第12話 駒姫の記憶③

 下川の城をでた駒姫は、振りかえって見上げた。

 懐かしき家臣たち。

 心やさしき領民たち。

 そして恋しき父と母――

 幼少から気ままに過ごしてきた十五年間の喜怒哀楽がたくさんつまった城。

 それが泣き叫ぶ声と血と肉の臭いにまみれ、恐怖と絶望で混濁とする地獄にかわった。

 あの日が嘘のように今日は静かだ。

 空は青く澄みわたり、とんびが高く輪をかいている。

 あれから戦後の交渉と沙汰は滞りなく進んだ。

 父が命にかえて書き残した嘆願書と、駒姫がみずから弾正の側室となると申し出たことが奏功し、さんざんな負け戦をしたにしては上山弾正から寛大な沙汰を引き出せた。

 そしてとうとう今日、駒姫は城の明け渡しと上山家へ移る日をむかえた。

 生き残った家臣たちの身の処し方は、各々自分の判断に委ねたがそれぞれだった。

 ある者は帰農をして故郷に残る。

 またある者は駒姫とともに上山に仕えることを決めた。

 あるいは新たな主家を求め、浪人となる者もあった。

 従兄弟である下川権之丞しもかわごんのじょうは、


「雌伏之時」


 などと短い書置きだけを残し、いずこともなく姿を消した。


「権之丞め、父の命に背きよって……」


 駒姫は父の遺言をないがしろにして去った権之丞をうらめしく思ったが、昔から姉妹のように過ごしてきた房が、供周りとしてそばにいてくれることだけが心の救いだった。


「駒姫様。お迎えにあがりました」


 朗らかな男の声に呼ばれ、前を見やる。

 そこに立っていたのは、供の者たちと駕籠をしたがえた若侍だった。

 烏帽子を頭に乗せた正装姿であるから、この者が迎えの使者と見て間違いない。

 長身で肌の色は白く、目元はすっきりとしている。

 わずかに茶色味がかった瞳と白い歯が印象的で、上山の者ということを除いて見ればなかなか好い男だ。

 艶をたたえた薄い唇が――いろかった。

 つい今しがた緊張で顔を真っ青にさせていた女中たちは身を寄せて、


「まぁ……」


 とまんざらでもない声を漏らしている。 


「コホン……そちらは?」

「上山弾正が嫡男、上山虎清でございます」


 隣に控えていた房の顔色がサッと険しくなり、半身で睨みつける。

 すっかりのぼせあがっていた女中たちは態度を豹変させ、


「あれが、とらきよ……」

「あな、恐ろしや」


 ヒソヒソとざわめいた。


「静まれッ!」


 駒姫の鋭い声音で射られた女中たちは、口をつぐんでピタリと沈黙する。

 駒姫は膝を軽く折り曲げて、ゆっくりと慇懃に頭を下げた。


「これはこれは、音に聞く虎清さま直々のお迎えとはいたみいります。なにぶん当家はこのように不調法者が多いゆえ、そちらの城中ではご迷惑をお掛けすることも多々あると存じますれば、なにとぞよしなにお頼み申し上げます」

「何をいわれますか。名門甲斐武田家のお血筋を引かれる駒姫さまから左様に言われては、私など恥ずかしい限りでございます」

「まぁ? 飛ぶ鳥を落とす勢いの織田家から御正室様を迎えられた上山家のお方のお言葉とは思えませぬ」


 虎清が困り顔で苦笑いを浮かべる。

 

「それは私の母のことでございますね。しかしながら、織田家とはいえ庶流も庶流の家系でございます。内裏だいりから官位まで受けられた甲斐守護職の武田家にくらべれば、どこの馬の骨とも知れぬ雑多な家柄。本日は駒姫様をお迎えするとあって、家臣一同が不調法を働かぬよう緊張しておりますほどにて」

「…………」

「では立ち話も難でございますから、どうぞ乗り物のなかへ」


 導かれて駒姫が駕籠に乗ると、長い行列がしずしずと出発した。

 その有様は敗者の城明け渡しの儀というよりも、嫁迎えの行列と言い表したほうが正しい。

 煌びやかな長い行列ではあったが、行列の前後と脇を甲冑姿の清虎衆がものものしく固めていた。

 まだ戦が終わってから日が浅い。

 下川のなかでは戦後の沙汰について不服の者もある。

 姫を取り返そうとする者が道中であらわれるかも知れかったので、清虎衆は用心を怠ることなく火縄に煙をたてていた。

 道端では頭を垂れている者たちが多くある。

 それは上山家に対してではない。

 駒姫に向けられたものだ。

 帰農した旧家臣たちのみならず、老若男女の領民たちの姿もあった。

 その間を清虎衆が手槍を立てて威嚇しながら進んだ。

 しばらくすると、行列の前を行っていた虎清が駕籠の横に馬を寄せてきた。


「駒姫さまは領民から深く敬愛されていたのですね。同じ武家の子息として頭の下がる思いがいたします」

「まぁ、さすがは弾正様のご嫡男であられます。女子へのご機嫌とりがお上手ですこと」

「いや、これはまた手厳しい、ハハ……」


 駒姫は前を向いたまま、能面顔で淡々と続ける。

 

