない。アルはこの上の部屋で倒れていたんだ。半身が腐敗した状態で」


「――ふむ。ダガーを抜いたことで呪いを受けた可能性はあるが……どれ」


 彼女は気持ちを切り替えたのか立ち上がって身を翻すと、眠るアルシュレイの服を躊躇いなく捲り上げて腹――紫色のいばらが絡み付いている――を露出させた。


 俺も頭を寄せて一緒に覗き込む。


「見ろ、腹に傷がある――ダガーを抜いた奴が別人かはわからないが、少なくともこの王子はそのダガーで刺されて呪われたようだ。……まさかお前、刺してはあるまいな?」


「なっ……刺すわけがないだろ! っていうか傷って……塞がってるのか……?」


「呪いを食い止めるのと一緒に塞がっている。案ずるな」


「……。なあ、さっきから呪い呪いって……アルはこのままだとどうなるんだ?」


 アルシュレイはその手の話も大好きだったからな……呪いを受けるとどうなるとか、そんな話もよくしていたっけ。


 本当に呪いなんていうのがあれば、の話だったはずだけど。


 俺が聞くと、彼女はアルの服を戻しながらちらと俺を見る。そして、きっぱりと言い切った。


「このままでは、お前と一緒に死ぬ」


「え……えっ?」


「お前の左手に白薔薇ヴァルコローゼの術で呪いを集約させ、封じた。それを解かぬ限りお前とこの王子の命はじわじわと削られていく。勿論、医者に治すことはできまい。その手袋の下は呪いの温床だ」


「……」


 俺は無言で左手を翳し、握ったり開いたりしてみる。


 紅色の手袋は柔らかく、動作に不自由は感じない。


 けれど。


「――いや、ええと。呪いの温床って……え?」


「いまお前はそこの第一王子とやらと命を繋がれている。お前に呪いの一部を集約し封印することで、腐敗の侵食を止めているのだ。そして繋がれたお前たちの命を糧に、いばらの鎖で呪いの扉を封じている。――しかし、かなりの量だったからな……お前の体には負担がかかるかもしれない」


 待ってくれ。本当に付いていけない。俺、呪われたってことか?


 俺は唸りながら首を振り、閉じた瞼の上から眼をぐにぐにした。


「……俺、死ぬのか?」


「――案ずるな。すぐに死ぬことはない。だが、いつまで保てるかは断言できない。黙って待っていても消えるような量ではないからな……とにかくこの呪いを集約し浄化することができればお前たちは解放される。つまり、お前はそのために動かねばならないということだ」


 俺は瞼をゆっくりと持ち上げて紅色の手袋を見詰め「はぁ」とため息を付いた。


「……そんなことどうやるんだよ……」


「……この呪いを悪用している者がいるのは確かなのだろう? だから、そこの第一王子とやらは呪われた――つまり『首謀者』を見つけることがひとつ。それからお前と第一王子とやらの呪いを取り出して集約させる。――最終的にはこの扉の中にある呪いもなんとかしなくてはなるまい」


「つまり、まずはアルを狙った奴を見つけろってことか……で、浄化ってなに?」


 これは本当に『禁忌』かなにかなんだろうな――アルシュレイが聞いたら、きっと喜ぶのに。


 聞き返した俺に、彼女は細い腕を組んでみせた。


「呪いを白薔薇ヴァルコローゼの術で器に宿し、滅するのが浄化だ」


 俺は再び「はぁー」とため息を付き、紅色の手袋とそこに描かれた白い薔薇を見詰めた。


「……うーん。なんかよくわからないけど、わかった。アルを狙った奴を見つけるのは望むところだしさ。呪いのことも含めて正直わからないことだらけだけど――死にたいわけじゃないからな。なんとかなる、きっと」


 すると、彼女はなにがおかしいのか唇に笑みを浮かべ、ふふと笑う。


 笑顔を見せたのは初めてだ。俺はまじまじと眺め、ふと口を開いた。


「君、何歳なんだ?」


「なんだ急に?」


「いや、見た目からすると石になっているあいだは歳を取ってなかった感じだろ? いくつだったのかなと」


「――十九だ。ふむ、そういえば特に変わった感じはしないな」


 彼女はそう言いながら、両手を上げて凝視した。


「十九か……じゃあ俺が一個上――っていうかその歳でそんな偉そうな――ん、ごほん。いや、すまない」


 さすがに失礼かもしれない。俺はぱっと口を押さえたが、ばっちり聞こえていたようだ。


 驚いた顔をしてから、彼女は口元に右手を添えておかしそうに笑い出した。


「偉そう? ――ふふ、当たり前だろう! ――なにせ白薔薇ヴァルコローゼは国で一番偉かったのだから!」


「――え?」


「言っただろう? 白薔薇ヴァルコローゼが王を王たらしめていたのだと。私はこの国の『生命いのち』から祝福を分けてもらい、それを使って王を助けていた。例えば――そうだな。地方の村が不作に陥ったとしよう。そのとき私が行って土地を祝福すれば、穂は膨らみ十分な恵みをもたらすわけだ。つまり、王は白薔薇ヴァルコローゼに助けられながら、穢れが生まれないよう国を管理する立場ということ」


 俺は眉を寄せ、首を傾げる。


 あれ、なんだか聞いたことあるな……。


白薔薇ヴァルコローゼの女神の加護を受けた聖女――その伝説にあったな。恵みをもたらす、とかなんとか」


 思わず呟くと、彼女は頷いた。


「であれば、おそらく女神と聖女は――どちらもたったひとり――この私のような歴代の白薔薇ヴァルコローゼを指しているのだな」


「そうなのか……そういえばアルが教えてくれたよ。白薔薇ヴァルコローゼの女神と聖女に異を唱える書物があるって。――もしかしたらそれも、異を唱えるんじゃなくて……」


「ほう、それは興味深いな。白薔薇ヴァルコローゼについて正しく記した書物が残っているのかもしれない」


「――それなら、書庫に行ってみるのも……いや、そうか、うーん」


 そうだ。俺、アルシュレイを襲ったことにされているかもしれないんだったな。


 そうすると――どうしたらいいんだろう。


「とりあえず……ちょっと状況を整理させてくれるかな。あと名前教えてよ、ずっと君ってわけにもいかないからさ」


 まぁ、なんとかなるさ。きっと。


 俺は持ち前の楽観的な考えで口にして、目の前の白薔薇ヴァルコローゼに笑ってみせた。


 彼女は俺の言葉に困ったように微笑んで――告げる。


「まさか私の名を知らない者がいるとは――時間とは残酷だな。私の名は――」

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