554.折れる心
アンテの角は本体から切り離されたことで、徐々に魔力に還元されつつあった。
まるで蒸発するかのように、虚空に消えていく。
「おお、砕いたりすり潰したりする手間が省けて、助かるなこりゃ」
アインツが上機嫌に言った。
「おっほ♡!」
そして、自らの尊厳がただの素材として扱われている現状に感じ入る魔神。
「早速、この魔力を混ぜて……練り込んでいくッ」
アインツが再びアーヴァロンをハンマーに変化させる。蒸発するアンテの角をアダマスの横に起き、発散される魔力をハンマーで絡め取る。
一方、アダマスは「ちょっと待ってくださいよ! その変な角で何を――」と困惑するかのように明滅していた。
「ふんッ!」
そして無情にも、ガツーン! とハンマーが振り下ろされた。魔神の魔力が配合されたアインツの【鍛冶の魔法】が、アダマスに吹き込まれる。
ビカビカと発光しながら、激しく聖銀呪の火花を撒き散らし始めるアダマス。人間なら「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」と叫びながら七転八倒してそうなノリだ。
……魔神の魔力流し込まれるのって、辛いもんな……
よくわかるよ……俺もアンテと契約したときは、この世の終わりみたいな感覚を味わったからな……
それにしても聖銀呪の火花の凄まじさよ。飛び散る銀色の火花を、俺は闇の魔力を展開して防いだ。これから聖銀呪で染め上げた闇の魔力をアダマスに注いでいかなきゃいけないんだが、かなり神経使いそうだな……
「ふぅ……。なかなかに楽しめたわ」
と、ひとしきり禁忌を堪能したところで、何事もなかったかのようにむくりと変態大魔神が起き上がる。
片角を落とされたにもかかわらず、魔力が減った感じは全然ない。
「あんまり角の影響なさそうだな?」
「うむ……これはあくまで分体じゃからのぅ」
己の胸をぽんぽんと叩くアンテ。
「巨大な我という存在が投影した影――の、さらに一部のようなもの。残念ながら、分体が多少損壊した程度では大して影響がないようじゃ」
つまらん、とばかりに鼻を鳴らす。
「まあ地面に写った影を引っ掻いたところで、本体は傷つかんと言ったところか」
その言葉に、俺がふと思い出したのは、
「嫉妬の悪魔は、分体って話だったけど、けっこうダメージ受けてなかったか?」
「あやつは本体に対して分体の割合が大きかったんじゃろ。要はザコだったからじゃ」
「お前は『ザコ』ではないもんな……」
「うむ。腐っても魔神じゃからの」
尊大にうなずいたアンテは、「ゆえに、我には他の存在をザコ呼ばわりする権利があるというわけじゃ」と謎に胸を張った。ひらたい。
「しかしこうして検証したことで、手札が増えた……いや、とある手札が切りやすくなったかもしれん」
少しばかり真面目な表情に切り替えて、アンテが言う。
「手札とは?」
「我の存在じゃ。お主の中に潜んで【禁忌】を制定するのはこれまでもよくやっておったが、本当に切羽詰まったとき、我自身が出張るという選択肢がより気軽に取れるようになった」
アンテ自身が出張るっていうと……ファラヴギと戦ったときみたいな? アンテが飛び出て、ファラヴギに目潰し(物理)してくれたよな。
「悪魔の象徴たる角が折られても、分体であれば影響が極小ということは、この分体が討ち取られた際の我が意識に対する影響も、限りなく少ないと考えられる。これまでは、いかに分体と言えども死んでしまうと我も気絶――しばらく意識を失うと考えておったが、この調子だとすぐに目が覚めそうじゃ」
トントン、と自らの首を手刀で叩きながらアンテは言う。
「ちなみに、この場合の『しばらく』とは現世で少なくとも数十年、ひょっとすれば百年以上じゃ。気絶して目が覚めたらお主がヨボヨボの爺になっていた、あるいはとっくの昔に死んでいた……などという状況は避けたかったからの。我が分体を犠牲にするという選択肢はあくまで最終手段じゃった」
「……俺としても、お前の補助がなくなるのは可能な限り避けたいところだ」
