第2章 その7

「御主人、早く済ませた方がいい」

 さらには羅までもがジャージをまさぐり出す始末。肩書を除けば、どう見たって美人な二人女子に接近され、抵抗は徐々に高揚感に変わり、それは一介の男子には抗いがたく、結果。テントの中から現れた直立したミーアキャットは、くすぐられた拍子に含んでいたミルクを噴き出してしまった。当然三者の顔に散水。

 恍惚から我に返り、しでかしてしまったことに猛省や謝罪や懺悔さえも冷感を帯びた。それはそうだ。女子二人+狼の顔にぶちまけてしまったから。

When、where、who、what、howを確認し直してみても、放課後、学校の食堂で、男子が、ナニをし、howは頭文字通りのHともなれば、言い訳の余地がない。

 準よ、訂正する。お前は情報戦に勝てるぞ。たしかにイケたのだから。などとフォローしたところで何の意味も有しないのは一目瞭然で平に謝るしかない。のだが、

「へ……?」

 などと俺が呆けた声を出したのは、そこにいた準も寿も怒り出さないどころか、どこか驚嘆をしていたからである。むしろ悦に浸っている表情に見えなくもない。

「ちょ、ごめん。いきなりだったから」

 立ちあがってジャージを上げつつ、辺りを見渡す。ティッシュかタオルを探さなければならないからである。どこにもなかったが。

「篁」

 準がスッと背を伸ばして俺の肩に手を乗せた。やたらに熱く、それでいて重く感じた。やはりお怒りなのか。呪術師とはいえ女子高生である。しかも男子だけでなく女子からも好意を向けられること並ではない女子高生である。そんな方にやっちまったわけで、平手打ち一発で終わればましな方で、さすが呪術師の本気で俺が標的になるどころか、末代まで呪われかねないのではなかろうか。

「準さん、すみま……」

 とっさに出るのはまずは謝罪以外にないが、俺は見てしまった。あの時よりも瞳孔を爛々と開いて俺を見ている女子を。こいつ、ヤバい。

「篁、その手があったか!」

 両肩を押さえつけられた。万力並みの力で。そうか、被害は肩に来るのか。と思いきやそれがそれ以上に痛覚を催させることはない。怒っているのか、怒ってないのか、いまさらながら、もはやwhichは言及できない。

「そうか、そうか」

 開いた瞳孔のまま、笑い出していた。完全に悪魔の笑いである。

「タカムラ」

 その低い声に身震いし横を見れば、髪を乱して寿が立っている。完全に幽霊な立ちようである。

「よくやった」

 上げた顔。垂れ下がった髪の間から目が覗く。自覚した。俺、死神に祟られた。

「よくやったのだ」

 もう一回言った。きっと大切なことだったからだろう。しかも、準と同じように高笑いし始めた。

 もう何がなんだか分からん。

「御主人」

 羅の声。なのだが、聞こえる位置が違う。足元から聞こえたいつもとは違う。俺の顔と同じくらいの位置から聞こえる。いくら後足で立ちあがっても俺と同じ身長とはならんだろと、振り返ってみれば、

「誰?」

「私に決まっているだろ、御主人」

 声は惑うことなき羅。だが、その容姿は俺と同じくらいの身長で、頭頂部付近に見慣れた狼の耳、青い髪、目鼻立ちがすっきりとした人間の顔、全裸で、青いしっぽを揺らす女子がいた。

「感謝する御主人。ようやく人間態になることができた」

 言いつつ俺の背中から抱き着いてきた。再度の興奮をしてもいいはずだが、状況がそんな余裕を持たせなかった。

「狼もか。ならば、腕試しに」

 呪術女子が俺から離れると、さっき見た御札を中空に放った。一瞬の閃光と一陣の突風。腕で目隠しをし、さらに目を閉じてしまった。で、目を見開くと、

「おお、ようやくなれたぞ。これで暴れられるぞ。まったく英の怠慢ときたら目を覆うばかりだったな」

「同文」

 天井の高い食堂で、中空に浮く女子二人。金色の髪が漂い、凹凸の凸になる身体部位には簡素に申し訳程度に白い布を巻いて隠しているだけの。

「暁と曙。雷神と風神なのよ。ようやく顕現させることができた」

 雷神と風神……だから、ピカッと光って、ビューと吹いたのか……。思考が完全に幼児退行だ。

「そいつの精液すげえな。分散されてこれだからな。英一点集中ならどんだけになることやら」

「同文」

 暁という雷神と曙という風神からの称賛なのだろうが、そこを褒められても。

「そうだな、そのとおりだな」

 雷神と風神に同意を示す死神からは、悍ましいなんて雰囲気を並大抵に感じることはないだろうが、現にその雰囲気を醸し出していた。俺が身震いしても何のおかしくもない。更には、のこぎり鎌がまさに死神のイメージまんまの大鎌へ変態していた。

