第11話 駒姫の記憶②
朝の気は澄んでいた。
東の空が薄紫色をおびて裾から白くなり、山々の稜線が青く浮かんだころ。
上山の総攻めがはじまった。
二百年、九代もつづいた対立の決戦である。
ひっきりなしに鳴る鉄砲の乾いた音、音、また音。
すでに三の曲輪まで取りついた上山勢は、夜中のうちに鉄砲衆の配置を整えたのだろう。
昨日よりも音が近い。
一段と激しく三方から明瞭に鳴り響いた。
城内の薄暗い広間では、下川の次世代を背負ってゆくはずだった家臣の子らが、身をよせあい震えている。
武家の子が怯えてはならぬなどと言ってみても、もはや何の意味もなさないのだろう。
そう悟った駒姫はスッと立ち上がり、閉め切っていた雨戸を自ら開け放って廊下に出た。
それからまるで山の景色を愛でるかのように、額に手をかざして城外の模様をながめた。
房と権之丞が慌ててやってくる。
「姫さま、危のうございます。
「ふん、大丈夫じゃ。わらわは家臣の皆が戦うさまを後世につたえる役目がある。しかとこの目に焼き付けねばならぬのだ」
「はぁ……」
駒姫は権之丞の隣にひかえる房の横顔を見た。
一昨日、落ちのびてきた者の口から萌賀の郷がなで斬りで壊滅したと聞かされたばかり。
なのに房は、さすがは萌賀の女というべきか、いっさい泣き喚いたりすることもなく変わらず側にいてくれる。
「房よ」
「はい」
「萌賀の郷を救えず、すまぬ」
房はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、すべては乱世の習いでありますゆえ是が非もございませぬ」
「至らぬ下川をどうかゆるしてくれ」
「もったいのうございます。おそらく上山はそうすることで領民の恐れを煽り、下川の陣中を混乱さすため城へ追い込んだのでありましょう。すべては戦の計略です。もしも逆の立場であれば、私も同じようにしたかも知れませぬ」
「そうか……」
駒姫はふたたび城外へ目を移した。
兵たちが激しく降り注ぐ矢弾を必死でしのいでいる様が小さく見える。
下川には鉄砲の備えがなかった。
弓矢もほとんど尽きた。
こちらから礫を投げているが、弓と鉄砲の射程に勝てないのは明らかだった。
それでも下川のため懸命に戦ってくれている。
駒姫は唇を噛んでうつむいた。
夜明けまえに父と母が自害したことは、まだ下々の者に知らされていない。
「父上と母上が亡き今、もはや戦をつづける道理はない。何とか犠牲を少なく止める方法はないものか。それこそ父上から託された我が役目――」
駒姫が置かれた状況は、そう単純でもなかった。
それは上山ではなく下川の身内のこと。
「かくなる上は最後の一人となるまで抗い、城を枕に討死しようではないか。下川は途絶えようとも武勇を後世に伝えん!」
「「応ッ!」」
と徹底抗戦を主張する強硬派の面々が城内にまだあった。
権之丞もその一人である。
だからこそ父は、強硬派から担ぎあげられないよう下川権之丞に戦場へ下りてはならぬと厳命した。
さらに家臣たちがこれ以上戦う名目そのものを取り上げるため、上山弾正に家臣たちの助命を嘆願するため、自害した。
そして今朝がた。
父の自害を知った強硬派の者たちは分裂した。
ある者は呆然自失と戦意を失い、またある者は、
「御館様の許へ参るッ」
と戦場へ下りて行った。
駒姫は胸元にしまってある書状に手を乗せた。
父から託された弾正宛ての嘆願書だ。
「わらわはどうしたものか、どうすればよいのですか? 父上、母上――」
すると――
戦場の様子がさっきまでとは明らかに一変したことに気がついて、駒姫は目線を持ちあげた。
弓矢と鉄砲の豪雨が止み、少し静かになっている。
そのなかを地響きのような音が向こうから近づいてくるとわかった。
「あれは……?」
馬が駆ける音。
十頭や二十頭どころではない。
聞いたこともない数の音が一斉にやってきた。
「騎馬武者……なのか? そんな馬鹿な」
赤備えの下川勢めがけ、整然と矢印形の隊列を組んで近づいてくる。
その装いは群青の当世具足。
数は五十騎ほどもあろうか。
いずれも脇に槍をかかえていた。
駒姫も幼少から馬が好きなので知っている。
馬とはとても神経質で臆病な動物だ。
隊列を組んで駆けさすのはとても難しい。
先頭によほど長けた乗り手と勇ましい馬がいなければ、後ろから行く馬があちこちに駆けてバラバラになってしまう。
しかも大勢の声と剣戟、鉄砲と弓矢がとびかう戦場となればなおさらのこと。
ところが
先頭を駆ける一騎の動きに同調して、前のめりになって一斉に腰を浮かせた。
いくら弱っているとはいえ、正面にある下川勢はまだ三百もいる。
文字通り、死に物狂いだ。
「これは……突貫するつもりかッ!?」
赤と群青が交わった瞬間。
ドカン! ドカドカッ、グシャッ――
激しく衝突する音が、やや間を置いて城まで響いた。
真ん中から紙を引き裂くように、たちまち群青が赤を二分してゆく。
駒姫は全身の肌が粟立ち、髪が逆立つのを覚えた。
「権之丞ッ、なんじゃあれは?」
「あれは……上山弾正が嫡男、上山虎清めが率いる騎馬武者でございます。こたびの戦ではああして陣を引き裂かれ、我らは為す術もなく……。そしてあの虎清こそ、わが父を討った仇にござるッ!」
権之丞はギリギリと歯軋りを鳴らし、口惜しげに吐き捨てた。
「かたき……あれが、われらの敵?」
なぜだろうか?
権之丞からあれが仇敵だと聞かされても、駒姫にはピンとこなかった。
不思議と憎悪嫌悪はおろか、恐怖もやってこない。
わが家を滅ぼさんとしている敵であるというのに。
幾度となく頭のなかで自問を重ねるうち、駒姫はやっとひとつだけの答えを見出す。
正々堂々と気高く、美しいからだ――と。
あの群青の騎馬武者たちの潔い戦いぶりは、敵には違いないが、忌むべき悪魔や鬼とは程遠い姿をしている。
駒姫は胸元の書状を小さな手でグッとつかんだ。
「この戦の始末と家臣たちの将来はわらわにかかっている。負けてはおられぬ。気おくれなどしている場合ではない。
群青の騎馬武者たちに陣形を分断された下川勢は、完全に浮き足だって混乱してしまっている。
「「鋭ッ、鋭ッ、応ッ。鋭ッ、鋭ッ、応ッ――」」
うしろ向こうに控えていた上山の一千の兵たちが、いっせいに鬨の声を響かせ、黒く雪崩をうって押し寄せてくるのが見えた。
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