「これも乱世の習い。余計な憐れみなど要りませぬ。勝者からの憐れみは時として敗者にはこのうえない屈辱に感じられるもの。かさねて踏みつけられているような思いさえいたします」

「申し訳ございませぬ。駒姫様の御心をわきまえず、ずけずけと失礼を働いてしまいました。そう仰せになるのも無理なきことと存じます」

「…………」

 

 虎清から素直に詫びられてしまったので、拳の振りおろし先を見失った駒姫は内心で戸惑ったが、顔を見ないようにして侮られぬよう取り繕った。

 そこに馬上の虎清がポツリと言った。


「――しかしながら、一点だけ承服いたしかねるところがございます。乱世の習いという言葉。卒爾ながら私は好みませぬ」

「は?」


 意表を突かれた駒姫は、思わず虎清の横顔を見上げた。

 明るい陽の光が、色白の端正な顔をまぶしく照らしている。 


「武家は戦場で誇りたかく戦い、平時は慈愛に満ちた人であるべきと存じます。しからばどんなに激しく弓矢を交えようとも、ひとたび戦が終われば慈愛をもって差配するのが武家の正しき道ではないかと」

「誇りと慈愛……」

「はい。そうでなければ人は人でなくなりますゆえ。ことにあの戦における駒姫さまは――」

「なにか?」

「あ、いえ……また叱られますから止めておきましょう。ところで喉は渇きませぬか?」


 そうだ。

 さっきから駒姫はひどく喉が渇いている。

 襲撃を警戒する行列が小休止もなく進むので、うんざりとしていたところだった。


「乾きましたッ。それに誰かがわが城の井戸の底を抜いてしまいましたから、ずっと不便このうえありませんでした!」

「ハハ……それも申し訳ございませぬ。ではお詫びの印にまずはこちらを」


 虎清は手綱から両手を離して、脚だけの操作で馬を寄せて体を傾けた。

 乗馬の心得がある駒姫は、その巧みな離れ業に目を見張る。

 人と馬がよく練れていなければなかなかできないことだ。

 それから虎清は駕籠と同じ高さまで顔を下げると、白い歯を光らせながら懐から竹の水筒を差しだしてきた。

 長い腕が真っ直ぐに伸びてくる。


「どうぞこちらを。供の皆様にもすべて行き渡るよう手配いたしておりますから、ご遠慮をなされませぬよう」

「これは、すみま……せぬ」


 領主となる武家に生まれた子ならではの気遣いがこめられた言葉だと駒姫は感じた。

 家臣の分がなければ、駒姫は飲むわけにもいかない。

 亡き父からそう教えられて育ってきた。


「あとは我が城につきましたら湯浴ゆあみをなされませ。城の女たちに準備を申しつけてまいりました。広い二室がございますからご存分にお使いください」

「お、おお……ありがとう……ございます」

「駕籠のなかはたいへん窮屈と存じますが、もうすぐかつての国境。いましばらくのご辛抱でございます」


 虎清は小さく首を傾げ、こだわりなく微笑んだ。

 どことなしか少年の面影が同居する無邪気な笑顔だった。


「は、はい……」

「それでは。はいやっ――」


 虎清は馬の腹を蹴り、颯爽と行列の前へ駆けゆく。

 駒姫は凛と伸びた背をポウと見送った。

 手元に残された水筒の栓を抜いて口をつける。

 中に詰められていた水は口にふくむとまだ冷たさが残っていて、しかもよく馴染みのある味わいがした。


「これはッ……晶蓮しょうれんたきの水!」


 父と馬で出かけるたび、幼少のころから飲み親しんだ水なので間違えるはずがない。

 冷たい水が喉を通りぬけ、体全体に染みて行くのを感じた。


「わらわ達のためにわざわざ汲んできてくれたのか、あの虎清……様は」


 駒姫は狭い駕籠のなかでおもむろに両腕を広げた。

 着物と己の体、髪の毛をクンクンと嗅いであらためる。

 あの戦からこのかた、井戸が抜けてしまったので湯浴みをせず、川の水で体を拭いてしのいできた。


「もしや、臭かったかの……」


 駒姫はポツリと呟き、水筒の水をまた口にふくんだ。

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