第9話 乱世の半閃である

 調練を終えた虎清が、清虎衆の四将たちと共に城へ戻ってきてしまったのは、房にとって誤算だった。

 戻るなり熱心な打ち合わせがはじまってしまい、なかなか一人になってくれなかった。

 それから西の空が赤く染まりはじめた夕刻。

 柱の陰から様子をうかがう房と駒姫。

 城の炊事場から夕餉の仕度をする匂いが漂いはじめる。

 絶好の機会をうかがっているうち、こんな刻限になってしまった。

 駒姫の腹がぐぅと鳴る。


「房、今日はもう諦めてもよいのではないか?」

「いいえ、駄目です。術の効能が強くでる今日がよいのです。あっ……」


 やっと四将たちが城から帰ってくれた。


「好機――」


 房の目の色が鋭いものに変わる。


「姫様、参りますぞ。ご準備はよろしいか?」

「う、うむ。心得た」


 いつになく強い語気をあびた駒姫は、緊張した面持ちにかわってうなずいた。

 房に導かれるまま早足でついて行く。

 廊下の角で立ち止まると、房はあちらを伺いながら声をひそめた。


「きた。虎清様がきました」

「はぅ……」

「では姫様、こちらでお控えください」

「これっ、どこへ行くのじゃ?」

「私は陰から見ています。あとは万事、打ち合わせどおりにお運びくださいませ」

「そ、そうか……わかった。上手くやるぞ」


 駒姫は深呼吸して胸に手をあてた。

 胸の太鼓が胸を突き破らんばかりに激しく乱れ打つのを感じた。


「ふぅ、はたして房の言うとおりにできたものであろうか」


 事前に房が駒姫へ伝授した策略はこうだ。

 まずは廊下の角において、虎清と出会い頭に勢いよくぶつかる。

 なぜそんな必要があるのか今ひとつよくわからなかったが、房によるところ、古来より角でぶつかった男女は恋に落ちるのだという。

 ならばやらないわけには行かない。

 いよいよ向こうから廊下を渡ってくる足音が近づいてきた。

 目を閉じてその時を待った。

 髪を束ねた群青の紐が、風もないのに顔の左右でヒラヒラと震えた。

 虎清の好きな色は群青だとジイから聞いたので、あえてつけてみたまでのこと。


「この歩幅……間違いない、虎清様じゃ。どうしようか? いや、今さらどうしようもない。ええい、女は度胸じゃッ!」


 駒姫は目をきつく閉じたまま、思い切って角から飛び出した。

 ドン! と強かに当たる。


「うぉっ!?」

「わッ、あれーー」


 筋肉質な胸板に弾き返された駒姫は、その場でわざとらしく尻餅をついた。

 これより生娘の駒姫にとって、清水の舞台を背から飛び降りるような勇気の見せ場となる。

 はじめて房の指示を聞いたとき、駒姫はわが耳を疑ったものだ。

 なんと、ここで脚を開けと言うのだ。

 着物を裾からはだけてももまで露にしなければならない。

 駒姫は唇をきつく結び、ためらいながらゆっくりと脚を開いた。


「うぅ……」


 いわゆる半閃パンチラである。

 これは当時の女子にとって、とても難易度が高い技術だった。

 捨て身の技とも言えた。

 なぜなら彼女たちの着物の下は、何もはいていない状態ノーパンだからに他ならない。

 ともすればいきなりすべてを殿方に晒してしまう危険が伴った。

 よしんば奥の院を御開帳してしまったら――

 駒姫のような身分ともなれば、即座に自害して果てなければならいほどの醜態に相当した。

 房曰く、


「見えそうで見えない、いいや見てはならぬ、なれど見たい。それが半閃にござります。当世、ひとたび女子のそれを目にした男子は、少なくとも三日三晩は悶々とするのが常。かならずや虎清様は、駒姫様を女として意識するようになることでありましょう」


 だそうだ。

 さて結果はどうであったか。

 房の厳しい指導の下で重ねた調練は、見事な成果を見せる。

 まさに妙技。

 駒姫は絶妙な角度で半閃をやってのけた。

 露になった色白の内腿。

 駒姫も下川の女子であるから、肉付きはよいほうである。

 頬を紅潮させながら、潤んだ瞳で上目づかいに長身の虎清を見た。

 

「こ、これは、駒姫さ……ま?」


 狼狽した虎清の視線は、やがて駒姫の顔を通りすぎ、ゆっくりと下がって行った。


「ハッ……!?」


 虎清は慌てて視界を横に外した。

 その姿を見て歓喜したのは駒姫。


「見たッ! 虎清様はわらわの半閃を見たぞ。虎清さまは耐えておられる。わらわの半閃が見たい、なれど見てはならぬと己に言い聞かせ耐えておいでじゃ。見たか、わらわはやり果せたぞ、房ッ――」


 横を向いたまま、虎清が手を差し伸べてくれた。


「コホン……これはひとえに前をよく見ず歩いてきた私の落ち度。大変失礼いたしました。お怪我はござりませぬか?」


 駒姫はにわかにのぼせ上がって頭がクラクラとしてしまう。


「あぁ、やはりなんとお優しいお方であろう。わらわからぶつかったというのに、女子に恥をかかせぬようお気づかいくださるとは。――いや待て、ここで満足をしてはならぬ。まだ終わりではなかった」


 首を横に振って己に言い聞かす。

 ここからが大事なのだ。

 房が示した段取りを踏まなければならない。

 駒姫は虎清が差し伸べた手を両手でつかむと、体ごとグイと引き寄せた。


「え……?」


 虚を突かれてよろめく虎清。

 耐えきれず四つん這いになって駒姫の上に覆いかぶさった。

 駒姫は紅を乗せた唇を虎清の耳元に近づけ、恥ずかしかったが吐息まじりに囁いた。


「駒は虎清様をお慕いいたしております。どうぞこの身をご存分のままに――」


 その瞬間――

 虎清は雷で打たれたように天井をあおいだ。

 体じゅうの血管が浮き上がり、全身の筋肉が軋みをあげて海老反りになる。

 そして、袴を破らんばかりに虎清の股間が盛り上がった。


「なんと、そ、それは隠し刀ですか? 虎清様、股が大変なことになっておられます!」


 例の「鍵の言葉」を囁いたあとに何が起こるのか、駒姫は房から詳しく聞かされていなかった。

 事前に説明されていたのは、ただ、


「鍵の言葉を聞いた虎清様は……子犬のようになります。あとは成り行きでご存分にお戯れくださりませ――」


 という一点のみ。 

 激しい発作がおさまった虎清の顔は、いつもとは異なる別人になっていた。

 日ごろの虎清は自制的で、引き締まった顔で感情をあまり表に出してくれない。

 ところがいま目のまえにいる虎清は、子犬というよりも餓えた狼。

 両掌で床をドン!と突いて、駒姫の眼前に顔を寄せた。

 今にも喰らいついてきそうな目をしている。


「虎清……さま?」

「お駒、わが部屋へ参れ。今宵は一時たりとて放さぬ」

「ふぉッ!?」


 駒姫の小さな身が軽々と抱えあげられた。

 文字通り、御姫様抱おんひめさまだっことなる。

 

「わわわ、お待ちを、なにとぞお待ちをッ」


 いかに抗おうとも駒姫の力ではピクリとも動かない。

 着物の上からだと細く見えていた虎清の腕は、意外なほど太くて万力のように力強かった。

 あらためて近くで見る虎清の横顔は、あの時とおなじで凛々しい。

 いつしか駒姫は抵抗することも忘れて固い腕と肩を握り返し、ぽうとのぼせてその身を揺られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る