第16話 贈りものである

 駒姫と虎清は、駒姫の部屋にもどって相対した。

 座ったとき、二人のあいだに保たれた距離が以前のままだったので、駒姫は心中で安堵する。

 おかげで虎清の顔をまっすぐ見据えることができた。

 

「コホン……して、今日はどのようなご用向きでこちらへ?」

「はい、まずは――」


 虎清は駒姫のうしろで端座する房のほうをチラリと見やった。

 すかさず駒姫が察して、


「房」

「はい」


 房は四方の障子戸を静かに閉めきった。

 真っ白な障子に昼どきの明るい光がたまっている。

 やや間を置いて、虎清が威儀をただして両手をついた。

 深々と頭を下げる。


「先日は駒姫様に大変なご無礼を働いてしまいました。いっさい申し開きのしようもございません。心より深くお詫び申しあげます。駒姫様は父の側室であられます。つまり私の義理の母ともいえるお方。にもかかわらず、あのような狼藉を働きましたること、今はただただ心から猛省いたしております」

「義理の……母」


 駒姫の横顔がどこかでホッと安心したように緩んだあと、長い睫毛がゆっくりと垂れた。

 虎清は気付いていなかったが、その曖昧な一瞬を房は見逃さなかった。

 伏したまま虎清がつづける。


「――ことに駒姫さまは、当家と戦があった下川家の御姫様。よりによって当家の嫡男である私が、あのような無体を……。あれはならぬことです。謝っても謝り尽くせませぬ」


 輪郭のはっきりとした駒姫の声音が、つぎの言葉を先まわりした。


「虎清様の正直なお気持ちはこの胸にしかと伝わりました。もう結構です。どうかお手をおあげくださいませ。わらわはまったく気にしておりませぬ。乱世の習いのなかでは、ああしたこともありうると心得ておりますゆえ……」


 いや、ない。

 義理の関係とはいえ、息子が父の妻に手をだすことなど乱世の習いのなかにない。

 存在を消して二人のやりとりに傾聴していた房は、目頭をもみほぐしながら小さく首を横に振った。


「この二人はいったい何をやっているのだ? なにゆえせっかく一歩まえへ進んだのに、また仲良く一歩うしろに戻ってしまう? よいではないか。虎清も姫様にたいしてまんざらでもない様子なのは十分わかった。二人とも家を背負う正室腹の子ゆえ、常に己へ重石を課して過ごしてきたゆえだろうか。はぁ……これでは上山の家を二分できぬ」


 頭をもち上げた虎清は、駒姫の顔の左右に揺れる髪紐をしみじみ見つめる。


「――実はあの時なのですが、何とか踏みとどまれましたのはそちらのお陰です」

「は?」

「そのお髪を束ねている群青の結紐です」

「え……」


 駒姫は髪紐を指でつまみあげて目を寄せた。

 虎清が群青を好むとジイから聞いてから、左右に垂らした髪を群青の紐で束ねるようになった。

 あの日からずっと外さずに付けている。


「群青とは私にとって、武家の誇りと人の慈愛を象徴する色でございます。とても都合のよいもの言いに聞こえてしまうかも知れませぬが、先日、私は廊下で駒姫様とぶつかってからの記憶がうっすらとしております。乱心して半ば意識から逸していたのでしょう」

