第3章 その2
なんてことはない。準は校舎裏にいた。さすが狼は人の姿でも鼻が利く。
アスファルトには平凡とか言った冷やし中華が一つ置かれている。が、俺が訊いているのはそれだけではないからだ。
「何って、新作の試作に決まっているだろ」
準は右手を高々と挙手している。授業中でもないのに。その上空二メートルほどの高さに、暁が浮いていた。見上げる準と何やら話し込んでいる。
冷やし中華を挟んで対面にいる俺の横には羅が控えてくれているのだが、その逆側の横に、
「新たなる進化だそうだ」
曙がいた。食堂では「同文」としか言わなかったが、今は解説係を務めてくれるのか。それにしても進化とはどういう意味だろう。
「これも進化と言えばそうかも」
俺の疑問に風神は答えず、自分の両手を掲げ、交互に見詰めていた。
「これも?」
「人が私達を召還するなどおこがましいということだ。まあ、そのおかげで顕現できるのだから、それを享受しようとは思ってはいるがな」
「おこがましいって。式神とか何とかってあるだろ」
「そうだな。それもある。しかし、タカムラはあっちとこっちの関わり度合というのは分かってないだろ」
あっちと言った時には指を空に向け、こっちと言った時には地面を指さしていた。そんなのは当たり前だ。呪術師と死神と妖狼と交流するようになったとはいえ、平凡な男子高校生が知り得ているはずはない。
「私達のような高位を二者同時に地上に召還するなど、人としては施した瞬間即死亡の上に、魂はしばらく地上に転生できない」
「しばらく?」
「ああ、千年単位でな」
もう単位が壮大過ぎて、右脳も萎えてしまう。
「想像もつかんという顔だな。その通りだ。人が想像もできない仕組みだ。が、英はそれをやり遂げた」
「ようやく出来た的なこと言ってなかったか。俺が分からなくても準さんは……」
「ああ、分かった上でやろうとしていたのだ。可能になれば尚のこと英は呪術師としての才能が飛躍的に上がるからな」
「じゃあ、この術って……」
「まあ、秘術だな。よほどの覚悟と」
柔和な顔だった曙の目が一瞬鋭くなった。
「それを可能にする要素があったのだろうな。な、タカムラ」
「けど、準さんは……」
「平気なわけは無かろう。今は若いゆえに保っているが、そこいらの呪術師よりはるかに短命になりかねん。まあ、それほどの力を行使できると言えばそれまでだが」
「それって」
「死にはせん。それほどお前の液体は並外れている。あの量で可能になったくらいだ。できれば、私も直々にお前から」
曙の言葉が途中で止まる。横を見れば羅が獣の形相になっていた。
「準さんが大丈夫になるには方法ないのか?」
「お前以外にあると思うか?」
曙は偽悪的に笑うと、視線を宙に上げた。
「よし! 篁。始めるぞ」
準の声に、見れば、暁が両手を広げ、はるか上空を見上げていた。
みるみるうちに雨雲が集まってきている。
「太古の地球では雷が海中に落ちたことで、生命が誕生したと言う。ならば、この一皿にも雷が落ちれば冷やし中華に新しい生命が誕生することだろう。料理の一皿は地球と同じと言うからな」
準の言っていることがおかしい。寿の皿を否定してはいたが、感化されてしまったのか? 活き作り以上の一皿なんて物を誕生させてどうする?
「始め!」
言った瞬間だった。準がふらついた。それに合わせるように暁が腕を振り下ろすと同時に稲光が降り注いで来たのだが、それは冷やし中華には落ちずに、近くにあった倉庫に飛来。倉庫跡形もなく崩壊。炎上もなく完全に黒こげになり煙を立ち上らせていた。
「あれ~? まだ調子出ないな」
暁が自身の手を見ながら、戸惑っていた。
「英、別の試作をしてみよう」
「そうね、私一人でもできそうなことをしてみるわ」
「それがいい。曙、英に戻ろう」
言って光が二つ準の手に収まると、御札が二枚になった。
「準さん。大丈夫か?」
「ええ。さすがにこうもドタバタしていると疲労感があるものね。篁、あの死神は?」
「ああ、何かまた作ってたぞ」
「そう。私今日は帰るわ。家で試作するから。あなたも帰ったら」
スマホを取り出して電話をすると切った直後に黒塗りのリムジンが目の前に。呪術師の家というのは儲かるのだろう、何度か見かけたことがある。
いつもと違うのは準がパワーウィンドウを開けなかったことだ。ただ、軽く手を挙げただたけで、こういう場合には言わないことはない皮肉の一つも言わずに、リムジンは走り去って行った。
準は術を使ったことで身体に影響が出ており、にもかかわらず死神との対戦を逃げはしないだろう。それは体に染みついた家訓のせいなのだろうか、職務をまっとうしようという義務感か。
寿は使命感にも似た信念で地上に来ており、呪術師に負けまいとしている。
この冷やし中華対決が終われば、俺は再び狙いの的に戻るわけで、その前にこの冷やし中華対決自体が尋常ならざる事態を引き起こしかねなない。なんて言ったって、単に呪術師と死神の対決に、風神と雷神が絡み、さらには妖狼が非常時に備えているのだ。誰が勝っても、その後にクーデターが起こるのは、占星術者じゃない俺でも予知できる。結局は収拾のつかない闘争が再開されるのだ。
二者の冷やし中華対決を避けつつ、あの二人が抜いた刀を仕方なくとも納めることができる解決策を講じなければならない。
「可能だと思うか?」
一人では心もとない。傍らにあえて聞くのは、心配で不安で逃げ出してしまいたいのを必死にこらえていたからだ。
「御主人が思うならな」
明確な対立軸に乗っておらず、それでいて俺の側にいれくれる妖怪変化の狼。
「そういや、神様なんだろ。俺を御主人て呼ぶのはおかしくないか?」
「今さら。さっき言った時に言えばいいものを」
「さっきはそれどころじゃなかった。いや、今もそうか」
「ほらね」
「ん?」
「頭がこんがらがっていても、少しでも時間が経てば思いつくことがあるだろ?」
「そうだな」
励まされ、わずかに鼓動が速くなった。
「それに御主人にはまだ聞く相手がいるだろ」
羅について俺は保健室に向かった。
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