索敵から【禁忌】制定まで色々と支えてくれてるし、戦闘面以外でも、視野狭窄に陥りがちな俺を諌めてくれたりと、助かってるしな。
それにアンテがいなくなったら……その……
「ふふふ。寂しいじゃろー?」
うりうりと肘で俺の脇腹をつついてくるアンテ。うるせえやい。
「それで、最悪の場合、分体が撃破されても問題なさそうってわけか?」
アンテの肘攻撃を振り払いながら俺は話を続けた。
「うむ。いずれにせよ、そうした場合はダークポータルで再合流する必要があるからの。面倒なのであまりやりたくはないが、一応頭の片隅に置いておくとよい、という話じゃ」
本体が宮殿で意識を取り戻したら、速やかに魔界側のダークポータルに移動して俺を待つ、ってことか。確かに面倒だから、あんまりやりたくはないけど、逆に言えばそのひと手間で合流することはできる。
『アンテを囮にして強敵をブチ殺す』、そんな手もある、ってのは覚えておいた方がよさそうだな……
『大公級の魔族と戦ってたら、どこからともなく魔神の分体が現れて奇襲してくるって、考えてみたら最悪だねぇ……』
バルバラがげんなりした顔でつぶやいた。周囲の聖霊組もうんうんと頷いている。
すいません、魔族ってホント無駄に手札が多くて……逆に他の魔族もやりかねないってことだから、その辺りは意識しておかないとマズいな。
「おい! いい感じだぞ!」
そんな俺たちをよそに、アンテの角の魔力をガンガン練り込みながら、ハンマーを振るっていたアインツが喜色満面で声を上げた。
「お前の角もぼちぼち必要になるからな! 用意しとけよ!!」
「ウッス……」
俺は重苦しい気分になりながら頷いた。
わかってたよ……次は俺の番だって……。
「あの……必要だったら手伝いますよ!」
レイラが、ノコギリや金槌を手にしてニコニコしながら申し出た。気持ちはありがたいです。しかし冷静に考えたら、俺の角って物理的にも魔法的にも頑丈だから普通の道具じゃ難しいかも……
「アーヴァロン・ノコギリはなかなかの切れ味じゃったぞ。ふふふ……」
何なら我が手ずから切り取ってやってもよい、と不穏に笑うアンテ。
しかし改めて見ると、右の角が欠けたままなの、違和感が凄い。当てつけのように艶めかしい手つきで、角の切断面を指で撫でてみせるアンテ。
「お主がどのような声で鳴くか……想像するだにゾクゾクするわ」
頬を赤らめながらアンテはぺろりと舌舐めずりする。先ほどは随分とお楽しみのようだったが、こいつは……どっちもイケるクチだ。
なにせ、一度記憶したら決して忘れないソフィアに、世界の禁忌の煮凝りみたいな地獄の責め苦を味わわせた張本人だからな……俺の角もねっとりじっくりギコギコする気満々だろこれ……!
「悪いがアーヴァロンは当分貸せねえぞ。もう始めちまったからな」
と、アインツが思い出したように告げる。「なんじゃ、つまらんのぅ」と鼻白んだように唇を尖らせるアンテ。
『あー、それじゃあエクスカリバーでスパッとやっちゃう?』
魔力のつるぎ――【
『これならギコギコせずに、スーッとやれるよ』
「それでお願いしようかな……」
そんなわけで、角の切断はアーサーに頼むことになった。
しかしいざ『やる』となると、緊張してきたな。俺は床に寝転がって、さらに鍛冶場の床が傷つかないよう、マントを丸めた枕も置き頭の位置を上げておいた。
しかし……こうやって待機していると……なんかアレだ……
「斬首される罪人みたいね……」
ヘレーナがボソッとつぶやく。
いや俺もまさしくそう感じてたけどさぁ!!
『よーし、やるぞ……!』
ぶんぶんとエクスカリバーを振るって予行演習するアーサー。
『右と左、どっちがいい?』
「うーん……」
笑顔で問われて、唸る俺。
……角が破損したら、魔力が弱まるのはわかってる。ただ、それだけじゃなく、精神的苦痛や、何らかの弊害もあるのは間違いない。
レイジュ族は転置呪で角の治療も受け持っていたわけで、このあたりどんな影響があるのか知見がありそうなもんだが……
何も教わってない!
なーんにも伝わってない!!
仮に角が折れてしまったヤツがいても、「アイツ、角折れたんだって笑」みたいなノリで嘲笑してただけ!!
