第8話 群青の騎馬武者である②

 房が寝室に忍びこんだ翌日のこと。

 虎清と清虎衆は、朝早くから実戦さながらの調練をしていた。

 朝露がしみこんだ黒土を跳ね上げて群青備えの五十騎が馬場を駆ける。

 その姿は夏の瑞々しい草木に映えた。

 統一された装いは伊達でもなく動きに乱れがない。

 清虎衆は虎清と若き四将が、十人からなる五つの分隊を生き物のように統率する騎馬隊だ。

 一番組は虎清が自ら率いる。

 二番組に弓自慢の司馬田良膳しばたりょうぜん

 三番組は相撲をとれば上山一、怪力を誇る俵藤忠三郎ひょうどうちゅうざぶろう

 四番組の関丸正左衛門せきまるまさざえもんは古風にも薙刀を好んで使う。

 五番組馬場弥五郎ばばやごろうは、馬の面倒を代々任されてきた家の子であったので馬術を得意とした。

 虎清の発案から組織して二年ほどになる。

 これまでの一般的な騎馬武者とはだいぶ様相が違った。

 通常は身分ある者が馬に乗る。

 主君から認められた知行地の貫高かんだかに応じた出馬と出兵を割り当てられ、槍持ちや弓持ちなどの供を五人十人と脇に従えた。

 全体として魚鱗や鶴翼などの陣形をゆるやかに保っていたが、いざ戦がはじまれば指揮系統は曖昧になり、各々に手柄を争って活動した。

 往々にして戦にかかわる費用と装備は自己負担。

 食料も持参しなければならない。

 ゆえに戦場で数多の細かな利害が錯綜した。

 平安から鎌倉の世のように未開の荘園が豊富にあった御恩と奉公の時代ならばいざ知らず、国土全体の開発と人口の分散が進んだ当世の武家は利害で結びつく。

 主従の忠義が重んじられるようになったのは、これよりずっと後のことだ。

 戦で一旦崩れると建て直しが難しかったし、裏切りはもちろんのこと、略奪と人さらいも横行した。

 人びとは「三年の飢饉よりも一年のいくさが恐ろしい」と云ったもの。

 かたや清虎衆は、馬と具足はもちろんのこと、槍、刀、弓矢、鉄砲などなどすべての備えを上山家から支給する。

 これにより従前の身分に関係なく能力の高い者から組み入れることを可能にした。

 四将はいずれも幼少から供に育って鍛え抜かれた精鋭揃い。

 虎清を中心に結束も強い。

 隊列を用いた高速の集団戦術を特長とし、戦況に応じて小回りが利いた。

 先鋒せんぽう殿しんがり、家中の誰もが嫌がる危険で困難な役目でさえ引き受ける。

 とりわけ清虎衆を有名にしたのが「萌賀のなで斬り」だった。

 略奪や人さらいであれば、それを追いかけて買い戻すこともできたが、なで斬りにされてしまっては元も子もない。

 兵と農は一体であるから足場となる領地が跡形もなくなってしまえば、武家は再起不能に陥る。


「清虎衆が通り過ぎたあとには猫の子一匹たりとて残らぬ――」


 と内外の者らを震撼させた。

 今朝もジイは城の東郭ひがしくるわやぐらに上り、清虎衆の調練を眺めていた。

 熊髭をなでつつ腕組みをして、


「うむ、うむ……若造らもやるようになった。だいぶ心得てきた様子」


 と一人で漏らしていたところ、うしろから意外な声が聞こえた。

 

「これはまた、今朝も騒がしいですこと」


 駒姫だ。


「はッ……こ、これは、なにゆえこのようなところまで?」

「朝からパンパンわーわーと城の奥まで響いてくれば、とてもとても落ち着いてなどおられませぬ」

「あ、あいや、これは申し訳ございませぬ……」

「なぜ孫六殿が謝るのです?」

「え……? 確かに、左様で」

 

