第14話 情事である②
四半刻――いや、半刻も経っただろうか。
長いあいだ、二人は言葉をつむぐかわりに舌を絡めあっていた。
一人で散策をはじめた虎清の唇と舌が、駒姫の白い首筋をなぞり、耳裏にまわってうなじまで潜ってゆく。
吐息が季節はずれの春風となって、耳元をフワリとなでた。
くすぐったい音が頭の奥まで響く。
駒姫は身を縮めた。
固い結び目をほどくかのごとく虎清の指先が丁寧に腿をなでて、外から内へ、下から上へと気ままに寄り道をしながらたどってくる。
肌のうえに筆先で文を書きこまれているような心地がして、こわばった四肢から力が抜けていった。
不意にその筆先が、着物の裾をかきわけて思いがけないところを柔らかに撫でる。
駒姫はとうとう、十六年間生きてきて他人から触られたことがない箇所を触れられてしまった。
「あっ……あぁ!」
指先でかすかに触れられた瞬間。
それは下腹部から背中、脊髄から脳天まで、背骨をたどって突き抜けた。
反射的に身が反って息が詰まる。
全身を迸った何かは、熱い涙にかわってぽろぽろと零れた。
こうした涙を流すのは初めてのこと。
不安にかられた駒姫は、虎清の背に細い腕をまわしてしがみついた。
虎清が二度三度とやさしく髪をなでてくれる。
背から腰にかけて盛り上がった筋肉が、駒姫の手のうえで別な生き物のようにうねっていた。
うっすらと目を開けてみる。
虎清の左肩には傷痕らしき凹凸があった。
この傷はあの戦。
鬼権左との一騎打ちにおいて受けた槍傷と聞く。
鬼権左は槍の名手だった。
晩酌をしながら豪快に笑い、
「儂は箸よりも槍のほうが得意だ――」
と豪語していたほどで、槍先を己の手足のように扱った。
きっと虎清は、鬼権左の槍に苦しんだに違いない。
そして瞬間的に天性の機転を働かせ、勝つにはこれしかないと思い定めて罠を張った。
わざと左肩に隙をつくって突かせたのだ。
そうして鬼権左の動きを一瞬だけ止めて、喉元めがけて槍を突き返したという。
権之丞から聞かされたときは恐ろしい武者もあったものだと思いはしたが、まさかこのような形で叔父がつけた傷痕に触れることになろうとは。
「これは叔父上と下川の形見……」
下川の記憶を呼び起こしてくれる叔父が残していった傷痕を、駒姫は愛おしげに撫でた。
「駒……駒、駒よ」
虎清がしきりに名を呼んでくれる。
体をきつく絡みつけたまま口を吸って、たがいの首筋を噛んだ。
そうしてもつれあっているうち、いつの間にか駒姫の帯が緩んでいる。
はだけた着物の隙間から手が潜りこんできて、この頃ますます大きさを増してきた乳のうえに覆いかぶさり、緊張を解きほぐしてくれるように五指がゆっくりと動いた。
はじめて出会ったとき、その手綱さばきを見て気付いたが、虎清の指は長くて器用に動く。
馬が自由に駆けたいところと指示を待っているときの機微を読みとり、絶妙な力加減で意思疎通をはかっていた。
まさに今も然り。
固くなった乳首の先に、長い指先がピンと当たった。
「ァっ……」
思わず声が零れた。
虎清がはなった斥候に、駒姫城の弱点があぶり出されてしまった。
見逃してくれるはずもない。
胸元にもぐってきて肉厚な乳をほおばり、乳首に吸いつく。
さらに琴をはじくように舌先で乳首を転がした。
「ッ……ゥンンンッ! ウン、ぁっ……ァアアん」
そのたび、いくらきつく口を閉じても、両手で塞いでみても無駄だった。
自分のものとは思えない声が、体の奥底から吐息で押され、漏れ出てしまう。
それから虎清の指と舌が、余白を塗りつぶすかのごとく肌のうえで行き来した。
首筋から肩、背中、脇の下、腰、腹、尻、脚、ふくらはぎ、足指の先まで――
愛撫されていない箇所を見つけ出すほうが難しくなってきた。
駒姫は身をしなやかによじり、くねらせる。
虎清の攻めから逃れようとしているのか、こちらも触れてほしいとさらけ出しているのか、自分でもよくわからない。
しばらく夢うつつの時がながれた。
やがて、虎清の指先が尻の割れ目から股座へと到る。
その動きはまるで単騎突貫で本丸を落とさんとする騎馬武者。
何度も門前で押しては引き、緩急交えて入ってこようとする。
「ぁっ、あっ、ぁっ、あっ……ぁっ……ら、らめぇっ!」
先ほどよりも速く、激しく、
意識の輪郭がにじむ。
もはや何がなにやら分からない。
声の大きさを抑えられずにいる。
縦横無尽に全身を駆けめぐる甘い衝撃が、駒姫が築いてきた羞恥の壁を木っ端微塵に打ち砕いてしまった。
甲高くなりすぎてかすれる声は、心の城壁が崩れゆく音かもしれない。
