第2章 その5
翌日の放課後。
誰一人入室することを拒否した食堂に俺一人が座る。調理のおばちゃんも、教諭諸氏もいない。いるのは俺の左右に呪術師・準英と死神・寿、足元に妖狼・羅。どうにかしてあの冷やし中華らを回避する策を考えていたが、麺一本食ってみて非常時だと判断したら、下手な理由をつけてひっくり返すしかないくらいの案しか思い浮かばず、重い重い着席となった。
目の前に置かれた二皿。醤油だれの冷やし中華とゴマダレの冷やし中華。見た目は昨日の試行錯誤が嘘のようにいたってサンプル的な仕上がりとなっている。のだが、否応なく思い出されるのは、口にも出せない隠し味や食材の数々のこと。
「篁、まずはいたって平凡な味を堪能してみろ。それから試作品に舌を潤すといい」
「凡庸故の普遍性。タカムラ、安心して食え」
お前ら本当に推薦味を称賛してるんだよな。平凡とか凡庸とか味が聞いていたら泣くぞ。
とはいえ、試験管の口から発生している気体を嗅ぐように手で扇いでも、ノーマルのアベレージをつっきる、それぞれの冷やし中華の匂いしかしない。
準のゴマダレ冷やし中華から。ゴマの柔らかな香りと舌触りが麺に絡みついて、夏だが濃厚な味がのど越しにいい。実に現代的な冷やし中華である。
次いで寿の冷やし中華を。黒酢とリンゴ酢の爽やかな酸味が、すでに一皿平らげているというのに、まだまだ食えそうな感を助長し、紅ショウガとキュウリがアクセントになってハムと錦糸卵というたんぱく質によるどんぐりの背比べを気にならないくらいに箸を進ませる。実に文化的な冷やし中華である。
「どっちも旨い。店出せるんじゃねえか?」
「「そ、そうか」」
二人してそっぽをむいて、俺の感想をまるで扇風機の弱位に聞き流していた。なぜか頬がほんのりとピンク色に変わったが、それは室温が設定されている食堂の冷房が先程停止したからだろう。
「御主人……」
足元で狼がうなだれていた。
「それでだ。これからが本番だ。私達が競うとなれば、これ以上にインパクトがあり、且つ衝撃的なものでなければならない」
準よ、勇むばかりにトートロジーになっている。すっかり安堵していたが、この二人がこれで終わるはずはなかった。
「タカムラ、この冷やし中華を食べなければ、その血この場で採取することになる」
死神に言われて、拒否できるほど度胸がない俺は意を固めた。
……が、テーブルに置かれた皿。
「ちょ、ちょっと待て。色がおかしい。匂いが! いけない匂いがしてるぞ」
先んじて準が新たに持って来た冷やし中華(たぶん)は、麺も具材も全体が紫色になり、湯気までもが紫色で沸き立っていた。しかも、青汁がさじを投げるようなにおいをしている。
「大丈夫。斬新な一品というのは、こういうものなのよ。さあ。篁、箸を持て」
皿を持ってじりじりと詰め寄る準に、何の抵抗もせずにこれに口を開こうという人間は、たぶん地獄にもいないだろう。現に妖狼たる羅が鼻を抑えて苦悶の表情を浮かべ、死神たる寿がガスマスクをしていた。
「妖怪とか死神が拒否反応を示してるのに、人間が食えるか!」
「妖怪や死神だから拒否反応なのよ。人間は大丈夫よ。だから」
「いやいやいや、これ食ったら確実に俺は寿や羅の側にメタモルフォーゼする予感がするぞ」
「わけ分かんないこと言ってないで、さっさと食べなさい」
などと強制と抑制を繰り返していれば、
「キャッ」
準が勢いよく、椅子に座ったままの俺に倒れ掛かって来るのは、パスカルの法則でなくとも帰結することであり、案の定、未知な冷やし中華が俺の制服を台無しにしてしまった。
「えらく冷たいぞ、これ」
白のシャツが紫色に変わり、しかも黒のスラックスからは煙が立ち上っていた。
「愚か者め。急いては事を仕損じるのだ。タカムラ、着替えて来い」
ガスマスク越しに言われても、これが取扱い危険物以外にはないのだが、それを肉体にかけられて、俺は平気なのだろうか。
「御主人、一応シャワーも浴びに行くぞ」
この場から一秒でも早く逃れたい、しかめ面の妖狼に先導されて、俺は体育館脇の男子更衣室に設けられているシャワー室でカラスよりも迅速に行水をして、体育のジャージに着替えて再び食堂へ。気が重そうな狼は、首を垂らして仕方なさそうについてきた。
こんな目に合っても食堂に戻る俺を評して、律義だというかもしれないが、それは違う。単に怖いからである。戻っても怖いのだが、逃亡したところで必ず見つかるし、その後の尋問に、準や寿が納得するような言い訳を考え出す自信がない。だから、戻るのだ。
どっから持って来たのか、俺が座っていたテーブルの後ろに扇風機が首を振っていた。その代わりに寿はガスマスクを外しており、準は憮然としてタブレットの画面とにらめっこして、
「いけるって書いてあったのにな……」
うなっていた。情報戦には負けるな、準は。
「タカムラ、こっちへ来い。今度はワタシの番だ。と言っても、斬新だとかいう皿は食えずじまいに終わったがな。しかしそれで良かろう。この伝統の延長線上にある冷やし中華を、あんなものでバカになった舌で味わってもらいたくないからな」
着席を促される。羅にちらと視線を送ってみれば、汗を流している。俺だけではないのだろう、嫌な予感に苛まれていたのは。
食堂の席という斬首台に着き、俺の目の前に一品が出される。もちろん処刑執行は死神の鎌である。
はずだが……
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