寿の姿が目の前から消え、ガラスが割れたような、金属同士がぶつかりあったような音がしたので、見上げてみると、寿が鎌を暁とやらに向けていた。雷神はビビる様子を微塵も見せずに、なんと大鎌をつまんでいた。

「顕現の記念に体操もいいだろうな。寝た子を起こすにはちょうどいい」

「同文」

 暁と曙の目が紅に光っている。確か神様だよな。やけに物騒だ。俺のは、寝た子が起床した挙句、またしても就寝してしまったが。

「奇遇だな。私もタカムラから得た力を使ってみたいと思っている所だ」

 死神応戦。こっちも紅に目を輝かせていた。振り乱す大鎌と雷神の手の動き。高速すぎて見えないが、こんな寿見たことない。こんな身体能力なら、とっくに準は重傷間違いなしだ。ということは、原因は……などと思案している場合ではない。まずは事態の収拾が最優先事項。

「待て待て。こんな所で神様同士の抗争なんてしたら、一瞬でおジャンパーだ」

「「「タカムラは黙っておれ!」」」

 雷神と風神と死神に一喝され、それ以上口を挟める人はいるまい。

「御主人をバカにするのは感心しないなあ。私もいるのを忘れるなよ」

「おい、止めとけ。妖怪とはいえお前狼だろ。あっちは神様だ。さすがに叶わんだろ」

 全裸の人間態の妖狼が俺から離れ、一戦に加わろうとする。二週間とはいえ、俺の警護をしてくれていた、俺の血を狙っていた狼をむざむざと怪我させるわけにはいかない。それを察してか、羅は全裸でニッコリと笑った。どうやら俺の意向を汲んで引き下がってくれるのだろう。

「御主人。私、大神だから」

「……、はい?」

「狼は大神。だから、私も神様。連中に負けるわけないし」

 羅が宙に指だけで漢字を書いていた。けものへんに良。その次に、大きな神様と書いたのは見えた。そんな同音意義を今出されてもな。

「「「では体操、始めようか」」」

 準と寿と羅が同時に言うと、暁と曙と寿と羅がダッシュの構えを取った。

「おーい、大概にしとけー」

 食堂の入り口から全く意に介さない様子でカツカツと翳教諭が入ってきた。

「あ、タイガイってのは大概だから。実際体外に出してたようだけど」

 ここにも言葉遊びをする人が。それよりも、

「どっから見てたんですかーッ!」

 羞恥心は大声で誤魔化すしかない。

「やかましい奴だ。ま、とりあえず、神さん方、落ち着いて」

保健教諭の言葉に、

「先生、口を挟まないでもらえます?」

「ここから良い所なのでな」

「調子に乗ってるから反省させるべきだ」

 準、寿、羅の順に答え、

「吸血鬼風情に言われる筋合いはない。立場をわきまえるべきだ」

「同文」

 暁と曙が続く。戦闘再開かと思ったとたん、

「神さんが人間の社会を戯れに侵しちまっていいのか!」

 食堂に轟く吸血鬼の正論。

「ま、まあ。いきなり戦って英の体調を崩すのも忍びない。今日はこれくらいがちょうどいいだろう。英、戻せ」

「ど、同文」

 暁と曙の退避に

「だ、台無しにしてしまった分、新たな仕込みをしなければなりませんし」

 雷神と風神を御札に戻し懐に仕舞う呪術師。

「よ、様子を確認しただけだ。そんなに大きな声出さなくてもいいだろ」

 大鎌を、農作業に使えそうなのこぎり鎌に戻す死神。

「御主人、帰ろうか」

 羅だけはわれ関せずを決め込もうとしていたが、

「お前はしばらく私の所に来い」

「えー、なんで」

「動物耳した全裸で尻尾のある女子が、男子高校生のペットだなんて通じねえんだよ」

「えー」

 白衣を投げつけられた羅は実に不愉快そうだ。

「じゃあ、散会」

 吸血鬼が一拍で事態を収拾した。

 とぼとぼとした足取りの準と寿さんに続いて俺も出て行く。ホトホト疲れた。わずか数十分の出来事だというのに。

「あ、篁」

「今度は何?」

「お前ちゃんと洗っとけよ。結構匂うぞ」

 翳教諭の指は、稲穂よりも気前よく頭を垂れている俺のせがれを指していた。赤面する代わりにがっくりと肩を落とすはめになった。

 確実に言えるのは、血液でなくとも、俺の精……体液であいつらがパワーアップしたということだ。翳教諭が止めたということは、止めなければ、簡単にあそこが吹っ飛んだということを意味していた。翳教諭が言った俺の血の力を戯言と思えなくなってきた。しかし、それは当事者たちに確認を取るべきだろう。それにしても、これは、どうしても、何をしても、止めないとならんような状況になって来た。

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