 今朝の駒姫も能面のように無表情でいて、言葉が厳しく感じられる。

 若きころに歴戦の猛者として名を轟かせたジイであるが、なぜか条件反射で謝ってしまうのだった。

 人前における駒姫には、そうした侵しがたい不思議な威厳があった。


「駒姫様を前にすると、どうも調子が狂ってかなわぬ。こうした空気はどこかで覚えがあるが――」


 ジイは心中にごちて汗を拭いた。


「――して、孫六殿?」

「は」

「虎清様はいずこに?」

「あ、はい。若はあそこにおられます」


 駒姫は額に手のひらをかざし、背伸びしてジイが示したほうを見た。

 虎清は駿馬を駆り、勇ましく声を張り上げて四方に指示を飛ばしている。

 その姿を視界におさめた駒姫は、胸の奥底がうずいて縮むのを感じた。


「はぅ……ふむ」


 ジイの前なので、浮かれずに堪えた。


「コホン……相変わらず野蛮であるな。ところで清虎衆はなにゆえ群青備えなのだ? 赤や黒はよく見かけるが、めずらしいように思うが?」

「左様。よきところにお目をつけられました。群青とは草木と闇夜に溶け込む色ゆえにござります。兵は夜明け前に動くことが多いですから」

「ほう、なるほど」

「なにより、群青は亡き御正室様、若の母上様が好まれた色でございました」

「ふぅむ、そうなのか……」


 そっけない応答とは裏腹に、駒姫の本心は違っていた。


「なんと凛々しきお姿か。あの栗毛の馬の背に乗せられ、二人で遠がけをしてみたいものじゃ――」


 駒姫はひととおりの妄想をめぐらせたあと、ここへ来た肝心要の用向きを思い出した。


「ときに孫六殿。今朝の虎清様はいかがであられたか?」

「は、いかがかと申されますと?」

「お元気であられたのかと問うておるのじゃ」

「ああ、はい。いつもと変わらずお元気に馬場へ行かれました。それが何か?」

「どこか変わったところはなかったか?」

「変わったところ? うーん、そういえば――」


 駒姫は目をキラキラと輝かせ、前のめりになって次の言葉を待つ。


「昨夜はよく眠れた。今朝は目覚めがよいと仰せでしたかな。顔色もだいぶよろしかったかと……」

「なるほど。いつもと違っていたのだな?」

「は。自信はござりませぬが」

「そうか、ふむふむ」

「それが何か?」

「いや、何でもない。――では房、そろそろもどりましょう。孫六殿もお若くはないのですから帰り道は足元にご注意なされますよう。ここは平山ひらやまとはいえ曲輪から転がり落ちでもしたら大変。鬼権左は酒に酔って堀まで落ちて腰を痛めたことがありました。あの時は大騒ぎしたものです」

「はぁ、ありがとうございます……」


 ジイは呆気にとられたまま、櫓から降りてゆく駒姫を見送った。

 熊髭をなでて感心した様子でいる。


「いやはや、またしてもこの老骨の身を気にかけてくださるとは、なかなかどうして。亡き御正室様以来ではないだろうか? さすがは下川の姫様。よき器量をなさっておられるのやも知れぬ」


 城に戻る駒姫の足取りは軽く、小躍りするように歩いた。

 クリリとした目を輝かせて頬には光がたまっている。


「聞いたか? さすがは房。虎清様に術が効いているようじゃ」

「はい、当然でございます」

「調練もそろそろ佳境の様子。虎清様はじきに戻ってこられよう」

「はい」

「では房の言うとおり、あとはさりげなく廊下で出会うことにしよう。それにしてもあの虎清さまが子犬のようになって戯れるのか……じつに楽しみじゃ」


 駒姫はいじらしく頬を紅潮させる。

 それはまだまだ少女の横顔だった。

 これから何が起こるのか想像が及んでいない。


「姫様はあの鯱に耐えられるだろうか……いや、すべては下川と姫様のためだ」


 房は少しばかり申し訳ない気持ちを覚えたが、己に言い聞かせて掻き消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る