第17話 遠駆けに行こう①

 幾日か過ぎた。

 今朝も虎清は日の出から、清虎衆の若武者たちと城の中庭で汗をかく。


「エイッ」

「トォーッ、エイエイッ、ヤァーッ」


 張りのある蒼き掛け声が響く。

 稽古用の木剣が交わるたび、乾いた音がカン、カツンッ――とこぎみよく鳴った。

 数かずの実績をつみかさねてきた清虎衆は、いまや上山家中の象徴となりつつある。

 年ごろをむかえた若い女中たちが、物陰にたまって好いた男子の姿を見つけてはキャッキャと騒いでいた。

 駒姫も例外ではないのかもしれない。

 およそ二日に一度。

 中庭をのぞむ廊下に堂々と陣取って、稽古の様子を飽きもせず眺めている。

 その横顔はつきものが取れたようだ。

 虎清から贈られた群青の髪留めが、朝の爽やかな風で顔の左右に柔らかくそよぐ。

 長い黒髪のうえには清流の水面のごとき艶がながれた。

 そういえば駒姫は、よく食べるようになった。

 上山の城にきてからは飯を抜くこともしばしばあったものだが、近ごろは朝餉と夕餉をしっかりと頂く。

 その甲斐もあって少しふっくらとして、丸い頬に赤みを帯び、下川の城で過ごしていた頃のように表情が豊かになってきた。

 だからなのだろう。

 憂鬱そうにしていた駒姫の様子をうかがい、距離をおいてきた上山の女中たちが向こうから近づいてきて、言葉をかわす場面が増えた。

 それもこれも、安土物の艶やかなうち掛けを贈られたあとの変化だ。

 もちろん今朝も身をつつんでいる。

 駒姫に仕える房にとって、喜ばしいことであるに違いない。

 上山虎清と清虎衆は、萌賀の郷をなで斬りにした心底憎い仇であることにかわりはない。

 が、たとえ一時的でも、駒姫の心がほぐれてすこやかに過ごしてくれるなら我慢もできよう。

 これから一矢報いるため好機を待つ時間はいくらでもある。

 ところで、駒姫にしたがって稽古をながめるうち、房にとって驚きだったことがあった。

 あらためて清虎衆をよく見れば、思っていた以上に面々が若かったのだ。

 いずれも十代後半から二十代前半の若者。

 聞けばあの戦で初陣を迎えた者がほとんどであったという。

 群青の具足をはがしてみれば、内実はまだあどけない顔をした男子たちばかりだ。


「いまだに信じられぬ。どうしてこの者たちにああした働きができたものか。一体誰がここまで鍛えあげたのだろう? 孫六殿に探りをいれても体よくはぐらかされてしまう――」


 槍を振り回す若武者たちの横顔に、懐かしい横顔が重なってくる。

 それは亡き弟の顔。


歳八さいはち……もし生きていれば、今ごろああした姿になって武芸の稽古をしていただろうか。いや、いかぬ。己としたことが情に浸るとは――」

 

 房は頭を振り、いつものように威儀を正した。

 稽古に没頭するあまり、やっと駒姫の存在に気がついた虎清が、汗を拭きながらこちらにやってきた。

 白い歯が光る。


「これは駒姫さま、おはようございます」

「おはようございます。今朝も熱心であられます」

「いえ、なんの。これは我らにとって飯を食うようなものにて。これから稽古を終えたのち、田畑で働く者もおります」

「まぁ、それはお元気ですこと」

「ハハ……本当はもっと禄を渡して任せたい家中仕事が山ほどあるのですが、あいにく無い袖は振れませぬ。今の悩みの種にござりますれば」

「そうなのですか」


 虎清と駒姫もだいぶ打ち解けて、ざっくばらんに話すようになった。

 駒姫は、虎清から「義理の母ともいえるお方」と動かぬ現実をありのまま突きつけられ、少し落胆こそしていたが、他方で虎清に近づきやすくなった様子でいる。

 以前はどういう距離感で接したらよいものか決めかねていたゆえ、能面のように無表情になって、頭のなかで何周も言葉を選んで会話にも窮していた。

 だが今は、一応の距離感が定まっているから気が楽だ。

 上山家の嫡男と、父の側室――

 二人が談笑するのは何らおかしなことでもない。

 周りの目を気にせず公然と話ができるようになった。

 他愛のない話をしているうち、ふと虎清がなにかを思いついたような顔をさせた。


「ときに駒姫さまは、馬に乗られますか?」

「はい。しばらく乗っておりませんが……。昔は父とともによく領内をまわったものです。それが何か?」

「あの……じつは本日、愛馬に遠駆けをさせるつもりでいるのですが、私は二頭を所有しておりまして、一頭を手伝っていただけませぬか?」

「えっ!? わらわが城の外へ出てもよろしいのでしょうか?」

「なんの。父は出張中ですし、隠れて出れば平気だと存じます。こちらに来られてからすでに一年半が過ぎました。そろそろ城下の様子をご覧になられてはいかがかと思いまして……」