「はい……コホン、それで?」

「途中、ついつい夢中になって……いえ、乱心の最中さなかにおりましたが、その群青の紐が揺れるのを見た途端、少しばかり正気を取り戻すことができました」

「なんと……」


 駒姫はとんだ失敗を踏んでしまったと思う。


「この髪紐さえしていなければ――」


 と内心悔やんだが、虎清がそれに気付くはずもない。


「そこで本日は、お詫びの印というわけではござりませぬが、斯様なものをお持ちいたしました。駒姫様のお気に召しますと嬉しいのですが」


 虎清は脇に置いてあった上等な風呂敷包みを駒姫のまえに置いて、丁寧な手つきで広げてみせた。

 なかに包まれていたものを見た駒姫は、手で口を塞いで目を輝かせた。


「まァッ……これは!? なんと美しいうち掛けでありましょう」


 それは当地で見たことがない上等なうち掛けだった。

 群青色を基調として、裾に向かって霞が淡く入る。

 随所に唐風の刺繍がほどこされていた。

 鮮やかに、でも嫌味でもなく、洗練されている。

 まさしく当世、安土桃山の最新の流行をとりいれた斬新な意匠。

 駒姫の顔がパァーッと明るくかわったのを見て、虎清は嬉しそうに微笑んだ。


「これは堺の商人を通じ、安土から急ぎ取り寄せました。いかがでしょう? お召しいただけますか?」

「ええ、もちろんッ。房、こちらへ。手伝うてほしい」

「はい」


 うち掛けならば上山弾正も出張のたび買い求めてきてくれる。

 だがどれもこれもいまひとつだった。

 古臭くて、田舎臭くて、垢抜けないものばかり。

 十六歳の駒姫の趣味に合わなかったので放置してあった。

 ところが虎清が贈ってくれたうち掛けは、何もかも目新しい。

 どこからどう見ても匠による隙のない仕事がなされた逸品。

 見たこともない模様が間延びせず散りばめられ、色が鮮明に出ている。

 自然と心が躍った。

 やはり駒姫もまだ十六の娘。  

 腕を広げたり、背を見たりして身を回しては、これまで上山の城で見せたことのない年相応の愛くるしい笑顔になった。


「房よ、どうじゃ? わらわに似合うであろうか?」

「はい、とてもお美しゅうございます」


 虎清はその様を見上げ、満足そうに何度もうなずいていた。


「そうです、駒姫様。よろしければこちらも合わせてみませんか?」


 差し出された手に乗せられていたのは、またしても群青の髪紐。

 駒姫が巻いているものより、はるかに上等であることはすぐにわかった。

 繊細で力強い模様の金繍が施されてある。


「まぁ、凛としていながらどこか剛毅な気風を感じさせます。武家らしく美しいですこと。この打掛と合いそうですね」

「ええ、そう思いお持ちしました」

「では遠慮なくさっそく」


 髪に巻いてもらう間すらも待ちきれなさそうにしていたが、仕度が終わるやいなや、駒姫は勢いよく振りむいてみせた。


「虎清様、いかがでしょう? 似合いますか?」

「ええ……とても。本当によくお似合いです」


 房は虎清の横顔を見て首をかしげずにはいられなかった。

 その目が、少しばかり潤んでいたように見えたからだ。


「あれは年ごろの男が女子に向ける目線というよりも往古を懐かしんでいるような目……だろうか? しかしそれにしても、姫様は鈍い。これを贈られた意味をよく理解しておられぬ。どこの世にこれだけ艶やかなうち掛けを義理の母に贈る息子がいようものか。まだ生娘ゆえ、仕方のないことではあるが――」


 楽しげに語り合う若き二人を遠巻きにながめ、ふたたび小さく嘆息をもらすのだった。

 それから――

 駒姫は得意げになって城中をねり歩き、虎清から贈られたうち掛けをお披露目した。

 廊下では下川家から流れてきた女中だけでなく、上山家の女中たちにも笑顔を見せて声をかけた。

 これはとても珍しいことで、あるいははじめてかも知れない。

 上山家に来てからこのかた、駒姫はいつも憂鬱そうな重たい空気をひきずっていたもの。

 女中たちは脇によけて片膝をつき、道をゆずる。

 そして駒姫を見上げ、


「まぁ、お美しいですこと」

「なんと愛くるしいお姿です……」


 と溜め息まじりに羨望の声を漏らした。

 それを耳にした駒姫は、ますます気分が乗ってきて、鼻をツンと持ち上げて衣音を鳴らした。 

 すると――


「お、お……お微様そよさまッ!?」


 うしろから雷のような野太い声がしたので、駒姫と房が振り返ってみると、廊下の真ん中でジイが呆然と立っていた。


「孫六殿?」

「わっ、あばっ……こ、これはしたりッ。駒姫様であられましたか!? 拙者はまた……」


 ジイは慌てて口ごもり、片膝を落として頭をかいた。


「なにか?」

「い、いえ……あまりにお美しいお姿であられましたので、この老骨めはいずこの天女様が舞い降りてこられたのかと驚きましたる由、動転のあまり三途の川のせせらぎが聞こえかけた次第にて」

「まぁ、お上手ですこと」


 駒姫はクスリと清かに笑ったのち、安土物のうち掛をスルスルと流して廊下を渡っていった。

 ジイはにわかにドッと噴き出してきた額の汗を拭う。


「ふぅ……あのいでたち。あれは若の亡き母君、お微様そよさまかと思ったわい。しかしあの金繍入りの髪紐。あれはまぎれもなくお微様のものに見えたが、はて……?」


 なぜ駒姫の垂髪にあの髪紐が留まっているのか。

 武骨者のジイが経緯を想像できるはずもなく、しばらく廊下の真ん中で一人首を捻っていた。

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