いつしか股から尻にかけ、衣がひどく濡れていた。
よもや、はからずも失禁をしてしまったのではないかと駒姫は心配したが、股のあいだにぬめりのようなものを感じて、どうやら違うらしいと覚った。
「これが一晩も続いたら、わらわはどうなってしまうのだろう? わらわがわらわでなくなってしまうのではないか……? いいや、もう構わぬ。身をゆだねよう。虎清様だけにしか見せられないわらわの姿。虎清様だけに聞いて欲しいわらわの声。朝までこのまま――」
駒姫がそう決心しかけた時だった。
またしても思いがけないことが起こる。
虎清が急に意識を失ったようになって、胸のうえに力なくのしかかってきたのだ。
駒姫は絶えだえに乱れた息の隙間から、声を振り絞って虎清を呼ぶ。
「と、とら……とらきよ……さま?」
さっきまであんなに元気だった虎清が急に動かなくなってしまった。
駒姫は不安になってきて、恐るおそる肩をゆすってみた。
「虎清様? いかがなされましたか? まさかっ……ここでお止めになってしまうのですか?」
しかし、反応がない。
伏せったまま背を小刻みに震わせているだけだった。
虎清はやっと頭をもたげ、呻くように、かすれ声で必死に訴えかけてきた。
白目が真っ赤に充血している。
「お、お逃げ……くだされませ」
「は?」
「今日の私は……少しおかしいようです。どうか……どうかここからお逃げくだされ」
駒姫は上半身を起こして薄暗がりのなかに目を凝らす。
おぼろげに裾から浮かびあがってきた光景を前に、両手を口にあてた。
「ハッ……そ、そそそ、それは!?」
なんと虎清が、己の腿に脇差をズブリと突き立てていたのである。
袴に血が赤くにじんで床までとろとろと広がる。
脈を打つたび傷口から血が溢れ出していた。
「と、虎清様、何をなさったのですか?」
「衝動を……抑えられなくなりました。どうか、どうかお許しください」
「そんな、ここまで辱めておきながら……そこまでわらわがお嫌なのですか? わらわが至らぬからですか?」
なぜだか駒姫は悔しくなってきて唇を噛む。
さっきまでとは違う涙を落とした。
「ち、違います……。父が出張の折、こそこそと寝取るような真似は嫌なのです。やってはならぬことです。私は身勝手な色欲に溺れ、己を見失いかけました」
駒姫はブンブンと首を横に振る。
「そのようなことはございませぬ。断じてそのようなことは。わらわのほうこそ……」
虎清はいつものように微笑む。
「姫さまとはもっと――」
「もっと……もっとなんですか? 虎清様!?」
その時だった。
廊下の向こうがわから誰かが声をひそめて駒姫を呼ぶ。
房である。
「姫様、男の気配がやってきます。急いでこちらへ」
「しかし虎清様が……」
「早く!」
駒姫のはだけた着物をなおしながら虎清が言った。
「駒姫さま、私は大丈夫です。どうぞお行きなさい。後日、必ずやお詫びにうかがいます。さぁ、行かれませ」
「は、はい……」
駒姫は半ベソをかきながら房に抱えられて廊下に出た。
つい今しがたまで全身を満たしていた甘い密の味は、虎清の血を見てしまってから跡形もなく消え去っていた。
それから間もなく。
虎清の部屋までやってきたのはジイだった。
「若、夕餉の仕度が整ったとのことにて――あいや、若!? その傷はいかがなされましたか?」
「……ハハ、面目ない。儂としたことが脇差の手入れをしているうちに、うっかり腿の上に落としてしまった」
「これはこれは、まさしく弘法も筆の誤りでございますな。お気をつけなされよ。しかしはて、なにゆえ諸肌をさらしておられるのですか? おや?」
嗅ぎなれない匂いを覚えたジイは、宙で鼻をスンスンとさす。
「え、ええい、ジイ! それよりも早く膏薬をたのむ」
「あ、左様でした。はいはい、ただいま」
ジイも戦場を往来してきた武辺者。
浅い刀傷などを見てもまったく動揺しない。
「ほいほいほいっ――」
と暢気な掛け声とともに廊下を渡ってゆく。
「それにしても、部屋で微かに漂っていたあの香り……」
なんとなく嗅いだことがあるような、ないような気がして、ジイは小首をかしげた。
「女子? いやいや、まさか。近隣に名を馳せる群青の虎は、まだ無垢であるゆえ。あの調子では一体いつになることやら。せめてこの老いぼれが生きているあいだに伴侶となられるお方の顔が見たいものじゃて。やれやれ、ワシが若いころには――」
ジイは背を小さく丸め、白くなった熊髭をなでながらひとりごちるのだった。
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