具体的にどんな悪影響があるのか、角はどのような器官でどんな機能があるのか、感覚的なモノ以外は何もわかっておらず、当事者視点の研究もなされていない!
まあ……かくいう俺も、角惰弱のアノイトス族とか、レイジュ族の里で角がちょっと欠けちゃったゲルマディオスとか、「折れてやんの笑」ってノリで笑ってたクチなので、これに関しては魔族のことアレコレ言う資格はないんだが……
いやね……まさか自分がこういう目に遭うとは思ってなかったっていうか……
やっぱ己の身に降りかかるまで、人間どこまでも他人事なんだな……
「……左で頼む」
とはいえ、いつまでも悩んでても仕方がない。利き腕側の右角を守った方が、なんとなく悪影響が少ないんじゃないか、という気がしたので、そう頼んだ。
『わかった、左ね!』
エクスカリバーを構えるアーサー。
『それじゃあ……いち……にの……さん!』
「――――ッ!」
『で、斬るからね』
「はよやれや!!」
『わかったいちにのさんッ!』
「待っ」
スパッ!
「あっ……」
ぐわん、と世界が揺れた気がした。
同時に、半身がごっそりと持っていかれたような、
とてつもない喪失感と……氷のように冷たい、刺すような痛みが――
「っっっぐっがああああああああァァァァァァッッ!!」
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!
あ゛――――――ッッッッッ!!!
……………………
………………
…………
結論から申し上げると、凄まじく痛かったです。
根本からバッサリいかれました。血も出ました。角の中って神経と血管がガッツリ通ってるんですね。知りませんでした。
だから痛いわけです。よく理解できました。
歯を折られる痛みを50倍にしたくらいでしょうか。
もしくは、男なら誰でもわかる……股間を強打したときの痛み。
あれが頭に来る感じです。
身体の芯にグワッとなって冷や汗が噴き出る、アレですね。
とてもじゃないですが立ってられません。
あと自信もなくなりました。何をする気力も湧いてきません。
ゲルマディオス……あと名前忘れたけどアノイトス族の角野郎……
これは確かに耐えられんわ……
笑って悪かったよ……
『大丈夫……?』
「だいじょぶじゃない……」
心配げなアーサーに、床の上で丸まった俺は震えながら答えた。
レイラが膝枕して頭をぽんぽんしてくれる。さらにヘレーナが治癒の奇跡を使ってくれたので、痛みも引いたが……
「魔力……クソ弱まった気がする……」
「半減――は言い過ぎかもしれんが、想像以上に弱まったの……」
アンテがやや引き気味に同意した。
『大公級の魔力が一気に侯爵かそこらになったな……』
『まあ、それでも十二分に脅威なんだがよ』
『角だけでここまで弱体化するなら、もっと積極的に狙うべきなのかも』
『精神的な打撃も見込めるしな……』
聖霊組が俺の体たらくを横目に議論している。
いやぁ……マジで危なかった。人化の魔法で魔力が弱体化する感覚に慣れてなかったら、さらに打撃を受けていたかもしれない。
「よし、上々だ。ちょいと乾燥させてからすり潰して使おう。いや、炒った方が早いかなこれは……誰か、台所にあるフライパンを取ってきてくれ!」
一方でアインツは相も変わらず上機嫌。
「取ってきますー」
レイラがフライパンを取りに行く。
かくして、俺の採れたてホヤホヤの角は、炉にかけられたフライパンでこんがりとローストされることになったのだった。
「…………」
なんだろうな……横向きに寝られなくなったり、人外と化した象徴だったりで……
角の存在には思うところがあったはずなんだが……
もうすっかり体の一部だったっていうか……
なんなんだろうな……この気持ちは……
俺はぼんやりと黄昏れてしまった。あれ、おかしいな、目から汗が……
『……そんなにしんどいのかい? 角を失うって』
「どんな気持ちじゃ? のうどんな気持ちじゃ?」
控えめに聞いてくるバルバラ、俺の周りをぐるぐる回りながら小躍りしているクソ魔神。
「そう、だな……強いて言うなら……」
アンテを張り倒しながら、俺は率直な気持ちを答えた。
「タマを片方引き千切られた感じ、かな……」
男性陣がチン痛な面持ちになった。
女性陣がわかったようなわからないような顔をした。
アンテは爆笑した。
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