 駒姫はとりあえず誰かの了承を求めようと房を見る。

 すると房が無言でうなずいたので、パァーッと顔を輝かせた。


「では、さっそく準備をいたします。あの……もしよろしければ晶蓮しょうれんの滝まで参りませぬか!?」

「ああ、なるほど。それは丁度よい距離ですね。夕方までに戻ってこられます。では弁当をもって出ることにしましょう」

「はいッ」


 それから急いで準備をしたのち、虎清と駒姫、房とジイの一行は馬にまたがって城の裏門から抜けた。

 駒姫と房は袴姿に垂髪をうしろで高く結び、薄化粧で小姓のような装いとなる。

 城内で何人かの者とすれ違ったが、特にあやしまれることもなかった。

 久びさに外の空気を吸って胸が高鳴り心も躍る。

 馬が一歩また一歩と進むたび、身と心が解き放たれて空へ飛んでゆく心地がした。

 駒姫が胸をなでおろして深呼吸をひとつさす。


「心の臓がドキバキといたしました」

「外へ出るのはあの日以来になりますから無理もないことかと。そのお姿もお似合いです。見目麗しき小姓といったところですね。手綱さばきもお見ごとにて」

「まぁ、またお上手です」


 上山の城下には、大手門を抜けると上山に仕える武家の屋敷が立ち並び、それを取り巻く格好で町人街があった。

 武家街と町人街の境界には空堀からぼりが走っている。

 たしか以前はなかったはずだ。

 房は八方に探索眼をめぐらす。


「ほう、構えを作ったか。この作りは美濃と小田原あたりに倣ったものであろうか? 武家街では道が鋭く折れて櫓もいくつか出来ていた。たしかにあの貧相な平山城に手をくわえるより、鉄砲で迎え撃つ備えを置いたほうが兵を有効に使える。これらも虎清の仕業か……」


 隙なくそれらを見て、高さと深さと広さ、配置などを目測して頭に収める。

 小田原や美濃に比べれば、まことにささやかな規模の街ではあるが、下川の城下にはこうした景色がなかった。

 駒姫はもの珍しげに馬上から眺める。


「あら、こちらはずいぶんと賑やかな通りです」

「はい、いちでござります」

「朝市の時間はとうに過ぎたのでは?」

「こちらは上方を真似て私が置いた商人街。堺から商店を優先して招き、領内と結ぶ出店でみせを開いてもらいました」

「ああ、なるほど。ゆえにあのうち掛けがあんなに早く届いたのですね?」

「ハハ、さすがです。その通りにございます」

 

 いちでは領民が行き交い、活気であふれていた。

 店先には下川で見たことがなかった珍しい物が並んでいる。

 虎清がうしろから来る房とジイをたしかめた。


「それにしても驚きました。房どのも馬乗りがお上手にて。これは下川御家中のご流儀ですか?」

「それはそうです。房は――あ、いえ……房は、わらわと共によく遠駆けに出ておりましたから、慣れたものなのです」

「それはそれは」


駒姫が遠くを振り返ると、上山の城が小さく見えた。

 前には旧下川領へつづく道筋が伸びている。

 やがて町人街がまばらになってきて、青々とした山と水田がひろがる農村風景にかわった。

 空は抜けるように青い。

 そよ風がサラリと頬をなで、蝉の声をはこんでくる。

 うしろで縛った長いたぶさが、馬の尾と同調してユラユラと揺れた。

 その横顔を見た虎清が、嬉しげに微笑む。


「やはりお頼みしてよかったです」

「え?」

「わが愛馬が喜んで歩いております。そ奴は良膳が乗ると手綱が荒いのでヘソを曲げたものですが、今日はいつになく足取りが軽い。駒姫様の手綱さばきで心地よさげです」

「そうでしょうか? この下手糞めと舌打ちしていなければよいのですが」


 すかさずうしろから房が駒姫をたしなめる。


「姫様、虎清様の御前でクソなどとはしたない。控えられませ」

「あっ……」


 虎清が朗らかに笑った。


「ハハハ、よろしいのです。すべてはこの気持ちのよい気候がさせること。どうぞお気楽になされますよう」

「はい……」


 山の深い緑を背にしているせいだろう。 

 虎清が微笑むたび、駒姫の目には白い歯がなお一層まぶしく映った。

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